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第六章 傷跡
6-1 夢では、ないのね
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寒い。
身体の芯が氷になってしまったかのように冷たい。あまりに寒くて震えることもできない。
――クーおとうさん、ごめんなさい、いいつけをまもらなくて。
――ナーレ、さむいよ、むかえにきて。
――サヴィトリ、いいこになるから、おねがい。
不意に、背中がじんわりと暖かくなった。熱が身体の奥へと染みていく。
頬に動物の毛のようなものが触れる。くすぐったい。
払おうと手を持ちあげると、手首のあたりをつかまれた。肌の上を滑るように撫でられ、中指の先をやわく噛まれる。
皮膚の一枚下が波立ちざわめく。
反射的に手を引いたが、今度は指を組み合わせるようにしてつかまれた。
(……なんだ、これは?)
まどろんでいた意識が加速度的に明瞭になっていく。
夢の中では、わがまましか言えない幼子だった。
今の自分はそうではない。
わがままを言う上に、他人の言葉を素直に聞くことのできない、どうしようもない子供だ。突っ走って、迷惑をかけて、反省したかと思えばまた走る。
(いつまでも寝ている場合じゃない。まだ生きているのなら、目を開けて確かめなければ。私に、みんなに、あの人に、何が起こったのか)
サヴィトリは意思をもって目蓋を押しあげた。
「おはようございます、サヴィトリ様」
既視感を覚える台詞。
一番最初にサヴィトリの目に映りこんできたのは、カイラシュの妖艶な微笑だった。
以前にもこんなことがあったような気がする。
前と違う点を挙げるとするならば、カイラシュの服がはだけていて、すでに掛布の下にまで潜りこんでいる、という二点だろうか。
「……一応、弁解を聞こう」
今すぐ拳をカイラシュの顔面にめり込ませたい衝動を抑え、サヴィトリは低い声で尋ねた。
「サヴィトリ様が寒さで震えているご様子でしたので、僭越ながらこのわたくしが人肌で温めて差しあげようと」
「はーい、火あぶりの刑三秒前でーす。お気を付けくださーい」
サヴィトリが鉄拳制裁を加える前に、どこからか現れたジェイが、掛布ごとカイラシュをベッドから蹴り落とした。
「そんなに寒いなら僕が温めてあげるよ」
部屋のドアにもたれかかっているナーレンダがにっこりと笑う。その微笑みは、ほとんど死刑宣告といってよかった。
いくつもの青い火球が容赦なくカイラシュに炸裂する。
「あの、寒いのはわたくしではなくて――」
「蒸発しろ変態」
ナーレンダの放った火球は正確にカイラシュだけを焼く。床や家具などには焦げ跡すら残さない。
「起き抜けにうるさくしちゃってごめんね」
ジェイは謝りながら、木製のテーブルの上に食器を並べた。湯気が立っており、わずかに甘い香りがする。
「そろそろ起きる頃かと思って、おかゆ作っておいたよ」
サヴィトリの顔を見て察したのか、ジェイが先に答えてくれた。
「ありがとう、ジェイ。……ところで、ヴィクラムは何をしているんだ」
サヴィトリは頭を抱えながら尋ねた。
ヴィクラムは黙々と服を脱いでいる。
「俺が代わりに温めてやろうかと」
「ナーレンダさーん、火あぶりもう一人追加ー!」
ジェイの声に呼応し、青い火球が飛来した。ヴィクラムとジェイを焼き払う。
「ちょっと、なんで俺まで焼こうとするんですか!?」
「汚物は消毒だ!」
間一髪のところで火球をよけたジェイを、ナーレンダと火の玉が追いかけまわす。
サヴィトリは自然と笑みが浮かんでしまうのを感じた。騒がしくて楽しい、いつも通りの四人。
「みんな、生きていてよかった……」
呟いた言葉は、嗚咽混じりだった。自分でも気付かないうちに、サヴィトリの目から涙がこぼれていた。
慌てて隠すように服の袖でぬぐう。
「サヴィトリ……」
ナーレンダは柔らかく微笑み、サヴィトリの頭を撫でる。その表情は年相応に落ち着いて見えた。
「ま、某術士長さんのおかげで約二名ほど永眠しかけてるけど」
ジェイは困ったように頬をかく。
直後に焼かれたのは言うまでもない。
「君のほうこそ大丈夫なの? ペダ様が回復術をかけてくださったあと、丸々三日も眠り続けていたんだから」
