月読の塔の姫君

舘野寧依

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第三章:傾国の姫君

第22話 騎士の求婚(1)

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 カディスからようやくわたしの休養期間終了のお許しが出た。

 浮かれた私は、さっそく恒例の朝の散歩に出かけた。

「イルーシャ様、いらっしゃ……、な、なにか疲れてませんか?」

 披露パーティの時のお礼をどうしても言いたくてヒューのところに立ち寄ったんだけど、彼は私の顔を見るなり驚いたようにそう言った。

「う、うん、ちょっと散歩を張り切りすぎたみたい」

 警護担当の近衛の人にも既に止められてたんだけど、どうせここまで来たんだし、と言い訳して無理に連れてきてもらったのは、ちょっと失敗だったみたいだ。

「……散歩って、そんなに憔悴するほど張り切れるものですか?」

 う、ヒューからもっともな質問が出た。

「今まで暇を持て余してたから、行動制限がなくなったのが嬉しかったんだよね。それでつい庭園回って、桜並木通ってきたらこうなったの。この体あんまり体力ないのに、うっかりしてた」

 だからいつもは庭園コースか桜並木コースかどちらかなんだよね。

 本当になにやってんだろ、わたし。伝説の姫君なんだから、もうちょっと考えて行動しなきゃいけないのに、情けない。

「とにかく座ってください。今冷たいものを持ってこさせますから」

 ヘロヘロになったわたしをヒューが支えてくれて長椅子に座らせる。

「ご、ごめんね」

 う、本当に恥ずかしい。
 お礼に訪れたはずなのに、こうしてまたヒューのお世話になるなんて。

「気にしないでください。それはそうと、あまり無理はなさらないでください。また倒れられても困りますから」
「本当にごめんね。あの時は……」

 そう言いかけた時に、飲み物が運ばれてきて、わたしはいったん黙った。

「どうぞ」

 ヒューに勧められて、わたしは飲み物に手を伸ばした。喉が乾いてたので、ありがたい。
 冷たいお茶で喉を潤して、わたしははふ、と息をつく。

「……あの時は本当にありがとう。あなたが来てくれなきゃ、わたし、どうなってたか分からなかった」

 ヒューはわたしの恩人だ。わたしはヒューに向き合って、心からお礼を言った。

「俺は騎士として当然のことをしたまでです」
「それでもありがとう。わたし、あの時気持ち悪いって思うだけで全然動けなかったし、伝説の姫君として上手く立ち回れなくて情けなかったもの」

 わたしがそう言うと、ヒューは首を振った。

「あなたはよくやられてますよ」
「ヒュー、甘やかさないで」
「……ですが、騎士とはそういうものなのですよ、イルーシャ様」

 ヒューは立ち上がるとわたしの前に片膝を付く。

「国を守り、あなたを守ることが俺の使命なのです」

 ヒューの真摯な瞳をわたしは正面から受け止める。

「……そう言えば、前にも優しくするのはわたしだからって言ってたよね。……それって、わたしが伝説の姫君だからだよね?」
「……違いますよ」

 わたしの手を取りながら、ヒューが苦笑する。
 え? 違うんだったら、どういう意味?

「この際ですから、言ってしまいましょうか」

 ヒューが俯くと無造作に束ねた蜂蜜色の髪が彼の肩でさらさらと流れた。……本当に綺麗で絵になる人だ。

「イルーシャ様、どうかわたしをあなただけの騎士にしてください」

 ヒューが恭しくわたしの手に口づける。
 お姫様やるようになってから、さんざん騎士の礼を取られてきたけれど、これはそれとはまた別な気がした。

「え、えっと……」

 返答に窮していると、ヒューはわたしの手をそっと離して微笑んだ。

「……イルーシャ様、俺は答えは急いでません。陛下やキース様のこともありますでしょうし」
「カディスやキースのことって……」
「……ああ、異世界出身のイルーシャ様には分かりづらかったですか? これは騎士の求婚の儀式なんですが」
「え……」

 思ってもいなかったヒューの言葉に、わたしは目を見開いた。次いで、かーっと顔に血が上ってくるのを感じる。
 求婚するってことは、ヒューはわたしのことが好きってことだよね?

「な、なんで? いつから?」

 わたしは恥ずかしさから涙目になって、みっともないほど取り乱した。

「初めてお会いした晩餐の席で」
「……それって一目惚れってこと? わたしがこの姿だから?」

 きっとそうだよ。そうに違いない。

「一目惚れに近いですが、あなたがその姿だからと言うのはちょっと違いますね」

 それって、どういうこと?
 わたしは真っ赤な頬を隠しながら、ヒューを見る。

「あなたが幸せそうに食事する姿やちょっとした仕草に目を奪われました。とどめは最後の涙ですね。あれから俺はあなたのことばかり思うようになりました」
「わ、わたし、がさつで口が悪いよ?」
「知ってますよ。それでもあなたは魅力的です。その恥ずかしがるところも、とても可愛らしいです」

 うわああっ、やめて、恥ずかしすぎる!

