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第二章 ヴァルナ
2-1 ヴァルナへの道
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「……交通路というか、連続交戦路だな」
サヴィトリはため息をつき、右の手のひらを地面に押しつけた。
応じるように触れた部分が白く光る。その行為から数秒遅れて、サヴィトリからやや離れた場所の地面が同じように光った。
サヴィトリにむかってよだれを垂らしながら駆けてくる大型の狼がそこをまたいだ瞬間、白い煙をまき散らし、騎乗槍に似た円錐形の氷柱が真上に伸びた。
剛毛に覆われた狼の腹部は貫かれ、そのまま宙に持ちあげられる。四肢を痙攣させ弱々しく一鳴きすると、それきり動かなくなった。
サヴィトリは手についた土を軽く払い落としながら、他の者達に視線をむける。
襲いかかってきたのは、灰褐色の体毛をした森狼という種で、まるで図ったかのように五匹の群れだった。
サヴィトリ以外の四人も、全員きっちりと森狼を倒していた。清々しかった林道に血の臭いが充満する。
「正規の道だと倍の時間がかかるのでございますから、これは仕方がないことなのでございます。そもそも多少道が悪くとも急ぎたいと言ったのはあんたさんなのでございます」
耳ざとくサヴィトリの呟きを聞いていたらしいニルニラは言い訳がましく言う。
ガイドであるニルニラのあとを素直について行き、何度も魔物や獣に襲われていることを負い目に感じているのかもしれない。
「別にサヴィトリはニラのことを責めてるわけじゃないよ。本当に獣道みたいだもん、ここ」
森狼の死体を近くの藪に投げこみながら言うのはジェイだ。
ここがヴァルナ村への交通路として使われているのであれば獣の死骸をそのままにしておくわけにはいかない。
サヴィトリも手伝おうとしたがカイラシュに押しとどめられた。
「これ以上サヴィトリ様を穢れに触れさせるわけには参りません。お手をわずらわせてしまっただけでも失態でしたのに」
「ハリの森では日常だった。カイが気にすることじゃない」
サヴィトリは即座に言い返す。
多少の誇張はあるが、襲いくる獣を倒し、その亡骸を処理したことは今までに幾度もある。獣や魔物に襲われるたびに、いちいち過保護にされては面倒だ。
「どっちでもいいけど、さっさと先に進んだほうがいいんじゃない? 他の群れや魔物が血の臭いを嗅ぎつける」
荷物の中に隠れていたナーレンダが這い出てきて忠告する。
「こいつの言うとおりだ。それに雲行きも良くない」
ヴィクラムに言われ、サヴィトリは空を仰ぎ見た。
青空と白い雲を隠すように、足の速い灰色の雲が流れている。降りだすのも時間の問題だ。せめて雨宿りができる場所に移動しないと。
「……うーん、ちょっと遅かったかもしれない」
死体を始末し終えたジェイが、気弱に言いながら頬を指でかく。
ジェイの視線の先には狼がいた。その大きさは先ほどの森狼の比ではない。
虎よりもひとまわりほど大きく、閉じた口の両端からはナイフを思わせる巨大な牙がむき出しになっている。太い前足から生えた爪も同様に鋭く、どう考えても友好的な生き物には見えない。
さらに付け加えるなら、その狼は不思議な体色をしていた。木々にまぎれるような深緑。
ジェイの指摘がなければ、その姿に気付かず襲われていたかもしれない。
「棘の魔女の眷属か」
いつでも踏みこめるようヴィクラムは体勢を低くし、腰に帯びた刀に手をかける。
棘の魔女リュミドラは木の葉や枝を原料として魔物を作り出し、それを使役していた。その魔物は一様に緑の体色をしており、人間にのみ襲いかかる。
森狼の死骸や血の臭いには見むきもせず、サヴィトリ達をじっとにらみつけていることも合わせて考えると、十中八九リュミドラの魔物だろう。
「だとすると、ヴァルナにあるっていう解呪の泉はあながちデマでもなさそうだな」
