月読の塔の姫君

舘野寧依

文字の大きさ
27 / 108
第三章:傾国の姫君

第26話 急変(3)

しおりを挟む
「いや、いやあっ!」

 わたしはなんとかギリング王から逃げようと懸命だった。わたしにキスしてこようとするギリング王の頭を押さえながら、叫びに叫んだ。

「イルーシャ様、どうしました!?」

 騒ぎを聞きつけたらしいマーティンの声が聞こえてくる。……助かった!

「助けて! マーティン、助けて!」

 わたしは必死でドアの向こうにいるだろうマーティンに助けを求めた。

「──無駄ですよ」

 わたしの安堵を打ち消すように、にやりとギリング王が笑う。

「この部屋には魔術が施してあります。あの扉は開かない」

 ──嘘っ! だとしたら、このままわたしはこの男の餌食ってこと!?

「イルーシャ様! くそっ、なぜ開かない!」

 ギリング王の言葉を裏付けるようにドアの取っ手が鳴るだけで、マーティンがドアを開けられるような気配はない。
 マーティンがドアに体当たりしているような音が聞こえるけど、それでも駄目なんだろうか。

「多少外はうるさいが、まあ、それも一興。あの男にあなたの啼き声を聞かせてやろうではありませんか」

 ……この変態!
 わたしがきっと睨むと、目の前の男は楽しそうに笑った。

「なんと、見かけによらず気の強いことだ。……しかし、そんな女を組みしいてよがらせるのもわしの愉しみの一つですよ、姫」

 ……この、ド変態!! 絶対あんたなんかの思い通りになんかなるもんか!
 そう思って手足をばたつかせていると、ギリング王はそれを意に介す様子も見せずに、わたしの寝間着をビリビリと破いた。その間も胸やお腹を撫で回されてわたしは鳥肌を立てる。

「やだーっ!」
「イルーシャ様!」
「ほお、柔らかいのに弾力がある素晴らしい肌ですな。さすがにその辺の女とは伝説の姫君はわけが違う」

 こんな時だけど、わたしはギリング王のこの発言にカチンときた。……こっちは、もともとその辺の女なんだよ! 絶対にこんな男の好きなようにさせるもんか!

「離しなさいよ! 誰があんたなんかに!」
「強がる姿も可愛らしいですなあ、姫」

 ギリング王はにやにや笑うと、わたしの胸に顔を埋めてキスをした。
 ぎ、やああああっ!!

「い、痛……っ」

 キスされたときに吸い上げられた痕が肌に赤く残る。

「さあ、それでは本格的に愉しむことにしますかな」

 だらしなく笑いながらギリング王はわたしの太腿に手を伸ばす。太腿の内側をゆっくりと蠢く指の動きに、わたしははっきりと身の危険を感じとった。

「! いやっ、いやっ、いやあああっ!!」

 わたしは首を横に振りながら、恥も外聞もなく泣き叫んだ。
 遠くでマーティンが叫ぶのが聞こえる。

 こんなの嫌だよ。やだ、やだ、マーティンでも誰でもいいから助けて!

 ギリング王はわたしの太腿を撫で上げると、下着に手をかける。

「やだあああぁっ!!」
「マーティン、どけっ!!」

 わたしが半狂乱になって叫ぶのと、ハスキーな声がしてドアが大きな音を立てて開くのが同時だった。

「な、馬鹿な……っ」

 わたしを押し倒していたギリング王は慌てて身を起こすと、呆然と声を漏らした。
 寝室にヒューとマーティンが駆け入ってきて、わたしは慌ててシーツを引き被る。
 うう、見られたかな。見られたよね。……でも助かってよかった。

「なにが『馬鹿な』なんですか」

 すうっと紫色の瞳を細めて、ヒューがギリング王を冷たく見つめる。

「誰も部屋に入れないはずだ! ウィルローはなにをやっている!」

 ギリング王がうろたえてそう言う間にもヒューはギリング王にゆっくりと近づいていく。それに合わせて、ギリング王も後ずさる。

「あいにくと、その計画は潰えたようですね」

 助けてもらっといてなんだけど、ヒューの凍るような目つきが怖い。怖すぎる!
 わたしはなんでヒューが氷の騎士と呼ばれているか分かったような気がした。

「ひ、ひ……」

 ギリング王がおかしな声をあげてベッドの上を後退する。……あ、もう少しで落ちそう。
 そこでわたしがえいやっ、と思い切りシーツを引っ張ると、見事にギリング王はひっくり返った。……ざまみろ!

