39 / 54
39
しおりを挟む
目を覚ますと僕はベッドの中にいて、彼の姿はなかった。身を起こそうとすると、身体の違和感に気付く。下半身に力が入らず、ふらふらとした足取りで寝室を後にした。
時刻は既に十時を回っている。僕より先に彼が家を出るのは、特におかしいことではなかったが、何となく、いつもとは違うような気がした。
彼はきっと、後悔しているだろう。僕としたことを。だからもしかしたら、もうここには帰ってはこないかもしれない。そう、思った。
「お疲れさまです。お先に失礼します」
「お疲れさま」
四谷さんに挨拶して、塾を後にする。本当は、彼に昨夜の話を聞いてもらいたかった。聞いて、何でもいいから意見をもらいたかった。
しかし、想いを伝える前に身体の関係を持ってさしまったことを彼は後悔している。結果的に上手く行ってはいるが、そうすべきではなかったと彼が悔いていることを、僕は知っている。
彼が苦労してたどり着いた場所に、近道をして行ってはいけないと思う。僕も彼と同じく、自分で考えて、悩んで、たどり着かなければならない。
佐藤君への気持ちを、誰にでも伝わるように理路整然と説明することは、僕にはできない。
好きなところなら言える。笑ったときの目の形とか。自分より低くて重たい声とか。おそろしく世話焼きで、おいしい料理がつくれるところとか。ただ、それだけではない気がする。
もしあの顔立ちでなかったら、料理ができなかったら、彼のことを好きではなくなるのかというと。そうではないと思う。自分自身に対してさえ説明できない気持ちを、どうやって相手に伝えたらいいのだろうか。
案の定、佐藤君はその夜うちには帰ってこなかった。どこで眠っているのだろうと心配にはなったが、詮索する権利はない。
ベッドに入ってもなかなか寝つけず、僕はぼうっと見慣れた自室の天井を見つめていた。彼が最初に誤解したように、もし彼が本当に僕の息子だったなら。家族としてずっと一緒にいられたかもしれない。そのことが今となっては残念でならない。
これが恋なら、もう二回目はなくていい。そんな幼い願いを抱きながら、明け方近くにようやく眠りに就いた。
翌朝、テレビで天気予報の確認をしつつゼリー飲料を飲んでいると、兄から電話がかかってきた。
「もしもし」
瑞希、と兄が言う。
『あまり時間がないから、用件だけ伝えとく。用件というより、報告だな』
「うん……?」
移動中なのだろうか。声の他に雑音が混じっている。
『昨夜は、うちに泊めたから』
誰を、というのは、聞かなくても分かった。
「そう、でしたか」
『何があったかは知らないが……ちゃんと話をした方がいいとだけ、あれには伝えてある。おそらく今夜は、そちらに戻ると思うが』
「すみません……」
『息子のしたことだ。謝るのは俺の方じゃないか?』
違う、とは言えなかった。言う勇気が、出なかった。
時間がないと言っていた通り、通話はすぐに打ち切られた。携帯の待受にしているペンギンの画像を見ながら、またゼリー飲料に口を付ける。兄のところに泊まったと聞いて、安堵している自分がいた。元彼、あるいは今好きなひとのところにいたわけじゃない。
天気予報では曇りのち雨。今週はずっと曖昧な曇り空が続いている。今日もバスで行って、帰りは歩きか。飲み終えた後の容器をゴミ箱に捨て、僕は身支度を整え始めた。
時刻は既に十時を回っている。僕より先に彼が家を出るのは、特におかしいことではなかったが、何となく、いつもとは違うような気がした。
彼はきっと、後悔しているだろう。僕としたことを。だからもしかしたら、もうここには帰ってはこないかもしれない。そう、思った。
「お疲れさまです。お先に失礼します」
「お疲れさま」
四谷さんに挨拶して、塾を後にする。本当は、彼に昨夜の話を聞いてもらいたかった。聞いて、何でもいいから意見をもらいたかった。
しかし、想いを伝える前に身体の関係を持ってさしまったことを彼は後悔している。結果的に上手く行ってはいるが、そうすべきではなかったと彼が悔いていることを、僕は知っている。
彼が苦労してたどり着いた場所に、近道をして行ってはいけないと思う。僕も彼と同じく、自分で考えて、悩んで、たどり着かなければならない。
佐藤君への気持ちを、誰にでも伝わるように理路整然と説明することは、僕にはできない。
好きなところなら言える。笑ったときの目の形とか。自分より低くて重たい声とか。おそろしく世話焼きで、おいしい料理がつくれるところとか。ただ、それだけではない気がする。
