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紫苑の章
8 決着の一矢
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「リュミドラあああああああああっ!!」
知覚するよりも先にサヴィトリは吠えていた。
身体を前傾させ、出来うる限りの加速をする。
数日前と同じく、広場の中央に鎮座した緑の棘と黒い布きれとをまとった肉塊――棘の魔女リュミドラはただ目を細めている。どういう意図かまったく同じ場所で待ち構えてくれているとは。
サヴィトリは強く地面を蹴って飛びあがり、リュミドラの顔面めがけて蹴りつけた。
靴の底が容赦なくめりこむ。
「あらぁ。ずいぶんなご挨拶ねぇ、サヴィトリちゃん」
リュミドラの口元は涼しげな笑みを維持している。
「問答無用。とりあえず相手の鼻っ柱に一発ぶちこめ。それが我が師クリシュナの流儀だ」
うしろ受け身を取り、サヴィトリは鋭くリュミドラをにらみつける。
リュミドラの顔にはもうすでに足跡はおろか何の形跡もない。厚い脂肪の前では挨拶にすらならなかったようだ。
「なんと美しい理想的な飛び蹴り……!! サヴィトリ様、ぜひその愛の足跡をわたくしのここに――」
サヴィトリは落ちていた適当な石をカイラシュの顔面にぶち当てた。なぜこんな時でもカイラシュは自重しないのか。
「あぁ、サヴィトリ様のごとくまばゆい星辰が無数にきらめいている……」
異常に瞳を輝かせたカイラシュは、血反吐を吐き散らしながらゆっくりと地面に沈んだ。
「完全に人選間違えたな……」
サヴィトリは頭を抱えざるをえない。もう少し真面目に戦ってくれるものと思っていた。
「もう僕がやるからいいよ」
ナーレンダは目蓋を伏せ、諦めたように首を横に振った。
「あら、負けヒロインのナーレちゃんもいたのね」
リュミドラはわざとらしく両手を口元に当てた。
「負けヒロインって言うな! そもそも僕は負けてもなければヒロインでもない!」
「三角関係の当事者をそのまま連れてくるなんてサヴィトリちゃんってば人の心がないのねえ」
「……確かに、人選については僕も思うところがあるけれど」
「普通、選んだ相手と振った相手を同時にラストバトルに連れてきたりはしないわよねぇん」
「……振ったとか負けたとかうるさいんだよ肉塊が!! その脂肪全部燃やし尽くしてやる!!」
リュミドラとの会話で頭に血がのぼったナーレンダが勝手に戦闘を始めてしまった。
サヴィトリは一瞬迷ったのち、先にカイラシュを起こすことにした。急に復活して視界の外から何かをされても困る。
「カイ、寝てる場合じゃない。起きて」
サヴィトリは倒れているカイラシュを揺さぶった。そもそも寝かせる原因を作ったのは自分だが。
「キスしてくださったら起きます」
「もう起きてるじゃないか。戦え」
「ナーレンダ殿に任せておけばいいじゃないですか」
「いいわけないだろう。怒られたいのか?」
「怒ってくださるのですか!?」
(うわめんどくさい)
サヴィトリはカイラシュを起こすのを諦めた。まったくもって時間の無駄だった。
「無視はダメだって言ったじゃないですかぁー」
半泣きのカイラシュが足にしがみついてきた。真面目に戦っているナーレンダには本当に申し訳ない。
「やれやれ、仕方ないですね。相思相愛比翼連理、鳳凰于飛に合歓綢繆なわたくし達の邪魔をする者は性別年齢種族その他一切問わず可及的速やかに排除させていただきます」
カイラシュはサヴィトリに頬ずりをしながらわけのわからないことを並べ立てる。
「カイ、せめて人間の言葉を喋れ」
「お慕い申しております、サヴィトリ様」
「今は戦闘中だ。敵に集中しろ」
「あん、つれないですね。けどその冷たさもまた快感!」
カイラシュが気色悪く身悶えした瞬間、世界が音を立てて凍りついた。
ガラスの砕けるような音がし、世界から色彩がはがれ落ちていく。サヴィトリ、カイラシュ、ナーレンダ、リュミドラの四人を残して、すべてが無彩色へと塗りこめられる。
「カイ、お前のあまりの気持ち悪さに世界から色が失われたみたいだ」
