1 / 54
第一章 災厄の子
プロローグ
しおりを挟む
目が痛くなるほど青い空だった。その青さをやわらげるように、ちぎったわた飴に似た薄い雲がゆっくりと流れていく。
体当たりをするように、建てつけの悪くなったドアを開けると、小さな女の子は全力で走った。とがった草や砂利が裸足に痛い。
だが、靴をはきに戻っている暇はなかった。追いかけなければならない背中はどんどん遠ざかっていく。
涙が出そうになるのを手のひらで強くこすってごまかし、女の子は黒い綿のズボンに飛びついた。何があっても離れないように、ぎゅっと手足を絡ませる。
足にかかる重さに、少年は仕方なく立ち止まった。
「君、何してるの」
穏やかな春の空と同じ髪の色をした少年は、自分の足にへばりつく女の子をにらみつけた。
「ついていく」
簡潔に答えると、女の子は短い手足にいっそう力をこめた。
歳の離れた兄のような少年は、「クベラ」という遠い北の国に行ってしまうらしい。
あれこれこういう理由だからと説明してもらったが、女の子には理解できなかった。
それよりも理由がなんであれ、少年と離れて暮らすということ自体が受け入れられない。これからは一体誰が料理を作ったり、掃除や洗濯をしたり、自分と一緒に遊んだり出かけたりしてくれるのだろう?
少年は前髪をかきあげると、こっそりとため息をつく。
「師匠――クーお父さんに大きなお菓子の家を作ってもらう、ってことで納得したんじゃなかったっけ? それに、君がついてきたらあの甲斐性なしがひとりになるだろう。きっと、三日とたたずに干からびるよ」
諭すように言い、少年は女の子の金色の柔らかな髪を撫でた。
だが、女の子はいやいやと首を振る。
「じゃあじゃあ、クーおとうさんもいっしょ」
「絶対にお断りだ」
少年は間髪入れず彼女の申し出を却下する。
――このままでは埒があかない。
そう判断した少年は、力ずくで女の子を足から引きはがした。
ちゃんと自分の足で女の子を立たせ、目線を合わせるためにその場にしゃがみこむ。
女の子はせまい眉間に皺を寄せ、何かをこらえるように口を引き結んだ。赤くふっくらとした頬はぷるぷると震え、緑色の大きな瞳は溜まった涙でうるうると揺らいでいる。
再び、少年はこっそりと息を吐き、力を抜いてやるように女の子の小さな頭をぽんぽんと撫でた。
女の子は、ぶんぶんと音がするほど首を左右に振り、まばたき一つせず少年の顔をじっと見つめる。少しでも目蓋を動かせば、涙が押し出されてしまいそうだった。
「……サヴィトリ、僕は聞きわけのない子は嫌いだよ?」
少年はわずかに語気を強め、女の子の頬を両手ではさみこんだ。怒っているというアピールのために、弾力のある赤い頬を軽く押し潰す。そのせいで、薄く小さな唇がくちばしのようにとがった。
間の抜けた女の子の顔を見て、少年は思わず吹き出してしまう。
サヴィトリと呼ばれた女の子は涙を引っこませ、握り拳で少年を殴りまくる。
殴り方を知らない子供の攻撃は、骨の出っ張りがかすったりなどしてかえって痛い。
少年はまぁまぁとサヴィトリを押しとどめながら、背負っていた荷物を地面におろした。注目をそらすように少しわざとらしく中身をあさった。
ほどなくして、少年は空色の石がはまった銀の指輪を取り出す。色などは違うが、少年が右手の中指にしている指輪と同じデザインの物だった。
「なあに、それ」
指輪を見とがめたサヴィトリはぴたりと攻撃をやめ、少年の髪と同じ空色の石に熱い視線を送る。
問いかけに答えず、少年はサヴィトリの幼い左手を取った。
人差し指から小指まで順に指先で軽く押していく。
「突然だけど、どの指がいい?」
「? えっと、まんなかー。いちばん長いゆびー」
少女はちょっと首をかしげ、左手の中指を動かす。
「はいはい」
少年は微笑み、サヴィトリの中指に指輪を通した。
短くぷくぷくとした指にその指輪は大きく、ぶらさがってゆらゆら揺れる。
指輪を落とさないように、少年はサヴィトリの手を握らせた。
「そうだな……その指輪がちゃんと似合うようになるくらい。だいたい、十年かな。十年たって君のもらい手が誰もいなかったら、公共の福祉のために僕が尊い犠牲者となって、仕方なく君をもらってやってもいい。いいか、仕方なく、だ。――だから、ついてくるなんて馬鹿なことは言わないように」
少年は真面目な顔を作り、サヴィトリの額を指先でつついた。
サヴィトリは額をさすり、自分の中指にある指輪を見た。
しっかり握り締めていないと、すぐに落ちてしまう。
次に、少年の顔を見る。
サヴィトリは大きくうなずいた。
「うん、いかない。ギセイシャになって」
「嬉しそうに言う台詞じゃあないんだけど……」
少年は困ったように笑い、再びサヴィトリの頭を撫でた。
体当たりをするように、建てつけの悪くなったドアを開けると、小さな女の子は全力で走った。とがった草や砂利が裸足に痛い。
だが、靴をはきに戻っている暇はなかった。追いかけなければならない背中はどんどん遠ざかっていく。
涙が出そうになるのを手のひらで強くこすってごまかし、女の子は黒い綿のズボンに飛びついた。何があっても離れないように、ぎゅっと手足を絡ませる。
足にかかる重さに、少年は仕方なく立ち止まった。
「君、何してるの」
穏やかな春の空と同じ髪の色をした少年は、自分の足にへばりつく女の子をにらみつけた。
「ついていく」
簡潔に答えると、女の子は短い手足にいっそう力をこめた。
歳の離れた兄のような少年は、「クベラ」という遠い北の国に行ってしまうらしい。
あれこれこういう理由だからと説明してもらったが、女の子には理解できなかった。
それよりも理由がなんであれ、少年と離れて暮らすということ自体が受け入れられない。これからは一体誰が料理を作ったり、掃除や洗濯をしたり、自分と一緒に遊んだり出かけたりしてくれるのだろう?
少年は前髪をかきあげると、こっそりとため息をつく。
「師匠――クーお父さんに大きなお菓子の家を作ってもらう、ってことで納得したんじゃなかったっけ? それに、君がついてきたらあの甲斐性なしがひとりになるだろう。きっと、三日とたたずに干からびるよ」
諭すように言い、少年は女の子の金色の柔らかな髪を撫でた。
だが、女の子はいやいやと首を振る。
「じゃあじゃあ、クーおとうさんもいっしょ」
「絶対にお断りだ」
少年は間髪入れず彼女の申し出を却下する。
――このままでは埒があかない。
そう判断した少年は、力ずくで女の子を足から引きはがした。
ちゃんと自分の足で女の子を立たせ、目線を合わせるためにその場にしゃがみこむ。
女の子はせまい眉間に皺を寄せ、何かをこらえるように口を引き結んだ。赤くふっくらとした頬はぷるぷると震え、緑色の大きな瞳は溜まった涙でうるうると揺らいでいる。
再び、少年はこっそりと息を吐き、力を抜いてやるように女の子の小さな頭をぽんぽんと撫でた。
女の子は、ぶんぶんと音がするほど首を左右に振り、まばたき一つせず少年の顔をじっと見つめる。少しでも目蓋を動かせば、涙が押し出されてしまいそうだった。
「……サヴィトリ、僕は聞きわけのない子は嫌いだよ?」
少年はわずかに語気を強め、女の子の頬を両手ではさみこんだ。怒っているというアピールのために、弾力のある赤い頬を軽く押し潰す。そのせいで、薄く小さな唇がくちばしのようにとがった。
間の抜けた女の子の顔を見て、少年は思わず吹き出してしまう。
サヴィトリと呼ばれた女の子は涙を引っこませ、握り拳で少年を殴りまくる。
殴り方を知らない子供の攻撃は、骨の出っ張りがかすったりなどしてかえって痛い。
少年はまぁまぁとサヴィトリを押しとどめながら、背負っていた荷物を地面におろした。注目をそらすように少しわざとらしく中身をあさった。
ほどなくして、少年は空色の石がはまった銀の指輪を取り出す。色などは違うが、少年が右手の中指にしている指輪と同じデザインの物だった。
「なあに、それ」
指輪を見とがめたサヴィトリはぴたりと攻撃をやめ、少年の髪と同じ空色の石に熱い視線を送る。
問いかけに答えず、少年はサヴィトリの幼い左手を取った。
人差し指から小指まで順に指先で軽く押していく。
「突然だけど、どの指がいい?」
「? えっと、まんなかー。いちばん長いゆびー」
少女はちょっと首をかしげ、左手の中指を動かす。
「はいはい」
少年は微笑み、サヴィトリの中指に指輪を通した。
短くぷくぷくとした指にその指輪は大きく、ぶらさがってゆらゆら揺れる。
指輪を落とさないように、少年はサヴィトリの手を握らせた。
「そうだな……その指輪がちゃんと似合うようになるくらい。だいたい、十年かな。十年たって君のもらい手が誰もいなかったら、公共の福祉のために僕が尊い犠牲者となって、仕方なく君をもらってやってもいい。いいか、仕方なく、だ。――だから、ついてくるなんて馬鹿なことは言わないように」
少年は真面目な顔を作り、サヴィトリの額を指先でつついた。
サヴィトリは額をさすり、自分の中指にある指輪を見た。
しっかり握り締めていないと、すぐに落ちてしまう。
次に、少年の顔を見る。
サヴィトリは大きくうなずいた。
「うん、いかない。ギセイシャになって」
「嬉しそうに言う台詞じゃあないんだけど……」
少年は困ったように笑い、再びサヴィトリの頭を撫でた。
0
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
【旧版】パーティーメンバーは『チワワ』です☆ミ
こげ丸
ファンタジー
===================
◆重要なお知らせ◆
本作はこげ丸の処女作なのですが、本作の主人公たちをベースに、全く新しい作品を連載開始しております。
設定は一部被っておりますが全く別の作品となりますので、ご注意下さい。
また、もし混同されてご迷惑をおかけするようなら、本作を取り下げる場合がございますので、何卒ご了承お願い致します。
===================
※第三章までで一旦作品としては完結となります。
【旧題:異世界おさんぽ放浪記 ~パーティーメンバーはチワワです~】
一人と一匹の友情と、笑いあり、涙あり、もう一回笑いあり、ちょこっと恋あり の異世界冒険譚です☆
過酷な異世界ではありますが、一人と一匹は逞しく楽しく過ごしているようですよ♪
そんなユウト(主人公)とパズ(チワワ)と一緒に『異世界レムリアス』を楽しんでみませんか?(*'▽')
今、一人と一匹のちょっと変わった冒険の旅が始まる!
※王道バトルファンタジーものです
※全体的に「ほのぼの」としているので楽しく読んで頂けるかと思っています
※でも、時々シリアスモードになりますのでご了承を…
=== こげ丸 ===
Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-
甘酒
ファンタジー
魔女によって全身に棘と激痛がはしる呪いをかけられた王女サヴィトリは、呪いを解き元凶の魔女を倒すために四人の護衛と共に旅をしていた。
魔女配下の魔物の妨害や、過保護すぎる護衛の精神攻撃やアプローチを退け、解呪の泉があると噂される村ヴァルナへと訪れる。
しかし村についた途端、異様な雰囲気の集団に取り囲まれてしまい……。
宿敵の魔女との因縁を断つために奔走する武闘派王女の冒険譚。
コメディ寄りの逆ハーレム異世界恋愛ファンタジーです。
8/28完結しました。ありがとうございます!
※物語中盤以降ごく一部にR15/R18相当の過激描写(★付き部分)があります。
※八章にあたる部分から「紫苑の章」と「空色の章」に分岐します。大まかな流れは変わりませんがメインヒーローが異なります。タイトルが同じ部分は内容一緒です。
※なんちゃってファンタジーなのでメートル法や日本料理や地球由来の物が節操なく出てきます。
前作はこちら
Tycoon0-災厄王女が初恋の人に会いに行ったら残念イケメンに囲まれた上に天災魔女にも目をつけられました-
https://www.alphapolis.co.jp/novel/122318669/469778883
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる