Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-

甘酒

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空色の章

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※「7-10 蒼か紫か」から続くナーレンダルートです。

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 自室に戻り、枕を抱いてベッドの上でごろごろしているうちにすっかり夜になっていた。
 サヴィトリの心は決まっていた。部屋に戻って一番最初に彼のことが頭に浮かび、思うだけで胸のあたりが熱くなる。
 しかしうまく言葉にならない。音にするとそのままかき消えてしまいそうで、怖い。 

 サヴィトリは上体を起こし、手ぐしで髪の毛を整えた。

 心を決めてナーレンダの部屋を訪れる。
 深呼吸をしてノックを三回。
 ドアのむこう側からは何も聞こえない。

 サヴィトリはもう一度ノックをし直した。

「ナーレ、寝ちゃった?」

「……まだ寝てないけど、君は部屋に戻ってさっさと寝なさい」

 素っ気ない返事。
 サヴィトリはむっとし、ドアノブに手をかけた。開かない。
 サヴィトリは冷静に蹴る場所を定める。おそらくサヴィトリの部屋の扉と同じだろう。それならば内開きで鍵は簡素なつくりだ。二、三回で蹴破れる。

「馬鹿なことはやめなさい!」

 不穏な空気を察したのか、サヴィトリのフロントからのキックが当たる前にドアが開いた。
 サヴィトリは力いっぱい足を一歩踏み出した形になり、大きくたたらを踏む。そのままの勢いで部屋の中に入った。

「私がドアを蹴破るってよくわかったね」
「『目的のために手段を選ばず、手段のために目的を選ばす』っていうのが我らが馬鹿師匠の教えだからね。まわりの迷惑顧みず、物理か氷術で壊すと思ったよ」

 完全に呆れ顔のナーレンダはサヴィトリの額を指でつついた。

「それで、ドアを蹴破ろうとしてまで何しに来たのさ?」

 一応疑問文の体をしているがナーレンダが答えを求めていないのがわかる。なりゆきで部屋に入れてしまったがサヴィトリを追い返す口実を探している。

「なんでナーレは私のこと帰そうとするの?」
「質問に質問で返すんじゃあない」
「先に教えて」
「なんで」
「ナーレが不機嫌だから」
「別に、不機嫌なんかじゃ……」
「ナーレの『別に』は『別に』じゃない」

 ナーレンダは押し黙り、前髪を引っ張るようにかきあげた。

「……君が来ないから」
「今来てるけど」
「あれからカイラシュの姿も見ないし、きっと……」
「きっと?」
「……あいつの方だったんだろう、と」

 サヴィトリは返事の代わりにナーレンダの薄い胸板を叩いた。駄々をこねた子供がするように何度も何度も拳を打ちつける。

「なんなのさ急に!」
「全然わかってない」

 サヴィトリは無性に腹が立った。
 ここまで来るのに時間がかかったのは確かに自分のせいだ。うまく言葉にできなくて考えあぐねていた。
 それなのにナーレンダは勝手に悲観して自己完結して追い返そうとしている。

「何がさ? 言われなきゃわからないだろう!」
「……ナーレなんか大嫌いだ」

 サヴィトリの口から自分でも想定外の言葉が出た。

「泣き喚く子供が嫌いだって言われたから懸命に泣くのをこらえたし、短い方が手入れが楽だって言うから髪を伸ばすのもやめた。ナーレが嫌いな食べ物は今でも全部食べられない。そんな私を森に置いていって、でも言葉と指輪で私を縛って。せっかく会いに来たのに怒ってばっかりだし、かと思えば私のこと好きだって言うし。今は勝手に被害者面してる」

 サヴィトリが自覚している以上に深層下には色々な感情が渦巻いていた。そのたがが外れ、一気に噴き出してしまった。
 だが今口走ったこととサヴィトリの胸裏とに、実際には少し乖離がある。
『――十年たって君のもらい手が誰もいなかったら、公共の福祉のために僕が尊い犠牲者となって、仕方なく君をもらってやってもいい』
 この言葉と指輪に縛られたのではなく、自ら進んで縛られた。遠く離れ、サヴィトリがすがれる繋がりはこれしかなかった。

