熱しやすく冷めやすく、軽くて重い夫婦です。

七賀ごふん

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奇な糸

#4

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人生のノートがあったとして、一年ごとに一ページ増えたとして。
二十歳なら二十ページ分あるはずだけど、俺のノートは一ページしかない。

そのたった一ページの中で、途中から行を埋めるのは間違いなく彼のこと。
 何もない暗闇の中で、もう少し生きようか、と思わせてくれた人。

彼は俺を見てどう思っただろう。想像とはだいぶ違ったはずだ。だって、「ちゃんと生きてる」ように見せかけていたから。

実際は狭い箱の中で膝を抱えて育った。
成長したら彼の役に立つよう言われていたけど、そんな日は来ないまま……何ヶ月も、何年も月と太陽を見上げた。

ずっとずっと昔のことだ。


『白希。手紙を書きなさい』


久しぶりに姿を現した母に、万年筆と便箋を渡された。

不思議なことに、会ったこともない人に手紙を書けと言う。

『水崎家と関わりを絶ってはならない。……生き残る為に、貴方は彼らの庇護下に入らないと……』

母が言ってることは、その時の自分にはよく分からなかった。
ただ今与えられた役目を全うすることでアタマがいっぱいだった。

ペンを持つ手が震え、何度も書き損じた。焦りすぎてペンが熱くなったり、冷たくなったり。一枚の手紙を書くのに何日もかけた。火傷もしたし、凍傷もした。

泣き叫びたくなるのを抑えて、胸を掻きむしった日々。手は爛れ、痛みで眠れないこともあったけど、その手紙は私と世界を繋ぐ唯一の糸だった。

こんなにも死に物狂いで手紙を書く人は少ないだろう。
けど必死の想いで書いたぶん、愛着は強くなる。
宛名を自分の名前よりも上手く書けることがちょっとだけ誇らしかった。

水崎宗一さん。

彼が存在する。そんな当たり前のことが奇跡に思える。私を認識して、私が書いた文章に返してくれる人。

彼が世界だ。
ようやく会えたとき、どれほど嬉しかったか……今はまだ伝えられない。
適切な言葉がいまいち浮かばなくて、ずっと悩んでる。
だから、今日も目を覚ますのが少し怖い。


「おはよう、白希。今日は寝癖ないね」
「ふあ……おはようございます」


寝巻きから服に着替え、リビングへ顔を出す。珈琲をいれていた宗一を見つけ、白希は頭を下げた。
一応櫛で髪は整えたが、美容院に行ったおかげで寝起きも全く跳ねてなかった。改めて、カットしてくれる人に感謝した。

昨夜は大変なことをしてしまったが、宗一の様子は変わりない。むしろ機嫌が良さそうだ。
常ににこにこしてるのに、何でそう感じるのか自分でもよく分からなかった。

「私はこれから仕事だ。一緒にいられないのは悲しいけど……」

食卓につき、宗一は心から残念そうにため息をついた。

「こうして朝から君の顔を見られることが幸せなんだ。これまで出勤してきた中で、今日が一番幸福な朝だよ」
「ははは、そんな……」

大袈裟過ぎる言い回しに、笑って返した。ところが彼は突然自身のスマホをテーブルに置き、なにか操作し始めた。
直後にシャッター音らしきものが鳴る。どうやら写真を撮ったらしい。
「食べてる時の白希は本当に愛らしいね。ありがとう、今日はこれを見て乗り切るよ」
「……」
ありがとうも何も、自分は大口開けてパンを食べようとしてただけだ。
「ちょ……絶対変な顔してますから、消してください」
「変? とっても可愛いよ」
宗一はスマホの画面にキスし、胸ポケットに仕舞ってしまった。彼のペースについていくのは至難の業だ。何より、行動が予測できない。 



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