月読の塔の姫君

舘野寧依

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第三章:傾国の姫君

第26話 急変(3)

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「いや、いやあっ!」

 わたしはなんとかギリング王から逃げようと懸命だった。わたしにキスしてこようとするギリング王の頭を押さえながら、叫びに叫んだ。

「イルーシャ様、どうしました!?」

 騒ぎを聞きつけたらしいマーティンの声が聞こえてくる。……助かった!

「助けて! マーティン、助けて!」

 わたしは必死でドアの向こうにいるだろうマーティンに助けを求めた。

「──無駄ですよ」

 わたしの安堵を打ち消すように、にやりとギリング王が笑う。

「この部屋には魔術が施してあります。あの扉は開かない」

 ──嘘っ! だとしたら、このままわたしはこの男の餌食ってこと!?

「イルーシャ様! くそっ、なぜ開かない!」

 ギリング王の言葉を裏付けるようにドアの取っ手が鳴るだけで、マーティンがドアを開けられるような気配はない。
 マーティンがドアに体当たりしているような音が聞こえるけど、それでも駄目なんだろうか。

「多少外はうるさいが、まあ、それも一興。あの男にあなたの啼き声を聞かせてやろうではありませんか」

 ……この変態!
 わたしがきっと睨むと、目の前の男は楽しそうに笑った。

「なんと、見かけによらず気の強いことだ。……しかし、そんな女を組みしいてよがらせるのもわしの愉しみの一つですよ、姫」

 ……この、ド変態!! 絶対あんたなんかの思い通りになんかなるもんか!
 そう思って手足をばたつかせていると、ギリング王はそれを意に介す様子も見せずに、わたしの寝間着をビリビリと破いた。その間も胸やお腹を撫で回されてわたしは鳥肌を立てる。

「やだーっ!」
「イルーシャ様!」
「ほお、柔らかいのに弾力がある素晴らしい肌ですな。さすがにその辺の女とは伝説の姫君はわけが違う」

 こんな時だけど、わたしはギリング王のこの発言にカチンときた。……こっちは、もともとその辺の女なんだよ! 絶対にこんな男の好きなようにさせるもんか!

「離しなさいよ! 誰があんたなんかに!」
「強がる姿も可愛らしいですなあ、姫」

 ギリング王はにやにや笑うと、わたしの胸に顔を埋めてキスをした。
 ぎ、やああああっ!!

「い、痛……っ」

 キスされたときに吸い上げられた痕が肌に赤く残る。

「さあ、それでは本格的に愉しむことにしますかな」

 だらしなく笑いながらギリング王はわたしの太腿に手を伸ばす。太腿の内側をゆっくりと蠢く指の動きに、わたしははっきりと身の危険を感じとった。

「! いやっ、いやっ、いやあああっ!!」

 わたしは首を横に振りながら、恥も外聞もなく泣き叫んだ。
 遠くでマーティンが叫ぶのが聞こえる。

 こんなの嫌だよ。やだ、やだ、マーティンでも誰でもいいから助けて!

 ギリング王はわたしの太腿を撫で上げると、下着に手をかける。

「やだあああぁっ!!」
「マーティン、どけっ!!」

 わたしが半狂乱になって叫ぶのと、ハスキーな声がしてドアが大きな音を立てて開くのが同時だった。

「な、馬鹿な……っ」

 わたしを押し倒していたギリング王は慌てて身を起こすと、呆然と声を漏らした。
 寝室にヒューとマーティンが駆け入ってきて、わたしは慌ててシーツを引き被る。
 うう、見られたかな。見られたよね。……でも助かってよかった。

「なにが『馬鹿な』なんですか」

 すうっと紫色の瞳を細めて、ヒューがギリング王を冷たく見つめる。

「誰も部屋に入れないはずだ! ウィルローはなにをやっている!」

 ギリング王がうろたえてそう言う間にもヒューはギリング王にゆっくりと近づいていく。それに合わせて、ギリング王も後ずさる。

「あいにくと、その計画は潰えたようですね」

 助けてもらっといてなんだけど、ヒューの凍るような目つきが怖い。怖すぎる!
 わたしはなんでヒューが氷の騎士と呼ばれているか分かったような気がした。

「ひ、ひ……」

 ギリング王がおかしな声をあげてベッドの上を後退する。……あ、もう少しで落ちそう。
 そこでわたしがえいやっ、と思い切りシーツを引っ張ると、見事にギリング王はひっくり返った。……ざまみろ!