 わたしは聞いていられなくて長椅子から立ち上がると、途端に目眩を覚えて体が傾ぐ。

「イルーシャ様!」

 わたしはヒューにとっさに抱き止められて倒れるのを免れた。

「イルーシャ様、疲れられているのですから、気をつけてください」
「う、ご、ごめん。でも、聞いていられなくて」
「イルーシャ様は恥ずかしがり屋でおられますから」

 ヒューがわたしを抱きしめてくすくすと笑った。
 ……それは、ヒューもじゃない、と言いたかったけど、あの照れ屋なあなたはいったいどこへ? 告白通り越しての求婚もそうだけど、なんかヒュー、いきなり突き抜けてない?

「これだけ疲れられていると、もう休まれた方がいいですね。近衛の者に伝えて、魔術師を呼び出しますよ」
「あ、それならわたし、キース呼べる、け、ど……」

 最後の方は、ヒューの視線が痛かったので自然と声が小さくなる。

「イルーシャ様、求婚の直後に恋敵を呼び出さないでほしいですね」

 うわあ、美人が怒るとマジで怖い!

「た、確かに無神経だったかも。ごめんなさい」
「分かっていただければいいです」

 ヒューはにっこり笑うと、わたしを抱き上げた。



「どうして君は僕を呼び出さないかな」

 あの後、ヒューに抱き上げられて部屋まで送ってもらったわたしは、キースのお説教を受けていた。いつもはあっさりと引き下がる彼だけど、今回は結構しつこい。

「部下に報告を受けて来てみれば……、こんなに疲れるまで散歩するなんて無謀だよ」

 うう、ごもっともです。
 わたしは長椅子の肘掛けにぐったりともたれながらうなだれた。

「ヒューイに礼を言いたかったっていうのは分かったけど、それが済んだら、どうして僕を呼び出さないわけ?」
「ごめんね、どうしても呼び出せない事情があって……」
「うん、それはさっきも聞いたよ。だからその理由はなに?」
「う、それは、その……」

 わたしは赤くなったり、青くなったりを繰り返しながら言いよどんだ。
 あああ、ヒューに求婚されて、その直後に恋敵を呼び出すなと言われました! と言えるものなら言ってしまいたい。

「イルーシャ!!」
 突然、派手な音を立ててカディスが部屋に入ってきた。……前も言ったけど、ノックくらいしろー!

「カディス、突然なに」

 疲れていることもあって、わたしはついつっけんどんな対応になる。

「ヒューイから報告を受けたが、おまえ、やつに求婚されたそうだな」

 ……報告したのかよ!
 ついわたしは姫とも思えない突っ込みを心の中で入れてしまう。
 つーか、無駄に行動早すぎでしょうが。わたしはなにも聞いてないぞ! 

「……へえ、そうなんだ。そういうわけ。ふうん」

 やたらとへえ、そうと繰り返すキースさん、目つきが怖すぎます。

「……なんだ、おまえやけに疲れてないか?」

 うん、疲れてますよ、いろいろありすぎて。

「まさかおまえ、ヒューイと事に及んだんじゃないだろうな?」
「……あ?」

 カディスのあまりの言葉に、突然柄が悪くなるわたし。案の定カディスが引いた。

「ふーん、疲れてるってだけでカディスはそういう発想になるわけだー。カディス、不潔ーっ」

 キースに怒られていたことも手伝って、わたしのこれは完全に八つ当たりだ。

「い、いや、その……ちょっとした誤解だ」

 ……ちょっとか?
 わたしが疲れて回らない頭を捻っていると、ドアがノックされてリイナさんが入室してきた。

「陛下にお知らせしたいことがございまして。ハーメイ国王様のことですが」
「なんだ」

 ハーメイ国王、と名が出た途端にカディスがむっとした顔になる。……カディスもあの王のこと相当嫌ってるんだなあ。

「方々でイルーシャ様の部屋はどこだと聞いて回っているそうです」

 うわあ、ちょっと勘弁して。

「なんだと」

 リイナさんの報告にカディスとキースが気色ばむ。
 確かに諦めないって言ってたけど、そこまでやる? わたし、もう二度とあのセクハラ王には会いたくないよ。

「キース、あの王に強制的に帰ってもらえ」
「……了解」

 えーと、それは移動魔法で送り返すってことだよね? 一応国賓のはずだけど大丈夫なの? ……まあ、キースならうまくやるとは思うけど。

「おまえは事が済むまでここで俺と待機していろ。……おい、イルーシャ、どこへ行く」

「疲れた。寝る~」

 わたしはふらふらと立ち上がると寝室へ向かった。

「まあ、それではお召し替えを」

 リイナさんがついてきて、わたしの着替えを手伝ってくれる。
 それからわたしはベッドに潜り込むと、泥のように眠った。
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