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第1話

始まり(3)

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 道場の隣にある自宅の庭で、アーチはロウルと並んで焼き魚を食べていた。こんがりと焼けた皮に齧りつくと、ほくほくとした白身から油が沁み出し、焼くときに振りかけた塩と混ざり合い得も言われぬ旨味を生み出していた。

「うん、うまい」

「それはよかった」

 アーチは魚一匹をぺろりと平らげると、桶からもう一本取り出し齧りつく。

 黙々と食事をするアーチたちの前には小さな池や植木が鎮座している。デフトンの生まれ故郷である遠い東方の国の庭を再現しているらしい。庭だけでなく家や日用品もその国のものに近い作りにしているのだという。魚の串焼きも、ロウルがデフトンから教わったものだった。

「あ、この魚生焼けだ」

 ひと口齧ると断面から生の身が覗いていた。

「本当? じゃあ焼き直そうか」

 ロウルはポケットから手のひらサイズのプレートを取り出した。プレートの中心には赤い石が嵌め込まれていて、その石を撫でると瞬時に着火。魚を上にかざすと生焼けの部分がじりじりと焼かれていった。

「魔法ってほんと便利だよねー」

「ここは田舎のわりにワーフィーポールから近いから、出力も安定してるしね」

「……どういうこと?」

 ロウルは驚いたような呆れたような、複雑な顔をした。

「それ本気で言ってる? 魔法の仕組みくらい子供でも知ってると思うんだけど」

「悪かったな子供以下で。じゃあせっかくだからロウルせんせーの魔法の授業を聞いてあげようかなぁ~」

 ほどよく焼けた魚を齧り皮肉な笑みを浮かべるアーチ。ロウルはプレートを振って火を消す。それから「うーん」と唸りながら語り出した。

「海の向こうに大きな柱みたいなのがあるでしょ? あれは世界中色んなところにあって、ワーフィーポールって呼ばれてる。あそこからは特殊な力が発せられているのがわかっているんだ。その力は魔力と言って、特定の鉱石に反応するんだ。それがこの魔石」

 ロウルはプレートに嵌る石を指でコンコンと突く。

「魔石はワーフィーポールから発せられる魔力を受信する。その魔石を何かしらの道具や武器に動力源として組み込むことで特殊な力──魔法を使えるようになるんだ。魔法を用いる道具や武器のことを通称マジェットと呼ぶ。僕らはマジェットを介して魔法を使うことで、便利な暮らしができてるってこと。ちなみにこれは小さな火を起こすためのマジェット」

 再びプレートの魔石を撫でて着火し、すぐに振って消火した。

「……こんな感じでどうかな?」

 長めに喋ったロウルがふうと息を吐きながら締めた。

「あーなるほどー」

 アーチは魚を食べながら、わかったのかわからないのか棒読みの返事をした。

「デフトンさんの苦労が少しわかった気がするよ」

「てか、あの人」

 アーチは流れをぶった切って唐突に切り出した。

 まださっきの来客のことが気になっていたのだ。

「ん? ああ、さっきのお客さん?」

「お父さんになんの用なんだろ」

「さあ。珍しいよね、村の外からなんて」

 村の外からやってくるのは道場の門下生がほとんど。あとは定期的に訪れる行商人くらいなもので見知らぬ異邦人の来客はかなり珍しかった。

 とはいえ父は剣術道場の師範なのだ。それだけの剣術をザブン村の中だけで磨いたわけではないだろう。ましてや父こそもともとは異邦人だったのだ。ザブン村は母の故郷だ。ならば村の外で同等の実力を持った武術家と親交があってもおかしくはない。

 思えばアーチは親について知らないことが多かった。父と母は村人たちから慕われていた。尊敬されていると言っていもいい。村長すら両親に対してはへりくだった態度を見せる。でも何故そんなに尊敬されているかは知らなかった。母のアンジェルも父同様剣術に長けていたが、剣の強さだけが理由ではないと思っていた。

 昔アンジェルに訊いてみたこともあったが、曖昧にはぐらかされるだけで詳しいことは教えてもらえなかった。デフトンも過去のことについては口をつぐむことが多かった。

 来訪者はそんな両親の過去に関わりがあるかもしれないのだ。

「道場破りとかだったらウケるけど」

「あはは」

 ロウルが乾いた愛想笑いをすると、魚を食べる手が凍り付いたように止まり硬直した。

「どうしたのロウル」

「デフトンさんの知り合い……村の外からの……友? もしかして……」

「ロウル? なんかわかっ」

 アーチの問いかけは突然の轟音に掻き消された。何かが爆発したような、派手な破砕音だった。

「何っ!?」

「魔獣だ! 魔獣が出たぞぉ!」

 外から村人の叫び声と悲鳴が聞こえてきた。

 アーチは声を聞くやいなや外へと駆け出していた。

 そこにいたのは異形の獣。橙色の体毛に紫のたてがみを生やした獅子型の獣が村を蹂躙していた。人間の三倍ほどの巨大な体躯に鋭い爪、大きく湾曲した角も生えている。吊り上がった目は血走り、唾液を垂らす口元から覗く牙が獰猛さを顕示していた。

 魔獣。野生生物がワーフィーポールから発せられる魔力の影響を著しく受け変質した異形の怪物。アーチは村の外で出現したのを何度か見かけたことはあったが、これほど巨大な魔獣を見るのは初めてだった。

