42 / 54
42
しおりを挟む
ふわふわした感覚だけがあって、現実味がない。ぼうっとしたまま佐藤君を見ると、彼は困ったように笑った。
「そういう顔は、他のひとの前ではしないでくださいね」
「……?」
彼が何を気にしているのか分からなかった。好き、という言葉が、羽のように雪のように頭の中を浮遊している。
好き……? はっと僕は息を呑んだ。
「佐藤君、前に好きなひとがいるって」
彼には他に好きなひとがいたのではなかったか。やわらかな浮遊の代わりに、焦燥がやってくる。
「ああ……。すみません。それ、村上さんのことです」
「え?」
「あなたの反応が見たくて、つい。すみませんでした」
自分もまた、彼のことだとは告げずに好きなひとがいると話したのだから、彼を責められるような立場にない。
「結構、焦っていたので」
「焦る?」
「あなたは、四谷さんのことが好きなのかと思っていました」
「四谷さん……?」
鸚鵡返しにその名前を繰り返すと、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「前にも言いましたが。四谷さんは、上司です」
「それは、そうかもしれないですけど……」
「確かに彼のことは人として好きですし、信頼もしています。でも、それだけです」
四谷さんのことは好きだが、彼を欲しいとは思わない。だから焦ってたんです、と佐藤君は言い訳するように言葉を重ねた。
「あなたの好きな相手が、彼みたいな大人の男だったら、現時点で勝ち目はないし。その上、白崎まであなたに気があるみたいなことを言い出すから……」
「白崎君は、からかってるだけだと思うけど」
「そんなの分からないじゃないですか」
「だって断っても大して気にしてないみたいだったし」
「断った? 何を?」
「……あ」
分が悪くなり俯くと、彼が苦虫を噛み潰したような声で呟いた。
「もっと、牽制しておくんだった」
下を向いているので顔は見えないが、妙に熱っぽい声に思わずドキッとさせられる。
「牽制、って」
「牽制は、牽制です」
佐藤君が初めて見せた執着心のようなものに、顔を上げるタイミングを完全に失って、僕は唇を噛み締めた。
「……村上さん」
彼が、僕との距離を詰める。微かにソファーの軋む音がした。
「もう、俺のですよね」
頭上から声が落ちてくる。黙って頷くと、彼は続けて言った。
「こっち向いてください」
僕は首を横に振る。きっと、耳まで赤くなっている。
「顔、見せて」
困りはてて自分の膝だけを見つめていると、膝の両サイドに、彼の手が置かれたのが見えた。次の瞬間、耳に温かく濡れた感触を受けて、僕は勢いよく顔を上げた。
「い、今、な……」
「どうかしましたか?」
にこっと、彼が笑う。
「耳……」
舐められた。確実に。
「やっと、顔が見れた」
そう言う佐藤君の表情に、意地悪な感じはなかった。
「村上さん」
「……はい」
「村上さんのことが、好きです。俺と付き合ってください」
はい、と答えると、今度は耳ではない場所に温かな感触が落とされた。
「そういう顔は、他のひとの前ではしないでくださいね」
「……?」
彼が何を気にしているのか分からなかった。好き、という言葉が、羽のように雪のように頭の中を浮遊している。
好き……? はっと僕は息を呑んだ。
「佐藤君、前に好きなひとがいるって」
彼には他に好きなひとがいたのではなかったか。やわらかな浮遊の代わりに、焦燥がやってくる。
「ああ……。すみません。それ、村上さんのことです」
「え?」
「あなたの反応が見たくて、つい。すみませんでした」
自分もまた、彼のことだとは告げずに好きなひとがいると話したのだから、彼を責められるような立場にない。
「結構、焦っていたので」
「焦る?」
「あなたは、四谷さんのことが好きなのかと思っていました」
「四谷さん……?」
鸚鵡返しにその名前を繰り返すと、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「前にも言いましたが。四谷さんは、上司です」
「それは、そうかもしれないですけど……」
「確かに彼のことは人として好きですし、信頼もしています。でも、それだけです」
四谷さんのことは好きだが、彼を欲しいとは思わない。だから焦ってたんです、と佐藤君は言い訳するように言葉を重ねた。
「あなたの好きな相手が、彼みたいな大人の男だったら、現時点で勝ち目はないし。その上、白崎まであなたに気があるみたいなことを言い出すから……」
「白崎君は、からかってるだけだと思うけど」
「そんなの分からないじゃないですか」
「だって断っても大して気にしてないみたいだったし」
「断った? 何を?」
「……あ」
分が悪くなり俯くと、彼が苦虫を噛み潰したような声で呟いた。
「もっと、牽制しておくんだった」
下を向いているので顔は見えないが、妙に熱っぽい声に思わずドキッとさせられる。
「牽制、って」
「牽制は、牽制です」
佐藤君が初めて見せた執着心のようなものに、顔を上げるタイミングを完全に失って、僕は唇を噛み締めた。
「……村上さん」
彼が、僕との距離を詰める。微かにソファーの軋む音がした。
「もう、俺のですよね」
頭上から声が落ちてくる。黙って頷くと、彼は続けて言った。
「こっち向いてください」
僕は首を横に振る。きっと、耳まで赤くなっている。
「顔、見せて」
困りはてて自分の膝だけを見つめていると、膝の両サイドに、彼の手が置かれたのが見えた。次の瞬間、耳に温かく濡れた感触を受けて、僕は勢いよく顔を上げた。
「い、今、な……」
「どうかしましたか?」
にこっと、彼が笑う。
「耳……」
舐められた。確実に。
「やっと、顔が見れた」
そう言う佐藤君の表情に、意地悪な感じはなかった。
「村上さん」
「……はい」
「村上さんのことが、好きです。俺と付き合ってください」
はい、と答えると、今度は耳ではない場所に温かな感触が落とされた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
薬師は語る、その・・・
香野ジャスミン
BL
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。※「ムーンライトノベルズ」で公開中
気付いたら囲われていたという話
空兎
BL
文武両道、才色兼備な俺の兄は意地悪だ。小さい頃から色んな物を取られたし最近だと好きな女の子まで取られるようになった。おかげで俺はぼっちですよ、ちくしょう。だけども俺は諦めないからな!俺のこと好きになってくれる可愛い女の子見つけて絶対に幸せになってやる!
※無自覚囲い込み系兄×恋に恋する弟の話です。
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ひとりぼっちの180日
あこ
BL
付き合いだしたのは高校の時。
何かと不便な場所にあった、全寮制男子高校時代だ。
篠原茜は、その学園の想像を遥かに超えた風習に驚いたものの、順調な滑り出しで学園生活を始めた。
二年目からは学園生活を楽しみ始め、その矢先、田村ツトムから猛アピールを受け始める。
いつの間にか絆されて、二年次夏休みを前に二人は付き合い始めた。
▷ よくある?王道全寮制男子校を卒業したキャラクターばっかり。
▷ 綺麗系な受けは学園時代保健室の天使なんて言われてた。
▷ 攻めはスポーツマン。
▶︎ タグがネタバレ状態かもしれません。
▶︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
つぎはぎのよる
伊達きよ
BL
同窓会の次の日、俺が目覚めたのはラブホテルだった。なんで、まさか、誰と、どうして。焦って部屋から脱出しようと試みた俺の目の前に現れたのは、思いがけない人物だった……。
同窓会の夜と次の日の朝に起こった、アレやソレやコレなお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる