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第五章
蠍ノ心臓(アンタレス)・6
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◇◆◇
開店と同時にテイラと司が引き込んだ客も、数時間ほどすると動きが落ち着いてきた。
くるくると忙しく駆け回っていた店員たちにも多少の余裕が出来る。皆から少し遅れて、もう一人アルバイトが加わったこともあり。
「慈玄さん!」
二つに束ねた、柔らかなライトブラウンの髪。チュールレースの重なったスカートはテイラのものと若干デザインが違う。ラインを絞って流線形を残したテイラに比べ、こちらはふわふわとボリュームがあった。
「いらしてたんですね。こんにちは」
気持ちが微妙にざらついていた慈玄も、愛らしい花の妖精に頬を緩める。
「やぁ、恭ちゃん。今からか?」
「はい!あ、コーヒー、お持ちしますね」
いつの間にか空になっていたカップを認めて、恭は厨房へと戻っていった。
和宏の憧れの女性だという五月雨恭のことは、慈玄もかなり気に入っている。もちろん、恋慕ではない。「共にいたい」と願う和宏に向ける感情とはまったく違う。それどころか彼にしては珍しく、即座に性的欲求を連想させない希有な存在でもある。
例えば、路傍に咲く一輪の花に心を奪われる感じに似ている。摘み取って、持ち帰りたいとは思わない。地面が乾けばそっと水を遣り、虫がつきそうになったら払ってやり、健やかに風に揺らめくのを眺めていたい、そんな心境だ。
逆に言えば、安易に触れたり、俗な目線で見たりするのが御門違いにも思える。すでに同居しているという彼女の婚約者も、その目に見えぬ制御が働いて、いまだに手を出せずにいるのだろう。
「お待たせしました!どうぞ」
サーバーからコーヒーを注ぐ恭に目を細め、ふと、窓際のテーブルに着いている男のことを訊ねてみる。
「恭ちゃん、あいつ、知ってるか?」
目だけで指し示す。恭は、よどみなく答えた。
「えぇ、桜校の保健の先生ですよ。夢露先生。オーナーとも知り合いらしくて偶に来るんですけど、ちょっと久しぶり、かな」
それを聞き、慈玄はなるほどと思う。
ここのオーナー、美李の正体は妖狐だ。
和宏を通じて挨拶程度しか顔を合わせていないが、能力は高いらしく、慈玄には一目で気の度合いが判じられた。高尾の眷属である狐天狗の稲城と同等、あるいはそれ以上だろうと。
といっても稲城同様、見た目の変化程度にしか術は使わず、人としての暮らしを充足しているようなので、あえて互いに本性を指摘するまでもなさそうだった。
だが、その妖狐と例の男が親しいとなると、妙に訝しくもある。
夢露という男は妖ではないと見たが、普通の人間の気質とも異なる。強いていえば件の怨霊にも近いが、「保健医」として学校に勤務しているのなら当然実体はあるので、「生ける屍」のようなものでもないはずだ。
何か、と断定はできないまでも、慈玄が読み取った彼の気質を、美李が気付かないとは考えがたい。すなわち、夢露の「正体」を熟知した上で交友している節がある。
「夢露先生が、どうかしましたか?」
考え込んだ慈玄に、恭が首を傾げた。
「あっ、あぁ、なんでもねぇよ。にしてもその服、よく似合ってんな」
ごまかした慈玄の言葉を真に受けて、恭は頬を染めた。
「え、そう、ですか?ありがとうございます」
頭を下げて軽やかに立ち去った恭の後ろ姿を見送り、慈玄は再び思考に耽る。
和宏を捕まえて、夢露のことを問い質さなかったのには理由があった。先刻の彼等のやりとりから、慈玄の脳裏に微かな記憶が閃いたのだ。
以前一度だけ、学校での和宏の様子が知りたくて、式を飛ばしたことが彼にはある。偵察としての式は、映像や音声を明確に伝えるものではない。その場にいる者の気の流れや動きで、ある程度情報を具現化する。校内にいる和宏の気を追ったとき、少年が一時羞恥から上気する場面を、慈玄は汲み取ったのだった。
裏付けるように、その日帰宅した和宏の首筋には赤い斑点が残っていた。
「お前、誰かになんかされたんじゃねぇのか?」
問うた彼に、正直な和宏は顔を赤くし目を逸らして、
「あ。保健室で、ちょっと……」
そんなことをぽつりと洩らした。
心配になった慈玄が、式のことも含めて和宏に打ち明けると、
「なにそれ、俺のこと信用してねーのかよ!そもそも、勝手に覗き見とか趣味悪いし!」
とえらい剣幕で叱りつけられた。そのため、この話題はなあなあの状態でかき消えてしまっていたのだ。
再び、慈玄は窓際の席を見る。あの夢露という男が保健医なら、和宏の肌に痕を残したのもおそらく彼だ。和宏に気があるのか、なんらかの意図があるのか。どちらにしても面白くない慈玄は、苦虫を噛みつぶした体で相手を伺っていた。
開店と同時にテイラと司が引き込んだ客も、数時間ほどすると動きが落ち着いてきた。
くるくると忙しく駆け回っていた店員たちにも多少の余裕が出来る。皆から少し遅れて、もう一人アルバイトが加わったこともあり。
「慈玄さん!」
二つに束ねた、柔らかなライトブラウンの髪。チュールレースの重なったスカートはテイラのものと若干デザインが違う。ラインを絞って流線形を残したテイラに比べ、こちらはふわふわとボリュームがあった。
「いらしてたんですね。こんにちは」
気持ちが微妙にざらついていた慈玄も、愛らしい花の妖精に頬を緩める。
「やぁ、恭ちゃん。今からか?」
「はい!あ、コーヒー、お持ちしますね」
いつの間にか空になっていたカップを認めて、恭は厨房へと戻っていった。
和宏の憧れの女性だという五月雨恭のことは、慈玄もかなり気に入っている。もちろん、恋慕ではない。「共にいたい」と願う和宏に向ける感情とはまったく違う。それどころか彼にしては珍しく、即座に性的欲求を連想させない希有な存在でもある。
例えば、路傍に咲く一輪の花に心を奪われる感じに似ている。摘み取って、持ち帰りたいとは思わない。地面が乾けばそっと水を遣り、虫がつきそうになったら払ってやり、健やかに風に揺らめくのを眺めていたい、そんな心境だ。
逆に言えば、安易に触れたり、俗な目線で見たりするのが御門違いにも思える。すでに同居しているという彼女の婚約者も、その目に見えぬ制御が働いて、いまだに手を出せずにいるのだろう。
「お待たせしました!どうぞ」
サーバーからコーヒーを注ぐ恭に目を細め、ふと、窓際のテーブルに着いている男のことを訊ねてみる。
「恭ちゃん、あいつ、知ってるか?」
目だけで指し示す。恭は、よどみなく答えた。
「えぇ、桜校の保健の先生ですよ。夢露先生。オーナーとも知り合いらしくて偶に来るんですけど、ちょっと久しぶり、かな」
それを聞き、慈玄はなるほどと思う。
ここのオーナー、美李の正体は妖狐だ。
和宏を通じて挨拶程度しか顔を合わせていないが、能力は高いらしく、慈玄には一目で気の度合いが判じられた。高尾の眷属である狐天狗の稲城と同等、あるいはそれ以上だろうと。
といっても稲城同様、見た目の変化程度にしか術は使わず、人としての暮らしを充足しているようなので、あえて互いに本性を指摘するまでもなさそうだった。
だが、その妖狐と例の男が親しいとなると、妙に訝しくもある。
夢露という男は妖ではないと見たが、普通の人間の気質とも異なる。強いていえば件の怨霊にも近いが、「保健医」として学校に勤務しているのなら当然実体はあるので、「生ける屍」のようなものでもないはずだ。
何か、と断定はできないまでも、慈玄が読み取った彼の気質を、美李が気付かないとは考えがたい。すなわち、夢露の「正体」を熟知した上で交友している節がある。
「夢露先生が、どうかしましたか?」
考え込んだ慈玄に、恭が首を傾げた。
「あっ、あぁ、なんでもねぇよ。にしてもその服、よく似合ってんな」
ごまかした慈玄の言葉を真に受けて、恭は頬を染めた。
「え、そう、ですか?ありがとうございます」
頭を下げて軽やかに立ち去った恭の後ろ姿を見送り、慈玄は再び思考に耽る。
和宏を捕まえて、夢露のことを問い質さなかったのには理由があった。先刻の彼等のやりとりから、慈玄の脳裏に微かな記憶が閃いたのだ。
以前一度だけ、学校での和宏の様子が知りたくて、式を飛ばしたことが彼にはある。偵察としての式は、映像や音声を明確に伝えるものではない。その場にいる者の気の流れや動きで、ある程度情報を具現化する。校内にいる和宏の気を追ったとき、少年が一時羞恥から上気する場面を、慈玄は汲み取ったのだった。
裏付けるように、その日帰宅した和宏の首筋には赤い斑点が残っていた。
「お前、誰かになんかされたんじゃねぇのか?」
問うた彼に、正直な和宏は顔を赤くし目を逸らして、
「あ。保健室で、ちょっと……」
そんなことをぽつりと洩らした。
心配になった慈玄が、式のことも含めて和宏に打ち明けると、
「なにそれ、俺のこと信用してねーのかよ!そもそも、勝手に覗き見とか趣味悪いし!」
とえらい剣幕で叱りつけられた。そのため、この話題はなあなあの状態でかき消えてしまっていたのだ。
再び、慈玄は窓際の席を見る。あの夢露という男が保健医なら、和宏の肌に痕を残したのもおそらく彼だ。和宏に気があるのか、なんらかの意図があるのか。どちらにしても面白くない慈玄は、苦虫を噛みつぶした体で相手を伺っていた。
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