従者♂といかがわしいことをしていたもふもふ獣人辺境伯の夫に離縁を申し出たら何故か溺愛されました

甘酒

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 最初から「白い結婚」であると告げられていたなら諦めもつく。髪を撫でる手の感触も、重なった唇の温度も、イズの中に深く刻み込まれてしまった。

(獣人と人間では作法が違ったのかしら)

 幾度となくあの夜のことを思い出しては、己の至らなかった点を模索する。

(それとも……やっぱりもっと大きい方が)

 イズは自分の胸に手を当てた。
 特別小さくもなければ大きくもない。平均的なサイズだ、とイズは思う。感触も普通……だと思う。他の人のを触って比較したことがないので断言はできない。

 だがラーファの態度が変わったのは胸に触れてからだ。
 とはいえ「わたくしの胸の大きさや感触がお気に召さなかったのですか」とラーファに直接尋ねる勇気はない。そうだと言われたら単純に傷付く。

(はぁ……こんなことばかり考えていても仕方ないのに。早くお食事の用意をしないと)

 イズは深呼吸をして気持ちを切り替え、厨房へと向かう。

 屋敷には侍女も従者もいるが、ラーファの食事だけは妻であるイズが作る。「家長の食事は必ず、その配偶者が用意をする」というのがエスト領の伝統らしい。
 そういった伝統があるせいなのか、エスト辺境伯であるラーファが結婚相手に求めた唯一の条件が「料理ができる人間族」だった。

「器量やスタイルが悪くとも、万が一、家が没落するようなことがあったとしても、料理が作れればなんとかなる」という持論を掲げ、料理を教え込んでくれた祖母に、イズは感謝してもしきれない。

「ラーファ様、失礼いたします。お食事をお持ちしました」

 書斎のドアを三回ノックしてから、イズは声をかけた。応《いら》えがあるのを待ってから、中に入る。

「いつもありがとう、イズ。こちらに置いてくれ」

 執務机で書見をしているラーファは、本から目を離さずに言った。ここ最近、ずっと同じ本を熱心に読んでいる。犬耳とふわふわの巻き尾だけがぴこぴこと動く。

(可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い)

 イズは自分の気持ちの悪い部分があふれ出てしまわないよう、努めて平静を装った。鏡の前で練習したとおりの微笑を浮かべる。

 寝室に来ないということ以外は、ラーファは良き夫だった。小さなことでも感謝してくれるし料理も褒めてくれる。忙しい合間をぬって、一緒に出かけてもくれた。
 だからこそ、イズは自分のちょっとした不満を口にできない。

(どうして夜に一緒にいてくれないのか聞くなんて、はしたないことよね。ラーファ様には何かお考えがあるはず)

 イズはいつものように、ラーファの右手側に季節の野菜と鶏肉をはさんだピタパンサンドとコーヒーを置く。
 ラーファが食事を取るのはブランチと夕食の二回だ。ブランチは書斎で済ますことがほとんどで、仕事をしながら片手で食べられるものを好む。

 獣人の指は人間よりもひと回りほど太く、鋭く固い爪が生えている。そのため、ナイフやフォークを使うのがあまり得意ではない――と、少し恥ずかしそうにラーファが教えてくれたのをイズは思い出す。

(なんだか、今日のラーファ様はいつもと違う?)

 コーヒーを飲み、本のページをめくるラーファの姿に、イズは違和感を覚える。わずかではあるが、動作がぎこちなく見えた。

「あの、ラーファ様。どこかお怪我をなさったのでしょうか」

 イズが控えめに手を伸ばすと、ラーファは野生動物のような素早さで本を胸に抱えて飛びのいた。がたんっと椅子が倒れ、気まずい沈黙が流れる。

「ご、ごめんなさい。わたくし――」
「いや大丈夫だなんでもない。心配をかけてすまない」

 ラーファは露骨に目を逸らし、本を持つ手に力を込めた。耳はぺたんと下がり、頭に貼りついたようになっている。

「お仕事の邪魔をしてごめんなさい。失礼いたします」

「下がり耳も可愛い」などという不埒な考えを隅に押しやり、イズは頭をさげた。逃げるように書斎から立ち去る。

(寝室に来てくださらないのは、わたくしに触るのも触られるのも嫌だから、なのかも……)

 そんな結論に思い至り、イズは目頭が熱くなった。胸に埋まったトゲが鈍く痛み出す。まばたきをするたびに涙が押し出される。

(行き遅れの私が、期待なんてするから)

 イズは手で強く擦って涙をふいた。

 貴族としては中流の家柄で容姿も平凡、特別な才もない。美しく才気あふれる姉と、成人前から引く手あまただった愛くるしい妹の間にはさまれたおかげで余計に影が薄くなり、一般的な初婚年齢を四年も超してしまった。

 そんな自分と、辺境伯であるラーファとでは本来釣り合わない。住む世界が違う。結婚できただけでも僥倖《ぎょうこう》だ。

(――大丈夫。これくらい、たいしたことじゃない)

 イズは意識して背筋を伸ばし、感情に蓋《ふた》をする。
 ラーファがどう思っていようと、離縁されるまでは自分はエスト辺境伯夫人だ。泣いているところを誰かに見られては、ラーファに迷惑がかかる。

(いらっしゃらない理由がわかって、逆に良かったかもしれない。もう、待たなくてすむもの)

 イズは自分の髪を撫でつけ、握りしめた。
 まだ胸のトゲは疼《うず》いている。
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