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第四章 蛇神アイゼン

4-2 ★当然の交渉決裂

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 サヴィトリの両手が青く発光し、アイゼンの頭部が氷に包まれる。サヴィトリをつかんでいた力が緩み、同時に、地面に転がっていた水球が弾けた。
 思わぬ幸運にサヴィトリは微笑み、ターコイズの指輪を定位置――左手の中指にはめる。金属の冷たさにひやりとしたが、それは一瞬のことで、すぐに皮膚になじんだ。
 ターコイズにくちづけ、現れた氷弓をつがえる。息つく間もなく、サヴィトリは幾本もの氷の矢をアイゼンに射ちこんだ。
 容赦はしない。
 得体の知れない蛇神の卵を生むなど冗談ではなかった。
 それに呪いが解けた今、棘の魔女リュミドラと決着をつけなければならない。こんな所で足止めされるわけにはいかなかった。

「借りものの力じゃ、僕の水を凍らせることなんてできませんよ、サヴィトリさん」

 アイゼンの声が聞こえ、サヴィトリは攻撃の手を止めて後方に下がった。
 白い冷気の煙のせいでアイゼンの姿はよく見えないが、あまりダメージを与えられなかったらしい。
 煙が薄くなるのを待っていると、つぶてのようなものが高速で飛んでくるのが見えた。
 サヴィトリは半身をずらしてそれをかわす。だが次々と際限なく飛来してくるため、ついには腕や腿のあたりをつぶてがかすった。痛みはなく、接触した部分の服がぐずぐずと崩れる。
 何としてでも直撃は避けるべきだとサヴィトリは察したが、逆に焦りが身体の緊張を生み、肩口につぶてが当たるのをよけられなかった。
 アイゼンの能力を腐食だと読んだサヴィトリは相当の痛みを覚悟する。
 しかし、爪弾きにされたような痛み以上には何もなかった。ただ、直撃した部分の布だけがぐずぐずと溶け、サヴィトリの白い肩があらわになる。皮膚に外傷はない。動かすのに不自由もない。

(……なんだこれ?)

 サヴィトリの疑問に答えるように、髪の毛の一筋も凍りついていないアイゼンが言った。

「女性の玉肌を傷付けるつもりはないのでご安心を。この水は、衣服だけを正確に溶かします」

 アイゼンの周囲に小石ほどの水球がいくつも浮かんでいる。

「それに、ちょっとずーつちょっとずーつ衣服をそぎ落とすのって、そこはかとなくいやらしくて興奮しないですか?」
「一生ほら穴で冬眠していろ変態蛇が!!」

 サヴィトリは額に青筋を浮かべ、まっすぐに走ってアイゼンとの距離を詰める。
 服を溶かすだけの水なら多少当たったところでどうということもない。
 それよりも、氷術が効かないほうが厄介だった。最近、術が通じない手合いに出くわすことが増えている。時間がある時にでも戦い方を見直すべきだろう。

 アイゼンの放つ水のつぶてが腰や胸元に当たる。狙いがあきらかに胴体に集中してきた。
 崩れゆく服など気に留めず、サヴィトリは地面を蹴った。
 勢いと体重とを十二分に乗せた飛び蹴り。威力は折り紙付きだが、かわされるとほぼ確実にカウンターを食らってしまう。
 師匠――クリシュナにはあまり頻発するなと怒られたが、浮遊する感じと、上手くきめた時の衝撃の重さが好きだった。
 飛び蹴りを胸部に食らわせたあとの着地と続く攻撃について、いくつものパターンを頭の中で組みあげていると、アイゼンが意味深に微笑むのが目についた。

 嫌な予感しかしない。
 だが遅かった。

 アイゼンに届く直前、突如地面から水が吹きあげて壁となり、サヴィトリを弾き返す。
 サヴィトリは落下の際に地面を手で叩くようにして勢いを殺し、素早く身体を引き起こす。
 しかしそのタイミングを見計らっていたかのように、サヴィトリの眼前に水球が現れた。頭よりひとまわりほど大きい。
 サヴィトリは背筋に冷たいものを感じ、上体を反らして水球をかわす。
 が、水球は意思あるもののように追いかけてきた。
 水球が頭をすっぽりと包み、サヴィトリはバランスを崩して背中から倒れる。ちょうどその位置に原石があったらしく、鈍い痛みが背中に響く。
 うめき声のかわりに、ごぼごぼっと水球の中に空気の泡が生じた。容赦なく口の中に水が入ってくる。水球をはずそうとしても、指が冷たい水に触れるだけだった。

