48 / 148
第五章:新生活
第48話 温泉にて
しおりを挟む
千花に連れられて元の世界に戻ってきたわたしは温泉に休息しに来ていた。
ちょっと小さめだけど、綺麗な宿でお風呂も素敵だったし、わたしは大満足だった。
「このアワビおいしーい! こんなおいしいもの初めて!」
それで今現在、わたしは贅沢にも黒アワビのバター焼きなんかを頂いている。
うーん、肉厚なのに柔らかくて、なんとも言えないうまみが絶品。
「そう、はるかが気に入ってくれてよかった」
わたしの向かいには、浴衣姿の千花がにこにこしながらビールを飲んでいる。
ちなみにわたしは、アワビの肝を千花に食べてもらっちゃった。
千花は「おいしいのに、もったいない」って言うけど、見た目グロテスクなんだもん、ごめんね。
わたしもアワビをつまみにビールを一口。
あまりビールは好きじゃないけど、なぜかこういう時はおいしく感じるから不思議だ。
あー、お刺身はおいしいし、こんなの絶対ザクトアリアじゃ味わえないね! 向こうの人からしたらゲテモノ食いに見えるだろうし。
王様のカレヴィなんか、きっと引いちゃうと思う。
そこまで考えた途端、わたしを熱っぽく見つめる彼の瞳を思い出して泣きそうになってしまい、わたしは慌てて俯いた。
──失恋の痛みはそんなに簡単に癒えるわけじゃない。
その気持ちを紛らわすようにグラスをあおる。
無理矢理飲んだビールはことの外苦かった。
「はあ……」
──草木も眠る丑三つ時。
わたしは誰もいない露天風呂に一人で入りに来ていた。
隣の布団の千花がよく眠っていたのは、考えごともしたかったのでちょうどよかった。
もし、千花がわたしがいないことに気がついても、彼女はわたしの魔力を辿れるし、問題ないだろう。
さすがにこの時間だと、お風呂に入ってる酔狂な人はいなかった。
……大きなお風呂を独り占めできる穴場な時間なんだけどね。
そんなわけでわたしは近くにバスタオルをおいて、石造りのお風呂に身を沈めた。
疲れた体にお湯が染み込むようでとても気持ちがいい。
こんなお風呂を独り占めなんて贅沢すぎる。
けれど、人心地ついてからわたしの心の中に浮かぶのはあちらの世界のことだった。
──今頃、ザクトアリアはどうなってるんだろう。
カレヴィはまだわたしに怒ってるよね……。
挨拶もろくにしないでこっちに帰ってきちゃったから、もしかしたら愛想尽かされたかも。
婚約解消されても仕方ないことをわたしは言っちゃったしね……。
そこまで考えが行くと、みるみる瞳に涙が浮かんでくる。
わたしはそれをごまかすように湯をすくって顔を洗った。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、脱衣所の方から物音がした。
あ……、入りに来た人いるんだ。
そろそろわたし、出た方がいいかな?
でも千花かもしれないし。
わたしはその可能性を捨てきれなかったので、おとなしく湯に浸かったままでいた。
正直、ちょっとのぼせ気味になってたんだけど、やっぱり出てた方がよかったかなあ。
カラカラと引き戸を開けた人物を確認してわたしは思わず自分の目を疑ってしまった。
「ハルカ!」
「カ、カレヴィッ!? なんでここにいるの?」
「おまえに会いに来た」
わたしが風呂に入っているのは一目瞭然だろうに、カレヴィは向こうの衣装のままでわたしに駆け寄った。
ちょっと、サンダルのままで!
ここの従業員さんの掃除が大変でしょ!
それに、そもそもこの露天風呂は女性専用だよ!
