熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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奇な糸

#8

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彼も白希の事情はほとんど知っているに違いない。
それでも深いことは訊かず、丁寧に接してくれることが本当に有難かった。

「真岡さん、今さらで申し訳ないんですけど、呼び捨てしてください。様を付けられるのは慣れてないし、ただの一般人ですから」
「あはは、それは私もいたしかねます。白希様とお呼びすることに慣れてしまったので……あ、着きましたよ」

役所に到着し、地下駐車場に車を停める。窓口で転入届の手続きを行い、必要な書類を渡した。

こうしていても未だに実感がない。村を出たことはもちろん、大勢の人の中に存在していることも。
待合席に腰掛けて、瞼を伏せる。何組もの人達が難しいことを話しているのが聞こえた。

本当に、外にいるんだ。自分の姿が人に見えている。
当たり前のことなんだけど、実際は全然当たり前じゃない。宗一さんに見つけてもらえなかったら、自分は今頃どうなっていただろう。

「……」

ふと、周りの男性が皆脚を開いて座っていることに気付いた。
和服で過ごしたから失念していたが、そういえばこれが普通だ。ぴったり脚を閉じてることに急に違和感を覚え、さりげなく座り直して脚を開いた。
仕事の電話がかかってきた為、真岡は外へ出ている。戻ってきて、白希が突如大股を開けて座っていたら驚く可能性がある。やっぱり明日からにしようか……。

何とも重要性のないことで悩んでいると、すぐ傍に小柄なお婆さんがやってきた。

「ごめんなさい。隣座っていいかしら?」
「あ、はい! どうぞ!」

周りは全て埋まっていて、空いてる椅子は白希の隣だけだった。最大限端に寄り、もう一度周りを見回す。
また高齢の方が来るかもしれないから、立って待ってようかな。

立ち上がりかけた時、隣に座ったお婆さんがにこやかに笑った。
「あら……あなた、とても綺麗な手をしてるわね」
「え? いえ、全然そんなことは……」
掌を持ち上げ、自分で見てみる。手が綺麗なんて一度だって思ったことないけど、そんな風に見えるんだろうか。
「急にごめんなさいね。若い人にこんなこと言うの、今どきはセクハラになっちゃうのかもね」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
“今どき”の傾向も知らないので、笑顔で答える。訊けば、お婆さんは去年旦那さんを亡くし、一人暮らしをしていたらしい。ところが最近は足腰が弱った為、この近所の息子さん夫婦の家に住むことになったという。
彼女はプライベートなことを色々話してくれた。旦那さんがいなくなってから今までひとりだった為、話し相手が欲しかったようだ。



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