「本当に、ナーレなんか大嫌いだ。私のギセイシャになればいい」

 サヴィトリは勢いのまま腕をナーレンダの首にまわした。キスをするように薄いナーレンダの唇を噛む。

「っ! ……まだ好きだとは言ってない」

 ナーレンダは自分の唇を押さえ、サヴィトリをにらみつけた。
 サヴィトリは悪びれず、かえってべーっと舌を出して悪態をついてみせた。この状況でまだひねくれたことを言えるのが腹立たしい。

「それと早合点したのは謝る。10対0で完全に僕が悪い。よくない想像しかできなかったんだ」

 ナーレンダはなだめるようにサヴィトリの頭を撫でる。
 子ども扱いされているようでサヴィトリの癪に障った。ナーレンダのやることなすことすべてサヴィトリにとっては逆効果だ。

「……どうすれば君の気がすむのさ」

 ナーレンダは苛々と髪の毛をかきむしった。

「追い返そうとしたのは勘違いもあるけど、そもそも夜に一人で男の部屋に来ちゃダメなんだよ」
「どうして?」
「……あんまり僕を困らせないでよ」

 純粋に問うサヴィトリに対して、ナーレンダは分別のある大人の顔をする。
 ナーレンダはサヴィトリに手を伸ばしかけ、途中でおろしてしまった。強く握りつぶす。
 サヴィトリは唇をとがらせる。
 わがままがすぎると思ったがどうしてもナーレンダには甘えてしまう。幼かった頃に心が引きずられる。

「君が思ってるほど、僕は優しくない」
「優しいなんて思ったことな――んでもないです」

 即座に軌道修正したにもかかわらず、ナーレンダに頬をつねって引き伸ばされた。

「君のこと、欲しくなったらどうするのさ」

 ナーレンダはため息混じりの声で言い、つねられて赤くなったサヴィトリの頬に指先だけを当てた。

「……あげる」

 サヴィトリはナーレンダの瞳を見つめて言った。なんとなく、茶化してはいけないような気がした。

「ナーレが欲しいなら、全部あげる」
「それ、意味を理解した上で言ってるわけ?」
「具体的に何をどうするかはよくわからないけれど、私であげられるもの全部、ナーレにあげる」

 望んでくれるならなんでも、あげていいと思った。
 ナーレンダには思い出も一緒に過ごす楽しさも離れている間の寂しさも、たくさんのものをもらった。自分はまだそのお返しを何もしていない。

「君って子は……!」

 ナーレンダは口元を腕で覆い隠し、恨めしそうな目をサヴィトリにむけた。顔どころか耳まで赤くなっている。

「顔赤いよ。照れてるの?」

 サヴィトリは微笑み、首をかしげてみせた。

「……ふん、そうだよ」

 ナーレンダは不服だとでも言いたげに眉間の皺を寄せ、サヴィトリを抱きしめた。髪に唇を押し当てる。
 感じる吐息がじんわりと熱い。

「人がちゃんと順序立てようとしてるってのにどうして君はそれを一足飛びにしちゃうかな。うっかりその場の勢いに流されたくなっちゃうじゃあないか」
「僕にも流されてよって最初に言ったのはナーレ」
「今それをこすんないでよ。恥ずかしいこと言ったって自分でも思ってるんだから」
「記憶なくしたふりまでしたくらいだしね」
 
 サヴィトリは微笑み、ナーレンダの顔を見上げた。
 幼い頃よりも距離が近い。唯一、離れていた時間が埋めてくれたものだ。

「はぁ、なんで君のほうが余裕あるんだか」

 ナーレンダは小さく息をつき、サヴィトリの前髪をかきあげるように撫でた。

「ナーレが三十路の魔法つか」
「まだ二十代だ! それに……したことがないわけじゃあない」
「いつ誰と?」
「……いつでも、誰とでもいいだろ」
「そっか。ぽっと出の田舎者が王都で暮らしていくために泣く泣く枕営業を」
「そんなことするか馬鹿!」

