2 / 10
メリナ視点1
メリナside1-2 淫紋とオズウェルとの出会い(回想)
しおりを挟む
元々は「我が子が誰からも愛されますように」という、子を思う純粋な願いだったのだという。
なんの気まぐれか、その願いを神が聞き入れ、バートレット一族の始祖の娘に愛の祝福を授けた。
下腹部に祝福の印を得た娘は、親の願い通りに愛され、やがて幸せな生涯の幕を閉じる。
そこまでは良かった。
以降、愛の祝福はバートレット一族の娘に必ず引き継がれた。
年月を経ることによって祝福は次第に強力になっていき、今や異性であれば誰彼構わず強制的に発情させる災い――淫紋《いんもん》へと変貌していた。
しかしその呪いのおかげで、平民に過ぎなかったバートレット一族は爵位を得るまでになる。
周囲はそれを「色を使った成り上がり」と揶揄《やゆ》し、陰では「卑《いや》しい犬の子の一族」と呼んで蔑《さげす》んでいた。
そんな淫紋を持って生まれてしまったメリナを両親は不憫《ふびん》に思い、呪いを断ってくれる救いの主を探すため、広く見合いの相手を募った。
真に愛し合う者と身も心も一つになれば、印の効力がなくなる――淫紋の継承者たちが残した手記の中に、そういった記述が散見された。抽象的かつ確証はないが、両親はそれにすがった。このままでは屋敷の中で娘を飼い殺すしかなくなってしまう。
見合いには噂を聞きつけた者が殺到したが、まともな対面にはならなかった。
メリナのいる部屋に入った瞬間に、ほとんどの者が淫紋の影響で文字通り腰砕けになり、退出させられる。メリナに対して卑猥《ひわい》な言葉を投げつける者もいれば、興奮のあまり飛びかかろうとする者もいた。
(本当に気持ちが悪い……)
メリナは込み上げてくる吐き気を押さえ込み、微笑を浮かべ続けた。
淫紋に引きずられない強靭《きょうじん》な精神を持つ者を見極めるには、どうしても直接対面する必要がある。「真に愛し合う者」は、少なくとも淫紋に惑わされた偽りの関係ではない。
人を惑わせないように屋敷の奥に引きこもり、息を潜めて生活してきたメリナにはあまりに刺激が強かった。場を設けてくれた両親には申し訳ないが、男性全体に対して嫌悪をいだいてしまいそうになる。
微笑みが仮面のように貼りつき、他の表情に切り替えるのが困難になった頃、その男は現れた。
男が部屋に一歩足を踏み入れた途端、倦《う》んだ空気がぴりっと引き締まったのをメリナは肌で感じた。
その男は、隣国の紋章が刻まれた紺色の礼装軍服に身を包んでいた。長身かつ屈強な身体つきをしており、いかにも軍人然としている。
切れ長の瞳は、紅玉をはめ込んだかのような曇《くも》りのない赤。眼光が鋭く、心にやましいことを抱えていなくとも、一瞥《いちべつ》されるだけで落ち着かなくなってしまう。
艶やかな黒髪はきっちりと後ろに撫でつけられており、彫りが深く雄々しい顔立ちを際立たせていた。
抜き身の刃を思わせる冴え冴えとした美貌の男だが、それ以上に目を引くものを備えていた。
「獣人……」
隣にいる父の呟きがメリナの耳に入る。
男の腰のあたりからは、長い飾り毛に覆われた豊かな尻尾が。頭頂部にはピンと立った三角形の獣耳が生えていた。どちらも髪と同色の毛色をしている。
メリナが狼の獣人を目にしたのはそれが初めてだった。
バートレット伯爵領にはいないというだけで、存在自体は知識として知っている。人間よりも数は少ないが、珍しい種族ではない。隣国には獣人を王に戴《いただ》く国もある。
「カダル帝国シリル州伯オズウェル・シャムスと申します」
耳に心地良いしゃがれた低音で男は名乗った。
たったそれだけのことで、メリナは嬉しくなった。自然と口元に笑みが浮かぶ。貼り付けた仮面の微笑ではなく、心からあふれ出た本当の微笑みだった。
自分の前に立つと、誰であっても男はみんな性欲を剥き出しにした獣になる。
だが、黒い獣人の男――オズウェルは違った。
