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植え替え
#10
しおりを挟むこの前は、本当にここで暮らしていいのかを尋ねた。
あの質問をした時よりは、数段高い位置に立ってると思う。それでもまだまだ遠くて、見上げた先には彼の影すら映らない。
きっと、憧憬だけで抑えるべきだ。
宗一さんの妻になる資格なんてない。そんな思考に傾きかけるけど、日に日に想いは膨れ上がっている。
求めるのは罪だと言われ続けてきたから、考えるより前に諦める癖がついただけなんだ。
「ねぇ、白希。妻になるなら、アレも解禁してくれると嬉しいな」
「アレ?」
「分かってるだろう?」
思わずぽかんと口を開けたら、唇に指を添えられた。
彼の顔を直視するのは、いつも結構な勇気が必要だ。
何でもない時でも圧倒されてるのに、真剣な場面は緊張のあまり具合が悪くなる。
口端を引き締め、何とか堪えてると、宗一さんは隣に移動してきた。
「昨日の事故のこと」
「あ、あぁ。キスの話ですね」
彼はあえて口にしてなかったようだけど、よく分からなくて普通に返してしまった。宗一さんは可笑しそうに吹き出す。
「ずっとお預けは寂しいと思って。私のことが嫌いじゃないなら、今すぐにもキスしたい」
台に置いた手が重なる。
お茶を入れようとしていたことも忘れ、踵を浮かした。
「ん……」
つま先に力を入れる。昨日の再現のように、自分から宗一さんにキスをした。
ただ唇が触れるだけのライトなものだけど、離れた後も胸の辺りが焼けそうだった。
昨日のキスを上書きした。パニックになっていた時とは全然違うから、もう言い逃れや後戻りはできない。
俺は自分の意志で動いた。間違いなく、自分から彼を求めた。
「俺以外の人と幸せになってほしいって、この前までは本気で思ってたのに」
「ふふ、そう言ってたね。今はどう?」
「……今は、俺が宗一さんを幸せにしたい。……です!」
自信なく答えたけど、こんななよなよした言い方じゃ駄目だと思い、最後だけ語調を強くした。
宗一さんはしばらく笑っていた。何がそんなに面白いのか分からないけど、本当に楽しそうだから……まぁいっか。
彼は俺にキスさせてもらえないと嘆いていたけど、実際はその逆だ。俺なんかが気安く触れていい人じゃないから、距離を置こうとしただけ。
同じ空間に二人でいること自体、すごく贅沢なことだ。
だけど彼は、至極当たり前のように俺にキスをする。
「ありがとう、白希。愛してる」
お礼を言われるようなことは何もない。でも、この時は静かに頷いた。
同じことを彼に言いたかったから。
「私も……貴方を」
“愛してる”。
でも結局、その台詞は言えなかった。自分が言うと途端に軽くなりそうな気がして、躊躇してしまう。
宗一さんが言うと重いのになぁ……。
心の中で首を傾げるも、すぐに抱き寄せられる。
……俺は既に幸せだ。だから今度は彼を幸せにしたい。
彼が求めるものは全部見せて、渡して、共有したい。
宝物みたいな時間。
入れたお茶がぬるくなるまでキッチンで過ごした。ポットの中の色と同じぐらい、濃くて深い夜だった。
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