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第五章 棘の砦
5-4 棘の魔女の誘い
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『うふ、アタシと遊んでくれないのぉ? サヴィトリちゃん♪』
シロップのように甘く粘ついた声が空気を震わせた。
決して忘れることのない、棘の魔女リュミドラの声。
サヴィトリはとっさにあたりを見まわすが、リュミドラや魔物の姿はない。
カイラシュ、ナーレンダ、ヴィクラムの三人はサヴィトリを取り囲むように背にかばい、それぞれ迎撃の準備に入る。
「あ……ぁ……ぎ、ぅ……あ……」
茂みが動き、そこから緑色の何かが現れた。
一番近くにいたヴィクラムが抜刀し、斬りかかる。
しかし緑色の何かは勢いよく仰向けに倒れこみ、ヴィクラムの刀は空を斬った。
「待ってヴィクラムさん!」
同じ茂みからジェイが現れた。
ジェイの手には鎌鎖が握られており、鎖は先ほど現れた緑色の何かに巻きついていた。これでジェイが引き倒し、ヴィクラムの攻撃をかわさせたのだろう。
緑色の何かは、よく見てみると人間のようだった。全身が隙間なくびっしりと棘に覆われている。
「どういうことだ、ジェイ!」
「俺にもよくわかんないんだけど、突然棘が生えたと思ったら、あの、俺と一緒に歩哨に来てくれた人なんだけど、ウロさんがこっちに走り出して……」
ジェイは小さくごめんと呟いてから、鎖を締めあげた。
ウロと呼ばれた守備兵はくぐもったうめきを漏らし、イモムシのように全身を緩慢に動かす。
棘の一部がずるりと伸び、円錐型の筒の形になった。
『もしもし~、アタシ、リュミちゃん♪ はぁい、お久しぶりねサヴィトリちゃん。人間を媒体にしたリュミちゃん電話よ。まだ試作段階だから、電話機のフォルムと音質が悪くてごめんなさいね』
棘の筒からリュミドラの声が聞こえてくる。拡声器の役割を果たしているのだろう。
「リュミドラ! お前よくも――」
サヴィトリは棘の筒をつかもうとしたが、カイラシュに羽交い絞めにされた。
『うふ、援軍を待つだなんてそんな悠長なことは許さないわよん隊長さん。アタシはここよ! お願い早く会いに来て♪ ってサヴィトリちゃんにアピールするために砦落としたんだからぁ。来てくれなきゃ可愛いペットちゃん達を放し飼いにしちゃうわよぉ』
「不届き者が、サヴィトリ様になれなれしいぞ! わたくしが毎日毎日こんなにも近くで熱烈アピールしているにもかかわらず反応してくださらないサヴィトリ様が貴様ごときの挑発に乗るものか!」
サヴィトリにすりすりと頬ずりをしながらカイラシュは怒声をあげる。
「あー、カイはちょっと黙っててくれないかな」
カイラシュの鼻っ柱に肘をめり込ませ、サヴィトリは話を続ける。
「こんなことをして、他に何か目的があるのではないのか? ただ道に突っ立っているだけでお前は充分に目立つぞ」
『いやぁん、サヴィトリちゃんと遊びた~いってこと以外に目的なんてないわよぅ。しいて言うなら、一回悪役っぽいことをしてみたかったから、かしらん。どっかの研究塔よりも簡単に落とせちゃってつまんなかったけどぉ』
「くだらないことを……!」
サヴィトリは後悔を覚えた。
相手の目的がなんであろうと、自分がすべきことは最初から決まっていた。
棘の魔女リュミドラを倒す。
それだけだ。
「下がりさない、サヴィトリ。これ以上、棘の魔女の戯言を聞く必要なんてない」
いつになく険しい顔をしたナーレンダがサヴィトリを腕で制した。
右手に青炎を燃やし、棘の拡声器に歩み寄る。
「代わりに僕が遊んであげるよ、棘の魔女。『借りは熨斗をつけて百倍にして返せ』っていうのがうちのお師匠の流儀だ。この子の分も含めて、熨斗二枚つけて二百倍にして返してやる」
『うふうふうふ、借りを増やすことにならなきゃいいけどねぇ。仕方がないからナーレちゃんとも隊長さんともジェイちゃんとも遊んであげるけど――』
「いや、俺は遠慮しておきます」
ジェイがこそっと手を挙げて意見する。
『アタシが一番遊びたいのはサヴィトリちゃん♪ だから――』