「ハルカ……ッ」
予想に反してとびきりの笑顔で再会したカレヴィは、わたしに両手を伸ばす。
「で、出てけ──っ! このエロ王!」
バシャンとわたしはカレヴィにお湯をかけるとお風呂から出て、近くに置いてあったバスタオルを体に巻いた。
「ハルカ……! やはり俺に怒っているのか。悪かった、俺は……っ」
「いいから出てけ、女風呂に男が入ってくるな!」
なおも言い募るカレヴィをぐいぐい押し出しながらわたしは罵倒した。
「女、風呂……?」
そこで、ようやく自分の居場所を把握したらしいカレヴィは、まずい、と顔に書いて慌ててそこを出ていこうとした。
「あ! まず、そのサンダルを脱いで! 脱衣所に土足で上がらないで!」
……まあ、これは既に遅いかもしれないけど、被害が拡大するよりはましだ。
素直にサンダルを脱いで、バスタオルを巻き付けたわたしとともに脱衣所の方にカレヴィは引き返したけれど。
「──痴漢ですか、カレヴィ王」
浴衣に羽織姿で仁王立ちする千花の迫力にわたしは思わずびびってしまった。
わたしですらそうなんだから、当のカレヴィは相当だろう。
見ると、カレヴィは冷や汗をかいていた。
「い、いや、けしてそうではない。誤解だ、ティカ殿」
「はるかの入浴中に忍び込むなんていい度胸ですね。あなたがはるかにしたことを考えたら、こんなことはできないはずです。恥を知りなさい!」
うう、怒った千花、怖い。
いや、わたしのためを思って言ってくれてるのは分かるんだけど、なんだかわたしまで怒られてるような気になってきたよ。
「す、すまないティカ殿」
「謝るなら、まずはるかに誠心誠意謝るのが先でしょう! それがなんです、はるかの入浴中に忍び込むなんていやらしい。あなたは実は王でなくて獣なんですか!」
いよいよエスカレートしていく千花の説教の中にカレヴィが獣っていうのがあったので、わたしは思わず頷いてしまった。
それをカレヴィが横目で恨めしそうに見てくるけど、実際痴漢と疑われても仕方ないことをしたんだし、ある意味自業自得だ。
「はるかは風邪ひくといけないから着替えてきて。……わたしは、まだカレヴィ王に用があるから」
「うん、分かった」
たしかにいつまでもバスタオル姿でいるのは湯冷めして体に悪いし、それになにより、さっきからカレヴィがわたしの方を見て鼻の下伸ばしてるみたいなんだよね。
「ハ、ハルカ……ッ、俺を置いていくのか」
「カレヴィ、大袈裟。ただ着替えるだけだよ」
捨てられた子犬のように見てくるカレヴィをわたしはあっさり見捨てて脱衣所に向かった。
その途端、千花のお説教がまた始まった。
──うわあ、ご愁傷様。
自分で見捨てておきながら、非情にもわたしはそんなことを思う。
うん、でも今回はカレヴィの自業自得だから仕方がない。
まったくもって、痴漢行為はよくないことだ。
ちょっと小さめだけど、綺麗な宿でお風呂も素敵だったし、わたしは大満足だった。
「このアワビおいしーい! こんなおいしいもの初めて!」
それで今現在、わたしは贅沢にも黒アワビのバター焼きなんかを頂いている。
うーん、肉厚なのに柔らかくて、なんとも言えないうまみが絶品。
「そう、はるかが気に入ってくれてよかった」
わたしの向かいには、浴衣姿の千花がにこにこしながらビールを飲んでいる。
ちなみにわたしは、アワビの肝を千花に食べてもらっちゃった。
千花は「おいしいのに、もったいない」って言うけど、見た目グロテスクなんだもん、ごめんね。
わたしもアワビをつまみにビールを一口。
あまりビールは好きじゃないけど、なぜかこういう時はおいしく感じるから不思議だ。
あー、お刺身はおいしいし、こんなの絶対ザクトアリアじゃ味わえないね! 向こうの人からしたらゲテモノ食いに見えるだろうし。
王様のカレヴィなんか、きっと引いちゃうと思う。
そこまで考えた途端、わたしを熱っぽく見つめる彼の瞳を思い出して泣きそうになってしまい、わたしは慌てて俯いた。
──失恋の痛みはそんなに簡単に癒えるわけじゃない。
その気持ちを紛らわすようにグラスをあおる。
無理矢理飲んだビールはことの外苦かった。
「はあ……」
──草木も眠る丑三つ時。
わたしは誰もいない露天風呂に一人で入りに来ていた。
隣の布団の千花がよく眠っていたのは、考えごともしたかったのでちょうどよかった。
もし、千花がわたしがいないことに気がついても、彼女はわたしの魔力を辿れるし、問題ないだろう。
さすがにこの時間だと、お風呂に入ってる酔狂な人はいなかった。
……大きなお風呂を独り占めできる穴場な時間なんだけどね。
そんなわけでわたしは近くにバスタオルをおいて、石造りのお風呂に身を沈めた。
疲れた体にお湯が染み込むようでとても気持ちがいい。
こんなお風呂を独り占めなんて贅沢すぎる。
けれど、人心地ついてからわたしの心の中に浮かぶのはあちらの世界のことだった。
──今頃、ザクトアリアはどうなってるんだろう。
カレヴィはまだわたしに怒ってるよね……。
挨拶もろくにしないでこっちに帰ってきちゃったから、もしかしたら愛想尽かされたかも。
婚約解消されても仕方ないことをわたしは言っちゃったしね……。
そこまで考えが行くと、みるみる瞳に涙が浮かんでくる。
わたしはそれをごまかすように湯をすくって顔を洗った。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、脱衣所の方から物音がした。
あ……、入りに来た人いるんだ。
そろそろわたし、出た方がいいかな?
