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第三章 魔物討伐

3-3 場外乱闘

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「あーあ、なんだか長くなりそうだね……。俺達だけでも、先にあのスライムもどきと戦っておく?」

 ジェイは小さくため息をつき、困ったように頬をかいた。
 いったん不毛な争いが始まるとなかなか決着がつかない。

「うーん。でも、一つやりたいことがあったのだけれど」

 と言って、サヴィトリは懐から年季の入った小さめのノートを取り出した。表紙には「古今東西陣形のすべて」と大きく書かれている。

「サヴィトリ、ものすごくろくでもない予感しかしないから、そのノートしまっていいと思うよ」
「どうして!? 陣形は戦いの美学だぞ! 陣形選択一つでボスに勝てたり勝てなかったりするんだぞ!」

 サヴィトリは赤い付箋のついたページを開き、ジェイの顔面になすりつけるようにして見せる。
 そこにはこう書かれていた。

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殷部離亜流苦露守(いんぺりあるくろす)

 中国殷の時代、周の武王に仕える霊恩(れおん)という者がいた。
 若き頃は一騎当千の兵として恐れられていたが、晩年は意固地さばかりが目立ち、武王に疎まれ辺境へと封ぜられていた。

 ある時、殷の兵が大挙して霊恩の治める砦へと攻め寄せた。前線から遠く離れた地であったために油断し、兵の備えはほぼ皆無であった。
 自身の判断の衰えに愕然とした霊恩は、白き装束をまとい、若き頃に著した兵法書を取り出した。
 数少ない兵の中から気骨ある四人の者を選び出し、霊恩が考案した十字に似た陣形を組み、外へと打って出た。

 無謀としか思えぬ行為であった。
 だが、霊恩は奥義「羽利威(ぱりい)」と流れるような連携により見事に衆兵を退け、たった五人で砦を守り通した。

 しかし、援軍が到着すると同時に「殷部離亜流苦露守」(意訳:我が身露と消えようともこの地は決して殷には踏ませはせぬ)
 という句を残し、霊恩以下五人は目を見開き、この陣形特有の戦闘スタイルである片足蹴りあげ状態のまま力尽きた。

 その報を聞いた武王は霊恩を疎んじたことに涙し、急ぎ慰霊碑を建立し、子々孫々に至るまでこれを祀らせた。
 霊恩が考案した陣形は、彼が残した辞世の句にちなんで
「殷部離亜流苦露守(いんぺりあるくろす)」
 と呼ばれ、殷攻略にひとかたならぬ成果をあげた。

民明書房刊『猛々しきその魂 武人と辞世の句』より抜粋
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「というわけで――」
「やりません!!」

 ジェイはサヴィトリからノートを取りあげた。

「なんで!」
「なんでも!」

「高度な戦術について議論しているところ悪いが、また棘の魔女から手紙がきている」

 罵り合いをしていたはずのヴィクラムがおもむろに封筒を差し出してきた。ちなみにカイラシュとナーレンダはまだ口論を続けている。

「今の会話のどこが高度だったんですか……」

 ジェイは小さくため息をつき、封筒に目をむけた。ゼリーのようなものでべったべたになっている。はっきり言って、触りたくない。

「ちなみにヴィクラムさん、これはどこにあったんですか?」
「緑川土左衛門に渡された」
「え?」
「緑川土左衛門」

 ヴィクラムは不機嫌そうに眉を寄せ、うごうごと気持ち悪く蠢くゼリーを指差した。

「……ヴィクラムさんがが名前をつけたんですか?」
「いや、本人が高らかに名乗っていただろう」
「……いつ?」
「つい先程」

 そう答えるヴィクラムの表情はいたって真剣だった。
 ジェイはそれとなくサヴィトリに目配せをする。サヴィトリは首を横に振った。

「もしかして、ヴィクラムは魔物の言葉がわかるのか?」
「さっきから、早く棘の魔女の手紙を読めと緑川土左衛門が催促している。俺が読んでも構わないか?」
「……え、ああ。どうぞ」

