月読の塔の姫君

舘野寧依

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第五章:銀の王と月読の塔の姫君

第62話 隣国からの使者

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「イルーシャ、どうしたんだ」

 あまりの遅さにわざわざ迎えに来たらしいアークが、泣きじゃくるわたしを見て驚いたように言った。

「アーク」

 それまでエレーンにしがみついていたわたしは、今度はアークに腕を伸ばして抱きついた。
 ──いや、アークと離れたくない。
 こんなに愛しているのに、どうして別れなければならないの。
 わたしはアークの胸に顔を埋めながら、幾筋も涙を流した。

「……かなり強い魔力──そこに誰かいたのか、イルーシャ」

 わたしからは見えないけれど、たぶんアークはキースがいた場所を見ているのだろう。
 泣きじゃくるわたしの背を宥めるように優しく撫でながら、アークが尋ねてくる。
 わたしはそれになんとか答えようとして、涙を流しながらも彼から体を起こして口を開いた。

「え、ええ、そう。そこにいるはずのない……がいたの」

 わたしはキースの名前を告げたはずなのに、なぜか彼の名をアークに教えることが出来なかった。

「イルーシャ、誰がいたというんだ」
「……よ、わたしが世話になった」

 アークに聞かれても、わたしは相変わらずキースの名を呼ぶことが出来ない。
 それでアークは目を瞠るとそうか、と呟いた。

「……イルーシャから名を封じたのか。随分と用意周到なことだ」

 よく分からないけれど、キースがわたしに名を呼ばせないようにしたのは未来のことが知られてしまうだけではなくて、魔術的な意味もあるのかもしれない。

「イルーシャ、世話になったと言ったな。それはおまえが以前世話になったと言っていた魔術師か」
「ええ、そうよ。それがどうやってここに来れたのかは分からないけれど」

 そのころになってようやく涙を収めたわたしは、アークに頷いた。
 それに対してアークは考え込むように顎に手を当てている。

「過去の亡霊か……。いや、それにしてはこの魔力は鮮烈過ぎる」
「アーク……」

 わたしが不安を隠せずに彼を見ると、それに気付いたアークはわたしの額に口づけてきた。

「その魔術師の存在は気にはなるが、とりあえず食事にしよう。イルーシャ、移動するぞ」

 それで、わたしとアーク、そしてエレーンは共同の間まで彼の魔法で移動した。



「イルーシャ、さっきからほとんど食事に手をつけてないじゃないか」
「あ、ごめんなさい」

 心配そうにアークに見られて、わたしは慌ててスープを口にする。
 アークにあの伝承のことを知られたらいけない。そんなことを言ったら、きっと彼の心労を増やすだけだ。
 そんなことにならないためにも、わたしは普段通りにしていなくてはならない。

「あの魔術師のことを気にしているのか? それならおまえの部屋に結界を張るようにするから安心するがいい」
「……結界……。そうね、それなら安心ね」

 気遣うような彼の言葉にわたしは微笑んだ。
 ……でもあまり考えたくはないけれど、稀代の魔術師と言われたキースがそれを破るのはそう難しくないかもしれない。
 だけれど、アークがこう言ってくれているのだし、その好意を無にするようなことをしてはいけない。
 それでわたしは、頭の中から無理矢理キースの事を追いやり、アークとの昼食に集中することにした。



「イルーシャ、その魔術師の名を紙に書いてみろ」

 食事が終わって、わたしは応接セットでアークとゆっくりお茶を飲んでいたら、彼にそう言われた。
 あ、言葉には出来なくても紙には書けるかもしれないものね。
 わたしはなんだかほっとしながら、エレーンが持ってきた紙にペンでキースの名前を書こうとした。
 ……けど、わたしの手はそこでいきなりこわばったように動かなくなった。

「……これでもだめか」
「ごめんなさい」

 溜息をつくアークに、わたしは申し訳なくて謝った。

「謝らなくてもいい。おまえにはどうしようもないことだからな」
「アーク」

 謝罪の言葉の代わりに、わたしは彼にしがみついた。
 それに対してアークもしっかりとわたしを抱きしめてくれる。
 ──ああ。この温もりを失いたくない。
 わたしがアークの背に腕を回すと、彼は強くわたしを抱きしめてくれた。
 そんなわたし達の邪魔をするかのように、トゥルティエールからの使者の来訪が告げられた。

「是非ともイルーシャ様にお会いしたいとのことですわ」

 メルアリータにそう言われて、わたしはグローグ伯爵の一件を思い出した。
 出来れば会いたくないけれど、一国の王妃という立場上、拒否することは出来ないだろう。

「分かったわ」
「……いいのか? 無理に会うこともないのだぞ」

 心配そうにアークが覗きこんできたけれど、わたしはそれにこくりと頷いた。

「あの国がなにを考えてるのかは図りかねるけれど、この国の王妃として一応会うぐらいはしておいた方がいいと思うの」
「……そうか」

 その答えを聞いて、アークは優しい笑顔になって、わたしの髪を愛しそうに梳いてくれた。



 トゥルティエールからの使者は、グローグ伯爵の件で暗躍していたレーゼスだった。
 それで思わずわたしは謁見の間の王妃の席で、その身を堅くしてしまった。
 そんなわたしの手をアークは安心させるように握ってくれた。

「本当に噂通りにお美しい方でいらっしゃいますね。イルーシャ様の前ではどんな花も霞んで見えることでしょう」
「……それはありがとうございます」

 レーゼスから発せられるわたしへの美辞麗句も、グローグ伯爵の一件が引っかかって素直に喜べない。

「本日はイルーシャ様に我が王からの贈呈の品をお持ち致しました。どうぞお納めください」

 グローグの傍にいたもう一人の使者が傍目にも美しい淡い青紫色の首飾りを載せた台をずい、と恭しくわたしに差し出してくる。
 これは、この首飾りを手に取れということなのかしら。確かに綺麗な首飾りだけれど。
 わたしがそれに手を伸ばしかけた途端、アークから厳しい制止の声がかかった。

「待て、それを取るなイルーシャ」

 それに対して、一瞬レーゼスが舌打ちせんばかりの顔になるのをわたしは見逃さなかった。
 あ……、なにか罠でもしかけてあったのかしら。うっかり手に取らなくてよかった。

「──召還魔法か。こうも公然と王妃を攫おうとするなど、随分とガルディアも舐められたものだな」

 今度ははっきりとレーゼスが舌打ちすると、短い詠唱でわたしのすぐ傍に移動してきた。

「イルーシャ!」

 焦ったようなアークの声が酷く遠くに聞こえる。
 ──ああ、わたしはまた他の国へ連れ去られてしまうのかしら。
 そう嘆く間もなく、いきなりわたしの目の前にキースが現れてレーゼスを弾き飛ばした。
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