Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-

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第五章 棘の砦

5-3 緑青の異変

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 遠目に見ても、異変が起きていることは明らかだった。
 砦を取り囲む外壁は棘で覆われ、深い緑に染まっている。何も知らない人間が見たのなら、平原に忽然と森が出現したかと思うだろう。
 以前にも、リュミドラはクベラの施設を占領したことがあったが、その時とは規模も守備兵力も違う。
 都市化していたとはいえ、わずか一日で砦を陥落させるなど、どれだけの力を有しているのか底が見えない。

 サヴィトリは左手を握りしめ、口元に押し当てた。棘を見ると、呪いの激痛がよみがえってくる。

「サヴィトリ様」

 サヴィトリの肩に手が置かれる。
 いつの間にかカイラシュが隣に立っていた。

「守備兵長の意識が戻ったようです。状況を確かめましょう」

 ヴァルナ砦の守備兵長以下数名の兵は、なんとかリュミドラの魔の手から逃れていた。
 砦近くの森に身を潜めていた彼らを見つけたのはジェイだ。妙に目ざといところがある。

 カイラシュのあとをついていくと、ナーレンダとヴィクラムの姿が見えた。
 二人の近く、木の根元で一人の男が横たわっている。
 名前は確かギルタといった。ヴァルナ砦の守備兵長を務めている男だ。
 最初の会った時は失血がひどく、顔がやつれて青ざめていたが、今は比較的血色がいい。ナーレンダの術によって一命を取り留めたようだ。

「治癒は僕の専門じゃあないからね。なるべく早めに、しかるべき処置を受けたほうがいい」

 ナーレンダが忠告すると、ギルタは力なく笑い、頭を下げた。
 なんとなく、サヴィトリにはギルタが死にたがっているように見えた。

「カイ、ジェイの姿が見当たらないけれど」

 ジェイの他に、守備兵の姿もない。
 ジェイはともかく、守備兵達もかなりの傷を負っていた。

「守備兵の方々とともに歩哨に立っています。怪我の身をおして行かずとも、ジェイ殿一人で充分だったのですが」

 カイラシュは頬に手を当て、小さくため息をついた。

「ジェイにはあとで説明すればいいか。ギルタ殿、ヴァルナ砦に一体何があったのか教えてほしい」

 サヴィトリはギルタのかたわらにしゃがみ込み、尋ねた。
 ギルタはゆっくりと上体を起こすと、不思議そうにサヴィトリを見る。

「あなたは、ヴィクラム殿の婚約者でしょう。早く安全な場所に避難されたほうが……」

 そういえば、とサヴィトリは思い出す。
 ジェイが適当に話を作ったせいで、サヴィトリとヴィクラムが婚約者で、婚前旅行にヴァルナへむかったという設定になっていた。

「この死にぞこないがああああああああっ! 高貴で高貴で高貴なサヴィトリ様が、脳味噌の代わりに腐ったプリンが詰まっているような野郎の婚約者なわけがありやがりますかああああああああ!!」

 予想どおりカイラシュが発狂した。
 負傷した人間にとってこれは猛毒だ。
 ギルタは顔面蒼白になり、がたがたと震えて木の幹にしがみつく。

「カイ、うるさい」

 サヴィトリは一応忠告をしてから、カイラシュの鳩尾に拳を叩きこんだ。
 咳のような短い悲鳴をあげ、苦悶と快楽が入り混じった複雑怪奇な表情をしたカイラシュが地面にずるずると倒れこむ。

「今からでも契りを交わし、間違いを正すとするか」

 腐ったプリン――もといヴィクラムが話に乗ってきてしまった。ヴィクラムが冗談に乗る基準がいまいちわからない。

「腐った焼きプリンにレベルアップさせてやる!」

 ナーレンダの放った青い炎がヴィクラムを包みこむ。
 人間に戻ったナーレンダのツッコミはやたらと激しい。

「ふん、これ以上嘘を重ねるのも面倒だから話すよ。この子はサヴィトリ・ナヴァ・クベラ。現タイクーンの娘だ。僕達はその護衛。この子が無闇に偉そうなのはそのせいだ。言わなくてもわかっているだろうけど、他言無用だからね」

 ナーレンダはギルタにむかって微笑み、青い炎をちらつかせる。
 今の一連の出来事で、ギルタの寿命は確実に縮まっただろう。

「それで、ヴァルナ砦はどうなっているのさ? 逃げるのに必死でわかりません、とか言ったら焼くよ」

 更にナーレンダは脅しにかかる。
 こういう時にジェイがいないとダメだとサヴィトリは痛感する。
 全員そろって人当たりがきつい。

「……棘の魔女からの襲撃は、本当に突然のことでした」

 気を取り直したギルタは拳を握りしめ、ゆっくりと語り始めた。

「一番最初は、部下からの報告でした。外壁に見慣れない植物がはりついている、と。自分はそれを取るにたらない事だと判断してしまいました。
 しかし、それから一時間もたたないうちに東の外壁が生長した棘によって破られ、まるで種でもまいたかのようにありとあらゆる場所から棘が生えてきました。
 同時に、棘の魔女の魔物が多数出現し、ヴァルナ砦は一気に恐慌状態へと突き落とされました。恐怖が伝染し、自分を含め、誰一人としてまともに戦える状態ではありませんでした」