サヴィトリは緑狼を鋭く見据えつつ、左手の中指にはめたターコイズの指輪にくちづけた。
空色の石は色をなくし、輝きと共にサヴィトリの手の中に青みがかった透明の弓が現れる。
これが、どんな時でもサヴィトリが指輪をはずさない理由の一つだった。もっとも、今はリュミドラの呪いのせいではずしたくともはずせなくなっているが。
緑狼はゆったりとした足取りで間合いぎりぎりまで近付くとサヴィトリ達にむけて何かを吐きだした。行儀のいい犬よろしくその場にお座りをし、吐きだした物とサヴィトリ達とを交互に見る。
「もしかして、拾え、ってことなのかな」
「じゃあジェイよろしく」
「なんで俺なの!?」
「一番欠けても問題ない戦力だから」
「……俺、実家に帰ろうかな」
「ぐだぐだ言わずさっさと取れ」
さめざめと泣くジェイの背中をサヴィトリは容赦なく蹴り飛ばす。
吐きだした物の目の前まで押しだされたジェイは、電光石火でそれを拾うと脱兎以上の速さで駆け戻ってきた。
「なんてことすんのなんてことすんのなんてことすんの! 食べられたらどうするのどうするのどうするの!」
「はいはい、おかえり。で、それ何?」
半狂乱のジェイの頭をしたたかに叩き、サヴィトリは冷静にジェイの手の中にある物を指差す。
ぐしゃぐしゃで唾液まみれになっているが、ピンク色の封筒のように見えた。
「べたべたで気持ち悪いけど、封筒だね、これ」
「それくらい見ればわかる。問題は中身だ」
「……俺に対して当たりがきついよね」
「サヴィトリ様! こんな胡散くさいヘタレ凡夫ではなく、このわたくしを愛の鞭で激しく打ち据えて――」
はぁはぁと息荒く頬をすり寄せてくるカイラシュがうっとうしくなり、サヴィトリは仕方なく暴力行為に及んだ。あくまでも仕方なく、だ。
「ジェイ、色々面倒だから早く中身をあらためて」
カイラシュを締めあげながら、サヴィトリは笑顔でうながす。
「了解でーす」
ジェイは食い気味に返事をし、唾液でべたべたの封筒を破かないように開ける。
中から出てきたのは一枚の便箋だった。薔薇の透かしが入っている。紙に香水でも振りまいてあるのか、封を開けた途端、強烈な薔薇の香りが鼻をついた。
--------------------------------------------
前略
陽光降り注ぐ今日この頃、サヴィトリちゃんと下僕の皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
ちょっとした悪戯心と嫉妬心とでかけたおまじないのせいで東奔西走していらっしゃるようで、アタシの小さな胸が罪悪感でずきずきと痛みます。
そのおわびと言ってはなんですが、おまじないを解く道しるべとして可愛い愛犬のミントちゃんを置いておきますね。見かけたら遊んであげてください。あ、犬アレルギーだったらごめんなさい。
おまじないが解ける頃には、サヴィトリちゃんはアタシに会いたくて会いたくて仕方なくなっていると思います。素敵なロケーションを用意して待っているので、一刻も早く、アタシのことを抱きしめに来てくださいね。
では、まわりにいるケダモノどもに食べられないようにどうぞご自愛ください。
草々
千年の恋人リュミドラより
いとしいサヴィトリちゃん(とついでに下僕の皆々様へ)
--------------------------------------------
「あんの肉塊ごときがあああああああああ!!!! わたくしのサヴィトリ様に破廉恥きわまりない言葉を投げかけるなあああっ!!!!」
わけのわからない理由でカイラシュが発狂しているが、サヴィトリは全力で見なかったことにした。カイラシュのおかげでスルースキルが大幅に向上した気がする。
「ミントちゃんがこの場所に配されているということは、やはり解呪の泉とやらは信憑性があるものらしいな」
威嚇するように低くうなる緑狼――ミントちゃんとにらみ合いながら、サヴィトリは薄く笑った。