「……私だって、余裕なんかないよ」

 サヴィトリは強くナーレンダの服を握った。

「ナーレの言いつけ守れないくらい、師匠――クーお父さんと喧嘩して森を飛び出すくらい、最初から、余裕なんてない」

 一気に視界がにじむ。
 できるかぎりナーレンダの前では泣きたくない。また面倒ばかりかけてしまう。

「ほんと、これでタイクーンになるって言うんだから放っておけないよ」

 ナーレンダは困ったように笑い、下がっていたサヴィトリの口角を指で押しあげた。泣かないように強引に笑みを作らせる。

「ナーレ……?」
「タイクーンのわがままはいっさい聞く気ないけど、君のわがままだったら聞いてあげる」

 諌めるような調子で言い、ナーレンダは額をサヴィトリのそれにこつんと軽くぶつけた。
 サヴィトリはうまく状況が飲みこめない。
 合わさった額は、二人とも同じように熱い。互いの鼻先がかすりそうなほど近くにある。
 ナーレンダの金の瞳はまばたき一つせず、サヴィトリを見据えている。
 サヴィトリはたまらず目線を逸らした。心臓のあたりがぎゅっと苦しくなる。呼吸が苦しくなり、いつもより熱っぽい息が漏れる。

「ナーレ、何が、したいの……?」

 サヴィトリはやっとの思いで尋ねた。

「それを言うのは君のほうだろう。僕は君のわがままを聞いてあげる、って言ったんだ」
「ずるい」
「どうして? 離れてほしいなら離れてあげるけど」

 平気な顔をしてナーレンダは答える。
 サヴィトリは微かな苛立ちを覚え、腹立ちまぎれに握っていたナーレンダの服を引っぱった。

「離れてほしいわけじゃなくて……」

 サヴィトリは言葉に詰まる。
 額よりももっと濃密にナーレンダの体温が欲しい。
 だがそれをそのまま伝えるとナーレンダの思惑どおりに言わされたような気がして癪に障る。

「わけじゃなくて?」

 ナーレンダは唇を寄せ、続きをうながす。触れないのがおかしいほどに近い。

 いじわる。
 音にせずサヴィトリは呟き、唇を噛みしめた。

「そんなに強く噛むと跡が残るよ」

 ナーレンダは指先でサヴィトリの口をこじ開け、唇を噛むのをやめさせる。
 いっそ指に噛みついてやれ、とくすぶった反抗心が囁くが度胸も勇気も無謀さもたりない。
 時間がたてばたつほど、どんどん言いづらくなる。どんな顔で、どんな声で、どう言うのが正解なのだろう。

「……キス、して」

 答えが出ないまま、サヴィトリはわがままを口にした。我ながら、可愛げのない声だった。
 ナーレンダは満足そうに微笑むと、ゆっくりと唇を重ね合せた。甘い砂糖菓子の香りとしっとりと柔らかい感触にサヴィトリは頭がぼーっとする。
 一度目は一瞬触れただけ。
 二度目は互いに探るように。
 三度目は確かめるように。

「今度は、ナーレがしたいようにして。それが私のわがまま」

 反論させる前に、サヴィトリはナーレンダの口を塞いだ。舌先が触れ合うだけで肩がびくりと震える。

「そんなに、僕の理性をぶっち切りたいわけ?」

 普段よりも低めの声でナーレンダは言った。ナーレンダの手が這うようにサヴィトリの首を撫でおろす。
 何よりも先にサヴィトリの口から短い悲鳴があがった。背中がこそばゆくなり、すっと身体から力が抜けるような感じがする。

「あっ、ダメだってそれ!」

 サヴィトリは首と脇腹を腕で覆い隠す。指でつつかれても、くすぐられても、偶然かすっただけでも、ナーレンダに触れられると感じてしまう。理由はわからないが幼い頃からずっとそうだ。

「今度は僕がしたいようにしていいんだろう?」

 にっこりと天使さながらの笑顔を見せる時が一番怖い。

 サヴィトリは後ずさるが、二歩さがったところで、膝の裏側がベッドの縁に強くぶつかってしまった。
 普段ならどうということもない。だが今の余裕のない状態では体勢を崩すのに充分すぎる衝撃だった。膝がかくっと自然に曲がり、サヴィトリの上体がぐらつく。
 手を使ってバランスを取るなり、どこかにつかまるなりすればいい、と気付いたのは背中をしたたかにベッドに打ちつけたあとだった。首と脇腹を隠すのに必死だったあまり、もっともダメージのある倒れ方をしてしまった。