「無視された!」
「頭数に入っているだけマシじゃありませんか。わたくしなんて存在自体無視ですよ」
「カイラシュさんは普段はばりばり目立ってるんだからいいじゃないですか。俺なんか地味で空気がデフォルトなんですから」
「……(俺はだいぶ前から一言も喋っていない)」
「雑談するな外野!」
ジェイとカイラシュ(+ヴィクラム)の場違いな掛け合いに耐えきれなくなったナーレンダが炎を放った。盛大に火柱が立つ。
『……続けていいかしらん?』
声だけだが、リュミドラが若干引き気味なのがわかる。
「……どうぞ」
他に答えられる人間がいないので、仕方なくサヴィトリがうながした。
『えーっと、そうそう。サヴィトリちゃんに来てもらわなくっちゃ困るから、ここは一つ悪役っぽく、人質を用意してみましたぁん』
「人質?」
聞き捨てならない単語に、ナーレンダ達もどつき漫才を止める。
『そ。三人の人質。って言っても、サヴィトリちゃんとはなんの縁もゆかりもない人間よん。アタシが無作為に選んだだけ』
「ふん、それがなんだって言うのさ。本当にいるかどうかもわからない、しかも赤の他人のためにこの子が動くとでも? 僕はそんな風にこの子を育てた覚えはない」
ついさっき戯言を聞く必要はないと言ったくせに、ナーレンダは律儀に受け答えする。
「ナーレンダさん、さらっとサヴィトリの人格否定しましたね」
「安い正義感なんか持っても早死にするだけさ」
「やっぱ三十路ですね。見た目若くても中身がすれてるっていうか」
「お前は僕に喧嘩を売っているのか?」
「もー、ほんとこわいこの人」
ナーレンダとジェイの会話が完全に脱線したので、サヴィトリは視線を棘の拡声器の方に戻した。
「自分で認めるのもなんだけれど、ナーレの言うとおり、赤の他人のために動くほど私はお人好しではない。だが人質など関係なしに、お前を見過ごすことはできない」
サヴィトリは腹を決め、リュミドラの挑発に乗った。こうするより他の方法など思いつかない。
それに棘で覆われたウロの状態も気になる。
媒体というからには、ただ棘が巻きついているだけではないだろう。
『うふ、早く来てねサヴィトリちゃん。あなたを疑うわけじゃないんだけど、もし来てくれなかったら、こういうことになっちゃうのよ』
棘がぞろりと動いた。
ウロの細いうめき声が悲鳴へと変わる。
サヴィトリの背筋に冷たいものが走る。何よりも早く、肌が異変を察知した。
「見るな、サヴィトリ!」
頭を抱えこむようにして、ナーレンダがサヴィトリを抱きしめる。
水分を多く含んだものが破裂する音。
サヴィトリの手の甲に、生ぬるい何かが付着した。
錆びたような臭いにむせ返る。
「はなして、ナーレ」
サヴィトリは服の背中を引っぱって離れようとするが、更にきつく抱きしめられた。
ナーレンダの背中も、ぬるりとした何かで湿っていた。
『あんまりリュミリュミを待たせないでね、サヴィトリちゃん♪』
変わらず甘ったるいリュミドラの声。
ナーレンダは、近くにいたヴィクラムにサヴィトリの身体を押しつけると、何も言わず火を放った。
ヴィクラムの大きな手が、サヴィトリの目元を隠す。
だが、それよりも一瞬早く、サヴィトリは見てしまった。
地面に落ちていた、ねじり切られ、血で濡れた人間の指を。
サヴィトリは叫んだ。
喉が震え、鼓膜が震えた。音として認識できない声で叫んだ。
爪で削り取るようにしてヴィクラムの手を引きはがし、走った。
相手は魔女だ。人間じゃない。どこか憎みきれないコミカルな外見をしているから、無意識のうちに甘く見ていた。
「お待ちくださいサヴィトリ様!」
カイラシュが目の前に立ち塞がる。
サヴィトリは片足で踏みきり、カイラシュの顔面に飛び蹴りを食らわせた。そのままカイラシュを踏み倒し、走り続ける。
「待ちなさいサヴィトリ! 君一人で行ってなんになる! ……カイラシュもいつまでも喜んでいるんじゃあない!」
「それは放っておけ。追うぞ」
背中の方でナーレンダとヴィクラムの声が聞こえる。
「今のはちょっと許せないよね」
真横から声をかけられ、サヴィトリは思わずびくりとする。