「三日も?」
ナーレンダが言うのだから本当なのだろう。ただ実感がない。寝すぎた時のように、頭が多少ずきずきとするが。
「サヴィトリ様がお休みの間はわたくしが責任をもってお身体をふき清めたので大丈夫ですよ」
「お前は出てくるな!」
カイラシュは灰になった。
サヴィトリ自身もカイラシュには当たりがきついほうだと思うが、ナーレンダは更に非情だ。というか誰に対してもきつい。
「いくつか、聞きたいことが……」
サヴィトリは言葉の途中で咳きこんだ。
口の中が乾燥している。唇もかさついていた。
「一回すすいでから飲んでね。話はおかゆ食べながらにしよう。あ、もちろん食べられそうなら、ね。無理しちゃだめだよ」
ジェイが水の入ったコップと器を差し出した。
サヴィトリは言われたとおりに口をすすいで水を器に吐き出す。それだけでも頭がすっと冴えるような気がした。
噛みしめるようにして飲んだ水はじんわりと甘かった。細胞の一つ一つに染みていく感覚がする。
薄く膜がはったおかゆをスプーンでかき混ぜながら、サヴィトリは尋ねた。
「そもそも、ここはどこなんだ?」
サヴィトリはざっと周囲を見渡す。
内装は簡素で、木造の壁には年季が入っている。だが造り自体はしっかりとしているようだ。
部屋に一つだけついている窓からは空が見える。二階建てか、それ以上なのかもしれない。
「場所はヴァルナ砦の近くの森の中。羅刹総隊長のドゥルグさんが若い時に作った隠れ家の一つって話だよ。今はここを対リュミドラの前線本部にしてるんだ。ちなみに、援軍の兵は近くに急造した幕舎にいるよ」
答えたのはジェイだった。
如才ない彼のことだ、すでにいろんな所に顔を出して情報収集をすませているだろう。
「援軍はどれくらい?」
「ざっと百人ってところかな。少数精鋭って感じ。術法院からは後方支援のヒーラーとバッファー。あ、お世話になったル・フェイさんもいたよ。羅刹からはヴィクラムさんの旗下の三番隊と西方担当の五番隊。あとは、タイクーン親衛隊。俺が所属してる近衛兵団とは違って、本当の戦闘のエキスパートね」
やはり必要な情報はあらかた集め終えているようだ。
「砦を落とすにはずいぶん兵力が少ないな」
「あのー、俺達たった五人で突っこんでませんでしたっけ……」
「あの時はリュミドラもふざけて遊んでいただろうからな。援軍が来たとなれば、当然むこうも相応の警戒をする。次は一筋縄ではいかないだろう」
「んー、厳密な攻城戦ってわけじゃないから、それほど人手はいらないと思うな。魔女さんは、砦じゃなくてわざわざ広場に陣取ってるし、緑の魔物は町中を徘徊してるだけだし」
「むしろ砦の中にいてくれたほうが楽だったかもしれないな」
建物内であれば、ある程度棘の動きが制限される。
今回は屋外での戦闘だったせいなのか、棘は際限なく生え、縦横無尽に暴れまわった。
(対処方法を考えないと……)
サヴィトリは顎に手を当て、小さくため息をついた。
「砦とリュミドラは、あれからどうなった?」
サヴィトリは包帯の巻かれた自分の手を見つめる。
ペダのかけてくれた術と数日の休息のおかげで身体の痛みはない。だが、胸のあたりが締めつけられるように痛んだ。
「不気味なくらい静かさ。棘の魔女からの接触はない。時々、魔物が数匹出てくるくらいだ。意図的というより、間違って出てきてしまったって感じだね」
ナーレンダは忌々しそうに下唇を噛んだ。
(リュミドラの目的はなんなのだろう? 私が関係しているのか? どちらにせよ、動かないのは好都合だ。次こそは何があってもあの巨体を地面に沈めてやる)
「……君、まさか馬鹿なこと考えているんじゃあないだろうね?」
ナーレンダが不審そうな視線をむけてくる。
サヴィトリは聞こえなかったふりをして水を飲んだ。
「そういえばナーレ、あの片眼鏡の人は一体どういう人なんだ?」
術法院の導師だというペダについて、表面的な情報はなんとなく耳に入ってきている。しかし具体的な人となりなどはまるでわからない。ナーレンダよりも更に高位の回復術を扱うようだが。
「ペダ導師は、術法院の全術士を束ねるお方――ま、簡単に言うと僕の上司さ。ちょっと間延びしてるけど、基本的に穏やかで理知的な方だよ。土術と回復術を得意としている。それ以上のことは、ヴィクラムに聞いたほうがいいかもね。あの方の息子なわけだし」