でも千花かもしれないし。
わたしはその可能性を捨てきれなかったので、おとなしく湯に浸かったままでいた。
正直、ちょっとのぼせ気味になってたんだけど、やっぱり出てた方がよかったかなあ。
カラカラと引き戸を開けた人物を確認してわたしは思わず自分の目を疑ってしまった。
「ハルカ!」
「カ、カレヴィッ!? なんでここにいるの?」
「おまえに会いに来た」
わたしが風呂に入っているのは一目瞭然だろうに、カレヴィは向こうの衣装のままでわたしに駆け寄った。
ちょっと、サンダルのままで!
ここの従業員さんの掃除が大変でしょ!
それに、そもそもこの露天風呂は女性専用だよ!
「ハルカ……ッ」
予想に反してとびきりの笑顔で再会したカレヴィは、わたしに両手を伸ばす。
「で、出てけ──っ! このエロ王!」
バシャンとわたしはカレヴィにお湯をかけるとお風呂から出て、近くに置いてあったバスタオルを体に巻いた。
「ハルカ……! やはり俺に怒っているのか。悪かった、俺は……っ」
「いいから出てけ、女風呂に男が入ってくるな!」
なおも言い募るカレヴィをぐいぐい押し出しながらわたしは罵倒した。
「女、風呂……?」
そこで、ようやく自分の居場所を把握したらしいカレヴィは、まずい、と顔に書いて慌ててそこを出ていこうとした。
「あ! まず、そのサンダルを脱いで! 脱衣所に土足で上がらないで!」
……まあ、これは既に遅いかもしれないけど、被害が拡大するよりはましだ。
素直にサンダルを脱いで、バスタオルを巻き付けたわたしとともに脱衣所の方にカレヴィは引き返したけれど。
「──痴漢ですか、カレヴィ王」
浴衣に羽織姿で仁王立ちする千花の迫力にわたしは思わずびびってしまった。
わたしですらそうなんだから、当のカレヴィは相当だろう。
見ると、カレヴィは冷や汗をかいていた。
「い、いや、けしてそうではない。誤解だ、ティカ殿」
「はるかの入浴中に忍び込むなんていい度胸ですね。あなたがはるかにしたことを考えたら、こんなことはできないはずです。恥を知りなさい!」
うう、怒った千花、怖い。
いや、わたしのためを思って言ってくれてるのは分かるんだけど、なんだかわたしまで怒られてるような気になってきたよ。
「す、すまないティカ殿」
「謝るなら、まずはるかに誠心誠意謝るのが先でしょう! それがなんです、はるかの入浴中に忍び込むなんていやらしい。あなたは実は王でなくて獣なんですか!」
いよいよエスカレートしていく千花の説教の中にカレヴィが獣っていうのがあったので、わたしは思わず頷いてしまった。
それをカレヴィが横目で恨めしそうに見てくるけど、実際痴漢と疑われても仕方ないことをしたんだし、ある意味自業自得だ。
「はるかは風邪ひくといけないから着替えてきて。……わたしは、まだカレヴィ王に用があるから」
「うん、分かった」
たしかにいつまでもバスタオル姿でいるのは湯冷めして体に悪いし、それになにより、さっきからカレヴィがわたしの方を見て鼻の下伸ばしてるみたいなんだよね。
「ハ、ハルカ……ッ、俺を置いていくのか」
「カレヴィ、大袈裟。ただ着替えるだけだよ」
捨てられた子犬のように見てくるカレヴィをわたしはあっさり見捨てて脱衣所に向かった。
その途端、千花のお説教がまた始まった。
──うわあ、ご愁傷様。
自分で見捨てておきながら、非情にもわたしはそんなことを思う。
うん、でも今回はカレヴィの自業自得だから仕方がない。
まったくもって、痴漢行為はよくないことだ。
0
お気に入りに追加
937
あなたにおすすめの小説
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
悪役断罪?そもそも何かしましたか?
SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。
男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。
あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。
えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。
勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる