恋詠花

舘野寧依

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第一章:通達、昔語り

第5話 昔語り(4)

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 ──城の堀に両手足の爪を剥がされた侍女の死体が浮かんだ。
 それは、アイシャを池に突き落とした侍女だった。
 そのことを居室で知ったオーレリアは、己の侍女のあまりの惨たらしい死に様に青ざめた。

 さすがにこれは、クリスティナでは出来ないだろう。
 ……実行に移せるとすれば、それは国王ディラックでしかありえない。

 己の侍女を恐ろしい拷問の末に城の堀に投げ捨てるなど常軌を逸している。
 オーレリアはディラックの容赦なさに、しばらくその身を震わせていたが、やがてなにかを決意したように顔を上げた。

「陛下の元へ参ります」

 そしてオーレリアは侍女数名を引き連れ、ディラックの執務室へと押しかけたのである。
 しかし、実際に入室が許されたのはオーレリア一人だけだった。
 オーレリアは侍女も付けられずかなり不満だったが、執務室にはディラックのみであったので、おそらく人払いをしたのだろうと納得した。

 ──オーレリア付きの侍女を拷問の末に掘に捨てるなどという、残虐極まりないことをしたのだ。もし、人に聞かれたら温厚で通っているディラックの城での評判にも関わる。
 皮肉なことに彼の愛しい妃であるクリスティナにも恐れられる可能性はあるのだ。
 しかし、ディラックは余裕さえ感じさせる笑顔でぬけぬけと言った。

「オーレリア、わたしに何用でしょうか?」

 その姿にオーレリアは怒りを抑えきることが出来なかった。

「……っ! わたくしの侍女を恐ろしい方法で殺害されたのは陛下でございましょう!?」

 それに対してディラックはなんでもないことのようにオーレリアを嘲笑った。

「それがなんだというのです」
「な……っ」

 てっきり否定の言葉が来るかと予想していたオーレリアはディラックの開き直りとも言える態度に絶句した。

「あの侍女はあなたの命令とはいえ、アイシャを殺害しようとした。あれは妥当な罰です」
「陛下は成さぬあの娘がそこまで大事だというのですか!」

 卑しい血の娘のために、仮にも貴族の血を引く侍女が殺されたのだ。
 オーレリアは血走った瞳を見開いて、ディラックを見つめた。

「アイシャはとても可愛い姫ですよ。あの色合いも珍しいものですし、将来はさぞ美しくなることでしょう。……ただ、我が血を受けていないために彼女の地盤は酷く弱い。それには確固とした王族との婚礼が必要でしょう」

 それは、数年後に王太子となるルドガーとの婚姻を暗に示していた。
 しかし、そんなことをオーレリアが許すはずなどない。

「まさかルドガーにあの卑しい娘を娶らせるおつもりですの!? わたくしはそんなことは許しません! 絶対になにがあろうと許しませんわ!」

 喉も裂けよとばかりに叫んだオーレリアに、ディラックが煩そうに耳を覆う。

「あなたがいくら反対しても、もう決めたことです。あなたにはもうそんな権力はないのですから」

 それは、正妃であるオーレリアの政治的基盤の弱体化を示唆していた。
 王に煩わしいと思われているオーレリア、それに対して寵愛を一身に集めているクリスティナ母娘おやこ
 果たしてどちらが優勢かは、頭に血の上ったオーレリアにも理解できた。
 
 ──しかし。
 理性では理解できても感情は別物である。
 かの母娘が現れてからというもの、苦いものを噛む思いでいたオーレリアは再び叫んだ。

「それだけは、許しません。わたくしの目の黒いうちは絶対に許しませんわ!」
「……オーレリア、せっかく正妃という立場に据え置いているというのに、それにふさわしい態度もとれないのですか? なんなら、その地位から引きずり降ろしてもいいのですよ」

 どこまでも非情に言うディラックに、オーレリアの感情がまた爆発した。

「いったい、どなたのせいのなのですか! とにかく、わたしはあの卑しき者達を許しません! これ以上はお話しても無駄でしょうから、わたくしはこれで失礼させていただきますわ!」

 オーレリアは踵を返すと、足音も荒く王の執務室から退出していった。


 ルドガーにあの卑しい娘を娶せるなんてとんでもない。
 そんな恐ろしいことになる前にあの母娘には消えてもらわねば。
 今までは我慢していたが、確実にあの二人をしとめなければならない。どこかで腕のいい暗殺者でも雇わなければ。


 そんなオーレリアの感情を知るかのように、ディラックは溜息を付いた。
 これは早々にオーレリアの反撃が始まるだろう。
 その前にその芽を摘まなければならない。

「アルディアス」

 ディラックは今まで姿を消させて待機させていた魔術師の名を呼んだ。
 すると、すぐに黒衣の魔術師が姿を現した。
 この魔術師はまだ若いが、トゥルティエール王宮では実力で勝てる者はいない。


