ショートショートのお茶漬け

rara33

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第7話 遅すぎてゴメンナサイ

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 明日土曜日に、勤務先の社員総出で春の山登りイベントが行われる。
 例年通り、今年も新入社員が幹事をしていたが、前日の今日になって風邪で来れなくなったため、まだ若い女性社員の私が急遽きゅうよ引き受ける羽目になった。

 社内イベントだけには張り切るバカ上司の命令で、私はひとり、慌ただしく山の下見へと出かけた。

「うわぁ! きれい!」
 目標とする山の中腹に着くと、私は展望の良い場所に立った。
 山下の景色は花や緑の色にあふれて予想外に美しく、嫌々来た気分を払拭ふっしょくさせてくれた。
 ついでに、スマホで写真も何枚か撮った。
 あいにくネット回線がつながらず、すぐSNSにはアップできなかった。

 平日のせいか、周囲に人はまったく見当たらない。
 私は人混みが嫌いなので、むしろありがたいと思った。

 ふと近くに目をやると、『やまびこポイント』と書かれてある看板を見つけた。
 年季の入った板の表面が、雨風でひどく汚れている。
 「声がかえってくるよ!」「一緒に遊ぼう!」と所々に書いてある文字は判読できた。

「日頃の鬱憤うっぷんでも晴らすか」
 私は思いっきり息を吸い込んで、口を開いた。

「バカ社長おー! 残業代だせー!」
 と、普段よりもかなり大きな声で叫んだ。

 ……。

 やまびこどころか、音は何も返って来ない。

「じゃあ、もういっぺんやるか」

 私は、お腹に力を入れてもう一度口を開いた。

芋坂いもさか係長おー! 太りすぎー!」

 ……。

 やっぱり、何も返ってこない。

 なあんだ、と思ったが、
 叫んでみると存外と楽しいことに気付いた。

 そこで私は、会社の悪口を色々叫んでみることにした。
 社員はみんな、遠く離れた会社にいるし、
 知らない観光客のことなど、店の人は誰も気にも留めないだろう。

海家うみいえ課長おー! 有給使いすぎー!」

 ……。

腰掛こしかけせんぱーい! メイク濃すぎー!」

 ……。

猫山ねこやま部長おー! 息くさいわー!」

 ……。

 やっていくうちに気分が段々と乗ってきた。
 大声で叫べば叫ぶほど、スカッとする。
 カラオケで歌うよりも爽快だった。

「お~い! あんた何やってんだ?」

 私が言いたいことを一通り言い終わった頃、いきなり後ろから声をかけられた。
 振りむくと、土産屋の店員らしき中年男性が、怪訝けげんそうな顔で私を見ていた。

「やまびこポイントってあったから、叫んでただけですけど」
「ああ、今日はね。ムリムリ。やまびこは休みだ」
「?」

 男性は、持ってきた雑巾で立て看板をごしごしと拭った。

『やまびこから声がかえってくるよ!
 一緒に遊ぼう!


 ※毎週木曜・金曜はお休みです』

 私は何のことだか、すぐには理解しかねた。

「やまびこって、音が向かいの山に反射して聞こえる現象ですよね?」
「実はうちの山の向かいには、本物のやまびこがいてな。
 すんげえキチンとした真面目な奴なのよ。
 こっちから飛んできた声に出会うと必ず、
 ひとつ残らず返してくれるんだけどよ」

 男性は手を額にかざして、山の向かい側に目を凝らした。
「毎日だと体が持たねえから、人のいない木金は週休とってんだ。
 その間に届いた声のことは、休み明けに返すんだけどよ。
 遅すぎて申し訳ねえって思うらしくてな。

 土曜日に、何倍も大きい声にして、
 一日に何回も返してくるんだよ」

「まったく、遅すぎるからって、そこまで気を遣うことねえのになあ!」

 中年男性は、豪快に笑って去っていった。
 そのあとネットがつながる場所で、私はその現象を確認した。


 明日の山登りイベントを思うと、私は絶望で声も出なかった。

 (了)

◎山登りに行かれる方は、やまびこがかえってくるかどうか、最初にお確かめになることをお勧めします。
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