イツマデモ君トコノ星ヲ

縹トヲル

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第四章

My secondary planets 〜宵の明星後日談・1

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◇◆◇

 幸いにも、この年梅雨入り宣言は遅かった。たなびく雲は青空のほとんどを薄く覆っているが、どうやら雨粒が落ちてくる心配はなさそうだ。
 整備された駅前ロータリーだが、緑で染まった山は目前。行楽シーズンなど特に考慮しなくても差し支えない、熟年客は相変わらず多い。むしろ暑くもなく寒くもないこの時期は、体力にさほど自信の無い者がトレッキングをするのに最適とも言える。
 そんな中、場の大半を占める客より断然若い……少年はひとりで、改札を出た。肩に掛かったディバッグの紐を握る。
「やっぱり。一回だけでも会いたいもん、な」
 一人で来るな、と言われた。危険が解消したのではないからと。しかし彼はどうしても、自分のために傷を負った相手を労いたかったのだ。ただ、待っているよりも自ら赴いて。



 桜街の慈光院。本堂の脇に建った自宅へ戻るなり、慈玄はばったりと倒れ込んだ。帰るまではと、それなりに気を張っていたらしい。「人型を保つだけで精一杯」というのは、誇張でもなんでもなかった。
「大丈夫?!」
 慌てて駆け寄った和宏に、大きな掌がひらひらと振られて無事を伝える。
「なに、ちっと疲れただけだ。寝てりゃあなんとかなる。法要はずらしてもらったし、どうやら檀家に死人も出てねぇようだしな」
 結局二日も寺を空けてしまったのだから、そのあたりの調整はしたのだろう。そういえばと自分の格好を確認した和宏も、遠出から帰還したとは思えない制服姿だ。
「とにかく、布団敷くし。無理しないで寝てろよ」
「あぁ、悪ぃな。そうさせてもらう」
 和宏が床を用意すると、気怠げに立ち上がった慈玄は手を引かれ、そちらに移動する。着替えもせず横になり、すぐさま寝息を立て始めた。投げ出された手を、少年の手がそろそろと拾う。そのまま、ぎゅっと握りしめ。
「お疲れさま。ごめんな?」
 普段なら家に二人きりになれば、キスのひとつも迫られる。そんな暇さえ今日はなかった。握った指には熱が籠もり、漏れる呼吸もやや荒い。天狗が風邪をひくことはないだろうが、見た目の状態はそれに近い。
 閉じた慈玄の瞼に、和宏はそっと唇で触れた。

 難事に立ち向かう決意はしたものの、一緒にいると誓った相手のこんな状況を目の当たりにしてはやはり不安が募る。人間である自分は、所詮わがままを通しただけでなんの手出しもできないのではないかと。
 情けない、と和宏は思う。そして、己の判断は間違ってはいなかっただろうかと同じ問いを頭に過ぎらせていた。誰も君を責めはしないと、慈海は言った。慈玄だって今更離れるなどと言えば、本気で引き止めるに違いない。それでも、先行きの見えない今が和宏には気がかりだった。もう一人……力を摩耗して消えた、一見軽薄に見える茶髪の天狗のことも。
「起きたら、お粥でも作ってやるな」
 泣きそうに笑って、聞こえていない言葉を和宏は慈玄にかけた。

 翌朝から、見掛けだけは日常に戻った。前日夕方から眠っていた慈玄も目を覚ました。まだ身体は重そうであったが。
 和宏は登校し、昼寝を交えつつも慈玄は寺の仕事を少しずつ片付ける。ただ山から戻って後、二人が身体を重ねることはまだできずにいた。そうはいっても情愛で結ばれた関係、「される」のが当たり前になっていた和宏にすれば若干の淋しさを覚えたし、逆に慈玄にしても相手の心境を慮って触れられずにいるのは口惜しくもあった。

「お前達の住む街には、根の深い闇がある」
 中峰の不吉な予言は、いまだその正体が知れない。妖力の落ちた慈玄が、できる範囲で探ってみても、わずかな異変さえ感じ取れずにいた。街の様子は、以前同様穏やかで静かだ。高台である門の外から眺めても、微少な靄さえ見当たらない。向こうの出方が見えるまでは、対処の施しようがないのに苛立つ。そんな気持ちは、愛する少年の前ではおくびにも出さぬとも。

