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翌朝目を覚ますと、窓の外からは雨の音がした。窓を閉めていても聞こえる雨音がその激しさを伝えてくる。
昨夜は結局、兄が自室にしていた部屋に彼を泊めた。日常的に使われなくなってもう数年経つが、たまに友人を泊めることもあるので、定期的に掃除はしていた。まさか兄の息子を泊めることになるとは、思ってもみなかったのだけれど。
部屋を出てリビングへと向かうと、既に身支度を整えた彼がいた。
「村上さん。おはようございます」
「えっと……佐藤君。早いね。ちゃんと眠れた?」
「はい。すみません、昨日は」
彼は決まり悪そうに視線を床に落とした。
「何か最近、いろいろテンパってて。急に押しかけて、本当にすみませんでした」
切れ長の瞳の上で、睫毛が朝の光に震えている。まだ、十八歳だ。唯一の肉親を失って冷静でいられる方がおかしい。
「しかも、早とちりだったし……」
「もう、それはいいです。僕としても他人事ではないようだし」
本当のところはともかく、彼自身を疑う気持ちにはなれなかった。
「じゃあ、僕はこれで」
どうもありがとうございました、と。深く頭を下げる彼に、僕は言った。
「あれ、もう行くんですか」
時計を見ると、まだ八時前だった。
「あ、はい。少し早いけど、大学でなら時間潰せるから」
「早いなら、別にまだいていいですよ。僕の仕事は一時からだから、十一時過ぎまでは確実にここにいるし」
十三時から二十二時という業務形態なので、僕の朝は大分のんびりしている。
「いや、でも……」
昨夜のあれは、彼にとっても相当なイレギュラーだったらしい。本来はあんなふうに、急に人の家に押しかけてきたりするような子ではないのだろう。
「帰りは、何時くらいになる?」
「え……?」
「僕は早くても十時過ぎになるから。鍵、渡しとこうかなと思って」
待たせるには遅い時間だしな、と思い提案したのだが。彼は激しく首を左右に振った。
「いや、そんなの、だめです!」
「何が、だめ?」
「そこまで、していただくわけには……」
彼は僕の言葉を塞き止めるように、手を前に突き出した。
自分の中では既に整理の着いたことだったので、動揺する彼を前に、僕はひどく落ち着いていた。
「次の住所が決まるまで、って昨日話したの、覚えてないかな」
「覚えてます、けど」
「君は兄に会いに来たんでしょう? その件がはっきりするまでいてくれた方が、自分としてもありがたいし」
彼が本当に兄の息子なら、兄は彼に対して、何らかの行動を起こすべきだと思う。曖昧に終わらせていい話ではない。
「あの……本当に、いいんですか」
「あまり、お構いはできませんが」
どうぞ、と僕は言った。
「……ありがとうございます」
困ったように笑う彼を見ていたら、胸の奥がくすぐったくなった。
「じゃあ、俺、九時くらいに出ます」
「うん、了解。荷物は、今どうしてるんですか?」
今彼の手元にある、スポーツバッグひとつ分ではさすがに少なすぎる。
「段ボールで二箱、友人の家に置かせてもらっています。大学で使うものについては、サークルの教室に……」
「そっか。じゃあ、持ってこれるだけ、今日こっちに持っといでよ。昨日君が泊まった部屋、あそこに置いていいから」
「分かりました。ありがとうございます」
うん、と頷くと同時に欠伸が出た。仕事の時間帯が一般的なサラリーマンとはずれているため、この時間はベッドの中にいることも多い。
「……ごめん、僕もう少し寝るので。鍵、渡しときますね」
スペアのカードキーを手渡して、簡単に部屋の説明をする。
「浴室も、好きに使って構わないから。冷蔵庫の中は、たぶんあんまり入ってないかな……。もし使いたければどうぞ」
「はい」
「じゃあ佐藤君、また夜に」
