魔法の国のティカ

舘野寧依

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第二章:お姫様で庶民な二重生活

第25話 師匠の豹変

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 あれから慌てて自室に戻った千花は、エイミに化粧を再び施されて、礼儀作法の授業に臨んだ。

 最初に、この間の授業で習ったことの復習から入ったのだが、カイルの昨晩のしごきが利いたのか、怒られることはなかった。

「はい、大変よろしいですよ。ティカ様、よく頑張られましたね」

 そう言ったゼネットの眼鏡の奥の瞳が優しくなったので千花はびっくりしてしまった。

 あれ……。

 あまりの意外さに千花が固まっていると、ゼネットはすぐに元の能面のような顔になった。

「それでは本日は礼の授業をいたします」

 ──それからは元のゼネットだった。

「ティカ様、左足を後ろに移動させるのが早すぎます。……今度は遅すぎです!」

 ひょっとして実は優しい人なんだろうかと思っていたら大間違いだった。

「ティカ様、重心がぐらついてます! もっと右足に力を入れてください!」

 千花が今教わっているのは姫君の正式な礼なのだが、お姫様は本当に大変だとつくづく思わざるを得ない。
 そして、終わり時間頃になって、ようやくゼネットに及第点を貰えた千花は、彼女にまた復習を怠らないように言われて礼儀作法の授業は終了した。



「今回もゼネット様は厳しかったですわねー……。ティカ様大丈夫ですか?」

 エイミがお昼のお茶を出しながら、椅子にぐったりともたれ掛かった千花を心配しながら言う。

「うん、なんとか。厳しいけど、出来れば一応認めてくれる人だし、そこのとこはいいかも」

 ゼネットのあの厳しさも職業上の熱心さから来るのであって、別にイビリではない。

「……まあ、確かにそのようですわね」

 千花の言葉にエイミは頷くと、空になった千花のカップにおかわりのお茶を注いだ。

「この後はグレッグ先生の授業かあ。楽しみー」

 焼きたてのパンにバターを塗りながら千花は笑顔で言った。

「ティカ様はグレッグ様がお気に入りですわね。確かに、あの方は好々爺ですけれど」
「うん、グレッグ先生は、わたしの癒しだよー。教え方も上手いし」

 なんというか彼は人にやる気を起こさせるのが上手いのだ。それで自然と千花も復習に力が入ったし、それに関してはカイルもなにも言わなかった。

「まあ、そうなのですか。それでは、この後の授業が楽しみですわね」
「うん」

 千花は味も形もどうみてもハンバーグなものを切り分けて口に運ぶと、上機嫌のまま昼食を平らげた。



「グレッグ先生、こんにちは」
「こんにちは、ティカ様」

 千花はにこにこしながらグレッグを迎えた。

「きちんと復習もされているようですな。ティカ様が優秀な生徒でわたしも大変助かりますよ」

 グレッグが優しい笑顔で言うと、千花はちょっと照れた。

「そんなことないです。グレッグ先生の教え方が上手いんですよ」

 千花がそう言うと、グレッグは相好を崩した。

「それは、嬉しいお言葉ですな。ありがとうございます」

 それから授業は和やかに進み、雑談に入ったところで魔術の訓練の話になった。

「ほう、ティカ様は水魔法を無詠唱で扱えるのですか。初めてでそれはすごいですな」

 グレッグが心底感心したように言ったので千花は盛大に照れた。

「いえ、でも最初は失敗しちゃいましたし。無詠唱って言っても、心の中で強く思ったことで出来たんですけれど、それでいいんでしょうか」

 千花の首を傾げながらの言葉に、グレッグが頷いた。

「ええ、それでいいんですよ。ティカ様は魔術の訓練についてはなにも問題なさそうですね」
「でも、わたしは異世界召喚魔法を学びたいのでまだ先は長いです」

 千花が溜息をつきながら言うと、グレッグは少し考え込んでいるようだった。

「……ティカ様は、元の世界に帰りたいですか?」
「はい、それは帰りたいです。家族も心配していると思いますし」

 千花は強く頷いて言った。
 それに対して、グレッグは珍しく厳しめのことを言う。

「しかし、陛下やこの国の者は、あなた様を帰したくないと思われているでしょうな。あなた様の存在は稀少ですから。……それでも結局はどちらを選ぶのかはあなた様次第ですが」
「……はい」

 以前シモンが言っていた通り、数年後にあちらに戻っても、うまく人生が運ぶとは限らない。否、その可能性の方が高い。
 それでも、千花は帰りたかった。
 そして、家族や友人に会いたかった。

「……正直なところを言いますと、戻った後どうするかまでは決めかねています。でも、一度は家に帰った方がいいと思うんです」
「……それもそうですな。まだその時まで時間はあるのですから、どうなさるのかはゆっくり考えられてください」
「はい」

 千花はグレッグの慰めるような言葉に強く頷くと、再び語学の授業に入っていった。



 語学の授業の後、千花はカイルが迎えにくるまでじっと部屋で待機していた。

「おい、演習場に行くぞ。……どうした?」

 迎えにきたカイルを思わずじっと見てしまい、彼に不思議そうに言われて、千花ははっとした。

「ううん、なんでもない」
「? 変なやつだな」

 千花がカイルから目を逸らすと、案の定不審そうに言われた。


 かなり難しいと言われる異世界召喚魔法を自由に扱えるカイル。
 それは、手紙を時々送ってくれると言っていたことからも明白だ。

 ──それなのにどうして。

「……カイルは、なんでわたしを家に帰してくれないの?」

 千花が泣きそうな顔で言うと、カイルは眉をひそめた。
 きっと面倒なことを聞かれたとでも思っているのだろう、と千花は感じて内心むっとしてしまう。

「またそれか。……それは、おまえを俺の弟子にしているからだ。いい加減に理解しろ」
「でも、カイルは何度も召喚できるんでしょ? だったら、一度くらい家に帰してくれてもいいじゃない」
「そんなことをしていたらおまえはまた帰せと言ってくるだろう。それは魔術を学ぶには効率が悪すぎる」

 その突き放すような言葉に千花の大きな瞳に涙が溜まっていく。それを見て、カイルが動揺した。

「な、なにも泣くことはないだろう」
「でも手紙は送れるじゃない。屋敷に行くのを家に帰るのに当ててくれてもいいのに」

 週末に家に帰るという案を提示した途端、カイルは大げさなくらいに反応した。その表情も相当不快そうだ。

「駄目だ。おまえは帰さない」
「なんで? なんでよ」

 カイルがそこで即答したので、千花は彼の服を掴んで問いかけたが、彼はそれに答えず、ただ視線を逸らすだけだった。

「なんで答えてくれないの? ずるいよ、カイル。カイルひどい……っ」

 涙をぼろぼろこぼしながら、千花はカイルの胸を叩く。
 ふいに千花とカイルの視線が合った。
 涙を流す千花を見て、カイルが顔をしかめた次には彼の腕が動き、千花の体を攫った。

「カ、カイル……?」

 今まで問いつめていた相手にいきなり抱きしめられて、千花はうろたえる。


 いったい、これはなに?
 なにが起こってるの?


 思いの外強い力で抱きしめられて、千花は身動きもままならない。

「カイル、どういうつもり? 離して……っ」

 なんとか上を向いてカイルに抗議した千花は、次の瞬間、なぜか彼のキスを唇に受けていた。
 ──その驚きは抱擁された時の比ではなかった。
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