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2章 病院編

29話

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 それが数週間前の出来事……

「人間が突然荒い気性になる……それはあのP-tBの副作用と同じ気がしたんだ……」
「なるほどな……」

 ゾンビとなった人間は荒い気性となる。確かに話を聞いた限りこれはP-tBによる影響と考えても良い気がした。

 しかし普通のゾンビには荒い気性があっても持っている力はむしろ人間の頃と比べて退化しているようにも見えた。

 だが先程見たあの特殊体は異常なまでの力が備わっていた。それに加えて知性も備わっており気性は荒くなくむしろそこにいるのだと気づかないほどの静けさがあった。

 そこがどうしても引っ掛かる。聞いていたP-tBの副作用と似てはいるが完全に同じだとも言い難い。

 まだP-tBに隠されていた効果があったということか?

 騒動の原因の一部を知れたは良いが……全貌を辿り着くにはまだまだ程遠い。この男も実験に関わっていたがP-tBについては詳しく知らなそうだし。

 (まぁそれをこの男に求めるのは欲張り過ぎか……元々医療技術を持っている人を求めてここに来たんだから結果的には十分だ)

 しかしまだ聞いていない事がある。

「その話は信じてやる。それでお前はこの女を部屋に閉じ込めて置いて、地下フロアで何をしてたんだ?」
「……それは」

 その事について問い詰められると答えづらそうに顔を歪め始める。

 この地下フロアで一体何をしていたのか?そして今までどこで身を隠していたのか?それを聞かない限りはこの男を信用する事はできない。

 何だったら騒動を起こした原因の一人かもしれないのだ。いくら医療技術があって有能な人間だったとしても一緒にいるのは危険すぎる。

 しばらく間が空いた後やっと十川とかいう男は頭を下げて話し出した。

「申し訳ない翼さん!あんな所に1人で置いて行ってしまって!」
「え……あ、いえ」

 突然謝罪された事に呆気に取られてしまう。

「あの時はP-tBの事しか考えられなかったんだ……それで翼さんをあんな化物が沢山いる場所の前に置いてしまうなんて……。一緒にここに連れて行くべきだったんだと今になって反省してるよ……」
「も、もう謝んなくて平気ですよ!ほら、今こうして話せているんですから!」
「それでも……本当に申し訳ない事をしたと思っている」
「十川さん……」

 どうやらこの二人の関係は壊れる事は無く、いつも通りの関係に戻ったようだ。

 喜ばしい事であるのかも知れないが、俺にとってはそんな事どうでも良い。知りたいのは地下フロアに行って何をしていたかだ。

「んで、地下フロアで何したんだよ?」
「ああ……研究室でこの騒動の原因であるだろうP-tBを調べに来たんだ」

 なるほど……ゾンビ騒動を目の当たりにして瞬時にそれがP-tBによるものだと理解し、すぐさま地下フロアにある研究室でP-tBを探しに来たわけか。

 モルモットでの副作用を一回見たとはいえ……一瞬でP-tBに思考が辿り着くのは中々に鋭いと思う。その早さと鋭さが無ければ今頃この女と一緒に部屋で待ちながら誰かの救出を待っていたかもしれないからな。

 そのおかげで今こうして俺はP-tBについて話を聞けているわけだし……思ったよりも有能なのかもしれない。

「んで、結果は?」
「……無かったんだ、記録も何もかも」
「ん、院長が処分したんだから普通はそうなんじゃないのか?」

 話を聞いた限り、モルモットは殺処分され、その研究の最大責任者であろう院長がその後始末をして、無かった事にした。

 そもそも、P-tBの研究テーマ自体は悪く無かったが、結果だけを見れば危険極まりないのがP-tBという細菌の印象だ。

 そのP-tBがこの騒動が起きてしまった原因であるかもしれないのだ。結果論かも知れないがとんでもないモノを生み出してしまったものだ……ん?

 (待てよ……P-tBがこの騒動の原因って矛盾してないか?だって話を聞けば院長はそのP-tBを処分したんじゃ……。処分したのならP-tBによるゾンビパンデミックは起きないはずだろ?)