「何やってんのさ君は」

 ナーレンダは苦笑し、サヴィトリの顔の横に手を置いた。ベッドが静かに軋む。

「だって、ナーレが触るから……」
「弱点がわかってるのにそれを攻めないなんて非効率だろう」
「ずるい!」
「大人って、ずるいんだよ」

 ナーレンダはサヴィトリの頬にくちづけ、脇腹に指を這わせた。片腕で覆っている以上、完全には防げない。

「きゃっ! ナーレっ、やぁだっ……っあ……!」
「いやでも、やめてあげない」

 ナーレンダは無邪気な少年の顔をして、首をかばうサヴィトリの手を引きはがした。そのまま指を絡ませて握りこみ、ベッドに押さえつける。耳たぶにキスをし、首の側面の筋をたどるように舐めていく。

「あっ……んっ、ん……はぁ……」

 サヴィトリは弱々しく首を振る。
 それが今できる最大限の抵抗だった。口からは吐息と短い喘ぎ声しか出てこない。

「ここ、本当に弱いね。今の半分でいいから、普段もおとなしくしてくれると楽なんだけど」

 ナーレンダは爪の先で首をつつき、ちゅっと音を立てて吸いあげる。

「ひゃっ、んっ!」

 背骨に沿うように快感が走り、サヴィトリは思わず腰が浮く。
 どういった仕組みで首への刺激が腰に影響をおよぼすのかはわからないが、たまらなく恥ずかしくなった。

「サヴィトリ」

 ナーレンダは柔らかい声で名前を呼ぶ。
 サヴィトリにとって心地のいいトーンだが、この声で呼ばれるのは決まってなだめ諭される時だ。
 ナーレンダはサヴィトリの瞳を見つめ、静かにくちづけた。
 言葉では伝わらない何かを受け渡すように、長く、深く。

「――おしまい」

 唇が離れるのとほぼ同時に、囁かれた単語。
 その意味を理解するのに、サヴィトリはかなりの時間を要した。

「万が一、明日に支障が出てもことだし。ま、一緒には寝てあげるけど」

 状況を把握できていないサヴィトリの頭をぽんぽんと叩き、ナーレンダは聞きなれない言語を唱えた。
 ナーレンダの全身が淡い光に包まれる。光の収束とともにナーレンダの身体自体も縮んでいき、数秒後、見覚えのある金色のカエルがベッドの上にちょこんと座っていた。

「え? え? え!?」
「ただの変化の術さ。これなら君に手の出しようがないからね。ちなみに日光を浴びないかぎり解けない仕様になってる」
「……逆に言えば、人間のままだと手を出すってこと?」
「非常に不本意だけど、否定はしないよ。ちょっとからかうだけだったのにさ、君があんなに――」
「あんなに?」
「ふん、さっさと寝なよ」

 ナーレンダはぴょこぴょこと飛び跳ね、枕元まで移動した。

「なんでまたカエルなんだ……」

 色々と不満のあるサヴィトリは口をとがらせる。
 犬や猫ならともかく、カエルを抱いて寝ようとは思わない。
 ナーレンダは手足を折りたたみ、さっさと寝る体勢に入ってしまった。
 サヴィトリも仕方なく、ちゃんと寝られるようにベッドに横になった。もやもやした気持ちに蓋をするため、掛け布を強く引っぱって頭からかぶる。

「いっ……?」

 寝返りを打とうと身体を動かすと、腿のあたりに何かぶつかった。服のポケットに物を入れっぱなしにしていたのかもしれない。
 ごそごそと漁ってみると、バルブアトマイザーが出てきた。ヴァルナ村で使った物だ。中には希釈した泉の水が入っている。念のためにと持ち歩いていたのを忘れていた。

 サヴィトリはバルブアトマイザーとナーレンダとを交互に見る。

(解呪の効果があるんだよね……)

 よこしまな考えがサヴィトリの脳裏によぎる。
 先程の続きをしたいわけではないが、こんなに近くにいるのにナーレンダのぬくもりを感じられないのは寂しい。
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