「──正妃を消せ」


 あまりといえばあまりの言葉に、アルディアスと呼ばれた魔術師は絶句した。

「しかし、それではあまりも正妃様がお可哀想では──」

 正妃への王の仕打ちを知っている魔術師は言葉を濁す。

「これは王命です。このままではオーレリアはクリスティナ達に取り返しの付かないような危害を与えるかも知れません。その前に正妃を消すのです」

 そこで、ディラックは一端言葉を切ると、顎に手を当てて考えるようにして言った。

「……そうですね。死因は、王に顧みられなくなった正妃の傷心のあまりの投身自殺というのが一番良さそうですね。アルディアス、首尾良く頼みますよ」
「……かしこまりました」

 これ以上、恋に狂ったこの国王に進言しても無駄だと悟った魔術師は、かなり気が進まなかったが王命は王命だ。その罪深さを知りながら、アルディアスは仕方なく了承した。



 激昂して王妃の間へ戻る途中のオーレリアは、どの経由でクリスティナ母娘を殺害するか考えていた。
 さしあたって、この現状を実家である侯爵家に伝え、協力してもらうのが一番良いような気がした。
 ただ、興奮していたオーレリアには、それが露見した時に、実家に多大な迷惑がかかるということは頭になかった。

 しかし、クリスティナが現れたことで、王は夜にオーレリアを訪れることはしなくなった。
 いくら王太子候補の王子を産んでいるとはいえ、まだ女盛りのオーレリアへの王の処遇を彼女の実家の侯爵家も不満を持っている。
 そこへ、どこの馬の骨ともしれない娘を正当な血を引く王太子候補のルドガーが娶せられるのを侯爵家が黙っている訳がなかった。
 そこまで考えを巡らせてオーレリアは力を得ると、くすくすと笑いを漏らす。

 ──そんな婚姻は絶対に認めない。あの二人には陛下がわたくしの侍女にしたように陰惨な最期を迎えてもらいましょう。

 クリスティナ母娘の惨たらしい最期を想像して溜飲を下げたオーレリアは陰湿な笑みを浮かべた。

 すると、そこへ若い宮廷魔術師がいつの間にか姿を現していた。
 どうやら、移動魔法でオーレリアの傍に来たらしいが、断りもないそれは、あまりにも不作法と言えた。

「なんです、そなたは。無礼な」

 オーレリアは声を荒らげるが、対する魔術師は怒りを露わにする彼女を冷ややかに見ているだけだ。

「誰か……っ」

 オーレリアは慌てて周りを見渡すが、傍にいたはずの侍女達がいつの間にか消えている。

「申し訳ございません。これは王命ですので、あなた様には儚くなっていただきます」

 その魔術師の言葉にオーレリアは愕然とする。夫であるはずのディラックが自分を消そうとしているのか。

 確かに、アイシャを殺せとは命じた。
 その代償は実行に移した侍女に被せたはずだ。
 第一、あの卑しい子供はまだ生きているではないか。
 しかも、自分の王子に娶せようとまでされている。
 それで、なぜ自分が死なねばならぬのか。


「そんなことは許しません! あの下賤な母娘も陛下も。正妃をこんな目に遭わせるトゥルティエールなど呪われるがいい!」

 その言葉を最期に、オーレリアの体は城の露台バルコニーの近くの空間に放り出された。

 その後は加速しながら墜ちていくだけ。
 オーレリアは恐怖のあまり絶叫した。



 正妃が露台から身を投げたことで、城内は騒然となった。
 王宮では、クリスティナに王の寵愛を奪われたのを苦にしての自殺、との見方が大勢を占めた。

 美しかった姿は見る影もなく、手足はあり得ない方向に折れ曲がり、脳が辺りに飛び散っていた。
 その体は舗装された地面に張り付いていて、使用人達が苦労して引き剥がしてみれば、美貌は惨たらしく潰れていた。


「黙っていれば美しかったものを。こうなっては台無しですね、オーレリア」

 そう言って楽しそうに笑うディラックに、王命を受けて仕方なく実行した魔術師のアルディアスはうすら寒いものを感じることを禁じ得なかった。

「……正妃様は最期にこの国を呪う言葉をおっしゃっておりました」

 それでもディラックは顔色も変えない。更に楽しそうに笑うだけだ。

「そうですか。ですが、死人にはなにも出来ますまい。……これで、クリスティナ達に憂いはなくなりました。邪魔者もいなくなったことですし、これで晴れて彼女を正妃に出来ます」


 しかし、第二王妃のクリスティナはそれを堅く辞退した。

 真実は知らなかったが、彼女はオーレリアの身投げに心を痛めていた。
 それ程までに正妃を追いつめた自分がその後釜として、簡単にその座に付いたのではオーレリアが余りにも浮かばれないと考えたのだ。


『許しません。あの下賤な母娘も陛下も。正妃をこんな目に遭わせるトゥルティエールなど呪われるがいい』


 ──その死の間際に呟かれたオーレリアの呪いの言葉。

 それを正妃の苦し紛れの言葉と軽く受け取っていたディラックだったが、その内に生死をさまよう病に冒されてしまった。

 周囲の者の手厚い看護もあって、どうにか数日で寝台に起きあがれるようになったディラックは、その時になって初めてオーレリアの恨みの深さを思い知った。

 そして、彼女が身を投げたとされる露台を中心に、城のあちこちに呪い除けを施したのである。
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