ナーレンダは意味深長な視線をヴィクラムにむける。
「俺からはつけ加える情報はない」
ヴィクラムは素っ気なく答えた。
あまり仲がよくないのかなとも思ったが、ヴィクラムは元々感情の起伏と言葉数が少ない。本当につけ加えることがなかっただけなのかもしれなかった。
「あと、ドゥルグさんも本当にすごい人だったんだな。普段のふざけている時しか見たことがなかったから」
ふとサヴィトリの脳裏に、棘から助けてもらった時のことがよぎった。ドゥルグがもう少し若ければうっかり惚れていたかもしれない。
「剣聖と称されるほどの人だからね。一騎当千というのはああいった人のためにある言葉だと思うよ。下ネタゴシップ馬鹿騒ぎが好きなことを除けば、尊敬に値する」
珍しくナーレンダが他人のことを素直に褒めた。結局最後のほうでけなしているが。
「ヴィクラムが一番詳しいけど、極端な話、信奉者だからさ。酒の席で話半分程度に聞いたほうがいい」
「どういうこと?」
「まぁ、たとえるなら、カイラシュに君の良さを語らせた時と同じような状況になる、ってこと」
「サヴィトリ様の良さですか! それはそれはたくさんありすぎていったい何からお伝えすればいいものか……特筆すべきは絶壁にも等しい貧にゅ――慎ましやかなお身体! 肉が薄いせいかそれはそれは感度も良く――」
カイラシュは灰になった。
「俺はここまでひどくない……」
こちらも珍しく、ヴィクラムは深く肩を落として呟いた。
ここで一旦会話が途切れてしまう。
サヴィトリが一番聞きたいことはまだ聞けていない。しかし、切り出せない。まばたきをするだけでも、目蓋の裏に赤がよみがえる。
「……あの人……タイクーンは、どうなった?」
長い時間をかけた後、サヴィトリはゆっくりと尋ねた。声が震えてしまうのをどうしても抑えられない。
病臥の身をおしてまで駆けつけ、自分のことをかばい、棘に貫かれて倒れた。数度顔を合わせただけの、一つとして確たる証拠のない、本当の娘かどうかもわからない自分のために。
正気の沙汰ではない。
もしも逆の立場だったら、サヴィトリはかばわなかった。
「重傷ではありますが、命に別状はありません」
カイラシュが事務的に答えた。
カイラシュは真面目な受け答えをすることももちろんあるが、この時の口調は何かを含んでいるような感じがした。
「怪我自体はたいしたことないんだ」
言ってから、ナーレンダは眉間に皺を寄せた。余計なことを口走った、とでも言いたげな顔をしている。
「……まわりくどいのは嫌いだ」
サヴィトリはきっぱりと言い放った。
その場にいた四人は互いに顔を見合わせる。
何も知らないのは、眠り続けていた自分だけということだ。
「実際にお会いになるのがよろしいかと思います」
代表するように、カイラシュが口を開いた。
「ですが元々の病の再燃もありますゆえ、今すぐにというわけにもまいりません。確認いたしますので、しばらくお待ちください」
深く一礼をすると、カイラシュは静かに部屋を退出した。
「僕達も一度出るとしようか。起きたばかりで他人といるのは疲れるだろう」
続いてナーレンダも部屋を出る。
「何か欲しいものがあったら呼んでね。食べ物関係なら可能な限り用意するよ」
「今は、英気を養うことに専念するといい」
ジェイはひらひらと手を振り、ヴィクラムは軽く会釈をし、それぞれ出て行った。
四人がいなくなると、一気に部屋が広くなったように感じられる。
サヴィトリは肌寒さを感じ、自分の肩を抱いた。
身体の芯が氷になってしまったかのように冷たい。あまりに寒くて震えることもできない。
――クーおとうさん、ごめんなさい、いいつけをまもらなくて。
――ナーレ、さむいよ、むかえにきて。
――サヴィトリ、いいこになるから、おねがい。
不意に、背中がじんわりと暖かくなった。熱が身体の奥へと染みていく。
頬に動物の毛のようなものが触れる。くすぐったい。
払おうと手を持ちあげると、手首のあたりをつかまれた。肌の上を滑るように撫でられ、中指の先をやわく噛まれる。
皮膚の一枚下が波立ちざわめく。
反射的に手を引いたが、今度は指を組み合わせるようにしてつかまれた。
(……なんだ、これは?)
