月読の塔の姫君

舘野寧依

文字の大きさ
上 下
57 / 108
第五章:銀の王と月読の塔の姫君

第56話 連綿たる系譜への罪

しおりを挟む
 次に気がついたときには、昼過ぎだった。
 わたしは鬱々とした気分で、シンシアにお風呂にいれてもらってから着替えた。
 ……でも、寝室から出る気力も湧かない。
 アークはわたしに対してまだ怒っているだろうし、それを考えるととてもなにかをする気にならなかった。
 わたしは先程のアークの剣幕を思い、ベッドに身を横たえ、泣きはらしていた。

「……イルーシャ様、どうかお食事を召し上がってください。朝もお召し上がりになられていないではないですか」

 心配そうにシンシアが言ってきたけれど、どうにも食欲が湧かない。
 けれど、あまり彼女に心配をかけても悪いだろう。

「……それなら、スープだけ。それなら口に出来そうだから」

 わたしがそう言うと、シンシアは少しだけほっとしたような顔になる。
 それを見て、わたしは申し訳ない気分になったけれど、これ以上はどうしてもそういう気分になれなかった。
 シンシアは天蓋付きのベッドにかかった紗をかき分け、ベッド用のテーブルをセッティングする。
 そこにスープを置かれて、わたしは溜息を押し殺しながらそれを口にした。
 そうしていると、先程のアークの怒りの表情が思い浮かんできて、涙が溢れそうになる。
 それをなんとかこらえて、わたしはスープを飲み干すとシンシアに言った。

「……ごちそうさま。もう下げていいわ。……悪いけれど、しばらく一人にしてくれる?」
「イルーシャ様、……かしこまりました」

 シンシアはなにか言いたそうだったけれど、わたしの意向を汲んでくれたようだ。空になったスープ皿を下げると、ベッド用テーブルを戻し、頭を下げて退室した。

「……」

 一人になったわたしは再びベッドに横たわると、こらえていた涙を流した。
 アークに嫌われたかもしれないと思うと、苦しくて仕方ない。
 自業自得だけれど、どうにかして彼に許して欲しかった。
 けれど、彼の執務室に行って謝罪するのさえ怖い。
 もし、彼になにをしにきたという目で見られたらと思うと、どうしても体が萎縮してしまう。

 ──なんてわたしは臆病になったのだろう。

 ふいにこんな自分がおかしくなり、くすりと笑いを漏らしてしまう。
 いいえ、恋には人をそういうふうに変えてしまう力があるのかもしれない。……かつて、恋を失って自ら命を絶ってしまったリューシャのように。
 彼女があんなふうになってしまったのに、わたしだけ幸せになろうなんて、虫が良すぎたのかもしれない。
 アークに嫌われるのは哀しいけれど、そうなっても仕方ないことをわたしはしたのだし、黙ってそれを受け入れよう。
 ……これからは、子を成すために夜のアークの訪れを受け入れ、そして王妃の務めを果たせばいい。
 ──どちらにしてもわたしは罪深いけれど。

 ふ、と息をついて起きあがると、近くに人の気配を感じた。

「イルーシャ」
「ア、アーク? いつからそこに」

 思ってもいないアークの訪れにわたしはみっともないほどうろたえてしまった。
 けど、いきなり寝室に現れるなんてずるい。不意打ちだわ。

「たった今だ。侍女におまえがずっと泣いていると聞いてな」

 ……ああ、わたしを心配したシンシアがたぶんアークに直接言ってくれたんだわ。
 心配かけさせてしまって、彼女には悪かったかもしれない。
 そんなことを考えているうちに、アークが寝台に腰を下ろし、わたしの頬に触れた。
 濡れた頬に触れられて、わたしは思わずびくりと体を震わせた。
 きっと今わたしは酷い顔をしている。
 そんな顔をアークの前に曝したくなかった。

「……見ないで」

 顔を逸らそうとしたけれども、アークに両頬を覆われて、わたしは無理矢理彼の方に向けられた。
 ……ああ、こんな顔見られたくなんてないのに。
 新たに涙が浮かんで、わたしの頬を転がっていく。

「イルーシャ、泣くな」

 涙の跡にアークの唇が押しつけられる。
 ……アーク、わたしを嫌いになったわけではないの?
 わたしを思いやるような彼の行動に、わたしは子供のようにしゃくりあげて泣いてしまった。

「イルーシャ」

 驚いたようにアークが体を離してわたしをまじまじと見つめてくる。
 ……アークの前でこんな幼い泣きかたをして恥ずかしい。

「あな、たにきら、われたと思、ったの。わたし、わた、し……っ」
「イルーシャ」

 そこでわたしはアークに痛いほど抱きしめられた。
 その途端に襲ってくるアークに対する愛しさと幸福感にわたしは酔った。

「すまない。おまえがこんなに苦しむとは思わなかった。許してくれ」
「いいえ、わたしが悪いの。あなたがわたしのためにいろいろしてくれているのに、わたしはそれを踏みにじるような真似をして……っ、ごめんなさい」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、わたしはアークにしがみついた。
 ふいにわたしはアークに上向かされて口づけられる。

