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第1話

始まり(1)

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 雲ひとつない快晴の空。突き抜けるような青空の中に、太陽が白く燦々と輝いている。撫でるような優しいそよ風が吹き、遠くからは穏やかな波音も聞こえてくる。

 ザブン村。海に面した小さな田舎村。温暖な気候に恵まれ、今日も今日とて村はいつものように温かな日差しに包まれていた。

 そんなのどかな晴天の下に、ばたばたと騒がしい足音が響く。

「アーチ! アーチはどこだぁ!」

 デフトン剣術道場。看板が掲げられた門から、ひとりの男が大股で飛びだしてきた。藍色の道着を着た壮年の男──デフトンは眉間には深い皺が刻み、険しい表情で左右を見渡す。しかし目当ての人物は見当たらない。

「あいつめ、今日も稽古をサボるつもりか」

 デフトンは口回りに鬱蒼と生えた髭を掻きながら溜め息をつく。
 そこに釣竿を持った青年が通りがかった。

「デフトンさん、こんにちは」

「おおロウルくん。うちのバカ娘を見なかったか?」

「アーチですか? それなら海にいましたよ」

 ロウルと呼ばれた青年が答えると、デフトンはがくり肩を落とし額を押さえた。

「また海か。毎日毎日よく飽きないものだ」

「師範、そろそろ……」

 門の向こうから木刀を持った門下生のひとりがおずおずと声をかけてきた。さらにその奥、道場の入り口からもほかの門下生たちが野次馬となって群がっている。そろそろ稽古が始まる時間だった。デフトンは門下生に「わかっている」と返しながらも、娘のことを連れ戻したがっている様子も伺えた。

「よかったら僕が呼びに行きましょうか」

「行ってくれるか。助かる。ではそちらは頼むよ」

 デフトンはそう言うと門をくぐる、とその前に一旦立ち止まりロウルに向き直った。

「急かすようで悪いが、できれば急いでくれよ」

 そう釘を刺すと、デフトンは門下生を引き連れ今度こそ道場の中へと消えていった。朴訥とした青年が常人よりもかなりのんびりとした気質であることを、デフトンは良く知っていた。

 ひとり残されたロウル。海へ引き返そうとすると、腰に下げていた魚籠の中でさっき海で釣りあげたばかりの魚たちがビチビチと暴れだした。外に飛び出していきそうな暴れっぷりで、ロウルは魚籠を押さえつつしばらく空を見上げ決断した。

「……魚置いてきてからでいいか」

 こうして剣術師範の懸念は見事に的中したのだった。




     ◆




「ん~っ。最っ高~!」

 白い砂浜に小麦色の肌が映える。さらに上下に分かれた純白の水着がそれをより強調させ、健康的な美しさを演出していた。

 引き締まった肉体は、木材と布でできた折り畳み式のビーチチェアに横たわっていた。大きく伸びをしてから体を起こし、かけていたサングラスを上げる。

 褐色金髪のギャル──アーチが、太陽の眩さに目を細めながら晴れやかな笑みを浮かべた。

「今日もいい天気だわ~。マジ最高」

 剣術師範の一人娘は稽古をサボったことをうしろめたく思う様子もなく、砂浜で日光浴を満喫していた。翡翠色の瞳の先にあるのはどこまでも広がる海と空の青。のどかで平和な日常の風景。

 そして水平線のただ中に、異様な突起物が突き立っていた。

 ワーフィーポール。世界支柱とも呼ばれる巨大な建造物。二本の柱が螺旋状に絡み合うことで一本の柱を形成していて、螺旋の内側では虹色の燐光が常に灯っている。

 それは遥か昔から世界各地に点在しており、曰く地形を安定させるための杭や、神がその威光を示すための槍など様々な説が囁かれているが、実際のところは未だ謎のままである。

 しかし大抵の人類にとってのワーフィーポールは、生まれてからずっと当たり前に存在しているものなので、わざわざそれに対して疑問に思う者は皆無だった。当然アーチも不可思議な柱のことなど気にしたことはない。

 アーチが今もっとも気にするべきことは肌の焼け具合だった。

「よしよし、いい感じに焼けてる。やっぱ定期的に焼かないと気持ちアガんないよねぇ~」

 自身の腕を撫で、納得のいく仕上がりに満足そうに頷くアーチ。そんなアーチの足元にボールが転がってきた。

「アーチ~! ボール取ってー!」

 アーチから少し離れた波打ち際で、三人の少年少女が遊んでいた。手を大きく振りこっちこっちと催促してくる。アーチはビーチチェアから立ち上がりボールを拾う。行くぞー、と声をかけてから子供たちに向かって投げてやると、ボールは綺麗な放物線を描き少年の待ち構えていた手の中に納まった。

