月読の塔の姫君

舘野寧依

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第三章:傾国の姫君

第35話 ハーメイにて

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 かくして、ハーメイに拉致されたわたしが連れていかれたのは、王の私室の隣だった。

「……ちょっと、この部屋って……」

 ガルディアでは王の隣の部屋って言ったら、王妃の部屋って決まってるんだけど、するとここももしかして。

「ああ、王妃の間です」

 えええええ!?
 ロアディールにこともなげに言われて、わたしは数歩退いた。

「あなたと語らうのにちょうどよい場所なので決めただけですよ。そんなに警戒しないでください」

 顔をひきつらせるわたしをロアディールはおもしろそうに見やる。

「いや、でもこういう場所って一応部屋は分かれてるけど、実は中で繋がってるって聞いてるんだけど」
「ええ、そうですね。たびたびあなたを訪ねると思いますので、そのつもりでいてください」

 そのつもりでいてくださいって、おい──!

「いますぐ、部屋を変えて!」
「もう決めましたから駄目ですよ。侍女達にも通達しましたから」
「そんなん、国王権限でどうにでもなるでしょうが!」

 最初の頃は一応姫君らしい口調でいたけれど、もうこうなってくるとどうでもよくなってきた。

「いったん決めたものをそうそう変えたら迷惑ですよ。諦めてください」

 侍女達の迷惑は考えるのに、わたしのそれは受け入れられないのか!

「とりあえずわたしは所用があるので、これで失礼しますよ。晩餐はご一緒しましょう」
「別に一緒でなくていいよ。つーか、むしろほっとけ」

 むかつくやつと一緒に夕食取るなんて消化に悪そう。
 すげなく言ったわたしの言葉にも特に気にする様子も見せずに、ロアディールは楽しそうに笑った。

「あなたを放っておくなど、とんでもない。本当は一時でも離れていたくはないのですが」
「いいよ、離れてて。鬱陶しいから」
「姫はつれないですね。それではまた後ほど」

 くすくす笑いながらロアディールが部屋を出ていくのをわたしは溜息をついて見送っていた。

 ロアディールは嫌みを言っても全く通じない相手でやりにくいったらない。地を出しても幻滅する様子もないし、向こうから辟易して帰してもらうというわたしの作戦は見事失敗に終わった。

 ああ、でもとりあえず、これでようやく一人になったわけだよね。
 少しだけほっとすると、わたしは腕輪を使ってキースを呼び出すことを試みた。……予想はしていたけれど、やっぱりキースは現れない。

 わたしが落胆の溜息をついていると、空中からウィルローが突然出現してきた。
 ちょっと、あんたは呼んでないよ!
 彼はわたしの腕を掴むと、キースを呼び出す腕輪を見て、嘲るように言った。

「キース・ルグランを呼び出そうとしても無駄ですよ。この城は外からの魔法を遮断してありますから」

 ウィルローはわたしの腕輪を取り上げると、空中でひしゃげさせた。

 あああ、唯一の連絡手段が!
 さすがガルディア兵を切り刻む鬼畜、やることが容赦ない。
 わたしがむっとしてると、ウィルローはニヤリと嫌な笑いをした。

「ロアディール様は先程あなたに手を出さないと言いましたが、安心はなさらないことですね。あの方をその気にさせる方法はいくらでもあります」
「そ……」

 その方法がどんなのか非常に気になって、うっかりウィルローに尋ねそうになった自分にわたしは冷や汗をかく。

 なに考えてるんだ、わたし。もし実行されたりなんかしたらすごく困るし。
 あわあわと口を押さえて慌てるわたしをふふんというような顔でウィルローは見下ろした。……いちいちムカつくやつだな!

「まあ、今回はやめておくことにしましょう。……楽しみは後に取っておくことにしますよ」

 実行に移されなくてよかったけど、楽しみは取っておくことにするってなに? そんなのとっとと忘れ去ってほしい。

「それではわたしもこれで失礼しますよ。……くれぐれも逃げ出そうなどという無駄な努力はなさらないことですね。それはこちらですぐに察知できますから。あなたのような姫が逃げようとしてもすぐに見つかりますよ」

 ウィルローはどこまでも慇懃無礼にわたしに釘を刺してきた。
 ……そんなことは言われなくても分かってるよ!
 わざわざ召喚までしたわたしがいるこの部屋に、二重三重の見張りがついてない訳がない。
 わたしが不機嫌に顔をしかめていると、ウィルローは「それでは」と言ってその場から消えた。


 ……キースには明かりを灯す魔術だけ教えて貰ったけど、こんなことになるんだったら、もうちょっと色々教えて貰うんだった。
 わたしは今更仕方のないことを考えて、溜息をつく。

 ──しょうがない。今はわたしに出来ることをしよう。

 部屋で軟禁状態のわたしは暇を持て余すことを考えて、過去視の訓練でもしようと侍女さんを呼び出した。

 部屋に現れたのは、コリーンさんという四十代位の人だった。無表情ではあるけど、いかにも仕事ができそうで地位が高そうだ。もしかしたら、リイナさんみたいに侍女長とかだったりするのかもしれない。