「攻撃するつもりはなかったんですけど、やっぱり僕も痛いのは嫌なので。すいません、本当に」

 申し訳なさそうな顔をしたアイゼンが、もがくサヴィトリを見下ろす。
 抗議の言葉は細かく白い気泡となり、サヴィトリの視界を遮った。息苦しさでくらくらする。

「そんなに怒らないでください。僕は卵を生んでもらえさえすればいいだけなんですから」

 アイゼンは優しく諭すように言う。

(怒るに決まっているだろうが!)

 サヴィトリは口を固く引き結び、せめて一発殴ってやろうと拳を振りあげた――つもりだった。
 ほんの少し浮かせたところで、圧倒的な力で地面に引き戻された。
 手首にひやりとした感触がある。
 見てみると、水のリングによって両手首が地面にがっちりと縫い止められていた。少しの余裕もない。
 サヴィトリの顔を覆っていた水球がぱんっと風船のように弾ける。
 何かを考えるよりも先に、酸素を求めて大きく息を吸いこむ。

「それでは、ご納得いただけたようですし、ちゃっちゃと交尾しちゃいましょう」

 アイゼンは朗らかな笑顔を浮かべてサヴィトリにまたがった。

「勝手に話を進めるな!」

 サヴィトリはアイゼンの急所のあたりを思いきり蹴りあげる。
 蛇神といえど急所はやはり急所であるらしく、アイゼンは声にならない悲鳴をあげて転げまわった。
 その間にサヴィトリは水のリングをはずそうとするがびくともしない。
 不意に足首にも冷たさを感じる。
 うんざりした気持ちで視線をそちらにむけると、やや足を開いた状態で水のリングに拘束されていた。文字どおり手も足も出ない。

「顔に似合わず強情ですね。ここまできたら、割り切って愉しんだほうが断然お得ですよ」

 危機的ダメージから復帰したアイゼンは顔を寄せ、サヴィトリの頬に指を這わせる。
 サヴィトリは不敵かつ反抗的に唇を歪め、目を見開いたまま頭をアイゼンに打ちつけた。勢いが少なかったとはいえ、相手をひるませるには充分な頭突きだった。
 骨と骨とがぶつかる鈍い音がし、ダメージとショックとでアイゼンは仰向けに倒れる。
 しかし直後に、手足と同じように首も水のリングによって自由を奪われた。
 あまりに拘束までのタイムラグがない。
 どのタイミングかはわからないが、攻撃行動に反応してその部位を封じる術でもかけられたのかもしれない。

(さて、どうしようか)

 天井からシャンデリアのように生えている発光水晶をぼんやりと見つめ、サヴィトリは考える。
 あと自分に残された攻撃方法は噛みつくことくらいだ。死ぬ気でやれば、相手の鼻や指の一本くらい噛みちぎれるかもしれない。
 誰かが颯爽と現れて助けてくれる、とは思わなかった。
 ヴァルナに同行してくれた四人は、間違いなく自分のことを探してくれているだろう。だが――自分を棚に上げて言わせてもらうが――どいつもこいつも空気の読めない奴ばかりだ。美味しいところを持っていくヒーロー的資質があるだろうか――いや、ない。

「いたたたた……そこまで拒絶されると傷付くなぁ。蛇に噛まれたと思って、一回だけでいいんです、一回! 一回で完璧に仕込みますから! 卵生んだら育児も養育費も要求しませんから、お願い! こんな穴の中で、一日の半分以上水につかってる生活なんてもう嫌なんです!」

 涙目のアイゼンは顔の前で両手を合わせる。
 あまりに一生懸命なので、サヴィトリは少しだけ心を動かされかけたが、やはり交尾と産卵はいただけない。他の要求ならともかく。

