王様と喪女

舘野寧依

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第四章:対抗手段

第40話 アーネス襲来

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 あれからカレヴィはアーネスに半ば脅されるようにして執務に入ったけれど、テーブルに着いているわたしの目の前にはなぜかそのアーネスがコーヒーを飲みながら居座っていた。

 いや、一回追い出したんだよ?
 だけど、アーネスはうまく侍女を懐柔してたらし込んで再び私の前に現れるというしたたかさを見せた。

 ……わたしにこれ以上なんの用があるっての?
 カレヴィはきちんと執務に入ったからもうわたしには用はないでしょ。

「ハルカ嬢の世界の菓子はおいしいね。甘い菓子しか知らないわたしには驚きだよ」

 どこから貰ってきたのか、アーネスはわたしが大事に取っておいたポテトチップスの袋を抱えてそれを勝手に食べていた。

 ……わたしが楽しみにしていたコンソメ味!
 こんなことになると分かってたら、もっと買っておいたのに。

「いいから、その袋返してもらえる? わたしも食べたいんだけど」

 だいたい袋抱え込んで独り占めって、大貴族のくせして意地汚さすぎる。
 すると、アーネスはわたしの傍に寄ってきて摘んだポテチを目の前に差し出した。

「はい、ハルカ嬢」

 なに、差し出されたこれを食べろと?
 つまりこれは「はい、あーん」だよね?
 夜桜見物の時はお客を接待する意味でやったけれど、今はあの時と状況が違う。
 そんなカレヴィが見たら激怒しそうなこと、できるわけないよ。
 わたし達のその様子をモニーカ達がはらはらしながら見守っている。

「……いらない。その袋さえ返してもらえたら、大皿に盛って自分で取るから」
「いやいや、遠慮せずに」

 そう言うと、アーネスはわたしの口に無理矢理ポテチを当ててきた。……ちょっと!
 わたしは唇を引き結んでポテチを拒否。

「ハルカ嬢は結構強情だね。これを食べたら返してあげるよ」

 甘ったるい笑顔と共に言われたけど、無視。
 ああ、でもさっきからポテチのいい匂いがしてたまらない。ポテチの誘惑、恐るべし。
 それでもわたしは頑張った。

「……仕方ないね。それではこれはわたしが食べるということで」

 そう言うと、アーネスはさっきまでわたしの口にあてていたポテチに意味ありげにキスすると、それをにこやかに食べた。

「これでハルカ嬢と間接的に口づけたことになるね」

 ……って、間接キスかよ!
 わたしは突然柄が悪くなりながら、アーネスのあまりの気障さに鳥肌を立てていた。

「……わたしは間接キスごときでどうこう言うほどウブじゃないよ」

 いくら喪女だったといっても、それくらいの耐性はある。
 こちらの純粋培養の姫君とかだったら真っ赤になってるかもしれないけどね。
 わたしがすげなく返すと、アーネスは眉を上げて元のテーブル席に戻っていった。……しっかりポテチの袋も持って。
 ポテチに未練はあるけれど、仕方ない諦めるか。

 わたしは溜息をつくと、皿に盛られたチョコを口にした。
 すると、口いっぱいに高級チョコレートの風味が広がる。ああ、おいしい。
 ポテチはアーネスに奪われたけれど、ここのチョコもおいしいからまあいいか。また向こうに行った時に多めに買っておけばいいし。
 そんなことを思いながらコーヒーを飲んでいたら、アーネスがまじまじとわたしを見てきた。

「……なに?」
「いや、ハルカ嬢はコーヒーにミルクとか砂糖を入れなくても平気なんだね。大抵の女性はその苦みが苦手なのだが」

 ……ああ、そういうことね。

「いつもは入れるけど、今回はカロリーの高いもの取ってるから」

 チョコとか、食べる予定だったポテチとかね。
 油断してると太るから、この後庭園へ散歩に出る予定だ。

「カロリー?」

 アーネスが不思議そうにわたしを見てくる。
 あ、そうか。ここにはない単位だからか。

「熱量の単位。……えーと、力の源の単位の一つというか」

 う、この辺りの説明はちょっと怪しいな。これで彼が分かってくれるといいけど。

「ああ、そういうことか。大体分かったよ」

 どうやらアーネスが理解してくれたらしいのでわたしは胸を撫で下ろした。

「ちょっと自信なかったから、分かってもらえてよかったあ」

 ほっとした反動でわたしはうっかりポテチの恨みも忘れて彼に笑いかけてしまった。
 するとアーネスは少し瞳を見開いてわたしを見た。
 そして、色気のある笑顔で言ってくる。

「……ハルカ嬢は、そんな顔をするととても愛らしいのだね。とてもよい笑顔だ」
「え、あ……?」

 愛らしいなんて言われたことのないわたしは、思わずかっと赤くなってしまった。
 いや、お世辞だろうから照れることはないんだろうけど、さすがに高級娼館の主のフレイヤが認める女たらしなことはある。
 なんというか、アーネスってここぞというところの褒め方が凄くうまいんだ。

「あ、ありがとう?」

 うう、褒められ慣れてないと、こんな時にうまく流せなくてつらいなあ。
 こっちに来てからカレヴィに可愛いとか言われるようになって、少しは耐性が付いたと思ったんだけれど。

 よく思い返してみると、カレヴィ割とあっさり言ってくるんだよね。
 それでついついわたしも流しちゃってるんだ。
 よし、今度からカレヴィに熱烈に言って貰って練習しよう。
 ……もちろん、夜じゃない時にね。
 そうじゃないと別の意味でカレヴィ盛り上がりそうだから。

 わたしがそうなった時を想像して溜息を付いていたら、ふいに近くに人の気配を感じた。
 このフェロモン溢れる気配はアーネスに間違いない。

「……なに?」
「いや、赤くなったかと思ったら考え込んでいるから、どうしたのかと思って」
「いや、少し言葉責めについて考えてて」

 そんなことをついうっかり口にしてしまったのはまずかった。

「ふうん?」

 アーネスはわたしの隣の席に座ると、わたしの両手を取った。
 ……ちょっと、塩味ならまだともかく、コンソメ味のポテチを食べていた手で……と思ったけど、彼はちゃんとおしぼりで綺麗に拭いていたようだ。

「ハルカ嬢はカレヴィではご不満かな? なんなら、わたしが直にして差し上げてもよいが」

 いやいや、夜のカレヴィの方は充分恥ずかしいですよ……って、なんでわたしの手を撫でてるんだあーっ。

 絶妙なその感覚に、背中がぞくぞくして思わず身を捩ると、アーネスは目を細めて笑った。

「おや、ハルカ嬢はこんなことでそんなふうになるのかい? カレヴィという婚約者がいるというのに他の男に手を撫でられたくらいではしたない方だ」

 耳元でぞくぞくくるような声で囁かれながら手を撫でられて、わたしはみっともなくそれに反応してしまう。

 やばい、こいつはやばい!
 今まで会ったこともない人種だ!

 なんとかアーネスから距離を取ろうにも、「ふふ、逃がさないよ? 可愛い人」などという恐ろしいことを言って、彼はわたしを離さない。
 そのうちにアーネスは囁きと共に耳に息まで吹きかけてきて、わたしは飛び上がってしまった。

 ちょっ、いやだああぁっ!
 というか、侍女の誰でもいいから見てないで助けてよーっ!

 そのわたしの祈りが通じたのか、ゼシリアがアーネスのおふざけを止めてくれた。

「いい加減になさいませ、アーネス様。あまりにお戯れがすぎますと、わたくしは陛下にこのことをご報告しなければなりません」
「……それは困るね」

 そこでようやくわたしはアーネスから解放されたんだけど、今まで翻弄してくれたお礼に彼の顎をグーで殴っておいた。

「……つっ」

 そしてアーネスがひるんだその隙に、わたしは脱兎のごとく自分の居室から飛び出す。

「あ! お待ちください、ハルカ様!」

 イヴェンヌ達の叫びが後から聞こえてきたけれど、わたしは待たなかった。
 だって、恥ずかしくて仕方なかったんだよ。
 だからちょっと放っておいてほしい。
 しばらくすれば立ち直ると思うから。……多分。
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