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第四章
宵の明星・28
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◇◆◇
初夏の晴れ間のような穏やかな日々が、しばらく続いていた。このまま猛烈な日差しが降り注ぐ、賑やかな夏に突入してしまうかにも思えるが、残念なことにそうはならない。ひと月ばかりも分厚い雲が太陽を隠す、陰鬱な梅雨は着々と近づいているのだ。
慈斎はあの日以来、和宏の前に姿を見せない。少年には、それが気がかりだった。慈玄の傍にいたいなら、自分のことは切り捨てろ、そうまで言われたことに、なんの返答もできなかったのを、和宏は悔やんでいた。
そんな和宏の様子に、慈玄とて気付かないはずがない。心配事など何一つ無いと言わんばかりに彼に接する和宏だが、近くで見ていればこそあの日以後の些細な変化もわかる。
慈玄にすれば慈斎のことなど構わずと良いと思うのだが、和宏はそんなわけにもいかないのだろう。自分がなんと思われようが、どういう扱いをされようが、相手を慮ってしまうのが和宏だ。鞍吉の件ひとつ見ても、それは痛いほど身に沁みていた。辱めを受けた慈斎に対しても、決して例外ではない。
むしろ以前より殊更明るく振る舞うのは、慈斎と険悪な関係である自分に不安を与えないため。それも、慈玄は熟知している。自分が沈み込めば、慈玄も困ると和宏は思っている。その健気さを知ればこそ、慈斎の話題は彼の方からも以来一切口にはしていなかったのだが。
「なぁ、和」
いつもと同様に食事の支度を整えた和宏に、慈玄は声を掛けた。相変わらず品数豊富に食欲をそそる献立が並んだが、その中で少々変わっていた物を慈玄はみつけた。
「なに?」
「箸、新しくしたのか?」
指摘に、なぜか和宏はギクリと眉を上げた。
「う、うん」
見れば、和宏のものも新調されている。長さは違うが、持ち手側に入った柄はよく似ていて、二膳が対になっているようだ。
「はは、お揃い、か?悪くねぇな」
「う、うん」
和宏の返事は、どこか曖昧に曇る。
「どうした、なにか気になることでもあんのか?」
「慈玄……あの、さ」
言うか言うまいか、躊躇する素振りを和宏は見せる。もぞもぞと膝を摺り合わせていたが、意を決したらしく、ぎゅっと拳を卓袱台の下で握った。
「やっぱり、慈斎さんに晩御飯ここで食べてもらっちゃだめ、かな」
箸を持ち上げ眺めていた慈玄が、ぴたりと手を止めた。とはいえ、特に驚きはなかった。いつかはなにかしら言い出すだろうと予測はしていた。
「二人で会っちゃだめだって慈玄は言うけど、ここでならいいだろ?慈玄もいるし、前も言ったけど、あの日のお礼ちゃんとしたいし、それにっ!!」
切り出して勢いづいたのか、和宏は堰を切ったように続ける。
はぁ、と慈玄が溜息を吐く。いつ告げようかと、機会を見計らっていたのだろう。それはよくよく勘づいてはいたのだが。
「なんでそんなに、あいつと親しくしたいかねぇ」
「だ、って、仲が悪くても、慈玄の同僚なんだろ?あと……」
卓袱台に並んだ料理に、和宏は目を落とす。ぼそり、と音程を落とした声で
「やっぱり俺、慈玄と別れなきゃ味方になれない、なんて言われたままなの、嫌だ」
こういう考え方をするのが和宏だ。そしてそんな和宏を愛したのは、慈玄自身。
「やれやれ、仕方ねぇな」
もうひとつ息を吐くと、慈玄は懐から式符を取りだした。
「やってみるか、これ」
「え?」
「こっちからあいつに連絡取るにゃ、これを使うしかねぇからな?どうせなら、お前の気持ちも伝えた方がいいだろ?」
和宏の顔が、ぱぁっと輝く。明確な反応に、慈玄もつい苦笑が漏れる。
「う、うんっ!でも、俺にできるの?」
「なに、俺が手伝ってやんよ」
憑坐の体験をした和宏は、山での時より気の流れが大きくなっている。覚醒に近づくのは慈玄には不本意だが、この場合は利用させても良いだろうと考えた。
ぽんぽんと慈玄が己の膝を叩くと、和宏がその上に座る。
「いいか?札を両手に挟んで、伝えたいことを強く念じるんだ」
言われたとおりに札を持ち合わせた掌に、慈玄も両手を重ねる。寸時目を閉じ、集中する和宏。灯るような気質は慈玄の膝や胸をも包む。
── こりゃあ……思ったより成長してる、か?
