上 下
32 / 63
第4章 亜麻色の髪の乙女とウサギ事変

4-9 小さな従者は忙しい

しおりを挟む
「ビリーさんビリーさん、そろそろ若には慣れましたかー?」

 頭にスープ皿を乗せ、ビリーの周りをくるくると回りながらルヌルムは尋ねた。

 偶然ルヌルムと出会ったのは、ビリーが食べ終わった食器を片付けに厨房へと向かう途中のことだった。ルヌルムは渡り廊下で日向ぼっこをしており、うとうとと身体を揺らしていた。皇帝の命令をはね付けるほど忙しそうには見えない。
 ビリーが声をかけると食器の一部を持ってくれ、厨房まで同道することになった。

「慣れませんよ。最初の時ほど変なことはしてこないですけど、やっぱり変なものは変です」

 ビリーは自分の額に手を当てた。唇の感触は消えているが、何をされたのか記憶にはしっかりと残っている。

「若は人との交流に飢えてるんでーす。多少は大目に見てあげてくださーい」

 ルヌルムはぴょこぴょこ跳ねるように歩く。スズメの移動のようだ。

「キスされたり抱きしめられるのって多少じゃない気が……」
「感情表現が犬に近いんですよー。犬ってすぐ飛びついたり舐めたりするじゃないですかー――あ、これ内緒にしてくださいー。主のこと犬扱いしてるのバレたら怒られまーす」

 ルヌルムは翼の先でバツ印を作って口元を隠した。仕草のすべてがいちいち可愛らしい。

「確かに大型犬に見える時はあるけど。なんであんなに好意的なのかな……」

 ビリーは肩を竦め、大きく息を吐く。近衛騎士になってから明らかにため息の回数が増えた。
 好意的に接してくれるのはいい。だが時々度が過ぎるのと、好意の理由が明確でないのが気になる。いざ明確にされたところで、理由によっては非常に困ることになるのだが。

「お顔が気に入ったんじゃないですかー?」
「顔?」

 ビリーは首をかしげる。
 今まで考えもしなかったが、実際その可能性もあるのかもしれない。アズール自身も一目見てどうのこうのと言っていた。
 家名の由来である銀髪。日差しを透かした若葉のような薄緑の瞳。男女の双子だったにもかかわらず瓜二つだった、性差を感じさせない顔立ち。この手の顔が好きな者は一定数いる。騎士団内にも言い寄ってくる者がいた。

「考え込まないでくださいー。冗談でーす。命がけで助けてもらったのが、若にとっては天地がひっくり返るようなことだったと思いますよー」
「臣下なら誰だって助けるでしょう?」
「そうかもですけど、若は信用してないんですー。若が皇帝になることが決まった途端、コインを裏返すみたいにみんなが一斉に態度を変えたから」

 ルヌルムの足が止まった。見た目にそぐわない深い憐憫が、幼い顔の上に現れている。

「いじめ……いや、迫害されていたんだっけ。ドロップイヤーだからとかって」
「もうそこまでお話になったんですね、若は」
「具体的に何があったかは聞いてませんよ。でも、皇帝になるのは本意ではなさそうでしたね」

 ――俺はただ静かに暮らしていられればよかったのに。
 諦念を滲ませたアズールの言葉がよみがえった。
 望まない環境に身を置き、数多の人々から崇敬・仰望ぎょうぼうされているのに孤独に苛まれている。

「前皇帝が招喚しょうかんしなければ、あのまま辺境州でひっそりと暮らしていけたんですけどねー……」
「辺境州?」

 聞き返すと、ルヌルムはやってしまったと言わんばかりに顔を引きつらせた。翼腕を羽ばたかせて先に進んでいってしまう。
 ビリーは駆け足で追いかけながら尋ねた。

「辺境州がどうかしたの?」
「なんでもないでーす」
「じゃあなんで急に飛ぶの」
「そういう年頃でーすー」
「なんか隠してる」
「隠し事がない人はいませんー」
「私に隠さないといけないようなこと?」
「若に聞いてくださーい! 私忙しいですー!」

 ルヌルムは厨房に飛び込んだ。頭の上のスープ皿をテーブルに置くと、空いた窓から外へと飛び立ってしまった。

(そんな言えないことってある?)

 ルヌルムが断片的に漏らしたのは、かつてアズールが辺境州で暮らしていたとか、そんなところだ。飛んで逃げるほど秘匿ひとくしなければならない情報だとは思えない。

(辺境州にいる獣人はだいたい訳ありだってナーディヤが言っていたし、別におかしなことでもないよね)

「騎士ビリー・グレイ」

 食器を返却し、厨房から出たところで声をかけられた。
 声自体は透明感がある可愛らしい声なのに、身体に突き刺さってくるほど響きが刺々しい。

「少しお話をしたいのだけれど、よろしいかしら?」

 編み下ろしたツインテールとうさぎ耳が可愛らしい美少女――ディーシ伯令嬢プリム・ガルシアは、本当に話をする気があるのか疑わしいほどさげすんだ目でビリーを睨みつけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

婚約破棄された上に魔力が強すぎるからと封印された令嬢は魔界の王とお茶を飲む

阿佐夜つ希
恋愛
伯爵令嬢ラティミーナは、生まれつき魔力量が人並み外れているせいで人々から避けられていた。それは婚約者である王子も同様だった。 卒業記念パーティーで王子から婚約破棄を宣言され、ほっとするラティミーナ。しかし王子は婚約破棄だけでは終わらせてはくれなかった。 「もはや貴様は用済みだ。よって貴様に【封印刑】を科す!」 百年前に禁じられたはずの刑罰が突如として下され、ラティミーナは魔法で作られた牢に閉じ込められてしまうのだった――。 ※小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

Knight―― 純白の堕天使 ――

星蘭
ファンタジー
イリュジア王国を守るディアロ城騎士団に所属する勇ましい騎士、フィア。 容姿端麗、勇猛果敢なディアロ城城勤騎士。 彼にはある、秘密があって……―― そんな彼と仲間の絆の物語。

処理中です...