ちらっと見てみると、いつの間にかジェイが並走していた。
サヴィトリはゆっくりと首を横に振る。
「ちょっとじゃない。絶対に、だ」
シロップのように甘く粘ついた声が空気を震わせた。
決して忘れることのない、棘の魔女リュミドラの声。
サヴィトリはとっさにあたりを見まわすが、リュミドラや魔物の姿はない。
カイラシュ、ナーレンダ、ヴィクラムの三人はサヴィトリを取り囲むように背にかばい、それぞれ迎撃の準備に入る。
「あ……ぁ……ぎ、ぅ……あ……」
茂みが動き、そこから緑色の何かが現れた。
一番近くにいたヴィクラムが抜刀し、斬りかかる。
しかし緑色の何かは勢いよく仰向けに倒れこみ、ヴィクラムの刀は空を斬った。
「待ってヴィクラムさん!」
同じ茂みからジェイが現れた。
ジェイの手には鎌鎖が握られており、鎖は先ほど現れた緑色の何かに巻きついていた。これでジェイが引き倒し、ヴィクラムの攻撃をかわさせたのだろう。
緑色の何かは、よく見てみると人間のようだった。全身が隙間なくびっしりと棘に覆われている。
「どういうことだ、ジェイ!」
「俺にもよくわかんないんだけど、突然棘が生えたと思ったら、あの、俺と一緒に歩哨に来てくれた人なんだけど、ウロさんがこっちに走り出して……」
ジェイは小さくごめんと呟いてから、鎖を締めあげた。
ウロと呼ばれた守備兵はくぐもったうめきを漏らし、イモムシのように全身を緩慢に動かす。
棘の一部がずるりと伸び、円錐型の筒の形になった。
『もしもし~、アタシ、リュミちゃん♪ はぁい、お久しぶりねサヴィトリちゃん。人間を媒体にしたリュミちゃん電話よ。まだ試作段階だから、電話機のフォルムと音質が悪くてごめんなさいね』
棘の筒からリュミドラの声が聞こえてくる。拡声器の役割を果たしているのだろう。
「リュミドラ! お前よくも――」
サヴィトリは棘の筒をつかもうとしたが、カイラシュに羽交い絞めにされた。
『うふ、援軍を待つだなんてそんな悠長なことは許さないわよん隊長さん。アタシはここよ! お願い早く会いに来て♪ ってサヴィトリちゃんにアピールするために砦落としたんだからぁ。来てくれなきゃ可愛いペットちゃん達を放し飼いにしちゃうわよぉ』
「不届き者が、サヴィトリ様になれなれしいぞ! わたくしが毎日毎日こんなにも近くで熱烈アピールしているにもかかわらず反応してくださらないサヴィトリ様が貴様ごときの挑発に乗るものか!」
サヴィトリにすりすりと頬ずりをしながらカイラシュは怒声をあげる。
「あー、カイはちょっと黙っててくれないかな」
カイラシュの鼻っ柱に肘をめり込ませ、サヴィトリは話を続ける。
「こんなことをして、他に何か目的があるのではないのか? ただ道に突っ立っているだけでお前は充分に目立つぞ」
『いやぁん、サヴィトリちゃんと遊びた~いってこと以外に目的なんてないわよぅ。しいて言うなら、一回悪役っぽいことをしてみたかったから、かしらん。どっかの研究塔よりも簡単に落とせちゃってつまんなかったけどぉ』
「くだらないことを……!」
サヴィトリは後悔を覚えた。
相手の目的がなんであろうと、自分がすべきことは最初から決まっていた。
棘の魔女リュミドラを倒す。
それだけだ。
「下がりさない、サヴィトリ。これ以上、棘の魔女の戯言を聞く必要なんてない」
いつになく険しい顔をしたナーレンダがサヴィトリを腕で制した。
右手に青炎を燃やし、棘の拡声器に歩み寄る。
「代わりに僕が遊んであげるよ、棘の魔女。『借りは熨斗をつけて百倍にして返せ』っていうのがうちのお師匠の流儀だ。この子の分も含めて、熨斗二枚つけて二百倍にして返してやる」
『うふうふうふ、借りを増やすことにならなきゃいいけどねぇ。仕方がないからナーレちゃんとも隊長さんともジェイちゃんとも遊んであげるけど――』
「いや、俺は遠慮しておきます」
ジェイがこそっと手を挙げて意見する。
『アタシが一番遊びたいのはサヴィトリちゃん♪ だから――』
「無視された!」
「頭数に入っているだけマシじゃありませんか。わたくしなんて存在自体無視ですよ」
「カイラシュさんは普段はばりばり目立ってるんだからいいじゃないですか。俺なんか地味で空気がデフォルトなんですから」
「……(俺はだいぶ前から一言も喋っていない)」
「雑談するな外野!」
ジェイとカイラシュ(+ヴィクラム)の場違いな掛け合いに耐えきれなくなったナーレンダが炎を放った。盛大に火柱が立つ。
『……続けていいかしらん?』
声だけだが、リュミドラが若干引き気味なのがわかる。
「……どうぞ」
他に答えられる人間がいないので、仕方なくサヴィトリがうながした。
『えーっと、そうそう。サヴィトリちゃんに来てもらわなくっちゃ困るから、ここは一つ悪役っぽく、人質を用意してみましたぁん』
「人質?」
聞き捨てならない単語に、ナーレンダ達もどつき漫才を止める。
『そ。三人の人質。って言っても、サヴィトリちゃんとはなんの縁もゆかりもない人間よん。アタシが無作為に選んだだけ』
「ふん、それがなんだって言うのさ。本当にいるかどうかもわからない、しかも赤の他人のためにこの子が動くとでも? 僕はそんな風にこの子を育てた覚えはない」
ついさっき戯言を聞く必要はないと言ったくせに、ナーレンダは律儀に受け答えする。
「ナーレンダさん、さらっとサヴィトリの人格否定しましたね」
「安い正義感なんか持っても早死にするだけさ」
「やっぱ三十路ですね。見た目若くても中身がすれてるっていうか」
「お前は僕に喧嘩を売っているのか?」
「もー、ほんとこわいこの人」
ナーレンダとジェイの会話が完全に脱線したので、サヴィトリは視線を棘の拡声器の方に戻した。
「自分で認めるのもなんだけれど、ナーレの言うとおり、赤の他人のために動くほど私はお人好しではない。だが人質など関係なしに、お前を見過ごすことはできない」
サヴィトリは腹を決め、リュミドラの挑発に乗った。こうするより他の方法など思いつかない。
それに棘で覆われたウロの状態も気になる。
媒体というからには、ただ棘が巻きついているだけではないだろう。
『うふ、早く来てねサヴィトリちゃん。あなたを疑うわけじゃないんだけど、もし来てくれなかったら、こういうことになっちゃうのよ』
棘がぞろりと動いた。
ウロの細いうめき声が悲鳴へと変わる。
サヴィトリの背筋に冷たいものが走る。何よりも早く、肌が異変を察知した。
「見るな、サヴィトリ!」
頭を抱えこむようにして、ナーレンダがサヴィトリを抱きしめる。
水分を多く含んだものが破裂する音。
サヴィトリの手の甲に、生ぬるい何かが付着した。
錆びたような臭いにむせ返る。
「はなして、ナーレ」
サヴィトリは服の背中を引っぱって離れようとするが、更にきつく抱きしめられた。
ナーレンダの背中も、ぬるりとした何かで湿っていた。
『あんまりリュミリュミを待たせないでね、サヴィトリちゃん♪』
変わらず甘ったるいリュミドラの声。
ナーレンダは、近くにいたヴィクラムにサヴィトリの身体を押しつけると、何も言わず火を放った。
ヴィクラムの大きな手が、サヴィトリの目元を隠す。
だが、それよりも一瞬早く、サヴィトリは見てしまった。
地面に落ちていた、ねじり切られ、血で濡れた人間の指を。
サヴィトリは叫んだ。
喉が震え、鼓膜が震えた。音として認識できない声で叫んだ。
爪で削り取るようにしてヴィクラムの手を引きはがし、走った。
相手は魔女だ。人間じゃない。どこか憎みきれないコミカルな外見をしているから、無意識のうちに甘く見ていた。
「お待ちくださいサヴィトリ様!」
カイラシュが目の前に立ち塞がる。
サヴィトリは片足で踏みきり、カイラシュの顔面に飛び蹴りを食らわせた。そのままカイラシュを踏み倒し、走り続ける。
「待ちなさいサヴィトリ! 君一人で行ってなんになる! ……カイラシュもいつまでも喜んでいるんじゃあない!」
「それは放っておけ。追うぞ」
背中の方でナーレンダとヴィクラムの声が聞こえる。
「今のはちょっと許せないよね」
真横から声をかけられ、サヴィトリは思わずびくりとする。
ちらっと見てみると、いつの間にかジェイが並走していた。
サヴィトリはゆっくりと首を横に振る。
「ちょっとじゃない。絶対に、だ」
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