まどろんでいた意識が加速度的に明瞭になっていく。
夢の中では、わがまましか言えない幼子だった。
今の自分はそうではない。
わがままを言う上に、他人の言葉を素直に聞くことのできない、どうしようもない子供だ。突っ走って、迷惑をかけて、反省したかと思えばまた走る。
(いつまでも寝ている場合じゃない。まだ生きているのなら、目を開けて確かめなければ。私に、みんなに、あの人に、何が起こったのか)
サヴィトリは意思をもって目蓋を押しあげた。
「おはようございます、サヴィトリ様」
既視感を覚える台詞。
一番最初にサヴィトリの目に映りこんできたのは、カイラシュの妖艶な微笑だった。
以前にもこんなことがあったような気がする。
前と違う点を挙げるとするならば、カイラシュの服がはだけていて、すでに掛布の下にまで潜りこんでいる、という二点だろうか。
「……一応、弁解を聞こう」
今すぐ拳をカイラシュの顔面にめり込ませたい衝動を抑え、サヴィトリは低い声で尋ねた。
「サヴィトリ様が寒さで震えているご様子でしたので、僭越ながらこのわたくしが人肌で温めて差しあげようと」
「はーい、火あぶりの刑三秒前でーす。お気を付けくださーい」
サヴィトリが鉄拳制裁を加える前に、どこからか現れたジェイが、掛布ごとカイラシュをベッドから蹴り落とした。
「そんなに寒いなら僕が温めてあげるよ」
部屋のドアにもたれかかっているナーレンダがにっこりと笑う。その微笑みは、ほとんど死刑宣告といってよかった。
いくつもの青い火球が容赦なくカイラシュに炸裂する。
「あの、寒いのはわたくしではなくて――」
「蒸発しろ変態」
ナーレンダの放った火球は正確にカイラシュだけを焼く。床や家具などには焦げ跡すら残さない。
「起き抜けにうるさくしちゃってごめんね」
ジェイは謝りながら、木製のテーブルの上に食器を並べた。湯気が立っており、わずかに甘い香りがする。
「そろそろ起きる頃かと思って、おかゆ作っておいたよ」
サヴィトリの顔を見て察したのか、ジェイが先に答えてくれた。
「ありがとう、ジェイ。……ところで、ヴィクラムは何をしているんだ」
サヴィトリは頭を抱えながら尋ねた。
ヴィクラムは黙々と服を脱いでいる。
「俺が代わりに温めてやろうかと」
「ナーレンダさーん、火あぶりもう一人追加ー!」
ジェイの声に呼応し、青い火球が飛来した。ヴィクラムとジェイを焼き払う。
「ちょっと、なんで俺まで焼こうとするんですか!?」
「汚物は消毒だ!」
間一髪のところで火球をよけたジェイを、ナーレンダと火の玉が追いかけまわす。
サヴィトリは自然と笑みが浮かんでしまうのを感じた。騒がしくて楽しい、いつも通りの四人。
「みんな、生きていてよかった……」
呟いた言葉は、嗚咽混じりだった。自分でも気付かないうちに、サヴィトリの目から涙がこぼれていた。
慌てて隠すように服の袖でぬぐう。
「サヴィトリ……」
ナーレンダは柔らかく微笑み、サヴィトリの頭を撫でる。その表情は年相応に落ち着いて見えた。
「ま、某術士長さんのおかげで約二名ほど永眠しかけてるけど」
ジェイは困ったように頬をかく。
直後に焼かれたのは言うまでもない。
「君のほうこそ大丈夫なの? ペダ様が回復術をかけてくださったあと、丸々三日も眠り続けていたんだから」
「三日も?」
ナーレンダが言うのだから本当なのだろう。ただ実感がない。寝すぎた時のように、頭が多少ずきずきとするが。
「サヴィトリ様がお休みの間はわたくしが責任をもってお身体をふき清めたので大丈夫ですよ」
「お前は出てくるな!」
カイラシュは灰になった。
サヴィトリ自身もカイラシュには当たりがきついほうだと思うが、ナーレンダは更に非情だ。というか誰に対してもきつい。