 一見平和な数日が過ぎた後、慈海が寺を訪れた。
「慈海さん?!どうしたんですか?」
 ばたばたと玄関先に迎え出た和宏に反して、スーツ姿の紳士は至って冷静な対応だった。
「いや、あれからどうしたかと思ってな。少々様子を見に来たのだ」
 脱いだ革靴を自ら揃え、慈海は居間に進む。
「中峰様の言葉通り、私も以前よりは手隙になったのでな」
 前にここを訪問した時と同じ、卓袱台に突っ伏した姿勢で慈玄が迎えた。
「よぉ、お疲れ」
「貴様は相変わらずのようだな。と言いたいところだが、経過はどうだ?」
「あれだけの大仕事だったんだ、まだ怠いさ。中峰の様子は?」
「こちらも特に変容はないな。実務的な会話以外しておらぬが、あえて触れないようでもある」
「そうか。妙な小細工でも打ってこなきゃいいけどな」
 これも前と同じく、和宏がいつの間にか茶を用意し、淹れた。それぞれの前に湯呑みを置くと、慈玄の隣にちょこんと座る。
「そうそう、慈斎だが。あと半月ほどで元に戻れそうだ。万全、とはいかぬが人型にくらいはなれるだろう」
「ほんとですか?!」
 卓に両手をつき、身を乗り出して和宏が慈海に迫る。
「あぁ。どうやら中峰様も言った手前、回復を手伝ったらしい。街の闇がどうあちらに作用するかも分からぬからな」
「そっか、よかった」
 ほっと胸を撫で下ろす和宏。それとは逆に、慈玄は懐疑的な目を向ける。
「そいつぁちっと胡散臭ぇな。慈斎の奴ぁ、中峰を裏切りかけたんだぜ?あの高慢ちきが、そう易々と許すたぁ思えねぇが」
「だからこそ、恩を売りたかったのではないかとも思うがな。あやつにとっても、この街の状況は興味深いはずだ。再度調査ができるようになるなら、期限が来るまで下手に逆らう真似はせんだろう」
「いいじゃん、そんなのどっちでも。俺は、慈斎が戻ってくれたらそれだけで嬉しいし」
 復帰を素直に喜ぶ和宏に、天狗達は思わず口を噤む。中峰の画策だろうが街に潜む闇だろうが、正面から対処することに変わりはないのだ。
「わかりました。じゃあ俺は、ここで慈玄の看病してますね!看病、っていう言い方が正しいかどうかはわかんないけど」
「あぁ、そうしてくれ。無事動けるようになったら、慈斎は必ずここへ顔を出すだろう。いまだ慈玄の妖力も完全とは言えない今、君等が山へ足を踏み入れれば、中峰様の気もまた変わらんとは断言できぬし」
 極力、しばらくは迦葉に近づかない方が良いと慈海は告げる。中峰が全力を発揮できるのは、自らが統治する敷地内だ。手の届きづらい桜街にいる限り、余分な手出しはしてこないと思われた。
「まぁ俺も、わざわざ慈斎なんぞを見舞わなくて済むのは万々歳だしな」
「またそーゆうこと言う。俺は本気で、慈斎を心配してるのに!」
「いいじゃねぇか、あいつだってお前に弱ってるとこなんて見せたかねぇはずだぞ?えぇかっこしいだからな」
「そんなの、慈玄だって一緒だと思うけど」
「は?!」
 和宏達の様子を眺め、慈海はくすくすと笑みを洩らした。
「お前達は本当に、見ていて飽きぬな」
 いつかと同じ印象を口にする。
「そうですか?あ、でも慈海さん、前よりずっと笑ってくれるようになりましたよね」
 思わぬ方向へ話題を向けられたとばかりに、慈海は眼を瞠る。
「そうか?自分ではさほど変わったとは思えぬのだが」
「変わった変わった!いっつも小難しい顰めっ面で、説教ばっかしてたお前さんがなー」
 頬杖をついたまま、慈玄も便乗した。変化はない、と主張した慈海だが、自身でも居心地の良さは覚えている。
 殺伐とした妖の世界は、常に気を張っていなければならない。時には食うか食われるか。本来は「存在していてはいけない」という負い目もある。まがりなりにも当初は人間であった慈海は、他の者よりそれを強く感じ取っていた。彼にしてみれば、この団欒は「原初に戻った」と言えなくもないのである。軽口を叩き合う二人を微笑ましく見守るのは、「人間として生きた」彼の本質でもあった。
 だが、慈海当人にもその自覚は薄い。
「今のところ、和宏君に説教する謂われも無いのでな」
「えっ?!なんだそれ、そんじゃあ俺等が普段説教受けることばっかしてるみてぇじゃねぇか!」
「違うのか?」
 このやりとりを、今度は和宏が花のような笑顔で見つめる。皆が揃って笑い合えれば、それでいいと。

「それからもう一つ」
 慈海が、声の調子を改めた。
「この街の様子を、私も把握しておきたい。今の貴様よりは、私の方が気の動きを読み取れるだろう」
 慈玄が軽く、自嘲気味に口端を上げた。
「それもそう、だな。観光案内程度にしかなんねぇが」
 だが和宏は、この言葉にも目を輝かす。たとえ闇の出所を探す目的であっても、慈海と連れ立って歩けるのが嬉しいのだ。こうして楽しみを見出すことができるのが、和宏の強みだ。
「じゃあ、俺が案内します!せっかくだし、ついでに夕食の買い物もするんで、慈海さんも時間大丈夫なら食べていって下さい!」
 双方の手を掴んだ和宏に、かすかに走った緊張さえ解した二人は和やかな苦笑を向け合った。
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