もしあの顔立ちでなかったら、料理ができなかったら、彼のことを好きではなくなるのかというと。そうではないと思う。自分自身に対してさえ説明できない気持ちを、どうやって相手に伝えたらいいのだろうか。
案の定、佐藤君はその夜うちには帰ってこなかった。どこで眠っているのだろうと心配にはなったが、詮索する権利はない。
ベッドに入ってもなかなか寝つけず、僕はぼうっと見慣れた自室の天井を見つめていた。彼が最初に誤解したように、もし彼が本当に僕の息子だったなら。家族としてずっと一緒にいられたかもしれない。そのことが今となっては残念でならない。
これが恋なら、もう二回目はなくていい。そんな幼い願いを抱きながら、明け方近くにようやく眠りに就いた。
翌朝、テレビで天気予報の確認をしつつゼリー飲料を飲んでいると、兄から電話がかかってきた。
「もしもし」
瑞希、と兄が言う。
『あまり時間がないから、用件だけ伝えとく。用件というより、報告だな』
「うん……?」
移動中なのだろうか。声の他に雑音が混じっている。
『昨夜は、うちに泊めたから』
誰を、というのは、聞かなくても分かった。
「そう、でしたか」
『何があったかは知らないが……ちゃんと話をした方がいいとだけ、あれには伝えてある。おそらく今夜は、そちらに戻ると思うが』
「すみません……」
『息子のしたことだ。謝るのは俺の方じゃないか?』
違う、とは言えなかった。言う勇気が、出なかった。
時間がないと言っていた通り、通話はすぐに打ち切られた。携帯の待受にしているペンギンの画像を見ながら、またゼリー飲料に口を付ける。兄のところに泊まったと聞いて、安堵している自分がいた。元彼、あるいは今好きなひとのところにいたわけじゃない。
天気予報では曇りのち雨。今週はずっと曖昧な曇り空が続いている。今日もバスで行って、帰りは歩きか。飲み終えた後の容器をゴミ箱に捨て、僕は身支度を整え始めた。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
食事届いたけど配達員のほうを食べました
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか?
そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。
帝国皇子のお婿さんになりました
クリム
BL
帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。
そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。
「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」
「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」
「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」
「うん、クーちゃん」
「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」
これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。
つぎはぎのよる
伊達きよ
BL
同窓会の次の日、俺が目覚めたのはラブホテルだった。なんで、まさか、誰と、どうして。焦って部屋から脱出しようと試みた俺の目の前に現れたのは、思いがけない人物だった……。
同窓会の夜と次の日の朝に起こった、アレやソレやコレなお話。
薬師は語る、その・・・
香野ジャスミン
BL
微かに香る薬草の匂い、息が乱れ、体の奥が熱くなる。人は死が近づくとこのようになるのだと、頭のどこかで理解しそのまま、身体の力は抜け、もう、なにもできなくなっていました。
目を閉じ、かすかに聞こえる兄の声、母の声、
そして多くの民の怒号。
最後に映るものが美しいものであったなら、最後に聞こえるものが、心を動かす音ならば・・・
私の人生は幸せだったのかもしれません。※「ムーンライトノベルズ」で公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる