月読の塔の姫君

舘野寧依

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第三章:傾国の姫君

第29話 騎士の求婚(2)

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 ……確かにブラッドがいたら、説教してやりたいって思ったよ? でも目覚めの後にいきなり本人が現れたらちょっと動揺するってもので。

 わたしはシェリーにお茶を出してもらった後、ちょっと込み入った話をするからと言って席を外してもらった。

「……えーと、実は今、過去視でトリア村の状況見てたんだよね」
「イルーシャ様のその能力は意識して使えるんですか?」
「今のとこ意識しては無理。それも眠ってる状態でないと発現しないし」

 それが、訓練している途中で居眠りして出てくるなんて皮肉な話だ。

「それで、今回はどこまで見えたんですか?」
「最初はハーメイ国王の死因から入って、次に昨夜から今朝にかけてのトリア村が見えた。リューシャってが出てきたけど」
「リューシャ……、イルーシャ様由来の名ですね」
「あ、うん。似てるからそうかもね。……じゃなくて!」

 うっかりそのままブラッドのペースに流されるところだったよ。

「ブラッド、リューシャはあなたのためにお菓子を焼いたのに、みんなで頂きますってどういうことよ」

 ああ、あの娘はリューシャと言うんですか、とブラッドは暢気に言った。

「どういうことって、言葉通りですが」
「わたし、あなたのことタラシだと思ってたけど、本当はとんでもない朴念仁だったんだね。見りゃすぐに分かるじゃない、リューシャはブラッド、あなたのことが好きなんだよ!」

 わたしはビシィッ! とブラッドに指を突きつける。

「……なんだか、酷い言われようをされていると思うのは気のせいですか?」

 あ、わたし今ブラッドのことタラシとか言ったっけ。

「と、とにかく、そういう場合は皆で食べるとか言っちゃ駄目じゃない。リューシャがかわいそうすぎるよ!」

 ドン、とテーブルを叩くと、目の前のカップが浮き上がる。

「……しかし、その気もないのに余計な期待を持たせる方が残酷ではないですか」
「でも可愛い娘じゃない。今はその気がなくてもつきあってるうちに情も出てくるって!」

 わたしは身を乗り出して、見合いを勧めるおばさんよろしく、二人をくっつけようと必死だった。

「……つきあうこと決定なんですか? 俺はそんな気は毛頭ありませんよ」
「……ひょっとしてブラッド、リューシャの身が清らかじゃないから駄目なの?」

 わたしがそう言うと、ブラッドは目を瞠った。

「なぜあの娘が清らかじゃないと分かるんです。まさか、あの娘が襲われるところを見ていたんですか?」
「……最初から見てたよ、二人の男にリューシャが襲われるところ」
「見てしまったんですか」

 わたしの言葉にブラッドの瞳が陰る。
 うん、見ちゃったよ。こんなの見たってキース辺りに言ったら、やっぱり訓練は中止とか言われるかなあ。

「見たくなんかなかったけどね。わたしがハーメイ国王の妾になってればリューシャがこんな目に遭わずにすんでたって言ってたけど。……あいつら最悪なんだよ。イルーシャ姫はいい女なんだろ、一度でいいから抱いてみたい、目の前の女で我慢しろって、リューシャに酷いことしながら言うんだから」
「……あいつらがそんなことを」

 あの程度ですますんじゃなかったな、とブラッドがつぶやく。

「……身が清らかとかそういうのは関係ありませんよ。実際今俺が想っている方もそうではありませんから」
「えっ、ブラッド好きな人いたんだ! そうじゃないってことは恋人がいたとか、人妻とか?」

 わたしはブラッドの予想外の答えに興奮して立ち上がると、ついテーブルを回り込んで聞いてしまった。

「……未亡人ですよ。それもとびきり身分の高い方です。ですから叶わない恋です」
「でもブラッド、紅薔薇騎士団の団長じゃない。それに貴族出身なんでしょ? 身分的にそんなに釣りあわない人もいないと思うんだけど」
「ですから、俺では釣りあわないくらい高いんですよ。伯爵家出身のヒューならまだともかく、貧乏男爵家の四男の俺では到底無理です」

 ええー? 引く手あまたのブラッドの手の届かない、とびきり身分の高い人って……。

「ま、まさか王太后陛下!?」

 未亡人でとびきり身分の高い人って、カディスの母親であるあの方しか思い浮かばないんだけど。

「……なんでそうなるんですか」

 ブラッドが思い切り脱力する。……あれ、違った?