「サヴィトリ様、わかっているとは思いますが南中になったようですよ」
カイラシュは美しく微笑み、両手に幾本もの黒い飛刀を携えた。黒い扇を広げているようにも見える。中身がどんなに人間としてダメでも身のこなしや立ち姿だけは決まっている。
「あらぁ、何か用意してるとは思ったけど意外と手の込んだ鳥籠ねえ」
リュミドラは縦横に棘を伸ばす。すると一定の範囲で、見えない何かに弾かれた。本当に物理的な障壁が張られているようだ。地面から棘が生えてくる様子もない。
舗装がはがれていたり、棘が張っているにもかかわらず、地面を踏んだ感触は平面だ。ちゃんとニルニラの説明を聞かなかったが、おそらく不可視の四面体の中にいるような感じなのだろう。
「鳥籠? まさか、そんな可愛らしいものではありませんよ。タコ壺がせいぜいでしょう」
カイラシュが羽ばたくように手を振るう。矢よりも速くナイフが射出され、リュミドラの棘を断ち切った。
切断された箇所がどす黒くなり、根本にむかって浸食しながらぐずぐずと崩れていく。
「あらん、面倒なものを持っているのね」
表情にわずかに怒りをにじませ、リュミドラはカイラシュにむかって棘を伸ばした。
カイラシュは再び精確な投擲を見せたが飛刀は棘をすり抜けた。
これがナーレンダの言っていた幻視の棘なのだろう。ただの幻覚であれば当たったところでどうということもないが。
「うふっ、当たれば普通に痛いわよぉ。覚えてるでしょう、サヴィトリちゃん♪」
サヴィトリの心の中を読んだかのように、リュミドラは微笑む。
その瞬間、サヴィトリの身体が凍りついた。
指輪から伸びた棘によって肉を穿たれる痛みが脳裏によぎる。
「肉塊が。サヴィトリ様を心身共に攻めていいのも攻められていいのもわたくしだけです!」
カイラシュの頭のおかしい叫びと共に、幻視の棘が何か――カイラシュがいつも身にまとっていた白い衣によって弾き返される。衣はひらひらと優雅にはためき、生き物のようにカイラシュの周囲を漂う。
「面白いおもちゃを持ってるのねえ、カイちゃんは」
リュミドラは数本の棘を間断なく叩きつける。カイラシュは動じず、棘の猛攻を衣でさばく。
「汚らわしい肉塊が。わたくしをそう呼んでいいのはサヴィトリ様だけだ!」
カイラシュは嫌悪を露わにし、衣の端をつかんで真横に引いた。カイラシュを襲っていた棘がひとまとまりに束ねられる。拘束された棘がうねうねと気持ち悪くもがく。
リュミドラが操る残りの棘は四本。
「その数の棘では耐えられないだろう」
ナーレンダの掲げた手のひらの上に円錐形の炎の槍が発生した。ナーレンダの扱う炎はバリエーションが豊富すぎる。
「終わりだ」
ナーレンダが手を打ちおろすと、炎の槍は迷いなくまっすぐにリュミドラへと向かって飛んだ。
リュミドラは笑みを崩さぬまま四本の棘で盾を編む。振りをした。
棘をほどき、リュミドラは真正面から炎の槍を自身の身体で受け止めた。
吐き気を催す肉の焦げた臭気と白い煙があっという間に充満する。リュミドラがどのような状態になっているのか視認できない。
サヴィトリは呼吸を整え、氷の矢をつがえた。本当ならこんな状況で息など吸いたくないがそうも言っていられない。
ただ凍らせるのではなく、すべてを貫き、あらゆるものを凍結させるイメージを矢に乗せる。
わざわざリュミドラがあんなことをしたのにはきっと意味がある。
煙の中から地面を滑るように音もなく四本の棘が伸びた。
カイラシュが即座に反応し、飛刀を投擲する。腐り落ちたのは二本だけだった。
残り二本の幻の棘が狙う先は、サヴィトリ。
左手と右足に絡みついた。痛みはまだない。
「こっちに来ると思ったよ。私が一番足手まといだからね。私が負傷すれば、二人の動きが鈍る」
「そこまでわかっていてどうしてよけなかったのかしら?」
煙が薄くなり、赤黒く焼けただれたリュミドラの姿がサヴィトリの目の前に現れる。
「お前の顔面に絶対にこれをぶち当てたかったからに決まっている!」
棘が巻き付いた部分が錐でえぐられたように痛む。脂汗が額にびっしりと浮かぶのが分かった。
番えた氷の矢が膨れ上がる。前の戦いの時ほどの勢いはないが、それでも普段の倍以上は大きく白く輝いている。
