「強制発情」の淫紋持ち令嬢ですが、尻尾ひとつ動かさない潔癖騎士の旦那様に愛されたい

甘酒

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メリナ視点2

メリナside2-1 淫紋の災い

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「あ」
「あ」

 片付けのために食器を持って先に部屋を出たノーラと、もう一人、誰かの驚く声がメリナの耳に入った。

「ノーラ?」

 メリナは扉から上体だけを出して外の様子をうかがう。

 廊下には食器を抱えるノーラと、体勢を崩したノーラの腕をつかんで支える男性騎士の姿があった。

 男性の方は、確か副団長のルーカスだったとメリナは記憶している。こげ茶と黒の縞模様のような髪色が特徴的なネコ科の獣人だ。軍服ではなくシャツとジレを組み合わせた軽装であるため、プライベートで訪れたのだろう。

 メリナは何も考えずにルーカスと目を合わせてしまった。

 嫁いでからというもの、オズウェルが徹底的に配慮をしてくれたため、夫以外の男性と対面することがなかった。それゆえに危機感が薄れていたのかもしれない。

「シャムス夫人? ――あ、まずいかもこれ」

 ルーカスのスリット状の瞳孔が大きく開いた。瞳が黒く染まる。
 本当に猫みたい、と思いながらメリナが見続けていると、ルーカスがふらふらと近寄ってきた。

「あいつ、毎日こんなの抑え込んでんのか。修行僧かよ……!」

 ルーカスは前髪をつかむようにして頭を押さえ、熱っぽいため息を吐く。

「お嬢様! 部屋の中にお戻りください!」

 悲鳴に似たノーラの甲高い声に、メリナははっと我に返った。慌てて扉を閉める。

 だが茶と黒の縞模様の毛皮に覆われた手が、扉が閉まるのを阻んだ。強い力で押し開けられる。
 メリナは後ずさった時に足がもつれ、よろめいて壁に手をつく。

 直後にどんっ! とメリナの顔のすぐ横に手が叩きつけられた。音と振動にメリナの身体がこわばる。

「夫人、すみません……」

 ルーカスは謝りながら、メリナの手首をつかんだ。壁に押さえつけて固定する。持ち上がった縞模様の尻尾の先端だけがぴくぴく動く。

 ルーカス自身の意思でないことは痛いほどわかった。明滅するように瞳孔の大きさが絶えず変化している。

(私のせいで……)

 メリナはうつむき、無意識のうちに下腹部を押さえた。怖さよりも、ルーカスに対する申し訳なさの方が先に立つ。

 淫紋の効果が明確に表れ始めた十二歳の時から、男性と対面するとどうなるか嫌というほど理解していたはずだ。オズウェルのことで浮かれ、周りが見えなくなっていた。

「メリナ! ルーカス!」

 オズウェルの声が聞こえ、メリナは顔を上げる。

 屈強な腕がルーカスの首を絞めあげていた。
 メリナの手首をつかんでいたルーカスの腕から力が抜ける。

「お前のこと、茶化して、悪かった……」

 ルーカスは弱々しく笑い、意識を失った。首ががくんと垂れる。

「怪我はないか」

 気絶したルーカスを床に横たえ、オズウェルはメリナに手を伸ばした。

 黒い獣の手が、今しがた自分を捕らえていたものと二重写しに見え、メリナは反射的に後退《あとずさ》る。背中が壁にぶつかり、衝撃で幻覚が霧散したが、遅かった。

 オズウェルの目蓋は伏せられ、わずかに覗く紅玉の瞳には暗い影が差している。

「すまない。屋敷に副団長を呼んだことを伝えるのを失念していた」

 オズウェルは伸ばした手をゆっくりとおろし、メリナに向かって深く頭を下げた。

「私のほうこそ印のことを忘れて、ルーカス様をこんな……ごめんなさい、ごめんなさい」

 じんじんと痛む手首を押さえ、メリナも頭を下げた。瞳がちりちりと熱く痛み、涙がこぼれそうになる。

 オズウェルにもルーカスにも迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。自分が何者であるかきちんと自覚を持っていれば、今回のことは起きなかった。

「本当にごめんなさい、オズウェル様」

 メリナはおぼつかない足取りでオズウェルの横を通り過ぎ、声をかけてくれたノーラを無視して寝室へと逃げ込んだ。



 寝室にある姿見に、薄桃色の乱れ髪の女の姿が映る。

 メリナがドレスのスカートをたくしあげると、鏡の中の女もまったく同じ動作をし、足首から腹部までを露出させた。

 邪魔にならないようスカートを咥え、鏡の中の自分の下腹部に刻まれたものを見つめる。

 大きさは手のひらで隠れるほど。意匠化されたハートに棘《いばら》が絡みついたような紋様。呪いの証。

(もっと早くこうすればよかった)

 メリナはナイフを握る右手に力を込めた。
 やや装飾過多ではあるがナイフ自体はありきたりのもので、嫁入りの際に父親が持たせてくれたものだ。

 万が一なにかあった際、名誉が汚される前に自ら命を絶つため。あるいは、どうしても耐えられなくなった時に、淫紋をえぐり取るため。

 オズウェルにもノーラにも話していないことだが、淫紋を無力化する方法はいくつかある。そのうちの一つが、「皮膚ごと淫紋をえぐり取る」。淫紋はあくまで皮膚に刻まれたものらしい。見えている部分を炎で焼き潰すことでも無力化できるそうだ。

 とはいえ歴代の記録の中で、その方法を実行し成功したのはそれぞれ一人ずつ。陣痛を上回る痛みが生じるのだという。

 メリナはもう一度ナイフを握り直した。手汗で柄が滑る。

(床が汚れてしまわないようにいらない端布《はぎれ》を敷いたし、オズウェル様やみんなが誤解しないように手紙も書いた。覚悟を決めて、痛みに声を上げないようにしっかりスカートを噛んで――)

 両手を組むようにナイフを握り、切っ先を淫紋へとあてがった。ちくりと冷たい痛みが肌を刺す。

(淫紋がなくなっても、オズウェル様は私のことを妻として必要としてくれるのかしら)

 ふと疑問がよぎった。

 メリナの見立てでは、淫紋がオズウェルに作用している気配はない。かといってメリナ自身のことを好いていてくれているかはわからない。
 考えたくはないが、なんらかの形で淫紋を利用するために娶《めと》ったという可能性もある。内乱を起こさせるために他国に献上されたという例も過去にあった。

(さすがにそれは、オズウェル様に失礼ね。でも本当は淫紋の影響で気にかけてくださるだけだったら……)

 結婚してから――いや、婚約が決まった時からずっとメリナの心に重くのしかかる疑念が、刃先を鈍らせた。皮一枚だけがわずかに裂け、細い血の線がにじむ。
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