 わたしが溜飲を下げていると、ユーニスが泣きながらわたしに抱きついてきた。……ああ、心配させちゃったなあ。ごめんね。
 ユーニスを抱きしめ返すと、今更ながら震えがきて、わたしもぐすぐす泣いてしまった。

「な、な、なにをするっ、無礼な!」

 ギリング王の叫び声が聞こえてきて、見るとヒューがやつの首に剣を突きつけるところだった。

「見て分かりませんか?」

 ヒューは一度剣を引くと、素早くギリング王に向けて剣を振る。

「ひいぃっ!」

 ヒューはギリング王の衣服のあちこちを斬り裂くと、もう一度王の首に剣を突きつけた。

「お、王に向けて剣を振るうなど……っ」
「敵国の、でしょう? ならばなにをためらう必要があるのですか?」

 も、もしかして、ヒュー、すごく怒ってる? ギリング王を半殺しにしそうな勢いなんだけど。

「ヒュー、わ、わたしは大丈夫だったから、あなたは人を傷つけないで」

 わたしがそう言うと、ヒューは苦しそうな顔をしてこちらを振り向く。なんだかその様子が、子供が泣き出す直前のように見えて、わたしは一生懸命に何度も頷いた。
 ヒューはわたしの願いを聞き入れて、仕方なさそうに剣をおさめる。

「大丈夫、じゃないですよ。イルーシャ様」
「うん、ごめんね。ヒュー、助けてくれてありがとう」

 わたしがぎこちない笑みを浮かべると、ヒューも少し笑った。

「……すみません、俺もいるんですが」

 マーティンがギリング王の腕を取って立たせながら、横から口を出す。……ごめん、すっかり存在を忘れてたよ。

「あ、ごめん、マーティン。ありがとうね」
「別にいいですよ、俺は。イルーシャ様がご無事ならば」

 う、ちょっと拗ねてる? だってヒューの勢いが凄かったからさ、つい……。

「本当にごめんって。感謝してるよ、助かった」
「本当に間に合ってよかったです、イルーシャ様」

 わたしの必死な様子に苦笑いしながら、マーティンはヒューと一緒にギリング王を拘束する。
 ギリング王が引き立てられながら、まだわたしの名前を呼んでいたけれど、わたしは耳を塞いでそれをやりすごした。

 しばらくして騒がしさが遠ざかると、ユーニスがわたしに向かって言った。

「さ、イルーシャ様、お風呂に入りましょう! あんな気持ちの悪い王に触れられたんですもの。さぞ、お嫌だったでしょうね……」

 最初は勢いよく、最後のほうは泣きそうになって言う。

「ほ、本当にもう大丈夫だから、ユーニス泣かないでよお……」

 そんなふうにされたら、わたしまで泣きたくなっちゃうよ。

「も、申し訳ございません。さ、イルーシャ様」

 わたしはシーツにくるまったまま、ユーニスの手を取って、お風呂に連れていってもらった。


「あら、いやだ。こんなところに!」

 泡風呂で体を洗ってもらっている途中で、ギリング王に付けられたキスマークをユーニスに見つけられてしまった。

「ああ、いやだわ。穢らわしい。わたし達のイルーシャ様が……っ」

 あのー、もしもし? わたし達のってなに? ……いや、細かいことは聞かないでおこう。怖いから。

「ユ、ユーニス、痛い、痛い」

 スポンジでゴシゴシ擦られてわたしは悲鳴を上げる。

「あ……。も、申し訳ありません、つい……」

 ユーニスが眉を下げて何度も謝ってくる。

「あ、いいよ、いいよ。気にしないで。わたしもこれ見てると嫌な気分になるもん」

 わたしが顔の前で両手を振って言うと、ユーニスがぱっと顔を輝かせた。

「……そうですわよね!」

 ちょっ、ユーニス、切り替え早すぎ。……でもまあ、気に病まれるよりはいいけど。

 そんなこんなで入浴を終えて、ドレスに着替えたわたしの居室には、既にカディスが待っていた。


「イルーシャ!」

 カディスはわたしを見るなり駆け寄ると、いきなり抱きしめてきた。

「カ、カディス……」
「イルーシャ、おまえが無事で本当によかった」

 その切実な響きにわたしは息を止める。
 ……わたし、そんなに心配かけたの?

「カディス、心配かけてごめんね」
「おまえが悪いわけじゃない。謝らなくていい」

 カディスがわたしを抱く手に更に力が籠もる。カ、カディス、ちょっと痛いよ。

「……やっぱりイルーシャ様には、陛下ですわー……」

 ユーニスがうっとりして呟くのをわたしは脱力して聞いていた。



 翌日。シェリーに起こされて、わたしは寝ぼけまなこを擦りつつ朝の支度をした。
 なにか城内が騒がしいのでシェリーに聞いてみたら、途端に彼女は沈痛な面持ちになる。……え、なんなの?

「──なにかあったの?」
「それがその……、拘束されたハーメイ国王が昨夜謎の死を遂げたそうです」

 それを聞いたわたしは、城のざわめきが一気に遠くなる。
 見えないところで恐ろしいなにかが蠢いているような、そんな気がした。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!

ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。 ※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

皇帝とおばちゃん姫の恋物語

ひとみん
恋愛
二階堂有里は52歳の主婦。ある日事故に巻き込まれ死んじゃったけど、女神様に拾われある人のお世話係を頼まれ第二の人生を送る事に。 そこは異世界で、年若いアルフォンス皇帝陛下が治めるユリアナ帝国へと降り立つ。 てっきり子供のお世話だと思っていたら、なんとその皇帝陛下のお世話をすることに。 まぁ、異世界での息子と思えば・・・と生活し始めるけれど、周りはただのお世話係とは見てくれない。 女神様に若返らせてもらったけれど、これといって何の能力もない中身はただのおばちゃんの、ほんわか恋愛物語です。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

処理中です...