 わたしはコリーンさんにカードを持ってきて貰って、過去視の訓練に励む。……わたしに出来るのがこんなことだけってのがちょっと悔しいけど。
 わたしの訓練は結局ロアディールに呼び出されるまで続いた。



「晩餐の準備が整いました。既に陛下がお待ちです」

 訓練に熱中しているうちにコリーンさんが呼びに来て、わたしは彼女に気づかれないように小さく溜息をついた。
 ああ、敵との食事会かあ。ちょっと気が重い。
 わたしが、コリーンさんに王と王妃共同の部屋に連れていってもらうと、ロアディールが席から立ち上がってわたしを出迎えた。
 テーブルに並べられた食事を見て、わたしは急にお腹が空いてきた。こんな状況なのに我ながら現金なものだ。

「お待ちしていましたよ、姫。さあ、座ってください」
「うん」

 ハーメイもガルディアと同じくおのおのの皿から料理を取り分ける食事形式のようだ。
 敵地で食事を取るっていうのも、なにか食欲に負けたみたいで悔しい。けれど、ここでちゃんと補充しておかないと、いざというとき動けなかったりしたらいけないしね。

 今夜のメインはなにかのステーキらしい。スパイスがいていて癖は特に感じない。赤身でちょっと堅めだけど、なんの肉だろ?

「鹿の肉ですよ。イルーシャ姫は口にするのは初めてですか?」

 わたしがちょっと首を傾げていると、ロアディールが説明してくれた。

「うん、初めて。こっちはなんのお肉?」

 薄くスライスして野菜と煮込んだ肉をわたしは指さす。

「それは猪です」

 猪肉ししにくも初めて食べるなあ。
 わたしは興味を引かれて、そっちも口にしてみる。あ、ちょっと豚肉に似た感じ。
 獣肉って結構食べられるものだね。とはいえ、ある程度味付けされてれば、鰐でも蛇でも食べられる自信はあるんだけど。人に聞いた話だけど、蛙とか鶏肉よりおいしいらしいし。

「……しかし、鹿に猪とは妙な勘違いをされたものですね」
「え?」

 ロアディールの言ってることがよく分からなくて見返すと、彼はちょっと苦笑した。

「城の者は今夜わたしがあなたをどうにかするとすっかり思いこんでいるようです」

 こ、この野趣溢れるメニューはアレに備えて、精をつけさせる意味合いなのか!?
 せっかく珍しいものをおいしく頂いてたのに、わたしはうっかり動揺してナイフとフォークを皿に落としてしまった。

「姫は随分分かりやすい方ですね」

 くすくすとおかしそうに笑われて、わたしは思わず顔を真っ赤に染める。

「それにとても可愛らしい。姫、……ああイルーシャとお呼びしますけれど、よろしいですか?」

 意外と律儀というか、ロアディールがわざわざ許可を求めてくる。

「……別にいいけど」

 わたしとしても、姫よりイルーシャの方がまだしっくりくるので赤い顔でぞんざいにそれを認めた。

「イルーシャは口は悪いですが、そんな顔をされたら思わずどきりとしますね」
「……」

 気さくに話しかけてくるロアディールに対して態度悪いけど、わたしはただ黙ってこの場をやり過ごそうとした。

 だって、万が一にも彼に変な気になられたりしちゃ困るのよ。そんなことになったりしたら、ガルディアに帰るに帰れないじゃない。
 妙な雰囲気になるのを阻止するためにも、ここはいかにも機嫌悪そうに装うほうがいいよね。

 わたしはなるべくロアディールを無視するべく、ポテトのクリーム煮を皿に取って口に運んだ。……ああ、クリーミーさと塩加減が絶妙で、おいしいー。
 思わず笑顔を浮かべると、ロアディールが嬉しそうに笑った。

「やっと笑ってくれましたね」
「……」

 う、わたしの機嫌を取る方法が食事だとバレたかな。カディスやキースにはもうバレバレだけど。……でも、別に食い意地が張ってる訳じゃないと思いたい。
 そこでわたしはなるべく不機嫌そうな顔をして、次の目的のパンに手を伸ばす。バターたっぷり塗って頂くと、やっぱりおいしい。
 焼きたてのパンはいいなあ、とにっこりしてると、ロアディールが噴き出した。

「イルーシャ、無理矢理顔を作らなくてもいいですよ。その、少し笑えますから」

 ……笑えるってなに?
 興味本位で無理に連れてこられて、軟禁されてるのに、こんな言われようって。

「……やっぱりわたし、あなたのこと大嫌い」
「それは悲しいですね。でもわたしはあなたのことが大好きですよ」

 恥ずかしげもなく、にっこり笑って言うロアディールにわたしは呆れかえる。なんというか、暖簾に腕押し、糠に釘? ……もう、無視だ、無視!

 それからしばらく、食事に専念するわたしと、それをにこやかに見つめながら食事を進める敵国の王の一見和やかで、ある意味異様な光景が繰り広げられた。
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