(ヴィクラムは脳筋じゃなくて脳味噌ゼリーだったんだ)

 サヴィトリはそう結論付け、深く追求しないことにした。

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前略

 二通目のラブレターだから堅苦しいのは抜きにするわね。
 サヴィトリちゃんお元気? 朝晩冷え込むけど風邪とか引いてないかしら? もし独り寝が寒かったら遠慮なくアタシを呼んでねぇ。サヴィトリちゃんのためなら肉布団になったげる☆

 ミントちゃんと遊んでくれてありがと♪ 今までアタシ以外には誰にも懐かなかったんだけど、サヴィトリちゃんは特別みたい。うふふ、リュミリュミちょっと嬉しい☆

 今度は緑川土左衛門ちゃんと遊んであげてね。うふふ、びっくりするくらいイケメンでしょう。アタシの自慢の部下――腹心って言ってもいいわね。
 あ、でもドザちゃんに惚れちゃあやーよ。サヴィトリちゃんはアタシだけを見てくれなくっちゃダメなんだから!

 ……あ、アタシってば大事なサヴィトリちゃんを疑うなんてバカバカバカ! ごめんね、サヴィトリちゃん。恋する乙女はいつでも不安なの。
 これ以上続けると、もっとひどいことを書いちゃいそうだから、今日はここまでにしておくわね。
 じゃあまたね、愛しのサヴィトリちゃん☆

草々

追伸:
 服だけを溶かすだなんてエロ本の読みすぎじゃないかしら? ドザちゃんは紳士だからそんな下品なことしません。あしからず。
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「…………」
「…………」

「カイ! ヴィクラム! なんだその不服そうな顔は!?」

 あからさまにやる気をなくしている二人をサヴィトリは怒鳴りつける。
 ちなみに、土左衛門は空気を読んでなのか攻撃してくる気配はない。

「服を溶かさないスライムに存在価値などない!」
「この戦闘馬鹿の意見に同調したくはありませんが、今回に限り、全面的に支持いたします!」

 カイラシュとヴィクラムは互いににらみ合うように見つめ、固く握手を交わした。

「人種差別をしたいわけじゃあないけどさ、クベラの男ってどうしてこう、思考と下半身が直結してる奴が多いのかな。人として見下さざるをえないね」
「あ、やっぱりそういう人多いですよねー。俺、トゥーリ出身なんですけど、なんかノリが違うっていうか」