「くたばれ、リュミドラ」
サヴィトリは口の端を歪め、氷の矢を放った。
知覚するよりも先にサヴィトリは吠えていた。
身体を前傾させ、出来うる限りの加速をする。
数日前と同じく、広場の中央に鎮座した緑の棘と黒い布きれとをまとった肉塊――棘の魔女リュミドラはただ目を細めている。どういう意図かまったく同じ場所で待ち構えてくれているとは。
サヴィトリは強く地面を蹴って飛びあがり、リュミドラの顔面めがけて蹴りつけた。
靴の底が容赦なくめりこむ。
「あらぁ。ずいぶんなご挨拶ねぇ、サヴィトリちゃん」
リュミドラの口元は涼しげな笑みを維持している。
「問答無用。とりあえず相手の鼻っ柱に一発ぶちこめ。それが我が師クリシュナの流儀だ」
うしろ受け身を取り、サヴィトリは鋭くリュミドラをにらみつける。
リュミドラの顔にはもうすでに足跡はおろか何の形跡もない。厚い脂肪の前では挨拶にすらならなかったようだ。
「なんと美しい理想的な飛び蹴り……!! サヴィトリ様、ぜひその愛の足跡をわたくしのここに――」
サヴィトリは落ちていた適当な石をカイラシュの顔面にぶち当てた。なぜこんな時でもカイラシュは自重しないのか。
「あぁ、サヴィトリ様のごとくまばゆい星辰が無数にきらめいている……」
異常に瞳を輝かせたカイラシュは、血反吐を吐き散らしながらゆっくりと地面に沈んだ。
「完全に人選間違えたな……」
サヴィトリは頭を抱えざるをえない。もう少し真面目に戦ってくれるものと思っていた。
「もう僕がやるからいいよ」
ナーレンダは目蓋を伏せ、諦めたように首を横に振った。
「あら、負けヒロインのナーレちゃんもいたのね」
リュミドラはわざとらしく両手を口元に当てた。
「負けヒロインって言うな! そもそも僕は負けてもなければヒロインでもない!」
「三角関係の当事者をそのまま連れてくるなんてサヴィトリちゃんってば人の心がないのねえ」
「……確かに、人選については僕も思うところがあるけれど」
「普通、選んだ相手と振った相手を同時にラストバトルに連れてきたりはしないわよねぇん」
「……振ったとか負けたとかうるさいんだよ肉塊が!! その脂肪全部燃やし尽くしてやる!!」
リュミドラとの会話で頭に血がのぼったナーレンダが勝手に戦闘を始めてしまった。
サヴィトリは一瞬迷ったのち、先にカイラシュを起こすことにした。急に復活して視界の外から何かをされても困る。
「カイ、寝てる場合じゃない。起きて」
サヴィトリは倒れているカイラシュを揺さぶった。そもそも寝かせる原因を作ったのは自分だが。
「キスしてくださったら起きます」
「もう起きてるじゃないか。戦え」
「ナーレンダ殿に任せておけばいいじゃないですか」
「いいわけないだろう。怒られたいのか?」
「怒ってくださるのですか!?」
(うわめんどくさい)
サヴィトリはカイラシュを起こすのを諦めた。まったくもって時間の無駄だった。
「無視はダメだって言ったじゃないですかぁー」
半泣きのカイラシュが足にしがみついてきた。真面目に戦っているナーレンダには本当に申し訳ない。
「やれやれ、仕方ないですね。相思相愛比翼連理、鳳凰于飛に合歓綢繆なわたくし達の邪魔をする者は性別年齢種族その他一切問わず可及的速やかに排除させていただきます」
カイラシュはサヴィトリに頬ずりをしながらわけのわからないことを並べ立てる。
「カイ、せめて人間の言葉を喋れ」
「お慕い申しております、サヴィトリ様」
「今は戦闘中だ。敵に集中しろ」
「あん、つれないですね。けどその冷たさもまた快感!」
カイラシュが気色悪く身悶えした瞬間、世界が音を立てて凍りついた。
ガラスの砕けるような音がし、世界から色彩がはがれ落ちていく。サヴィトリ、カイラシュ、ナーレンダ、リュミドラの四人を残して、すべてが無彩色へと塗りこめられる。
「カイ、お前のあまりの気持ち悪さに世界から色が失われたみたいだ」
「サヴィトリ様、わかっているとは思いますが南中になったようですよ」
カイラシュは美しく微笑み、両手に幾本もの黒い飛刀を携えた。黒い扇を広げているようにも見える。中身がどんなに人間としてダメでも身のこなしや立ち姿だけは決まっている。