ミントちゃんはたわめられたバネのように身を縮め、飛び出すタイミングをうかがっている。
サヴィトリはため息をつき、右の手のひらを地面に押しつけた。
応じるように触れた部分が白く光る。その行為から数秒遅れて、サヴィトリからやや離れた場所の地面が同じように光った。
サヴィトリにむかってよだれを垂らしながら駆けてくる大型の狼がそこをまたいだ瞬間、白い煙をまき散らし、騎乗槍に似た円錐形の氷柱が真上に伸びた。
剛毛に覆われた狼の腹部は貫かれ、そのまま宙に持ちあげられる。四肢を痙攣させ弱々しく一鳴きすると、それきり動かなくなった。
サヴィトリは手についた土を軽く払い落としながら、他の者達に視線をむける。
襲いかかってきたのは、灰褐色の体毛をした森狼という種で、まるで図ったかのように五匹の群れだった。
サヴィトリ以外の四人も、全員きっちりと森狼を倒していた。清々しかった林道に血の臭いが充満する。
「正規の道だと倍の時間がかかるのでございますから、これは仕方がないことなのでございます。そもそも多少道が悪くとも急ぎたいと言ったのはあんたさんなのでございます」
耳ざとくサヴィトリの呟きを聞いていたらしいニルニラは言い訳がましく言う。
ガイドであるニルニラのあとを素直について行き、何度も魔物や獣に襲われていることを負い目に感じているのかもしれない。
「別にサヴィトリはニラのことを責めてるわけじゃないよ。本当に獣道みたいだもん、ここ」
森狼の死体を近くの藪に投げこみながら言うのはジェイだ。
ここがヴァルナ村への交通路として使われているのであれば獣の死骸をそのままにしておくわけにはいかない。
サヴィトリも手伝おうとしたがカイラシュに押しとどめられた。
「これ以上サヴィトリ様を穢れに触れさせるわけには参りません。お手をわずらわせてしまっただけでも失態でしたのに」
「ハリの森では日常だった。カイが気にすることじゃない」
サヴィトリは即座に言い返す。
多少の誇張はあるが、襲いくる獣を倒し、その亡骸を処理したことは今までに幾度もある。獣や魔物に襲われるたびに、いちいち過保護にされては面倒だ。
「どっちでもいいけど、さっさと先に進んだほうがいいんじゃない? 他の群れや魔物が血の臭いを嗅ぎつける」
荷物の中に隠れていたナーレンダが這い出てきて忠告する。
「こいつの言うとおりだ。それに雲行きも良くない」
ヴィクラムに言われ、サヴィトリは空を仰ぎ見た。
青空と白い雲を隠すように、足の速い灰色の雲が流れている。降りだすのも時間の問題だ。せめて雨宿りができる場所に移動しないと。
「……うーん、ちょっと遅かったかもしれない」
死体を始末し終えたジェイが、気弱に言いながら頬を指でかく。
ジェイの視線の先には狼がいた。その大きさは先ほどの森狼の比ではない。
虎よりもひとまわりほど大きく、閉じた口の両端からはナイフを思わせる巨大な牙がむき出しになっている。太い前足から生えた爪も同様に鋭く、どう考えても友好的な生き物には見えない。
さらに付け加えるなら、その狼は不思議な体色をしていた。木々にまぎれるような深緑。
ジェイの指摘がなければ、その姿に気付かず襲われていたかもしれない。
「棘の魔女の眷属か」
いつでも踏みこめるようヴィクラムは体勢を低くし、腰に帯びた刀に手をかける。
棘の魔女リュミドラは木の葉や枝を原料として魔物を作り出し、それを使役していた。その魔物は一様に緑の体色をしており、人間にのみ襲いかかる。
森狼の死骸や血の臭いには見むきもせず、サヴィトリ達をじっとにらみつけていることも合わせて考えると、十中八九リュミドラの魔物だろう。
「だとすると、ヴァルナにあるっていう解呪の泉はあながちデマでもなさそうだな」
サヴィトリは緑狼を鋭く見据えつつ、左手の中指にはめたターコイズの指輪にくちづけた。
空色の石は色をなくし、輝きと共にサヴィトリの手の中に青みがかった透明の弓が現れる。