「アーク」
「イルーシャ、愛している」

 アークのその言葉でわたしはまた涙を流してしまった。

「アーク、わたし、わたしも……っ」

 ああ。わたしは彼に酷いことをしてしまったけれど、許してもらえたのかしら……?
 だとしたら、わたしはもうなににも振り回されず、アークのことだけを考えよう。

「アーク、愛してるわ。もうあんな馬鹿なこと言わない。あなたの妃にふさわしいように行動するわ」
「そうか」

 わたしの言葉にアークが嬉しそうに笑うと、わたしの髪を手櫛で梳いた。……ああ、ベッドに寝ていたから結構乱れてるのかしら。
 赤くなりながらアークに聞くと、彼はそんなことはないぞと言って首を横に振った。
 なんのことはない、ただわたしの髪に触れたかったそうだ。

「そう言えば、イルーシャ、昼もほとんど食べていないそうだな?」
「あ、ええ。スープだけ」
「それはいけない。わたし達はまだ蜜月が始まったばかりなんだぞ。その花嫁の体調を崩させるわけにもいかない」
「え……」

 アークの言葉に目を白黒している間に、わたしは彼に抱き上げられた。
 そして共同の間にアークの魔法で一瞬で移動してきた。そこでわたしはアークの腕から降ろされる。
 そこにはお茶のセッティングが既に出来ていて、焼き菓子に加えて、簡単に摘める軽食も用意されていた。

「これ……、アークの指示?」

 アークの腕にしがみつきながら、わたしは尋ねた。

「ああ。わたしもそれほど昼に食欲があったわけではないからな。……わたしとしても、あれは結構な衝撃だったんだぞ?」
「……ごめんなさい」

 再び涙が盛り上がってきそうなところで、アークはわたしの眦に口づけを落とした。
 そしてそれは、頬から唇に移動してきて次第に熱烈なキスになっていった。

 そこへ少しばかりわざとらしい複数の咳払いが聞こえたので、見るとそこにはアークとわたし付きの侍女が一同に介していた。
 サービス体制は既に万全ということなんだろう。
 見ると、あちこちの花瓶に生けられた花々が美しい。
 これはきっと侍女達がわたし達に心を砕いて、室内に居ながらにして美しい眺めになるようセッティングしたんだわ。

「綺麗ね」

 わたしが侍女達を労うと、彼女達はとても嬉しそうな顔をした。

「陛下、王妃様おかけになってください」

 メルアリータがわたし達をそれぞれの席に案内した。
 テーブルを挟んで向かい合わせになるようにセッティングしていたらしいそれを見て、アークがわたしと隣り合わせになるようにしてほしいと言ってきた。……アークったら。

「わたしはこのままでもいいけれど」
「いや、わたしはイルーシャの隣がいい。その方が新婚らしいだろう」

 おどけたように『新婚』と言うアークに、わたしはかあっと頬を染める。

「……そうですわね。気がつきませんで申し訳ありませんでした」

 メルアリータが頭を下げてくるけれど、そこには朝の時の鬼のような表情はない。
 とりあえず、彼女の機嫌も直ったらしいと感じてわたしはほっとした。
 アークと二人で茶会の席についたわたしは、アークに焼き菓子や、サンドイッチのようなものを進められ、頷いてそれを食した。
 アークと仲直りした途端に現金なもので、わたしは心なしか食欲が戻ってきたようだ。

「……それで、イルーシャはわたしの子を産む覚悟はあるか?」

 侍女達に聞こえないくらいの声でアークが聞いてくる。アークが寄り添っているからできることだけど、わたしもそれに小声で答えた。

「……ええ、あるわ。わたしはあなたの子を成したい」

 わたしは愛しいアークににっこり笑いかける。
 けれど、わたしのしようとしていることはまさに悪魔の所業だ。
 わたしが子を成せば、さんざん世話になったカディスやキース、それに類するたくさんの血縁の者は存在しなくなる。

 ──ごめんなさい。何度謝っても許されないだろうけれど、ごめんなさい。
 わたしはアークと生きることを選びます。
 だから、いくらでもあなた達はわたしをなじっていい。

「イルーシャ」

 アークが眉を寄せてわたしを覗き込んでいる。たぶん考え込むわたしが不審に映ったのだろう。けれど、わたしは彼に愛情を疑われることはしたくない。

 わたしは未来の全ての関わりを絶つと、アークに微笑んだ。

「アーク、わたしはあなたの王子を産みたいわ」

 それはわたしが、未来に関わった人達よりもアークを優先させた瞬間だった。

 ──わたしはこの罪を受け入れる。そうして生涯ずっとそれを償っていきましょう。

 わたしはそう決心すると、アークに甘えるように寄り添った。
 それに対して、アークは口づけで応える。
 ……わたしの罪を覆い隠して、今この時だけは、穏やかな時が過ぎていこうとしていた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです

gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

処理中です...