そう言って僕は踵を返し、きっちり二時間二度寝して、十一時半に家を出た。
昨夜は結局、兄が自室にしていた部屋に彼を泊めた。日常的に使われなくなってもう数年経つが、たまに友人を泊めることもあるので、定期的に掃除はしていた。まさか兄の息子を泊めることになるとは、思ってもみなかったのだけれど。
部屋を出てリビングへと向かうと、既に身支度を整えた彼がいた。
「村上さん。おはようございます」
「えっと……佐藤君。早いね。ちゃんと眠れた?」
「はい。すみません、昨日は」
彼は決まり悪そうに視線を床に落とした。
「何か最近、いろいろテンパってて。急に押しかけて、本当にすみませんでした」
切れ長の瞳の上で、睫毛が朝の光に震えている。まだ、十八歳だ。唯一の肉親を失って冷静でいられる方がおかしい。
「しかも、早とちりだったし……」
「もう、それはいいです。僕としても他人事ではないようだし」
本当のところはともかく、彼自身を疑う気持ちにはなれなかった。
「じゃあ、僕はこれで」
どうもありがとうございました、と。深く頭を下げる彼に、僕は言った。
「あれ、もう行くんですか」
時計を見ると、まだ八時前だった。
「あ、はい。少し早いけど、大学でなら時間潰せるから」
「早いなら、別にまだいていいですよ。僕の仕事は一時からだから、十一時過ぎまでは確実にここにいるし」
十三時から二十二時という業務形態なので、僕の朝は大分のんびりしている。
「いや、でも……」
昨夜のあれは、彼にとっても相当なイレギュラーだったらしい。本来はあんなふうに、急に人の家に押しかけてきたりするような子ではないのだろう。
「帰りは、何時くらいになる?」
「え……?」
「僕は早くても十時過ぎになるから。鍵、渡しとこうかなと思って」
待たせるには遅い時間だしな、と思い提案したのだが。彼は激しく首を左右に振った。
「いや、そんなの、だめです!」
「何が、だめ?」
「そこまで、していただくわけには……」
彼は僕の言葉を塞き止めるように、手を前に突き出した。
自分の中では既に整理の着いたことだったので、動揺する彼を前に、僕はひどく落ち着いていた。
「次の住所が決まるまで、って昨日話したの、覚えてないかな」
「覚えてます、けど」
「君は兄に会いに来たんでしょう? その件がはっきりするまでいてくれた方が、自分としてもありがたいし」
彼が本当に兄の息子なら、兄は彼に対して、何らかの行動を起こすべきだと思う。曖昧に終わらせていい話ではない。
「あの……本当に、いいんですか」
「あまり、お構いはできませんが」
どうぞ、と僕は言った。
「……ありがとうございます」
困ったように笑う彼を見ていたら、胸の奥がくすぐったくなった。
「じゃあ、俺、九時くらいに出ます」
「うん、了解。荷物は、今どうしてるんですか?」
今彼の手元にある、スポーツバッグひとつ分ではさすがに少なすぎる。
「段ボールで二箱、友人の家に置かせてもらっています。大学で使うものについては、サークルの教室に……」
「そっか。じゃあ、持ってこれるだけ、今日こっちに持っといでよ。昨日君が泊まった部屋、あそこに置いていいから」
「分かりました。ありがとうございます」
うん、と頷くと同時に欠伸が出た。仕事の時間帯が一般的なサラリーマンとはずれているため、この時間はベッドの中にいることも多い。
「……ごめん、僕もう少し寝るので。鍵、渡しときますね」
スペアのカードキーを手渡して、簡単に部屋の説明をする。
「浴室も、好きに使って構わないから。冷蔵庫の中は、たぶんあんまり入ってないかな……。もし使いたければどうぞ」
「はい」
「じゃあ佐藤君、また夜に」
そう言って僕は踵を返し、きっちり二時間二度寝して、十一時半に家を出た。
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