「いくつか、聞きたいことが……」
サヴィトリは言葉の途中で咳きこんだ。
口の中が乾燥している。唇もかさついていた。
「一回すすいでから飲んでね。話はおかゆ食べながらにしよう。あ、もちろん食べられそうなら、ね。無理しちゃだめだよ」
ジェイが水の入ったコップと器を差し出した。
サヴィトリは言われたとおりに口をすすいで水を器に吐き出す。それだけでも頭がすっと冴えるような気がした。
噛みしめるようにして飲んだ水はじんわりと甘かった。細胞の一つ一つに染みていく感覚がする。
薄く膜がはったおかゆをスプーンでかき混ぜながら、サヴィトリは尋ねた。
「そもそも、ここはどこなんだ?」
サヴィトリはざっと周囲を見渡す。
内装は簡素で、木造の壁には年季が入っている。だが造り自体はしっかりとしているようだ。
部屋に一つだけついている窓からは空が見える。二階建てか、それ以上なのかもしれない。
「場所はヴァルナ砦の近くの森の中。羅刹総隊長のドゥルグさんが若い時に作った隠れ家の一つって話だよ。今はここを対リュミドラの前線本部にしてるんだ。ちなみに、援軍の兵は近くに急造した幕舎にいるよ」
答えたのはジェイだった。
如才ない彼のことだ、すでにいろんな所に顔を出して情報収集をすませているだろう。
「援軍はどれくらい?」
「ざっと百人ってところかな。少数精鋭って感じ。術法院からは後方支援のヒーラーとバッファー。あ、お世話になったル・フェイさんもいたよ。羅刹からはヴィクラムさんの旗下の三番隊と西方担当の五番隊。あとは、タイクーン親衛隊。俺が所属してる近衛兵団とは違って、本当の戦闘のエキスパートね」
やはり必要な情報はあらかた集め終えているようだ。
「砦を落とすにはずいぶん兵力が少ないな」
「あのー、俺達たった五人で突っこんでませんでしたっけ……」
「あの時はリュミドラもふざけて遊んでいただろうからな。援軍が来たとなれば、当然むこうも相応の警戒をする。次は一筋縄ではいかないだろう」
「んー、厳密な攻城戦ってわけじゃないから、それほど人手はいらないと思うな。魔女さんは、砦じゃなくてわざわざ広場に陣取ってるし、緑の魔物は町中を徘徊してるだけだし」
「むしろ砦の中にいてくれたほうが楽だったかもしれないな」
建物内であれば、ある程度棘の動きが制限される。
今回は屋外での戦闘だったせいなのか、棘は際限なく生え、縦横無尽に暴れまわった。
(対処方法を考えないと……)
サヴィトリは顎に手を当て、小さくため息をついた。
「砦とリュミドラは、あれからどうなった?」
サヴィトリは包帯の巻かれた自分の手を見つめる。
ペダのかけてくれた術と数日の休息のおかげで身体の痛みはない。だが、胸のあたりが締めつけられるように痛んだ。
「不気味なくらい静かさ。棘の魔女からの接触はない。時々、魔物が数匹出てくるくらいだ。意図的というより、間違って出てきてしまったって感じだね」
ナーレンダは忌々しそうに下唇を噛んだ。
(リュミドラの目的はなんなのだろう? 私が関係しているのか? どちらにせよ、動かないのは好都合だ。次こそは何があってもあの巨体を地面に沈めてやる)
「……君、まさか馬鹿なこと考えているんじゃあないだろうね?」
ナーレンダが不審そうな視線をむけてくる。
サヴィトリは聞こえなかったふりをして水を飲んだ。
「そういえばナーレ、あの片眼鏡の人は一体どういう人なんだ?」
術法院の導師だというペダについて、表面的な情報はなんとなく耳に入ってきている。しかし具体的な人となりなどはまるでわからない。ナーレンダよりも更に高位の回復術を扱うようだが。
「ペダ導師は、術法院の全術士を束ねるお方――ま、簡単に言うと僕の上司さ。ちょっと間延びしてるけど、基本的に穏やかで理知的な方だよ。土術と回復術を得意としている。それ以上のことは、ヴィクラムに聞いたほうがいいかもね。あの方の息子なわけだし」