「ガキんちょども、気ぃつけて遊べよー」

「はーい!」

 ボールを受け取った少年たちはきゃっきゃとはしゃぎながら遊びに戻っていった。そんな子供たちを「若いな~」とアーチは微笑ましく見守る。

 その背後に近付く人影があった。

「アーチ」

 人影はロウルだった。

「ロウル。見て見て、いい感じに焼けてるっしょ~!」

 アーチは小麦色に焼けた腕を自慢げにロウルに見せる。だが釣り青年はあまりピンときておらず、小首を傾げた。

「前と変わらないように見えるけど」

「はぁ? 全然違うでしょーが。あんた昔っからそういうとこ鈍いよねー」

 アーチとロウルは幼馴染だった。同じ年頃の友人がほかにいなかったため、幼少期はほぼ毎日二人で遊んでいた。そのため友人というよりも姉弟に近かった。

「デフトンさんが探してたよ」

  ロウルがそう言うと、アーチは悪びれることもなくウェーブ掛かったセミロングの髪をかき上げた。

「あーいいのいいの。どうせそろそろ終わる頃でしょ。今から行っても変わんないって」

 ロウルがデフトンと会ってからなんだかんだでかなりの時間が経っていた。ロウルはあれから釣った魚を家に置きに行き、今日は魚をどうやって食べよう、串に刺して焼こう、じゃあ先に串に刺しておこう、とのんびり準備しているうちに時間が経過していたのだった。

「稽古は嫌い?」

「べつに嫌いじゃないけど。何年も棒振り回してたら飽きてくるじゃん? あたしは剣を究めたいとか思ってないし、冒険家になりたいわけでもないし」

「じゃあアーチは何になりたいの?」

「何って……」

 唐突に真面目なことを問われアーチはたじろぐ。ロウルとしてはそんなつもりはなかったのだろう。単に会話の流れで訊いてみたにすぎない。しかしそれはアーチにとって図星を突かれたような問だった。

 自分は何になりたいのか。

 何がしたいのか。

 幼馴染の天然で純粋な眼差しに耐え切れず、アーチはバツが悪そうに髪を掻いた。

「……なんでもいいでしょ。はいはい帰りますよー」

「魚串焼きにするから、あとで食べよう」

「お、いいねぇ。そんじゃあまずはお説教食らいに行こうかね──」

「助けてぇ!」

 アーチがビーチチェアを片付けようとすると、悲痛な叫びが響いた。

 声のしたほうを振り返ると、さっきボールを返した少年が海の中で激しくもがいていた。その近くにはボールが浮かんでいる。少年は海に飛ばしてしまったボールを取りに行こうとして、溺れてしまったのだ。かなり流されてしまっていて、子供の力では戻ってこれそうにない。砂浜に残された二人が泣きそうになりながら助けを求めていた。

「大変だ!」

 ロウルが声を上げるのと、アーチが走り出すのは同時だった。不安定な砂浜をものともしない俊足で駆け、海に飛び込む。豪快な泳ぎで距離を詰めていき、少年のところへたどり着いた。アーチは少年を水中で抱きかかえ自分にしがみ掴ませてやる。

「落ち着け落ち着け。だいじょーぶだから」

「アーチ!」

 ロウルが釣り用の小舟を漕いでやってきた。アーチは少年を抱え上げそこに乗せる。小舟とアーチは急いで戻り少年を砂浜に寝かせる。

「ごほっ! ごほっ!」

 少年は大きく咳込み水を吐き出す。アーチは背中をさすり優しく介抱する。

「よしよし、全部出しちゃいな」

 幸い水を少し飲んだだけで大事には至らなかった。しばらくしたら落ち着き、自力で起き上がることができた。成り行きを見守っていた子供たちとロウルがほっと胸をなでおろす。

「よかった無事で」

「大丈夫? 気持ち悪いとかない?」

「うん、平気」

 少年が頷くと、アーチは指で少年の頭を小突いた。

「気ぃつけろって言ったっしょー? ひとりで勝手なことしない」

「……ごめんなさい」

 消沈する少年。アーチは胸を張り快闊な微笑みを向ける。

「反省してるならよし! あんたらもわかった?」

 アーチが尋ねると、残りの男の子と女の子が「はーい!」と元気よく手を挙げた。

「いやーあたしが監視についててよかったよ。お子様は何しでかすかわからんからねぇ」

「もしかして稽古サボったのって」

 子供たちに危険がないように見張りをするためだったのか。それならそうとちゃんと知らせていればデフトンを怒らせることはなかっただろうに。
 そう言いたげなロウルを見てアーチは気恥ずかしそうに苦笑した。

「勘違いしないでよ。稽古めんどーだったのも肌焼きたかったのもホントだし。ただのついで」

「いや、でも」

 アーチは億劫そうに手を振りロウルの言葉を遮る。

「はいはい終わり終わり。あー久々にマジ泳ぎしたらお腹減っちゃったわ。ロウル、早く帰っ──」

 それは突然起こった。

 はらり、と。

 水着の紐が、ほどけた。

 激しく泳いだせいで結び目が緩くなっていたのだ。首と背中で結ばれていた紐が同時にほどけ、白い水着が砂浜にひらひらと舞い落ちる。

 あまりに突然のことにしばらくその場の時間が停止する。アーチのあられもない姿が、文字通り白日の下に晒された。背中や首、そして胸に残る日焼け跡もばっちり確認できた。

 しかし朴念仁のロウルは、幼馴染の痴態に目を逸らすでもなく下卑た視線を向けるでもなく、絵画を鑑賞しているかのような神妙な面持ちで顎に手を当てた。

「なるほど、よく焼けている」

「見んなっ!」

 アーチの拳がロウルの顎を打ち抜いた。ロウルはぐらりと傾き、そのまま砂浜に沈んだ。子供たちは横たわるロウルを囲んで楽しそうに笑う。

 きゃっきゃっ、と無邪気な笑い声が青空に溶けていった。
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