Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-

甘酒

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第五章 棘の砦

5-10 白い希望

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 目の前で起こった数十秒の出来事に、サヴィトリは感情のすべてを奪われた。
 足は歩みを止め、手は重力に引かれるままだらりと力なく垂れ、視界はもやに包まれたようにぼやける。

 ――ああ、まだダメだ。諦めるな。ナーレンダとジェイを、助けないと……!

 そんなサヴィトリの意思の発露を遮るように、リュミドラと緑の棘が立ちふさがった。

「あれくらいじゃあ死にはしないわよん。華奢な見た目のわりに、意外と一番しぶといタイプだもの。そんなことよりサヴィトリちゃん、リュミと遊びましょ♪」

 リュミドラは肉厚な手を打ち鳴らし、小首をかしげた。

 サヴィトリの中で、何かがぷつりと切れる。

「――ぅ、ぁぁあああああああああああっ!!」

 叫びに呼応して、サヴィトリの周囲に無数の氷の刃が現れる。
 氷の刃は無秩序に飛びまわり、触れたものすべてを凍らせていく。

「やっぱり、サヴィトリちゃんにとってもナーレちゃんは特別なのね。うふふ、そんなに必死になっちゃって可愛い。二人ともいじらしくて、壊したくなるわぁ」

 リュミドラは恐ろしく冷めた目をして言う。

 氷の刃によって、多くの棘は氷結し、砕けたが、破壊された数の倍以上の棘を新たに繰り出した。

「黙れ! そこをどけええええっ!!」

 ナーレンダの元へむかうには、リュミドラを越えてかなければならない。
 喉が裂けるほど声を張りあげ、サヴィトリは氷の弓を引いた。

 いつもと感触が違う。
 普段よりも数倍大きく、凄然と輝く矢が手の内に現れた。
 力の限り弦を引き絞り、リュミドラ目がけて放つ。
 体勢を崩しその場に尻もちをついてしまうほど、矢を放った衝撃は大きかった。
 それ以上に氷の矢の威力はすさまじい。
 サヴィトリにむかって伸びていた棘をことごとく凍らせ、推進することによって生じた風圧が凍った棘を粉微塵にした。

「あん、こわーい」

 氷の矢はリュミドラに到達する前に、幾重にも編まれた棘の壁によって阻まれた。
 棘の壁はみるみるうちに凍りついたが、双方同時に砕け散った。

「そんな冷たい力、サヴィトリちゃんには似合ってないわよぅ」

 リュミドラは恨みがましく言い、寒そうに両手に息を吹きかけた。

「うるさい! 私はどけと言っているんだ!!」

 サヴィトリはもう一度氷の矢をつがえた。頬が、手が、無数の針を刺されたように冷たく痛む。
 今の氷弓は何かがおかしい。だが、リュミドラを倒せるのであれば、なんであろうと構わない。
 一刻も早く、ナーレンダの所に行かなくては。早く、早く、早く――

「これが貴様の墓標だ、リュミドラ!!」

 矢が手から離れる。

 ぶん、という耳障りな羽音。

 左肩が焼けるように熱く痛み、サヴィトリはたまらず手で押さえた。ぬるりと滑る。
 手のひらにべっとりと付いたものの正体を知覚した瞬間、氷の矢が空中で四散した。
 頭の中を冷たい水が流れていくような感覚がし、サヴィトリはその場に両膝をついた。何が起こったのかわけがわからず、立っていることができない。

「アタシだけ見てくれるのは嬉しいけど、ちょおっと注意不足よん」

 リュミドラの周囲で、いくつもの緑色の何かが漂っている。よく見てみれば、それと同じものがサヴィトリをぐるりと取り囲んでいた。
 緑色の蜂。しかし、通常の蜂よりも遥かに大きい。感情のない複眼が、サヴィトリを静かに見下ろしている。
 その中に一匹、顎が赤く濡れているものがいた。さっきの痛みは、こいつに肩を噛みちぎられたことによるものだろう。

「このっ、虫ごときがあああっ!」

 サヴィトリは気力を振りしぼり、氷の刃を作り出す。しかし、痛みのせいでうまく照準が定まらず、飛行する緑蜂に当てることは叶わない。

 停止飛行をしていた緑蜂が、にわかに動き始めた。うるさく飛びまわり、示し合わせたかのようにサヴィトリに殺到する。
 逃げ場はない。

 サヴィトリは息を吐き、右手に冷気を集めた。
 緑蜂が刺すなり噛みつくなりした瞬間、凍らせて砕いてやる。ただで死んでなどやるものか。

「大馬鹿女! 聞こえていたら目と口を閉じるのでございます!」

 一瞬にして、サヴィトリの視界が白一色に染まった。濃い煙が立ち込めている。
 煙を吸い、盛大に咳きこんでしまってから、サヴィトリはその声の正体に気付いた。
 どうせ忠告するならもっと早くにしてほしい。あまりに直前すぎて目と口を閉じている暇がなかった。
 緑蜂は襲ってこない。何かが地面に落下する音が聞こえた。

「人のことをガイドとして雇っておきながら置いていくなんて、いったい全体どういう了見でございますか、サヴィトリ!」

 ぶわっと風が吹き、少しだけ視界が開ける。
 サヴィトリの目にまず飛びこんできたのは、フリルのあしらわれたピンクの傘だった。
 こんなものを差しているのは、たった一人しか知らない。

「ニルニラ! どうして!?」
「……ランクァ中央通りの雪苺パフェ」

 ニルニラはきわめて神妙な面持ちで、わけのわからないことを言い始めた。

「は?」
「シシリー港の海風薫るショートケーキ」
「おーい、ニルニラ?」
「テオドラの季節限定ロイヤルホワイトストロベリータルト、御菓子司マツノのまほろば苺大福――その他いっぱい、あんたさんを連れて行かなきゃいけない所があるのでございます! こんな所で死んでたらダメなのでございます!!」

 ニルニラは苺並みに顔と目を真っ赤に染め、サヴィトリに指を突きつけた。
 状況が状況だが、サヴィトリは思わず吹き出してしまう。

「何がおかしいのでございますか!?」
「いや、見事に苺ばっかりだなーと思って」
「苺はこの世で最も美味しい万能果実なのでございます! 文句があっても一切受け付けないのでございます!」
「わがままなガイドだな。でも、もしよかったらオプションを一つ、つけてもらえるかな?」

 サヴィトリは、ニルニラにむかって手を伸ばした。

「苺は絶対にはずさないのでございます」
「そうじゃないよ。海が、見てみたいんだ。さっき港って言ったろう。そういえば、まだ一度も海を見たことがなかったな、と思って」
「……苺スイーツ食べ歩きツアーの第一回目は、シシリー港で決まりなのでございます」

 ニルニラはサヴィトリの手を取り、血で汚れるのも構わず抱え起こした。
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