「……申し訳ないが、私にはできない。他を当たってくれ」

 静かにはっきりと、サヴィトリは伝えた。

「……やだ」

 見た目に似合わない幼さで、アイゼンは呟く。

「ようやく見つけた花嫁なんです。今ここで逃したら、僕はまた二十年も待つんですか? それとも四十年? いつまでも成体になれないまま、ほら穴から出れないで毎日毎日土壌管理とか水質保全とか地味なことしてなきゃならないんですか!?」
「私に逆ギレするな!」
「こうなったら何がなんでも同意してもらいます! サヴィトリさんの意思をねじ曲げてでも!」

 アイゼンの周囲に漂っていた水のつぶてが集まった。特定の形状をもたず、常にゆったりと流動している。

「これ以上服をはがれようと、私の意思は折れない」
「大丈夫、こいつは発展系」

 アイゼンは悪戯っぽく微笑み、流動する水を指先でつついた。
 その瞬間、浮力を失ったかのようにサヴィトリの身体へと垂直に落下する。

「ひゃっ!」

 サヴィトリは水の冷たさに、思わず情けない声をあげてしまう。
 かろうじてサヴィトリの服の体裁は保っているが、そこかしこに穴が開いてしまっている。その穴から水が入りこみ、肌の上でゼリー状に凝固した。

「え?」

 今何が起こっているのか、これから何が起ころうとしているのかサヴィトリにはわからない。
 ただ確実にわかるのは、自分にとって不利益なことしか起こらないということだった。

「あなた自身からしたくなるようにさせてあげます、サヴィトリさん」

 アイゼンの囁きは、死刑宣告に等しいもののようにサヴィトリの鼓膜を震わせた。
 水のゼリーが一斉かつ不規則に蠢きだす。小刻みに振動し、サヴィトリの肌を舐めるように這う。

「んんっ……ああぁっ!」

 サヴィトリの喉から、痛みによるものとは別種の悲鳴があふれた。呼吸が荒くなり、火種を内に抱えたように、顔や身体が熱をもつ。

「飛び蹴りをしようが頭突きをしようが金的をしようが、喘ぐ姿はただの可愛い女の子ですね」

 アイゼンはサヴィトリの髪を一房すくいあげ、口元に寄せた。

「うる、さ、いっ!! 触る、なあああっ!!」

 サヴィトリは切れ切れになりつつも懸命に怒鳴りつける。それ以外にサヴィトリにできる反抗はなかった。
 身体の上を撫でまわしていただけのゼリーが、次第に性感を引き起こすような部位にシフトする。
 振動するゼリーは胸のふくらみを下から持ちあげるようにじりじりと登っていった。たっぷりと時間をかけて小ぶりな乳房を覆い、うっすらと赤く張りつめるまで刺激する。
 軽い痛みを伴うほど、淡く色づいた尖端が立ったところで、ゼリーが一気に殺到した。

「ぁんっ、あ……っ! いや、だ……はぁん……ぅ、ん……」

 水と氷の中間の冷たさと、いつまでも肌に残るねっとりとした感触、緩急のある振動に苛まれ、サヴィトリは熱っぽい喘ぎをこらえられない。
 自分が普段絶対に出さないような声を出してしまうたびに、激しい自己嫌悪と羞恥心に襲われる。正常な思考能力が奪われていく。
 それとは対照的に感覚だけが加速度的に鋭敏になっていき、耐えがたいほどに腰の奥がむずがゆく切なくなってきた。
 腰を揺らし、膝をこすり合せたい衝動に駆られるが、他者に屈することを嫌うプライドがどうにか行動を抑えこむ。

「うーん、頑張りますね。でも、もうちょっとかな」

 サヴィトリのなまめかしい姿態を眺めていたアイゼンは感心するような呆れたような口調で言い、手を水平に動かした。
 それに合わせてゼリーが再び移動する。
 あばらを通り、滑るように腹部へと下り、なだらかな下腹のその先へ――

「――っ、やめろおおおっ!!」

 サヴィトリは顔を引きつらせ、力の限り叫ぶ。
 それで事態が変わるとも思わなかったが、どうしても叫ばずにはいられなかった。
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