「え、ええっと、ところでその人はブラッドのこと好きなの? なんだったら、わたし後押しするけど」

 うん、この際友達のために伝説の姫君の名を最大限に利用してやろうじゃないの。

「普段は聡いのに、本当にこういうことには鈍感なんですね、イルーシャ様。そしてこの上なく残酷だ」

 え、なに?
 わたしはブラッドの言ってることが理解できなくて、眉を寄せる。
 残酷って、わたし自分で気がつかないうちにブラッドを傷つけていたんだろうか。

「それ、どういう……」

 意味、と聞こうとブラッドに向かって一歩踏み込むと、腕を取られて彼の膝の上に仰向けに倒されてしまった。

 えええええっ、なに、なに、なに──!?

 あまりのことにびっくりして目を見開いていると、ブラッドが苦笑した。

「なにが起こっているのか分からないという顔ですね。でもあなたが鈍すぎるのがいけないんですよ。ヒューの名を出して気がつかないんですから」
「え……?」
「あなたはヒューに求婚されているでしょう? おまけに古の王の妃で王族です。……さすがにここまで言えば分かるでしょう?」
「嘘」

 ブラッドの好きな人って、わたし……?
 わたしがあまりのことに瞳を見開いていると、ブラッドの顔が近づいてきた。

「ブラッド、ちょっと待って……っ」

 逃げだそうにもがっちりと抱え込まれていてわたしは動けない。

「後押しするとまで言われるんですから、責任は取ってもらいますよ」

 責任って! そういう意味で言ったんじゃないー!

 慌てているうちに、わたしはブラッドにキスされてしまった。

「ん……っ」

 つい鼻に抜けたような声が出てしまってわたしは内心焦った。
 わたしの馬鹿ーっ、なに変な声出してるのよー!

 ブラッドはわたしを抱え込み直すと、頭の後ろに手を添えてわたしが逃げられないようにした。
 今度は角度を変えてわたしをむさぼるようにキスをする。

「や、ぶら……ど、やめ……っ」

 拒否の意を伝えようと必死になっていると、ふいにブラッドが唇を外して笑った。

「煽っているようにしか聞こえませんよ、イルーシャ様」
「そ、そんなこと……っ」

 わたしが真っ赤になって否定しようとすると、またブラッドにキスされた。
 今度は深い口づけ。唇の間からブラッドの舌が侵入してきて、わたしはびくりとする。

「んん……っ」

 ブラッドの舌がわたしの口腔内をゆっくりとなぞる。な、なにか変な感じ。

「んぁ、や……っ」

 や、やだ、なんだか頭がぼーっとしてきた。このままじゃまずい気がする。な、なんとか抵抗しないと……っ。
 わたしの内心の焦りにも関わらず、ブラッドのキスは止まらない。

「や……っ、ん……っ、だ、め……っ」

 ブラッドの舌にわたしの舌がつつかれる。絡め取られてなぶられる。舌の裏側を何度もなぞられる。

「……っ!」

 わたしがびくんと痙攣すると、ようやくブラッドは唇を離した。

「な……」

 なにすんのよーっ! と叫び出したいけど、頭の奥が痺れていて動けない。

「とても可愛らしいですね、イルーシャ様。危うく理性が保てないところでしたよ」

 あまりのことにふるふると震えているわたしににっこりと笑う様はとても憎たらしい。
 おおお、思い切りディープなのされたよ! なんてことしてくれるんだ、ブラッド! やっぱりあんたはタラシだ!

「そういうことですので、リューシャ嬢の件はなかったことにしてください。イルーシャ様、いいですね?」
「そ、そ……っ」

 くくく、悔しい! 悔しすぎる!
 ディープキスされたことも悔しいけど、それにしっかり反応しちゃったわたしも恥ずかしすぎて悔しい!

「わ、わかったわよっ! とにかく離してっ」

 そう言ったことで、わたしはブラッドの拘束からようやく逃れたけれど、立ち上がろうとした瞬間、フラリとまたブラッドの上に倒れ込んでしまった。

「そこまで反応していただけるとは嬉しい限りですね」

 うう、タラシうるさい!

「……ブラッドって、この手の早さで、あの奥手で直球なヒューの親友なんて本当に信じられない」
「まあ、それはそれ、これはこれですよ。あなたがそう言うところをみると、あいつは口づけすらしていないようですね」

 ……そうだよ!
 わたしがむぅっとブラッドを睨んだら、彼は意にも介せずにこやかに笑った。

「俺は初めてあいつに勝ったと思いましたよ」

 黙れ、このエロ騎士。

 ……考えてみたら、わたしに求婚してキスしてこないのヒューぐらいだ。
 ああ、ヒューはいいなあ、清らかで。

 そんなことをしみじみ思っているうちに、ブラッドはわたしを長椅子に座らせて、わたしの傍に片膝を付いた。そしてわたしの手を取るとおもむろに言う。

「イルーシャ様、どうかわたしをあなただけの騎士にしてください」

 厳かに手に口づけられたそれは、騎士の求婚の儀式。
 なんてことだろう。これで求婚者が四名になってしまった。

 ……この事態、いったいわたしにどうしろと?
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