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第一章:喪女ですが異世界で結婚する予定です
第1話 喪女の身の上
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──よし、これが打ち終わったら、すぐに家に帰るぞ。
わたしはそう心に堅く決めて、主任に頼まれた文書を完成させるべく、普段の二割増しくらいの速度でパソコンのキーボードを叩いていた。
わたしは只野はるか、二十七歳。職業は製造業の事務員。
……そんなわたしの印象は、とても地味だ。
ファンデを薄く塗り、リキッド口紅を軽くつけたのみの化粧は、よく言えばナチュラルメイク。
一応手入れはしているけど、眉も描いていないという手抜きぶり。
髪の毛もうねるくせっ毛を簡単に一つにまとめただけだ。
それに、会社の事務服があか抜けない水色のだぼっとしたものだというのも、わたしの地味さを更に強調していた。
だけど、わたしは作業員のおばちゃん達相手に、巻き髪したり、つけまつげバチバチしたりする趣味はない。
そんな支度する暇があったら、趣味か睡眠に当てたい。
そんなわけで、わたしはとっても垢抜けなかった。
ただ、わたしに特筆するべきことがあるとすれば、大きすぎる胸くらいだろう。これだけは、みんなに褒められる。
わたしにしてみれば、肩は凝るし、太って見られるし、服選びは大変だしであまりいいことはないんだけどね。
「只野さん。仕事あがったら、みんなで飲みに行かない?」
「あ……、ごめんなさい。今日は用があって無理なんです。すみません」
ちょうど金曜日の仕事上がり前ということもあって、会社の営業の相田さんという女性から誘われたけれど、気乗りのしないわたしはせっかくのお誘いを断ってしまった。……本当は大した用はないんだけどね。
「只野さん、付き合い悪いよー」
「本当にごめんなさい」
相田さんは冗談めかして言ってくるけど、たぶん内心では気を悪くしているだろう。
この飲み会、本当はただの飲み会じゃなくて、実際のところわたしと取引先の結構お偉いさんを引き合わせるための場であることをわたしは知っている。
「あの子もこんな機会でもなきゃ、彼氏もできないんだから。それにあちらともこれからもいい付き合いができるかもしれないしね」
うっかりというか、ラッキーというか、わたしが給湯室でお茶を淹れている時に、そのドアの前で相田さんが同じ営業の人に話しているのを聞いてしまったのだ。
なんでも、その取引先の人はわたしの胸が大きいのが気に入ったらしい。
……とすると、うちの会社に訪ねてくる度にわたしの胸のことを「相変わらず大きいねえ」とセクハラ発言してくるあの人だろうか。
……うん、やっぱり会いたくない。
会社のためなら、会った方がいいのかもしれないけど、接待とか苦手だし。わたしにはお茶出しとかがせいぜいだ。
それに、お酒の席とかでごまかされて、胸とか触られたら最悪だし。
おまけに、男慣れしていないわたしが取引先の人にうまく対応できるとも思えない。
「なんだ、このつまらない女は」
なんて思われたら、ちょっと、いやかなりへこむかもしれない。
それでもって、もしかしたら円滑だった今までの取引先との仲も悪くなるかもしれない。
……いや、これは最悪の事態を想像しただけだけどさ。
相田さんのわたしへの心証は多少悪くなるかもしれないけれど、それは仕事の方で挽回することにしよう。
わたしは渋る相田さんに謝り倒してなんとか飲み会は回避することに成功した。
「そんなんだから彼氏もできないのよ」
相田さんに嫌みを言われたけれど、わたしは気にしないことにした。
これは何度もいろんな人に言われていることだったからだ。
確かにわたしには恋人はいない。というかこの歳まで彼氏がいたことはない。
いわゆるもてない女──喪女というやつだ。
顔自体はそこまで悪くはない……と思う。
ものすごいブスでもなければ、美人でもない。ごく普通の顔。
もちろん、この歳になるまでに恋人が出来る機会が全くないことはなかった。
今までに異性を紹介してくる相田さんみたいな人もいたし、知り合いや親に婚活を勧められたりした。
でも、わたしにはめんどくさい男女の関係よりも、もっと大事なことがあったのだ。
「よーし、下描きまでは完成ーっと」
わたしはあの後、主任に文書を確認してもらってOKが出たところで、脇目もふらず家に直帰した。
趣味の漫画の下描きが予定したところまで終わりそうだったからだ。
その時のわたしは作成中のオリジナル漫画の進行具合が大変よろしかったので、その事に浮かれ気味だった。
これなら早めにサイトに載せられそうだし、気の乗らない飲み会よりは、時間の過ごし方としてはやっぱりこっちのほうが有意義だ。
今は騎士と姫君の恋物語を描いていて、そこそこ見てくれる人もいるので、わたしはそれが嬉しくて頑張ってサイトを更新していた。