一瞬の危惧を、慈玄は振り払った。今その憂虞はしないでおこうと。
「これでいい?」
目を開いた和宏が、慈玄の顔を振り返り見る。
「あぁ、上出来だ。髪を一本もらうな?」
ぷつりと一本髪を抜き取ると、札に置いて印を切る。髪の毛は表面に溶け込むようにして消えた。
「よし、んじゃ」
膝の上の少年を抱き下ろして、慈玄は縁側に立った。和宏も横に並ぶ。
「伝わるといいな」
大きな手に包まれた式符を、和宏はその上から一撫でした。開いた掌から、式符はふわりと浮かび、飛び立つ。微細な光の粒子をまとわせ、紙片は暗い夜の空へと舞い上がっていった。
初夏の晴れ間のような穏やかな日々が、しばらく続いていた。このまま猛烈な日差しが降り注ぐ、賑やかな夏に突入してしまうかにも思えるが、残念なことにそうはならない。ひと月ばかりも分厚い雲が太陽を隠す、陰鬱な梅雨は着々と近づいているのだ。
慈斎はあの日以来、和宏の前に姿を見せない。少年には、それが気がかりだった。慈玄の傍にいたいなら、自分のことは切り捨てろ、そうまで言われたことに、なんの返答もできなかったのを、和宏は悔やんでいた。
そんな和宏の様子に、慈玄とて気付かないはずがない。心配事など何一つ無いと言わんばかりに彼に接する和宏だが、近くで見ていればこそあの日以後の些細な変化もわかる。
慈玄にすれば慈斎のことなど構わずと良いと思うのだが、和宏はそんなわけにもいかないのだろう。自分がなんと思われようが、どういう扱いをされようが、相手を慮ってしまうのが和宏だ。鞍吉の件ひとつ見ても、それは痛いほど身に沁みていた。辱めを受けた慈斎に対しても、決して例外ではない。
むしろ以前より殊更明るく振る舞うのは、慈斎と険悪な関係である自分に不安を与えないため。それも、慈玄は熟知している。自分が沈み込めば、慈玄も困ると和宏は思っている。その健気さを知ればこそ、慈斎の話題は彼の方からも以来一切口にはしていなかったのだが。
「なぁ、和」
いつもと同様に食事の支度を整えた和宏に、慈玄は声を掛けた。相変わらず品数豊富に食欲をそそる献立が並んだが、その中で少々変わっていた物を慈玄はみつけた。
「なに?」
「箸、新しくしたのか?」
指摘に、なぜか和宏はギクリと眉を上げた。
「う、うん」
見れば、和宏のものも新調されている。長さは違うが、持ち手側に入った柄はよく似ていて、二膳が対になっているようだ。
「はは、お揃い、か?悪くねぇな」
「う、うん」
和宏の返事は、どこか曖昧に曇る。
「どうした、なにか気になることでもあんのか?」
「慈玄……あの、さ」
言うか言うまいか、躊躇する素振りを和宏は見せる。もぞもぞと膝を摺り合わせていたが、意を決したらしく、ぎゅっと拳を卓袱台の下で握った。
「やっぱり、慈斎さんに晩御飯ここで食べてもらっちゃだめ、かな」
箸を持ち上げ眺めていた慈玄が、ぴたりと手を止めた。とはいえ、特に驚きはなかった。いつかはなにかしら言い出すだろうと予測はしていた。
「二人で会っちゃだめだって慈玄は言うけど、ここでならいいだろ?慈玄もいるし、前も言ったけど、あの日のお礼ちゃんとしたいし、それにっ!!」
切り出して勢いづいたのか、和宏は堰を切ったように続ける。
はぁ、と慈玄が溜息を吐く。いつ告げようかと、機会を見計らっていたのだろう。それはよくよく勘づいてはいたのだが。
「なんでそんなに、あいつと親しくしたいかねぇ」
「だ、って、仲が悪くても、慈玄の同僚なんだろ?あと……」
卓袱台に並んだ料理に、和宏は目を落とす。ぼそり、と音程を落とした声で
「やっぱり俺、慈玄と別れなきゃ味方になれない、なんて言われたままなの、嫌だ」
こういう考え方をするのが和宏だ。そしてそんな和宏を愛したのは、慈玄自身。
「やれやれ、仕方ねぇな」
もうひとつ息を吐くと、慈玄は懐から式符を取りだした。
「やってみるか、これ」
「え?」
「こっちからあいつに連絡取るにゃ、これを使うしかねぇからな?どうせなら、お前の気持ちも伝えた方がいいだろ?」
和宏の顔が、ぱぁっと輝く。明確な反応に、慈玄もつい苦笑が漏れる。
「う、うんっ!でも、俺にできるの?」
「なに、俺が手伝ってやんよ」
憑坐の体験をした和宏は、山での時より気の流れが大きくなっている。覚醒に近づくのは慈玄には不本意だが、この場合は利用させても良いだろうと考えた。
ぽんぽんと慈玄が己の膝を叩くと、和宏がその上に座る。
「いいか?札を両手に挟んで、伝えたいことを強く念じるんだ」
言われたとおりに札を持ち合わせた掌に、慈玄も両手を重ねる。寸時目を閉じ、集中する和宏。灯るような気質は慈玄の膝や胸をも包む。
── こりゃあ……思ったより成長してる、か?
一瞬の危惧を、慈玄は振り払った。今その憂虞はしないでおこうと。
「これでいい?」
目を開いた和宏が、慈玄の顔を振り返り見る。
「あぁ、上出来だ。髪を一本もらうな?」
ぷつりと一本髪を抜き取ると、札に置いて印を切る。髪の毛は表面に溶け込むようにして消えた。
「よし、んじゃ」
膝の上の少年を抱き下ろして、慈玄は縁側に立った。和宏も横に並ぶ。
「伝わるといいな」
大きな手に包まれた式符を、和宏はその上から一撫でした。開いた掌から、式符はふわりと浮かび、飛び立つ。微細な光の粒子をまとわせ、紙片は暗い夜の空へと舞い上がっていった。
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