月読の塔の姫君

舘野寧依

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番外編

深淵に眠る姫君

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「イルーシャが目覚めないだと……? なにを馬鹿な」

 昨夜床に着いたイルーシャが夕方になっても起きてこない。
 執務に就いていたカディスがリイナからそう報告を受け、信じられないと言うように首を横に振った。

「陛下、誠でございます。なんどお声をかけても、揺すっても、イルーシャ様の反応がございません」
「……」

 思えば、イルーシャは昨日思い詰めて、月読の塔に封印してくれとキースに懇願するまでだった。
 どうやったのかは分からないが、イルーシャは自分自身で現実を否定してしまった可能性が高い。

「キースを呼べ。いますぐにだ」

 恋敵ではあるが、こういう状況で一番頼りになるのは、従兄弟であるキースしかいなかった。

「はい、かしこまりました」
「……俺がイルーシャの寝室に入っても問題はないな?」
「はい、わたくしたちでイルーシャ様を着替えさせました故、大丈夫でございます。」
「そうか、分かった。すぐ向かう」

 ──俺はそこまでおまえを追いつめたのか、イルーシャ。

 彼女を永遠に失ってしまうかもしれない可能性に怯えながら、カディスは自省する。
 だが、今はイルーシャの様子を見るのが先だとカディスは考え、溜息を付きながら執務室から出、彼女の部屋へと向かった。



 カディスがイルーシャの寝室に入った時には、既にそこにキースがいた。
 キースはイルーシャの額に手を当てて、なにかを考え込んでいる様子だった。

「キース! イルーシャは……っ」

 その間から見えるイルーシャはまるで人形のようで、思わずカディスは叫ぶ。
 イルーシャが病人であったとすれば、カディスも自重しただろうが、今回はまた話が別だ。
 カディスはイルーシャがうるさがって目覚めれば良いのにと願わずにはいられなかった。
 リイナ達が普段の衣装に着替えさせたイルーシャは、相変わらず美しい。
 ただ寝台に横たわった彼女が、この騒がしさにも関わらず昏々と眠っているのが少々異様に見えた。

 やがてキースはイルーシャの額から手をどかすと、カディスに向き直った。

「キース、なにか分かったか? イルーシャにいったいなにがあったんだ」
「分からない。……ただ、驚くほど彼女の魔力が稀薄になってる。まるで、どこかの空間に吸い込まれでもしたみたいだ」

 カディスは要領を得ないキースの言葉に首を傾げる。
 結局分かったことは、キースにもイルーシャがこうなった原因が分からないと言うことだけだった。
 カディスが更にキースに質問しようとしたところへイルーシャの求婚者の二人の騎士と、なぜかマーティンまで寝室に飛び込んできた。

「イルーシャ様が目覚められないとか」
「いったいどうなされたのです、イルーシャ様は」
「イルーシャ様はまさかもう目覚められないのですか!?」

 マーティンのその言葉に、カディスは目を剥いて怒鳴った。

「縁起でもないことを言うな!」
「も、申し訳ございません」
「キース様、イルーシャ様をこのままにしていては衰弱されてしまうのでは?」

 マーティンがうろたえている傍で、内心ではどう思っているのかは計り知れなかったが、比較的冷静に眠るイルーシャを見てヒューイが言う。
 他の二名は心配を隠せずにイルーシャを見つめている。

「ああ、それは既にイルーシャの時を止めてあるから大丈夫だよ。かと言って、このままにする訳にもいかないけれど」
「……なにか方策がおありになるのですか」

 ブラッドレイがキースにそう尋ねると、その場にいた者全員が一斉に彼を見た。

「イルーシャは眠る前に過去視の訓練をしていたそうだ。もしかしたらイルーシャの意識は過去に行っているのかもしれない。……そう考えれば、彼女の魔力が稀薄なのも説明が付く」
「過去に……」

 思ってもいなかったキースの言葉に、皆が呆然と呟く。

「……仮にそうだとして、どうやってイルーシャを元に戻すんだ。自然にまかせるのか? どうなんだ、キース」

 カディスが八つ当たりにも似た調子で、キースに詰問する。
 他の三人の騎士達はカディスを諫めることも忘れてただキースの動向を見守る。
 愛しいイルーシャを元に戻すことが出来るのは、キースしかいないだろうということをこの場にいる者達全員が嫌と言うほど感じていた。
 キースはカディスのきつい言葉を特に気にした風もなく意識のないイルーシャを見つめていたが、やがて言った。

「……とりあえずイルーシャの魔力を辿ってみるよ。イルーシャがなぜ眠ったままなのかくらいは分かるかもしれない」

 彼女を必ず助ける、とはキースは明言しなかった。
 それほど、今回の件は稀代の魔術師であるキースにも厄介なのだろう。
 不満はあったが、仕方ない、とカディスが息をついた。
 結局はキースがいなければイルーシャは元には戻らないのだ。

「頼んだぞ、キース」

 自分にキース程の魔力があれば他の男などにイルーシャを任せないものを──
 そこまで考えて、この場にいる騎士達も同じ思いだろうということに気が付き、カディスは内心で苦笑した。
 彼女を救うのが自分ではないことは癪ではあったが、しかしまたイルーシャの笑顔が見られるのであれば、なんでもないことだ。

 ──戻ってこい、イルーシャ。

 イルーシャの額に手を当てて静かにその魔力を探っているキースを見つめながら、カディス達はイルーシャの帰還を心から望んでいた。
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