これが、どんな時でもサヴィトリが指輪をはずさない理由の一つだった。もっとも、今はリュミドラの呪いのせいではずしたくともはずせなくなっているが。
緑狼はゆったりとした足取りで間合いぎりぎりまで近付くとサヴィトリ達にむけて何かを吐きだした。行儀のいい犬よろしくその場にお座りをし、吐きだした物とサヴィトリ達とを交互に見る。
「もしかして、拾え、ってことなのかな」
「じゃあジェイよろしく」
「なんで俺なの!?」
「一番欠けても問題ない戦力だから」
「……俺、実家に帰ろうかな」
「ぐだぐだ言わずさっさと取れ」
さめざめと泣くジェイの背中をサヴィトリは容赦なく蹴り飛ばす。
吐きだした物の目の前まで押しだされたジェイは、電光石火でそれを拾うと脱兎以上の速さで駆け戻ってきた。
「なんてことすんのなんてことすんのなんてことすんの! 食べられたらどうするのどうするのどうするの!」
「はいはい、おかえり。で、それ何?」
半狂乱のジェイの頭をしたたかに叩き、サヴィトリは冷静にジェイの手の中にある物を指差す。
ぐしゃぐしゃで唾液まみれになっているが、ピンク色の封筒のように見えた。
「べたべたで気持ち悪いけど、封筒だね、これ」
「それくらい見ればわかる。問題は中身だ」
「……俺に対して当たりがきついよね」
「サヴィトリ様! こんな胡散くさいヘタレ凡夫ではなく、このわたくしを愛の鞭で激しく打ち据えて――」
はぁはぁと息荒く頬をすり寄せてくるカイラシュがうっとうしくなり、サヴィトリは仕方なく暴力行為に及んだ。あくまでも仕方なく、だ。
「ジェイ、色々面倒だから早く中身をあらためて」
カイラシュを締めあげながら、サヴィトリは笑顔でうながす。
「了解でーす」
ジェイは食い気味に返事をし、唾液でべたべたの封筒を破かないように開ける。
中から出てきたのは一枚の便箋だった。薔薇の透かしが入っている。紙に香水でも振りまいてあるのか、封を開けた途端、強烈な薔薇の香りが鼻をついた。
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前略
陽光降り注ぐ今日この頃、サヴィトリちゃんと下僕の皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申しあげます。
ちょっとした悪戯心と嫉妬心とでかけたおまじないのせいで東奔西走していらっしゃるようで、アタシの小さな胸が罪悪感でずきずきと痛みます。
そのおわびと言ってはなんですが、おまじないを解く道しるべとして可愛い愛犬のミントちゃんを置いておきますね。見かけたら遊んであげてください。あ、犬アレルギーだったらごめんなさい。
おまじないが解ける頃には、サヴィトリちゃんはアタシに会いたくて会いたくて仕方なくなっていると思います。素敵なロケーションを用意して待っているので、一刻も早く、アタシのことを抱きしめに来てくださいね。
では、まわりにいるケダモノどもに食べられないようにどうぞご自愛ください。
草々
千年の恋人リュミドラより
いとしいサヴィトリちゃん(とついでに下僕の皆々様へ)
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「あんの肉塊ごときがあああああああああ!!!! わたくしのサヴィトリ様に破廉恥きわまりない言葉を投げかけるなあああっ!!!!」
わけのわからない理由でカイラシュが発狂しているが、サヴィトリは全力で見なかったことにした。カイラシュのおかげでスルースキルが大幅に向上した気がする。
「ミントちゃんがこの場所に配されているということは、やはり解呪の泉とやらは信憑性があるものらしいな」
威嚇するように低くうなる緑狼――ミントちゃんとにらみ合いながら、サヴィトリは薄く笑った。
ミントちゃんはたわめられたバネのように身を縮め、飛び出すタイミングをうかがっている。
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