でもどこかの出版社に投稿する気はさらさらなかった。
そんな自信もなかったし、ウェブ経由でいろいろな人に見てもらえるということにわたしは満足していた。……それは完全に自己満足っていうものかもしれないけれどね。
「しっかし、さすがに肩こったなー」
ジャージ姿のわたしは、自分の部屋でこきこきと首を鳴らしながら独り言を言う。いい加減、この癖は改めなければと思うが、長年の癖なのでなかなか抜けない。
わたしは今度のサイト更新分の下描きまで終わった原稿と漫画道具一式を百均で買ってきたプラスチック容器にまとめると、本棚兼物置に置きに行く。
この後の予定では、わたしのもう一つの趣味の預金通帳の残高を見て一人で悦に入る予定だった。……まあ、あんまり他人に見せられるような趣味じゃないよね。
預金通帳を見て、ニヤニヤする様は自分でも不気味かもしれないと思う。
しかし、その予定に反して、汚部屋に積み上げた漫画本の角に足の小指がぶつかり、わたしは見事に前につんのめった。
「いってぇ~っ!」
二十七の女の叫び声として、これはどうかと思うが、本当に痛いのでしょうがない。
人間、とっさの時にはつい地が出てしまうものだ。
だが、原稿一式は死守。
どうあっても、死守。
足の小指の痛みをこらえながら、わたしは転ぶのだけはどうにか持ちこたえて、その場に座り込んだ。
しかし、そんなわたしの目の前を何枚もの紙が舞っている。
……あれ、原稿用紙は封筒にしまってあるし、あんなふうに散らばることはないはずなのに。
「……おい」
わたしが舞い落ちる紙に見とれていると、なぜかいきなり横から男に声をかけられて、わたしは思わず後ずさろうとした。……がなんだこれ。
「おい、やめろ!」
なぜかいかにも高価そうな馬鹿でかい机の上にいたわたしは、目の前の男に取り押さえられて呆然とする。
──どこだ、ここは。
さっきまでわたしは自分の汚部屋にいたはず。
だけど、今いるのは異国情緒溢れる豪華絢爛な広い室内。
そしてわたしを取り押さえているのは、浅黒い肌に銀髪の、深い青色の瞳をした美形。
「おまえ……、なんてことをしてくれたんだ」
美形がその秀麗な顔を歪ませて見てくるけど、こっちはそれどころじゃなかった。
──いったい、なに? なにが起こったの?
汚部屋から豪華絢爛な室内に一瞬にして移動してくるなんてありえない。
それに、目の前の絶対日本人じゃない顔立ちの男。
……これはもしかして、ひょっとしてひょっとすると、SFとかで言うなら海外とかにテレポート?
もし、ファンタジーならウェブ小説とかでよくある異世界トリップってやつですか!?
わたしはそう心に堅く決めて、主任に頼まれた文書を完成させるべく、普段の二割増しくらいの速度でパソコンのキーボードを叩いていた。
わたしは只野はるか、二十七歳。職業は製造業の事務員。
……そんなわたしの印象は、とても地味だ。
ファンデを薄く塗り、リキッド口紅を軽くつけたのみの化粧は、よく言えばナチュラルメイク。
一応手入れはしているけど、眉も描いていないという手抜きぶり。
髪の毛もうねるくせっ毛を簡単に一つにまとめただけだ。
それに、会社の事務服があか抜けない水色のだぼっとしたものだというのも、わたしの地味さを更に強調していた。
だけど、わたしは作業員のおばちゃん達相手に、巻き髪したり、つけまつげバチバチしたりする趣味はない。
そんな支度する暇があったら、趣味か睡眠に当てたい。
そんなわけで、わたしはとっても垢抜けなかった。
ただ、わたしに特筆するべきことがあるとすれば、大きすぎる胸くらいだろう。これだけは、みんなに褒められる。
わたしにしてみれば、肩は凝るし、太って見られるし、服選びは大変だしであまりいいことはないんだけどね。
「只野さん。仕事あがったら、みんなで飲みに行かない?」
「あ……、ごめんなさい。今日は用があって無理なんです。すみません」
ちょうど金曜日の仕事上がり前ということもあって、会社の営業の相田さんという女性から誘われたけれど、気乗りのしないわたしはせっかくのお誘いを断ってしまった。……本当は大した用はないんだけどね。
「只野さん、付き合い悪いよー」
「本当にごめんなさい」
相田さんは冗談めかして言ってくるけど、たぶん内心では気を悪くしているだろう。
この飲み会、本当はただの飲み会じゃなくて、実際のところわたしと取引先の結構お偉いさんを引き合わせるための場であることをわたしは知っている。
「あの子もこんな機会でもなきゃ、彼氏もできないんだから。それにあちらともこれからもいい付き合いができるかもしれないしね」
うっかりというか、ラッキーというか、わたしが給湯室でお茶を淹れている時に、そのドアの前で相田さんが同じ営業の人に話しているのを聞いてしまったのだ。
なんでも、その取引先の人はわたしの胸が大きいのが気に入ったらしい。