 魔獣は家を破壊していた。足元には残骸が散らばり、その中に逃げ遅れた老婆が倒れていた。老婆に気付いた魔獣が、喉を鳴らして近付いていく。

「マズい!」

 アーチは咄嗟に足元に転がっていた石を拾い上げる。

「アーチ! 危険だ!」

 ロウルが警告した頃には遅かった。

 アーチは石を全力で投げつけ、魔獣の横っ腹に命中した。凶暴な眼光がアーチを捉える。

「こっちだデカブツ! かかってこい!」

 アーチは魔獣を挑発してから走り出した。

「グオオオオッ!」

 異形の獅子が低い唸り声を上げながら獲物を追いかける。

「アーチ! きみはどうする!」

「どうしよおおおおおおおお!」

 間抜けな叫びが潮風にさらわれていく。囮になったはいいものの、そこから先は考えていなかった。とにかく走る。逃げる。走る。

 逃げ込んだ先は海だった。建物もなく今は人もいないのでここなら被害が出ることはない。だがアーチ自身は追い込まれていた。海に飛び込んだところで追いかけてこないとは限らない。仮に追いかけてこなかったとしても、その場合は結局魔獣が村に引き返していくだけだ。かといってアーチに魔獣を退治できるだけの力はない。武器すら持っていないのだ。

「ヤバいヤバいヤバいっ!」

 魔獣がアーチのすぐ背後まで迫る。鋭い爪が振り下ろされた。

 アーチは横に飛び退き寸でのところで回避。爪が砂浜に突き立てられ、盛大に砂が巻き上がる。その衝撃の余波でアーチは吹き飛ばされた。

「ああっ!」

 砂まみれになり倒れ伏すアーチ。眼前には獲物を仕留めんとする獣が近付いてくる。口内から覗く牙がギラリと光る。

 ──あ、これ詰んだわ。

 アーチの脳裏に死の予感がよぎる。

 まだ何もしていないのに。

 何もできていないのに。

 ──お母さん。

 その時。

 キラキラ──と。

「……何?」

 光がアーチの目の前で舞う。

 光の筋を目で追っていく。その先には小さな、人。

 人間を縮小した人形。人形に透明な翅が生えている。いや、人形ではない。生きている。人形のような少女が宙を舞っていた。光は美しい翅が降らしていた。

 あれは──。

「フェアリー族……?」

 この世界には人間以外にも様々な種族が存在する。そのうちのひとつがフェアリー族だ。話には聞いたことがあったが、アーチは実物を見るのは初めてだった。

 フェアリー族の少女は魔獣の鼻先をくるくると飛び回る。魔獣は鬱陶しそうに首を振って払おうとするが、一向に離れようとはせず執拗に付きまとってくる。もはやアーチのことなど忘れて邪魔者に気を取られていた。

「ほらほら、こっちよ!」

 少女が誘いながら大きく旋回する。魔獣は光の軌道を追って背後を振り返った。

 そこには道場を訪れたあの男が立っていた。

 新たな獲物を見つけた魔獣が咆哮を上げながら突進してくる。男は冷静に鞘から剣を引き抜き、切っ先を正面に向ける。

 凶悪な鋭い爪が振り下ろされる。男は剣を横に構えて爪の攻撃を受け流す。続けざまにもう片方の爪の追撃がくる。それを剣で弾き返すと、剣が根元からバキリと折れてしまった。

「ダメっ!」

 アーチは思わず叫んだ。

「問題ない」

 男は折れた剣を捨てる。魔獣が男を噛み殺そうと大口を開け接近する。だが男は逃げるどころか、前進した。

 姿勢を低くして魔獣の懐に入り込み、

「ヌンッ!」

 拳をどてっ腹にぶち込んだ。

「グォオッ!?」

 魔獣は見事に吹き飛び、綺麗な放物線を描いて海に放り出される。着水すると大きく飛沫が上がり、再起することなくそのまま水面に沈んでいった。

「すっご……」

 巨体が海に消えていくのを呆然と眺めながら、アーチの口から感嘆の声が漏れる。

 一撃。並大抵の人間に出来ることではなかった。

「あなた怪我はない?」

 フェアリーの少女がアーチのもとに飛んでくる。雲のようにふわふわと軽やかな桃色の髪、髪と同色の瞳、明るい緑のレオタード風の服。まさしく人形のような愛らしい姿をしていた。

「あ、うん。ありがとう」

「アーチ! 無事かっ!」

 血相を変えたデフトンが転がるように駆けてきた。デフトンのうしろについてきていたロウルが、生還したアーチを見てふうと安堵の溜息を吐いた。

 アーチは砂を払いながら立ち上がる。

「お父さん説明してよ……色々とさ」

 村の外からの突然の来客と魔獣の襲撃。良くも悪くも何も起こらない平和なザブン村が、やにわに色めき立ってきた。

 翡翠色の目が砂浜にいる全員を見渡す。

 謎の来訪者とフェアリー族の少女。かつてないほど深刻そうな顔をした父親。心配そうに見つめる幼馴染。どれも今までの人生で初めて目にするものだった。

 それぞれがそれぞれの心持ちで互いを見つめる。

 遥か遠くに突き立つワーフィーポールが、それらすべてを睥睨する。

 ざわざわと。

 未だ胸騒ぎが治まらない。

 何がなんだかわからないことだらけだ。

 けれどひとつだけ確かなことがある。

 この平和な世界で。

 ──何かが起ころうとしていた。
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