ナーレンダは意味深長な視線をヴィクラムにむける。
「俺からはつけ加える情報はない」
ヴィクラムは素っ気なく答えた。
あまり仲がよくないのかなとも思ったが、ヴィクラムは元々感情の起伏と言葉数が少ない。本当につけ加えることがなかっただけなのかもしれなかった。
「あと、ドゥルグさんも本当にすごい人だったんだな。普段のふざけている時しか見たことがなかったから」
ふとサヴィトリの脳裏に、棘から助けてもらった時のことがよぎった。ドゥルグがもう少し若ければうっかり惚れていたかもしれない。
「剣聖と称されるほどの人だからね。一騎当千というのはああいった人のためにある言葉だと思うよ。下ネタゴシップ馬鹿騒ぎが好きなことを除けば、尊敬に値する」
珍しくナーレンダが他人のことを素直に褒めた。結局最後のほうでけなしているが。
「ヴィクラムが一番詳しいけど、極端な話、信奉者だからさ。酒の席で話半分程度に聞いたほうがいい」
「どういうこと?」
「まぁ、たとえるなら、カイラシュに君の良さを語らせた時と同じような状況になる、ってこと」
「サヴィトリ様の良さですか! それはそれはたくさんありすぎていったい何からお伝えすればいいものか……特筆すべきは絶壁にも等しい貧にゅ――慎ましやかなお身体! 肉が薄いせいかそれはそれは感度も良く――」
カイラシュは灰になった。
「俺はここまでひどくない……」
こちらも珍しく、ヴィクラムは深く肩を落として呟いた。
ここで一旦会話が途切れてしまう。
サヴィトリが一番聞きたいことはまだ聞けていない。しかし、切り出せない。まばたきをするだけでも、目蓋の裏に赤がよみがえる。
「……あの人……タイクーンは、どうなった?」
長い時間をかけた後、サヴィトリはゆっくりと尋ねた。声が震えてしまうのをどうしても抑えられない。
病臥の身をおしてまで駆けつけ、自分のことをかばい、棘に貫かれて倒れた。数度顔を合わせただけの、一つとして確たる証拠のない、本当の娘かどうかもわからない自分のために。
正気の沙汰ではない。
もしも逆の立場だったら、サヴィトリはかばわなかった。
「重傷ではありますが、命に別状はありません」
カイラシュが事務的に答えた。
カイラシュは真面目な受け答えをすることももちろんあるが、この時の口調は何かを含んでいるような感じがした。
「怪我自体はたいしたことないんだ」
言ってから、ナーレンダは眉間に皺を寄せた。余計なことを口走った、とでも言いたげな顔をしている。
「……まわりくどいのは嫌いだ」
サヴィトリはきっぱりと言い放った。
その場にいた四人は互いに顔を見合わせる。
何も知らないのは、眠り続けていた自分だけということだ。
「実際にお会いになるのがよろしいかと思います」
代表するように、カイラシュが口を開いた。
「ですが元々の病の再燃もありますゆえ、今すぐにというわけにもまいりません。確認いたしますので、しばらくお待ちください」
深く一礼をすると、カイラシュは静かに部屋を退出した。
「僕達も一度出るとしようか。起きたばかりで他人といるのは疲れるだろう」
続いてナーレンダも部屋を出る。
「何か欲しいものがあったら呼んでね。食べ物関係なら可能な限り用意するよ」
「今は、英気を養うことに専念するといい」
ジェイはひらひらと手を振り、ヴィクラムは軽く会釈をし、それぞれ出て行った。
四人がいなくなると、一気に部屋が広くなったように感じられる。
サヴィトリは肌寒さを感じ、自分の肩を抱いた。
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