……とすると、うちの会社に訪ねてくる度にわたしの胸のことを「相変わらず大きいねえ」とセクハラ発言してくるあの人だろうか。
……うん、やっぱり会いたくない。
会社のためなら、会った方がいいのかもしれないけど、接待とか苦手だし。わたしにはお茶出しとかがせいぜいだ。
それに、お酒の席とかでごまかされて、胸とか触られたら最悪だし。
おまけに、男慣れしていないわたしが取引先の人にうまく対応できるとも思えない。
「なんだ、このつまらない女は」
なんて思われたら、ちょっと、いやかなりへこむかもしれない。
それでもって、もしかしたら円滑だった今までの取引先との仲も悪くなるかもしれない。
……いや、これは最悪の事態を想像しただけだけどさ。
相田さんのわたしへの心証は多少悪くなるかもしれないけれど、それは仕事の方で挽回することにしよう。
わたしは渋る相田さんに謝り倒してなんとか飲み会は回避することに成功した。
「そんなんだから彼氏もできないのよ」
相田さんに嫌みを言われたけれど、わたしは気にしないことにした。
これは何度もいろんな人に言われていることだったからだ。
確かにわたしには恋人はいない。というかこの歳まで彼氏がいたことはない。
いわゆるもてない女──喪女というやつだ。
顔自体はそこまで悪くはない……と思う。
ものすごいブスでもなければ、美人でもない。ごく普通の顔。
もちろん、この歳になるまでに恋人が出来る機会が全くないことはなかった。
今までに異性を紹介してくる相田さんみたいな人もいたし、知り合いや親に婚活を勧められたりした。
でも、わたしにはめんどくさい男女の関係よりも、もっと大事なことがあったのだ。
「よーし、下描きまでは完成ーっと」
わたしはあの後、主任に文書を確認してもらってOKが出たところで、脇目もふらず家に直帰した。
趣味の漫画の下描きが予定したところまで終わりそうだったからだ。
その時のわたしは作成中のオリジナル漫画の進行具合が大変よろしかったので、その事に浮かれ気味だった。
これなら早めにサイトに載せられそうだし、気の乗らない飲み会よりは、時間の過ごし方としてはやっぱりこっちのほうが有意義だ。
今は騎士と姫君の恋物語を描いていて、そこそこ見てくれる人もいるので、わたしはそれが嬉しくて頑張ってサイトを更新していた。
でもどこかの出版社に投稿する気はさらさらなかった。
そんな自信もなかったし、ウェブ経由でいろいろな人に見てもらえるということにわたしは満足していた。……それは完全に自己満足っていうものかもしれないけれどね。
「しっかし、さすがに肩こったなー」
ジャージ姿のわたしは、自分の部屋でこきこきと首を鳴らしながら独り言を言う。いい加減、この癖は改めなければと思うが、長年の癖なのでなかなか抜けない。
わたしは今度のサイト更新分の下描きまで終わった原稿と漫画道具一式を百均で買ってきたプラスチック容器にまとめると、本棚兼物置に置きに行く。
この後の予定では、わたしのもう一つの趣味の預金通帳の残高を見て一人で悦に入る予定だった。……まあ、あんまり他人に見せられるような趣味じゃないよね。
預金通帳を見て、ニヤニヤする様は自分でも不気味かもしれないと思う。
しかし、その予定に反して、汚部屋に積み上げた漫画本の角に足の小指がぶつかり、わたしは見事に前につんのめった。
「いってぇ~っ!」
二十七の女の叫び声として、これはどうかと思うが、本当に痛いのでしょうがない。
人間、とっさの時にはつい地が出てしまうものだ。
だが、原稿一式は死守。
どうあっても、死守。
足の小指の痛みをこらえながら、わたしは転ぶのだけはどうにか持ちこたえて、その場に座り込んだ。
しかし、そんなわたしの目の前を何枚もの紙が舞っている。
……あれ、原稿用紙は封筒にしまってあるし、あんなふうに散らばることはないはずなのに。
「……おい」
わたしが舞い落ちる紙に見とれていると、なぜかいきなり横から男に声をかけられて、わたしは思わず後ずさろうとした。……がなんだこれ。
「おい、やめろ!」
なぜかいかにも高価そうな馬鹿でかい机の上にいたわたしは、目の前の男に取り押さえられて呆然とする。
──どこだ、ここは。
さっきまでわたしは自分の汚部屋にいたはず。
だけど、今いるのは異国情緒溢れる豪華絢爛な広い室内。
そしてわたしを取り押さえているのは、浅黒い肌に銀髪の、深い青色の瞳をした美形。
「おまえ……、なんてことをしてくれたんだ」
美形がその秀麗な顔を歪ませて見てくるけど、こっちはそれどころじゃなかった。
──いったい、なに? なにが起こったの?
汚部屋から豪華絢爛な室内に一瞬にして移動してくるなんてありえない。
それに、目の前の絶対日本人じゃない顔立ちの男。
……これはもしかして、ひょっとしてひょっとすると、SFとかで言うなら海外とかにテレポート?
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