 ギルタの握った拳から血がにじんでいるのが見えた。
 ギルタがどのような人物なのかわからないが、相当な屈辱であったことは想像にかたくない。ヴァルナ砦の将軍と同じく元々は羅刹所属だったというし、何もできず魔物に背をむけたなど、プライドが許さないだろう。

「生き残った守備兵はここにいるだけなのか? 住民や旅行者はどうなった?」

 感情なくヴィクラムが問う。
 サヴィトリが訪れたときは、宿が取れないほど旅行者や商人などであふれ返っていた。
 守備兵がこの様子では、住民や旅行者はおそらく――

「動ける者は、王城と近くの町に伝令を。住民と旅行者については、把握できていません。避難させる間もなく……」

 ギルタは深くうな垂れ、肩を震わせた。

「ふん、守備兵が聞いて呆れるね」

 容赦ない言葉を浴びせかけたのはナーレンダだった。

「民も部下も守れなかった上に、たいした情報も持っていない。辺境警備だからって気を抜いていたんじゃあないのか?」
「イェル術士長、誰もがあなたほど力を持っているわけではない。それに、今回は相手が悪すぎる」

 ヴィクラムが肩をつかんでナーレンダを押さえる。

「……わかってるよ。過ぎたことをとやかく言ったって仕方ない。それとヴィクラム、一つ言っておくけど、力の有無なんて関係ない。僕だって、何もできなかったんだから」

 ナーレンダは髪をつかむようにしてかきあげ、後方に下がった。
 サヴィトリにはかける言葉が見つからない。

「現在の中の様子については何かわかるか?」

 ヴィクラムが淡々と質問を続けた。

「砦内で棘の魔女の姿を目撃したという者がいましたが、現在も中にいるかどうかは不明です。また、砦から魔物が出てくる気配もありません」

「そうか。王城にはすでに伝令を飛ばしたということだったな。おそらく羅刹を中心に隊が編成されているはずだ。援軍が来るまで少なくとも数日。それまで砦からの魔物の流出を防ぎ、援軍と合流し次第、ヴァルナ砦を奪還する」

 心なしか、ヴィクラムが生き生きとしているようだった。
 護衛よりも、やはり羅刹としての本分である魔物討伐のほうが性に合っているのかもしれない。

 ヴィクラムはサヴィトリの方をむくと、腰を落として視線を合わせた。

「すまないサヴィトリ。俺はランクァまで送り届けてやれそうにない。だが、補佐官殿とジェイ殿がついていれば充分だろう」
「当然です。というか最初からわたくし以外全員必要ありません」

 カイラシュがサヴィトリとヴィクラムとの間に割って入ってきた。今にも噛みつきそうな勢いでヴィクラムをにらむ。

「イェル――ナーレンダ、お前も手伝え。さすがに俺一人では荷が重い」

 ヴィクラムはすっとカイラシュの視線をかわし、ナーレンダに声をかけた。

「ふん、最初からそのつもりだけど。あの脂肪の塊に火をつけたら何日間燃え続けるか楽しみだな」

 ナーレンダの人差し指の先に、小さく青い炎がともる。

「……どうしてみんな、私の意見を一切聞かずに話を進めようとしているんだ?」

 サヴィトリは腕組みをし、表情から声色、態度に至るまで、不機嫌さを前面に押し出した。

「危険だとわかりきっているのに、サヴィトリ様を戦わせるわけがありません」

「どうせ君は『私も行きたい。私がリュミドラを倒す』とかって言うんだろう。ダメだね、絶対。今回の棘の魔女は、何かが違う」

「クベラの要衝が落とされた。もはやこれは国家としての問題だ。お前の意思より、成功率の高い方法を優先する」

 言葉は違えど、三人の言っていることは同じだった。

 サヴィトリは反論できずに押し黙る。
 カイラシュとナーレンダの意見だけだったなら、頭ごなしに押さえつけないでほしいと反発できた。
 だが、ヴィクラムの言葉がサヴィトリの反論を封じた。
 サヴィトリが関わらないほうが、迅速にリュミドラを撃破し、ヴァルナ砦を奪還できる。
 羅刹の一翼を担うヴィクラムがそう判断した。

(確かに、王城から援軍がくるのであれば、私の存在は邪魔だろう。得体の知れない小娘が混じっていては士気に影響するし、統制を乱す原因にもなる)

 理屈はわかるが、納得できない部分もある。
 リュミドラとの決着は自らの手でつけたい。
 どうして自分をつけ狙うのかなどをはっきりさせたい。
 城に戻り、リュミドラ討伐の一報を聞くのは嫌だ。
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