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第七章 次代のタイクーン

エピローグ3 ヴィクラム

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「突然呼びつけてしまって悪かったのう、お嬢ちゃん」

 ヴィクラムに案内された場所で、一人の白髪の男が待っていた。
 ここに来る前、総隊長がお前に会いたがっている、と言っていたので、おそらく目の前にいるこの白髪の男が羅刹の総隊長なのだろう。

(これがアホ集団羅刹の筆頭。かつて剣聖と呼ばれたただのエロ爺か)

 サヴィトリは不躾に、白髪の男を観察する。
 一見すると親しみやすい爺さん、といった感じだが、鎧を着こんでいるのかと思うほど胸板は厚く、腕や首などは体格の良いヴィクラムよりも更に太い。

「……サヴィトリ、できれば人物評は声に出さないでくれ」

 気まずそうに咳払いをし、ヴィクラムが言った。
 どうやらサヴィトリは無意識のうちに、アホ集団だの、エロ爺だのを口に出してしまっていたらしい。

「いや、構わんよ。あのひねくれたクリシュナに育てられたとは思えんほど素直なお嬢ちゃんじゃ」

 サヴィトリの暴言など気にした風もなく、総隊長はからからと大声で笑う。

「おお、そうじゃ。まだ名乗っていなかったのう。ワシはドゥルグという。不本意ながら、羅刹総隊長を務めておる。ご覧の通りの老骨ゆえ、そろそろ将来有望な若人に後を譲りたいんじゃがのう」

 ドゥルグはいわくありげな視線をヴィクラムにむける。
 ヴィクラムは喉に手を当て、露骨に顔を背けた。

「初対面にもかかわらず、失礼なことを言ってしまいすみません。私は、サヴィトリと申します。師匠――クリシュナと知り合いなんですか?」
「ワシ相手に、そんなにかしこまらんでもよいて。クリシュナとは、まぁ、悪友というやつじゃ。奴は元大師――ようはこの国のお偉いさんでのう。昔から職務もろくにせんで、ハリの森に引きこもっておったが」

(クベラの関係者だったんだ、師匠)

 母・ラトリと知り合いだったとは聞いていたが、そんな重要な役職についていたとは初耳だ。
 カイラシュの説明では、確か大師はタイクーンに次ぐ要職。自分の養父ながら、あんな甲斐性のない引きこもりに職務が務まったとは思えない。

「今日来てもらったのは、お嬢ちゃんに一言謝りたくてのう。本来ならばワシが出向くところじゃが、羅刹の長がとある良家の子女を訪ねては、何かと騒ぐ奴もおる」
「はぁ……」

 ドゥルグが何を言いたいのか、サヴィトリは要領を得ない。視線でヴィクラムに尋ねてみても、横に首を振っただけだった。

「遠征で不在だったとはいえ、十七年前、何もできずに申し訳ありませんでした、殿下」

 ドゥルグは口調を改め、深く頭をさげた。

「幼子一人救えんで何が剣聖か。この十七年、殿下のことが気がかりでした。なぜクベラに参られたかは存じませぬが、総隊長ドゥルグ以下、羅刹は殿下に尽くしましょう」
「い、いや、その、ドゥルグさんこそそんなに改まらなくても……ヴィクラムからも何か言ってくれないか」

 どうしていいのかわからないサヴィトリは、ヴィクラムに助けを求める。

「総隊長、今日は珍しく真面目ですね。何か企んでおられるのでしょうか?」

 ヴィクラムは眉間に皺を寄せて尋ねた。

「ヴィクラム……それはちょっとひどいと思うんだけど」
「総隊長はそういうお方だ」
「……嫌な部下じゃのう。それじゃあワシ、通常営業に戻しちゃうもんね~じゃ」

 ドゥルグは年甲斐もなく頬を膨らませ、唇をとがらせる。

「お嬢ちゃん、この前お泊りした時、こやつはどうじゃった? ワシの予想では意外と大したことないと思うんじゃ。確かにナニはでかいかもしれんが、何より肝心な思いやりに欠けておる。どうせ独りよがりなえ――」
「誰がそこまで態度を軟化させろと言いましたか!」

 珍しくヴィクラムが声を荒げる。

「だってだってー、節操なしのラムちゃんが初めて彼女を連れて来てくれたんじゃもん。イロイロ根掘り葉掘り穴掘り聞きたくなるのが人情ってもんじゃろ」

 ドゥルグは頬を赤らめ、デスクの上に指でのの字を延々と描く。

(やっぱりアホだこの爺さん)

 サヴィトリは顔が引きつるのを抑えられない。

「総隊長、サヴィトリは彼女ではありません。それに、もし仮にそういった相手ができたとしても、総隊長に紹介などしません」
「いじわるじゃのういじわるじゃのういじわるじゃのう! 老い先短いワシに、ち~っとくらい娯楽を提供してくれたっていいじゃろ。ケチケチケチ! それに、ヴィクラムよ。おぬし、このお嬢ちゃんが誰なのか知っていて、名前を呼び捨てにしておるな? それこそ二人が特別な関係である証拠に他ならぬ! さぁ、白状せい白状せい白状せい!」
「それは、彼女が敬われるのを好まないと言ったので……」

 ドゥルグの気迫に押され、ヴィクラムはじりじりと後退していく。さすがのヴィクラムでも、総隊長相手には強く出られないようだ。

「あのー、私そろそろ帰ってもいいでしょうか?」

 これ以上ここにいても面倒なことにしかならない、と判断したサヴィトリは、控えめに許可を求める。

「いやいや、この後は若い二人だけでしっぽりねっぷりどっぷり。ワシは、アレアレアレ、ラムちゃんが恋人連れて来た記念で祝杯をあげるために樽酒を買ってこにゃならん。それじゃ、お嬢ちゃん。また気軽に遊びに来とくれ!」

 ドゥルグは一方的にまくし立てると、脱兎以上に機敏な動きで部屋から出て行ってしまった。

(やっぱりクベラは変な人が多いな……)

 サヴィトリは疲れたように息を吐く。

「すまない。悪ふざけが好きな人でな」

 ヴィクラムも同じように、ドアの方を見てため息をついていた。

「大丈夫、今まで悪ノリと悪ふざけが生きがいな人に育てられてたから」

 類は友を呼ぶというか、ドゥルグがクリシュナの友達というのには納得がいく。二人が揃ったら色んな意味で厄介だろう。

「なら、いいが。あと、口調はこのままでいいのか?」
「ん?」
「後継となることをタイクーンに伝えたのだろう。ただ血を引いているだけの娘ならばまだしも、正統な次期タイクーンとあらば話は違ってくる」

 自分との間に線を引くような言葉だった。決して仲が良いわけではないが、サヴィトリは急にヴィクラムと距離を感じ、少し悲しくなった。

「……必要なら、そうしてくれ。でもできれば、タイクーンになるまで、今と同じように接してほしい」

 ややうつむき気味にサヴィトリは言った。なぜかヴィクラムの顔を見ては言えなかった。
 サヴィトリの頭が、大きな手によって撫でられる。こわごわとサヴィトリが顔をあげると、柔らかく微笑むヴィクラムが見えた。

「わかった。今まで通り接するとしよう。それにしても、お前がしおらしいと妙な気を起こしてしまいそうだ」
「妙な気?」

 サヴィトリが聞き返すと、答えの代わりにヴィクラムの手が動いた。すべり落ちるように髪を撫で、形を確かめるように指の腹で耳の付け根あたりをなぞる。
 得体の知れない感覚に襲われ、サヴィトリが声にならない吐息を漏らしている間に、ヴィクラムの指は顎のラインを這い、おとがいを押しあげる。

「やはり、ちゃんと女に見える」

 ヴィクラムは触れるぎりぎりまで顔を近づけ、不思議そうに呟いた。

「なんの、つもり……?」

 サヴィトリは視線をそらし、か細い声で聞き返す。意図せず熱を持ってしまった顔を隠したかったが、ヴィクラムの力が思いのほか強く、顔を動かせない。

「なんのつもりもなかったんだが、な」

「隊長が!」
「隊長が!」
「あの隊長が!」
『同じ女は二度抱かないと豪語してはばからないあの隊長が!』

「羅刹執務室で!」
「羅刹執務室で!」
「よりにもよって羅刹執務室で!」
『奥に回転するピンクベッドがある羅刹執務室で!』

「ちゅーした!」
「キスした!」
「口吸った!」
「ナイスヴェーゼ!」
『続きはどうするどうするどうする!?』

「『続きはWEBで』はもう飽きた!」
「立ち合いは強く当たって、あとは流れでお願いします!」
「俺達そろそろもう息切れ!」
『とにもかくにもおめでとうございまーす!!』

 無数の拍手と共にわーっという大きな歓声があがった。
 サヴィトリとヴィクラムは、頭痛を伴うひどいデジャヴに襲われる。

「やはり羅刹伝統のコールは血がたぎるのう」

 紙吹雪をまき散らす隊士の中に、ドゥルグの姿もあった。

「総隊長も一緒になって何をしているのですか!!」

 額に青筋を浮かべたヴィクラムが厳しく怒鳴りつける。

「ナニしたのはそっちのほうじゃろ!」
「ナニも何もまだしていません!」
「ほぼイキかけておったじゃろうが!」
「人聞きの悪いことを仰らないでください!」
「ならば久々に剣で語り合いでもするかの。このドゥルグ、老いて益々盛んよ」
「このような形で手合せしていただくことになるとは非常に不本意ですが、光栄です、剣聖」

(……あのまま、どうするつもりだったんだろう)

 サヴィトリは近くにいた適当な隊士を凍らせ、その氷像で頬の熱を冷やす。

「さすが隊長の彼女だけあってクレイジーだな……」
「しっ! 目が合うと問答無用で凍らされるぞ!」
「あ、彼女がっつりこっち見てまーす」

(まだ熱いな、顔)

 サヴィトリは頬に手を当て、ぼんやりとヴィクラムを見つめた。
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