「あらぁ、何か用意してるとは思ったけど意外と手の込んだ鳥籠ねえ」
リュミドラは縦横に棘を伸ばす。すると一定の範囲で、見えない何かに弾かれた。本当に物理的な障壁が張られているようだ。地面から棘が生えてくる様子もない。
舗装がはがれていたり、棘が張っているにもかかわらず、地面を踏んだ感触は平面だ。ちゃんとニルニラの説明を聞かなかったが、おそらく不可視の四面体の中にいるような感じなのだろう。
「鳥籠? まさか、そんな可愛らしいものではありませんよ。タコ壺がせいぜいでしょう」
カイラシュが羽ばたくように手を振るう。矢よりも速くナイフが射出され、リュミドラの棘を断ち切った。
切断された箇所がどす黒くなり、根本にむかって浸食しながらぐずぐずと崩れていく。
「あらん、面倒なものを持っているのね」
表情にわずかに怒りをにじませ、リュミドラはカイラシュにむかって棘を伸ばした。
カイラシュは再び精確な投擲を見せたが飛刀は棘をすり抜けた。
これがナーレンダの言っていた幻視の棘なのだろう。ただの幻覚であれば当たったところでどうということもないが。
「うふっ、当たれば普通に痛いわよぉ。覚えてるでしょう、サヴィトリちゃん♪」
サヴィトリの心の中を読んだかのように、リュミドラは微笑む。
その瞬間、サヴィトリの身体が凍りついた。
指輪から伸びた棘によって肉を穿たれる痛みが脳裏によぎる。
「肉塊が。サヴィトリ様を心身共に攻めていいのも攻められていいのもわたくしだけです!」
カイラシュの頭のおかしい叫びと共に、幻視の棘が何か――カイラシュがいつも身にまとっていた白い衣によって弾き返される。衣はひらひらと優雅にはためき、生き物のようにカイラシュの周囲を漂う。
「面白いおもちゃを持ってるのねえ、カイちゃんは」
リュミドラは数本の棘を間断なく叩きつける。カイラシュは動じず、棘の猛攻を衣でさばく。
「汚らわしい肉塊が。わたくしをそう呼んでいいのはサヴィトリ様だけだ!」
カイラシュは嫌悪を露わにし、衣の端をつかんで真横に引いた。カイラシュを襲っていた棘がひとまとまりに束ねられる。拘束された棘がうねうねと気持ち悪くもがく。
リュミドラが操る残りの棘は四本。
「その数の棘では耐えられないだろう」
ナーレンダの掲げた手のひらの上に円錐形の炎の槍が発生した。ナーレンダの扱う炎はバリエーションが豊富すぎる。
「終わりだ」
ナーレンダが手を打ちおろすと、炎の槍は迷いなくまっすぐにリュミドラへと向かって飛んだ。
リュミドラは笑みを崩さぬまま四本の棘で盾を編む。振りをした。
棘をほどき、リュミドラは真正面から炎の槍を自身の身体で受け止めた。
吐き気を催す肉の焦げた臭気と白い煙があっという間に充満する。リュミドラがどのような状態になっているのか視認できない。
サヴィトリは呼吸を整え、氷の矢をつがえた。本当ならこんな状況で息など吸いたくないがそうも言っていられない。
ただ凍らせるのではなく、すべてを貫き、あらゆるものを凍結させるイメージを矢に乗せる。
わざわざリュミドラがあんなことをしたのにはきっと意味がある。
煙の中から地面を滑るように音もなく四本の棘が伸びた。
カイラシュが即座に反応し、飛刀を投擲する。腐り落ちたのは二本だけだった。
残り二本の幻の棘が狙う先は、サヴィトリ。
左手と右足に絡みついた。痛みはまだない。
「こっちに来ると思ったよ。私が一番足手まといだからね。私が負傷すれば、二人の動きが鈍る」
「そこまでわかっていてどうしてよけなかったのかしら?」
煙が薄くなり、赤黒く焼けただれたリュミドラの姿がサヴィトリの目の前に現れる。
「お前の顔面に絶対にこれをぶち当てたかったからに決まっている!」
棘が巻き付いた部分が錐でえぐられたように痛む。脂汗が額にびっしりと浮かぶのが分かった。
番えた氷の矢が膨れ上がる。前の戦いの時ほどの勢いはないが、それでも普段の倍以上は大きく白く輝いている。
「くたばれ、リュミドラ」
サヴィトリは口の端を歪め、氷の矢を放った。
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