「その表情……君も不可解な事に気が付いたみたいだね」
「ああ……」
「え、えぇ?」

 一人まだ気がついてない奴がいるが俺達は話を進める。

「僕は……こんな事は決して言いたくは無いが、騒動の原因は院長だと考えている」
「やはりか……」
「院長先生がっ!?」

 驚くのも無理はない。話を聞く限り、本当に人望があり慕われているのがわかる。そんな人間がこのゾンビパンデミックを引き起こしたのだと聞かれても、院長を知っている人間からしたら信じられるものではない。

「処分をしていなかったという事だな」
「そう……なんだろうね。本来サンプルと記録は残しておくものなんだけどそれすらも一切残っていなかったよ。まるで……研究なんて何もしていなかったかのように……」
「黒確定じゃねーか」

 P-tBを処分せずに持ち出したのはこの病院の院長。それならこの騒動を院長が引き起こした可能性は大いにある。それが分かったのは大きな収穫だ。

 次の目的を立てられるからだ。

 しかし俺が知りたい事はまだここにはある。それはあの特殊体だ。あの特殊体には気性が荒いという特徴は見られなかったからだ。そこがP-tBだと断定していいのかまだ分からない点だ。

「俺とこの女が見た金髪の知性のあるゾンビ……俺は特殊体と呼んでいるが、対峙してみても気性の荒さは感じられなかった。むしろゾンビというよりも人間に近かったと言っていいくらいに静かだったぞ」
「!?……本当かい?ということは……そのP-tBの副作用を上手くコントロールできる素体も存在するのか?」
「どいうことだよ?」

 勝手に自己理解を深めて置いてけぼりにされるのは癪なので、俺は聞く事にした。

「つまり、適合体が存在するんだよ。気性が荒くならずに人間のように振る舞えて、P-tBの良さだけを引き出せる人間が……」
「それがあの……」

 あの金髪の特殊体という訳か。なるほど……段々と理解し始めたぞ。

 全員が全員化け物になるわけではない……化け物にならずに上手く体が適合して理性を失わずに済む人間もいるのだ……まるで俺みたいに。

 それじゃあ……あの女子高生の特殊体もP-tBに適合して?その可能性は大きいはずだ。

 しかし理性と知恵が多少ある程度で、あの女子高生も金髪の特殊体も別に言葉は発していなかった。いくら人間のように振る舞えると言っても限度があると見ていいのだろう……。

 じゃあ俺が人間として振る舞えながら言葉を話せているのは?

 おそらくP-tBに直接感染したかそうでないかの違いなのだろう……まだ判断材料が少ないが今はそれで良いはずだ。

「なるほどな……じゃあ最後だ。お前は何でずっと研究室に閉じこもっていたんだ?」
「ああ……それはね、その特殊体が危険分子センサーに引っ掛かって部屋の外に出さないように全部屋を自動ロックするシステムが働いていたからだ。それで僕も偶然に閉じ込められてしまってね……」
「そういう事か」

 それで霊安室のドアが閉まり続けようとしていたのにも関わらず、死体の人間が挟まっていて閉まらなかったわけか。

 まぁそれで俺が中に入れて、その特殊体が外に出られた訳なんだが。

 そして、危険分子である特殊体は上に上がったために、自動ロックが解除されてこの男は外に出られたという事か。

 事情は大体理解できた。目的は果たせたと言って良いだろう。

 十川という医者は見つけられたし、今後に繋がる話を聞けた。研究室に記録やサンプルが残っていないならもうここにいる必要はない。

 さっさと7階に戻るとするか……。

「じゃあ俺達も上に戻るか……やって貰いたい事もあるし」
「やって貰いたい事?いやそれよりも……上にはゾンビがいるはずだ」
「安心しろ……それは大した問題じゃない」
「……どういう事だ?」
「冬夜さんはですね!ゾンビが全然怖くないから襲われないんですよ!だから心配要りません!」

 先程まで会話についていけず頭がパンクしていた女は、やっと自分も参加できる話題となった事で意気揚々と喋り始める。

 (何でお前そんな興奮して誇らしげな表情なんだよ……)

 本当に俺のことをヒーローとして神格化してるのかも知れない……。大分危ない人間だ。

「そうか……?それなら良いのだが……」
「任せ……ん?」
「何だどうしたんだ?」
「いや……アイツ……」

 俺は床で寝そべっている死体を指差した。つられて二人も同じ方向を見る。

 俺が気になったのはその死体ご微かに動いたのを捉えたからだ。

 (やっぱり噛まれてたか……なんつー悪いタイミングで起き上がるんだ)

「どうしたんだ?別に何も……」
「いや確かに動いた。恐らくゾンビ化してる。お前ら早くエレベーターに乗るぞ」

 俺は別に襲われないが、他の二人は違う。万が一にでも噛まれてしまったらここまでの苦労が水の泡だ。

 だから俺は急いでエレベーターに乗せようとする。

 二人が俺の横を通り過ぎた……その瞬間だった。

 異変が起きたのは……

「グギャァ……ヴォォォギャォォ……!」
「何だこの鳴き声……」

 今までのゾンビとは異なった鳴き声であった。そしてそれだけでは終わらない……

「ヴォォォ!」
「うっ……耳が!?」

 鼓膜が破れるかと思うくらいの声量と高音。これだけでも今までのゾンビとは一線を画したゾンビだと思わされる。

 それでいてゾンビに対して無敵の体質である俺でさえ気圧された……恐ろしい……怖いと感じてしまった。


 (何だよっ……何なんだコイツっ!?)

 大量の汗が一気に噴き出る。体が異常な速さで寒くなるのが分かる。

「あっ……あぁぁ!」
「っ……!」

 後ろの二人は俺以上に恐怖を感じているようであった。怖さのあまりエレベーターの方に進んでいた足がピクリとも動かなくなっていた。

 俺はこのままではまずいと思い、大きな声を出して硬直を解かせる。

「早く行けっ!コイツは何かおかしい!危険すぎる!」
「「!!」」

 俺の声で硬直が解けた二人は急いでエレベーターの中に入る。

「き、君も早く!」
「冬夜さん!」

 俺が入ってくるのを待つためにエレベーターのドアを開けたままにする二人。しかし……

「俺がなんとか抑えとくから先に行け。アイツまでもが上に来てしまう事があったら流石の俺でも守りきれねぇ……」
「そんなっ!」
「馬鹿っ!死ぬ気か!あんなのは人間が相手にして良い生物ではない!」
「うるせぇっ早く行けよ!人間じゃ太刀打ちできないなら尚更俺が抑えとくしかないだろう……」
「な、何を……?」

 俺は焦りのあまり言ってはいけないことを口走る。しかし訂正してる暇はない。

 俺たちがぐずぐずしてる間にも目の前のゾンビは異常なほどの体の大きさになっていた。

 更に元の体型の面影も無いほどに、無数もの触手が体の中から出てきては、体に巻きつきまるで筋肉のように体が膨れ上がっていく。

 正真正銘の化物……いや悪魔だ。ゾンビが可愛いと思えるくらいに……。

 (おいおい嘘だろう……抑えられるのか俺……)

 ゾンビに狙われない体質だからと言っても運が悪く一発でも貰えば即死レベルだろ……。

 そしてその悪魔は数メートル先にいる俺達に気がつき、ドスンッドスンッと突然と走り出す。

 ぐずぐずしてるのももう終わりだ。俺の危険信号は既にMAXに到達してしまっていた。今度こそ最後と言わんばかりに大きな声で叫ぶ。

「早く行けっーー!!」
「っ……!」

 十川は決心がついたのか閉ボタンを押してドアを閉じる。

「ちょっ……十川さん!?」
「絶対に帰ってくるんだぞ!!」

 今の言葉を最後にエレベーターのドアが閉じる。

「よしっ……上に行ったか。これでひとまずは安心……」
「ゴォォォッ……!!」
「は?」

 人間がいなくなったのにも関わらずその悪魔は走るのをやめていなかった。

 いや、最初からターゲットは決まっていたのだ。最初のターゲットを消さない限りコイツが止める事は無いのだ。

 そのターゲットは……

「俺……?」

 ゾンビに対して無敵の体質を持つ俺が……この体になって初めてゾンビに襲われる最初で……

「ぐはっ……!?」

 最後の日だった……。

 俺は鮮血を口から撒き散らしながらエレベーターの壁まで吹き飛ばされるのであった。
 

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