表情を髪の毛筋ほども動かさず、淡々としている。感情が出やすいとされる尻尾も微動だにしていない。
無愛想とも取れる態度だったが、メリナの目にはとても好ましいものに映った。
この人ならば、淫紋に惑わされず、「私」のことを見てくれるかもしれない。
なんの気まぐれか、その願いを神が聞き入れ、バートレット一族の始祖の娘に愛の祝福を授けた。
下腹部に祝福の印を得た娘は、親の願い通りに愛され、やがて幸せな生涯の幕を閉じる。
そこまでは良かった。
以降、愛の祝福はバートレット一族の娘に必ず引き継がれた。
年月を経ることによって祝福は次第に強力になっていき、今や異性であれば誰彼構わず強制的に発情させる災い――淫紋《いんもん》へと変貌していた。
しかしその呪いのおかげで、平民に過ぎなかったバートレット一族は爵位を得るまでになる。
周囲はそれを「色を使った成り上がり」と揶揄《やゆ》し、陰では「卑《いや》しい犬の子の一族」と呼んで蔑《さげす》んでいた。
そんな淫紋を持って生まれてしまったメリナを両親は不憫《ふびん》に思い、呪いを断ってくれる救いの主を探すため、広く見合いの相手を募った。
真に愛し合う者と身も心も一つになれば、印の効力がなくなる――淫紋の継承者たちが残した手記の中に、そういった記述が散見された。抽象的かつ確証はないが、両親はそれにすがった。このままでは屋敷の中で娘を飼い殺すしかなくなってしまう。
見合いには噂を聞きつけた者が殺到したが、まともな対面にはならなかった。
メリナのいる部屋に入った瞬間に、ほとんどの者が淫紋の影響で文字通り腰砕けになり、退出させられる。メリナに対して卑猥《ひわい》な言葉を投げつける者もいれば、興奮のあまり飛びかかろうとする者もいた。
(本当に気持ちが悪い……)
メリナは込み上げてくる吐き気を押さえ込み、微笑を浮かべ続けた。
淫紋に引きずられない強靭《きょうじん》な精神を持つ者を見極めるには、どうしても直接対面する必要がある。「真に愛し合う者」は、少なくとも淫紋に惑わされた偽りの関係ではない。
人を惑わせないように屋敷の奥に引きこもり、息を潜めて生活してきたメリナにはあまりに刺激が強かった。場を設けてくれた両親には申し訳ないが、男性全体に対して嫌悪をいだいてしまいそうになる。
微笑みが仮面のように貼りつき、他の表情に切り替えるのが困難になった頃、その男は現れた。
男が部屋に一歩足を踏み入れた途端、倦《う》んだ空気がぴりっと引き締まったのをメリナは肌で感じた。
その男は、隣国の紋章が刻まれた紺色の礼装軍服に身を包んでいた。長身かつ屈強な身体つきをしており、いかにも軍人然としている。
切れ長の瞳は、紅玉をはめ込んだかのような曇《くも》りのない赤。眼光が鋭く、心にやましいことを抱えていなくとも、一瞥《いちべつ》されるだけで落ち着かなくなってしまう。
艶やかな黒髪はきっちりと後ろに撫でつけられており、彫りが深く雄々しい顔立ちを際立たせていた。
抜き身の刃を思わせる冴え冴えとした美貌の男だが、それ以上に目を引くものを備えていた。
「獣人……」
隣にいる父の呟きがメリナの耳に入る。
男の腰のあたりからは、長い飾り毛に覆われた豊かな尻尾が。頭頂部にはピンと立った三角形の獣耳が生えていた。どちらも髪と同色の毛色をしている。
メリナが狼の獣人を目にしたのはそれが初めてだった。
バートレット伯爵領にはいないというだけで、存在自体は知識として知っている。人間よりも数は少ないが、珍しい種族ではない。隣国には獣人を王に戴《いただ》く国もある。
「カダル帝国シリル州伯オズウェル・シャムスと申します」
耳に心地良いしゃがれた低音で男は名乗った。
たったそれだけのことで、メリナは嬉しくなった。自然と口元に笑みが浮かぶ。貼り付けた仮面の微笑ではなく、心からあふれ出た本当の微笑みだった。
自分の前に立つと、誰であっても男はみんな性欲を剥き出しにした獣になる。