 わたしが溜飲を下げていると、ユーニスが泣きながらわたしに抱きついてきた。……ああ、心配させちゃったなあ。ごめんね。
 ユーニスを抱きしめ返すと、今更ながら震えがきて、わたしもぐすぐす泣いてしまった。

「な、な、なにをするっ、無礼な!」

 ギリング王の叫び声が聞こえてきて、見るとヒューがやつの首に剣を突きつけるところだった。

「見て分かりませんか?」

 ヒューは一度剣を引くと、素早くギリング王に向けて剣を振る。

「ひいぃっ!」

 ヒューはギリング王の衣服のあちこちを斬り裂くと、もう一度王の首に剣を突きつけた。

「お、王に向けて剣を振るうなど……っ」
「敵国の、でしょう? ならばなにをためらう必要があるのですか?」

 も、もしかして、ヒュー、すごく怒ってる? ギリング王を半殺しにしそうな勢いなんだけど。

「ヒュー、わ、わたしは大丈夫だったから、あなたは人を傷つけないで」

 わたしがそう言うと、ヒューは苦しそうな顔をしてこちらを振り向く。なんだかその様子が、子供が泣き出す直前のように見えて、わたしは一生懸命に何度も頷いた。
 ヒューはわたしの願いを聞き入れて、仕方なさそうに剣をおさめる。

「大丈夫、じゃないですよ。イルーシャ様」
「うん、ごめんね。ヒュー、助けてくれてありがとう」

 わたしがぎこちない笑みを浮かべると、ヒューも少し笑った。

「……すみません、俺もいるんですが」

 マーティンがギリング王の腕を取って立たせながら、横から口を出す。……ごめん、すっかり存在を忘れてたよ。

「あ、ごめん、マーティン。ありがとうね」
「別にいいですよ、俺は。イルーシャ様がご無事ならば」

 う、ちょっと拗ねてる? だってヒューの勢いが凄かったからさ、つい……。

「本当にごめんって。感謝してるよ、助かった」
「本当に間に合ってよかったです、イルーシャ様」

 わたしの必死な様子に苦笑いしながら、マーティンはヒューと一緒にギリング王を拘束する。
 ギリング王が引き立てられながら、まだわたしの名前を呼んでいたけれど、わたしは耳を塞いでそれをやりすごした。

 しばらくして騒がしさが遠ざかると、ユーニスがわたしに向かって言った。

「さ、イルーシャ様、お風呂に入りましょう! あんな気持ちの悪い王に触れられたんですもの。さぞ、お嫌だったでしょうね……」

 最初は勢いよく、最後のほうは泣きそうになって言う。

「ほ、本当にもう大丈夫だから、ユーニス泣かないでよお……」

 そんなふうにされたら、わたしまで泣きたくなっちゃうよ。

「も、申し訳ございません。さ、イルーシャ様」

 わたしはシーツにくるまったまま、ユーニスの手を取って、お風呂に連れていってもらった。


「あら、いやだ。こんなところに!」

 泡風呂で体を洗ってもらっている途中で、ギリング王に付けられたキスマークをユーニスに見つけられてしまった。

「ああ、いやだわ。穢らわしい。わたし達のイルーシャ様が……っ」

 あのー、もしもし? わたし達のってなに? ……いや、細かいことは聞かないでおこう。怖いから。

「ユ、ユーニス、痛い、痛い」

 スポンジでゴシゴシ擦られてわたしは悲鳴を上げる。

「あ……。も、申し訳ありません、つい……」

 ユーニスが眉を下げて何度も謝ってくる。

「あ、いいよ、いいよ。気にしないで。わたしもこれ見てると嫌な気分になるもん」

 わたしが顔の前で両手を振って言うと、ユーニスがぱっと顔を輝かせた。

「……そうですわよね!」

 ちょっ、ユーニス、切り替え早すぎ。……でもまあ、気に病まれるよりはいいけど。

 そんなこんなで入浴を終えて、ドレスに着替えたわたしの居室には、既にカディスが待っていた。


「イルーシャ!」

 カディスはわたしを見るなり駆け寄ると、いきなり抱きしめてきた。

「カ、カディス……」
「イルーシャ、おまえが無事で本当によかった」

 その切実な響きにわたしは息を止める。
 ……わたし、そんなに心配かけたの?

「カディス、心配かけてごめんね」
「おまえが悪いわけじゃない。謝らなくていい」

 カディスがわたしを抱く手に更に力が籠もる。カ、カディス、ちょっと痛いよ。

「……やっぱりイルーシャ様には、陛下ですわー……」

 ユーニスがうっとりして呟くのをわたしは脱力して聞いていた。



 翌日。シェリーに起こされて、わたしは寝ぼけまなこを擦りつつ朝の支度をした。
 なにか城内が騒がしいのでシェリーに聞いてみたら、途端に彼女は沈痛な面持ちになる。……え、なんなの?

「──なにかあったの?」
「それがその……、拘束されたハーメイ国王が昨夜謎の死を遂げたそうです」

 それを聞いたわたしは、城のざわめきが一気に遠くなる。
 見えないところで恐ろしいなにかが蠢いているような、そんな気がした。
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