 大陸西部と中央部出身の二人が、一歩引いたところで愚痴をこぼし合っている。

「くだらないことで戦意喪失するな! 特にカイ! 私の裸ぐらい何回か見たことあるじゃないか。別に面白いものでもなんでもなかっただろう!」

 カイラシュには無理矢理風呂に放りこまれたり、全裸で寝ている時に掛布をはぎ取られたりなど、すでに何度か見られている。

「サヴィトリ、そのツッコミは女の子としても、人としてもダメなやつだと思うよ」

 ジェイは頭を抱え、無駄だとわかりつつ忠告をする。

「お言葉ですが、サヴィトリ様は繊細な男心をまったくわかっておられません! ああいったモロではなく、ハプニング感にあふれたチラリズムが良いんですチラリズムが!」

 カイラシュが珍しく語気強く反論した。サヴィトリに対してここまで意見することは今までにない。

「そこの色ボケドグサレ補佐官! これ以上おかしなことをこの子に吹きこまないでくれる! あとサヴィトリ! 君も君だ! 貞操観念が緩すぎる!」

 ナーレンダが口論に参戦してきた。

「そういうナーレだって見てるじゃないか。昔は一緒にお風呂に入っていたし」

 三人で話すとごちゃごちゃするので、サヴィトリは乱入者に先制パンチを打ちこむ。

「子供の頃の話を同列に扱うんじゃあない!」

「クベラの男がどうとか仰っていたようですが、西方だって他人のことどうこう言えたもんじゃないですよ。むっつりスケベでロリコンが多いって話をよく耳にしますがね」

 カイラシュも攻撃の矛先をナーレンダにむける。

「僕だけじゃなく西方全体の悪評をねつ造するな! そしてサヴィトリも真に受けて本気で引くな!」

 二人からの集中砲火を受けてもナーレンダはめげない。

* * * * *

「すみませんねー、えーっと、緑川さんでしたっけ? 一度もめるとなかなか終わらないんですよー」

 ジェイはレジャーシートを地面に広げ、三人分のお茶とお菓子を用意した。それをジェイとヴィクラムと土左衛門が囲む。

『うにゅるぬるにゅるぬー』
「にぎやかなのは良いことだ、と言っている」

 土左衛門の言葉をヴィクラムが翻訳する。

「緑川さん、俺達の言葉は理解できるんですね」
『もるにゅるぬーるにゅ』
「聞きとりは問題ないが発音は難しくて喋ることはできない、と言っている」

「……っていうか、ヴィクラムさんはどうして緑川さんの言葉がわかるんですか?」
「通信講座で学習した。羅刹の隊士は全員、あらゆる魔物の言語を習得している」
「……深く考えたら負けだよね、これ」

 ジェイはせんべいをかじり、誰にともなく呟いた。

『にょおーるもにょりぬうりゅちゅりゅりょ。うもにゅぷりゅるーるにょぬるうじゅ』
「リュミドラ様の命により貴公らと一戦交える腹積もりであったが、美味い茶菓子のおかげで毒気を抜かれた。リュミドラ様に献上する鉱石も充分手に入ったことだし、帰還したいのだが構わないだろうか? と言っている」
「あー、別にいいんじゃないですか。争わなくていいならそれに越したことはないですし」

 ジェイはちらりとサヴィトリ達の様子をうかがった。
 いまだに三つ巴で口論を続けている。サヴィトリが武力行使に出るのも時間の問題だ。

『うじゅるじゅる。ぬぬにゅりょうにゅ』
「では御免。次にまみえるのが戦場でないことを祈る、と言っている」

 ヴィクラムの翻訳に合わせて土左衛門はゼリーの身体をぷるぷると震わせ、壁や地面に染みこむように消えていった。

「なんだ、あのスライムは帰ってしまったのか」

 三度カイラシュを宝箱に封印したサヴィトリは寂しげに言った。

「土左衛門殿からはもののふの魂を感じた。よもやここに舞い戻り、狼藉を働くことはないだろう」

 ヴィクラムは感慨深く目蓋を伏せる。

「……ねえジェイ。ヴィクラムは脳味噌を損傷するほど頭を強打したか、魔法のキノコ的な何かを拾い食いでもしたのか?」

 サヴィトリは顔を引きつらせ、こそっとジェイに耳打ちをする。

「まぁ、俺達と会う前、脳に重度の衝撃を受けた可能性は否定できないかな」

 ジェイは頬をかき、あははと心なく笑った。

「なんか不完全燃焼だけど、村に戻ろうか。さっさと呪いを解いて、ナーレにカエルから戻ってもらわないとツッコミ要員がたりないし」

 サヴィトリは責任を持ってカイラシュを封印した宝箱を持ち帰るため、縄でくくって引きずった。

「君にとって僕の存在意義はツッコミしかないわけ?」

 宝箱の上に乗っていたナーレンダはぴょこぴょこ跳ねて抗議する。

「そんなことない。ナーレは私にとって、今も昔もかけがえのない存在だ――って言われたら嬉しい?」

 意地悪くサヴィトリは微笑み、横目でナーレンダを見た。

「……ふん」

 ナーレンダは小さく鼻で笑うと、振り落されないように腹這いになって宝箱にしがみつく。
 箱の中から聞こえてくるおぞましいうめき声は、その場にいる全員、聞かなかったことにした。
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