だが、黒い獣人の男――オズウェルは違った。
表情を髪の毛筋ほども動かさず、淡々としている。感情が出やすいとされる尻尾も微動だにしていない。
無愛想とも取れる態度だったが、メリナの目にはとても好ましいものに映った。
この人ならば、淫紋に惑わされず、「私」のことを見てくれるかもしれない。
11
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説


番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
洗浄魔法はほどほどに。
歪有 絵緖
恋愛
虎の獣人に転生したヴィーラは、魔法のある世界で狩人をしている。前世の記憶から、臭いに敏感なヴィーラは、常に洗浄魔法で清潔にして臭いも消しながら生活していた。ある日、狩猟者で飲み友達かつ片思い相手のセオと飲みに行くと、セオの友人が番を得たと言う。その話を聞きながら飲み、いつもの洗浄魔法を忘れてトイレから戻ると、セオの態度が一変する。
転生者がめずらしくはない、魔法のある獣人世界に転生した女性が、片思いから両想いになってその勢いのまま結ばれる話。
主人公が狩人なので、残酷描写は念のため。
ムーンライトノベルズからの転載です。

触れても伝わらない
河原巽
恋愛
王都から離れた地方で暮らしていた猫の獣人マグラは支部長自らの勧誘を受け、王立警護団第四支部に入団する。
入団初日、支部の詰所で甘い香りを放つエレノアと出会うが、同時に男の匂いをべったりと付けている彼女に苛立ちを覚えるマグラ。
後日、再会した彼女にはやはり不要な匂いが纏わり付いている。心地よい彼女の香りを自分だけのものだと主張することを決意するが、全く意図は通じない。
そんなある日の出来事。
拙作「痛みは教えてくれない」のマグラ(男性)視点です。
同一場面で会話を足したり引いたりしているので、先に上記短編(エレノア視点)をお読みいただいた方が流れがわかりやすいかと思います。
別サイトにも掲載しております。

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

私と運命の番との物語
星屑
恋愛
サーフィリア・ルナ・アイラックは前世の記憶を思い出した。だが、彼女が転生したのは乙女ゲームの悪役令嬢だった。しかもその悪役令嬢、ヒロインがどのルートを選んでも邪竜に殺されるという、破滅エンドしかない。
ーなんで死ぬ運命しかないの⁉︎どうしてタイプでも好きでもない王太子と婚約しなくてはならないの⁉︎誰か私の破滅エンドを打ち破るくらいの運命の人はいないの⁉︎ー
破滅エンドを回避し、永遠の愛を手に入れる。
前世では恋をしたことがなく、物語のような永遠の愛に憧れていた。
そんな彼女と恋をした人はまさかの……⁉︎
そんな2人がイチャイチャラブラブする物語。
*「私と運命の番との物語」の改稿版です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
リス獣人のお医者さまは番の子どもの父になりたい!
能登原あめ
恋愛
* R15はほんのり、ラブコメです。
「先生、私赤ちゃんができたみたいなんです!」
診察室に入ってきた小柄な人間の女の子リーズはとてもいい匂いがした。
せっかく番が見つかったのにリス獣人のジャノは残念でたまらない。
「診察室にお相手を呼んでも大丈夫ですよ」
「相手? いません! つまり、神様が私に赤ちゃんを授けてくださったんです」
* 全4話+おまけ小話未定。
* 本編にRシーンはほぼありませんが、小話追加する際はレーディングが変わる可能性があります。
* 表紙はCanvaさまで作成した画像を使用しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる