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第四章
宵の明星・22
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「いや、君も聞きたまえ。断片的にではあるが、慈斎から小耳には挟んだ。事は君にも関わっているようだし、な?しかも慈玄は、まだろくに説明もしていないのだろう?」
痛いところを突かれた慈玄は、座り直して背を丸める。あの日の夕食時に、言いそびれたことを和宏に伝えていれば、警戒の度合いも変わったかもしれないのだから。
「慈玄、いいの?」
和宏はしかし、改めて慈玄の了承を求める。「話しづらいことを無理に聞き出そうとは思ってない」と言った手前、どうにも躊躇してしまうようだ。慈玄にしても、いつまでも状況説明を引き延ばしている場合ではないことくらい承知している。
「あぁ。いい加減、隠し通してても仕方ねぇしな?」
頭を掻きながら、彼は諾した。
「とはいえ、君にとってもこれは少々覚悟を促す話だ。それでもいいかね?」
人間の常識や理解の及ばない内容だ。慈海は重ねて忠言する。
「はい、それでも俺、聞きたいです。それでどうなるかわかんないし、俺がどうしたらいいかも、何ができるかもわかりませんけど。聞かずになにもできないよりいいと思うから」
慈玄の横に並び座った和宏は、彼の袖を掴み引いた。
「慈玄。一緒にいるために、俺も聞きたい」
「和」
慈海はその様子を見て、表情を和らげた。
「ん、やはり君は生真面目でしっかりした子だ」
満足げに目線で頷く。そして、やおら口を開き話し始めた。
「君と慈玄が迦葉を訪れた際、目覚めてはならぬものが動き出してしまった、とあのとき言ったことは覚えているか?」
神妙に和宏が頷く。
「けど、慈玄は俺達が山寺へ行ったときに片付いたって」
「……慈玄、貴様」
ちらり、と横目で伺う和宏と呆れたような慈海の視線に挟まれ、慈玄はますます肩を狭めた。気まずそうに耳を掻く。
「そーでも言わなきゃ、和が不安がると思ったんだよ。あんな事態になったとはいえ、せっかくの旅行だ。ちったぁ楽しまなきゃ行った意味ねぇだろうが」
「あの、じゃあ……やっぱりこの間のも」
やはり、とは思ったが、和宏は敢えて慈海に確認する。
「無論。君が慈斎に送られ宿に戻ってから、慈玄が顔を見せるまで数時間といったところだったはずだ。あの場では応急処置を施したに過ぎん。深夜、重ねて術をかけたが、それさえ破られる始末でな」
「え?!じ、慈玄、もしかしてあの後行った……の?」
顔を赤らめながら、和宏が目を剥いた。情事に及んだところまでは覚えていたからだ。翌朝慈玄が爆睡していたのは、うっすら勘づいていたようにその疲れによるものではなかったのだ。
「面目ねぇ。せめて、翌日帰るまではゆっくりしてぇと思ったし。ま、何とか登山する間は大人しくしていてくれるようにはしといたんだけどな」
『馬隠れの杉』で慈海と顔を合わせるまで、彼に怨霊を抑える術を慈玄は任せていた。
「それを恩に着せるつもりもないが」と前置きして、慈海は続ける。
「元はといえば、貴様の不徳のなすところだろう?『アレ』が動き出すことくらい、貴様には予想が付いていたはずだ」
「に、したってよぉ!俺等は温泉街と、精々弥勒寺の敷地ぐれぇにしか足を踏み入れねーつもりだったんだぜ?結界近くまで行かなきゃ、封印さえきちんとしてれば適当に蹴散らす程度で済んだんじゃねーのかよ?!」
「浅はかな。貴様、どこまで下界ボケしておるのだ」
「慈海までんなこと言う?!」
紳士のような天狗は深い溜息を吐く。
おろおろと二人の顔を見比べていた和宏だが、この状態はどう考えても慈海の言い分に理があるように思えた。
「あの日も言ったが、貴様は鞍吉君の件、なんの反省材料にもしていないと見える」
「ぅぐっ!」
「鞍?」
「兄」の名が出て、和宏は動揺する。とくとくと心臓が早鐘を打ち始めた。
「暴れて謹慎にされちまったからな。詳しい経過は俺ぁ、よく知らねぇよ。それに、妖の鞍にならいざ知らず、まさか人間の和相手に……」
「そこが甘いというのだ。鞍吉君の時も、なにも中峰様は自ら最終的に手にかけたわけではないのだぞ?彼の場合は様々な要因が重なって、不幸な結果に」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌てて和宏が口を挟んだ。
「あの、鞍がどうかしたんですか?」
「ん?君は鞍吉君と面識があるのか?」
慈玄は額に手を当て、天を仰ぐ。
「あー、そーいやそれも言ってなかったな。俺が和と知り合ったのぁ、鞍を介してなんだよ。つっても、烏天狗の鞍吉とは別物の、転生後のあいつ、だけどな?」
「ほぅ?」
合点がいった、とばかりに慈海は目を見開いた。しかし和宏の方は、まだ頭におおいに疑問符を浮かべている。
「和、鞍が迦葉で一度命を落とした、ってのは話しただろ?」
「う、うん」
何を言われるのかと、和宏は不安げな目を慈玄に向ける。
「それにも、今回の件が少し関わっている。鞍の前世……妖だった頃のあいつはな、謂わば、お前を襲ったのと同じ奴に殺された」
「え……?!」
和宏の白い顔が、途端に青ざめていく。それを見て口が重くなった慈玄に代わり、慈海が補足を加えた。
「といっても、直接殺傷されたわけではないのだが。当時の鞍吉君、烏天狗である彼だが、自らの属していた山を追われ、存在目的を見失っていた。もともと精神が衰弱していた矢先、『アレ』が彼に取り憑き、更に煽り追い詰めた。結果、鞍吉君は責め苦に耐えきれなくなり、自ら消滅したのだ」
「そん……な……」
二の句の継げない和宏。苦しそうに、慈玄も続ける。
「物理的に攻撃されてるんじゃねぇから、俺も気付いてやるのが遅すぎた。そのこと自体も口惜しいんだが、そうやって追い込まれた状態で消えた鞍は、生まれ変わっても『自分は存在してはいけない、存在していても意味がない』という意識を強く懐き続けていたんだ。俺が鞍に対して、『気に掛けている』というのぁそういう意味でな」
「鞍……」
膝の上で和宏は拳をぎゅっと握り、肩を震わせていた。現在を生きる鞍吉とは厳密には無縁とはいえ、「兄」とまで言い慕った相手の憐れな過去は、彼に相当のショックを与えた。
「いや、鞍のこたぁ別にいいんだ。あいつはお前や光一郎と出逢って、少しずつだが今世では変わりつつある。そのうち、因縁なんざ断ち切る日が来るだろうぜ?男を不幸にするっつう因果を見事断ち切った碧みてぇに、な?」
いまや夫を愛し尽くして、旅館を切り盛りする元飛縁魔の女将の名を挙げ、慈玄は和宏の背を叩いた。
が、他者の事情に心を痛める和宏を目の当たりにして、慈海はいささか憂慮する。鞍吉の事例は、そうは言ってもすでに過去の話。現段階では、この少年こそが当事者なのだ。
「そう、だな。むしろ本題は、ここからだ」
調子を改めた慈海の声に、和宏はごくり、と唾を飲んで顔を上げた。
痛いところを突かれた慈玄は、座り直して背を丸める。あの日の夕食時に、言いそびれたことを和宏に伝えていれば、警戒の度合いも変わったかもしれないのだから。
「慈玄、いいの?」
和宏はしかし、改めて慈玄の了承を求める。「話しづらいことを無理に聞き出そうとは思ってない」と言った手前、どうにも躊躇してしまうようだ。慈玄にしても、いつまでも状況説明を引き延ばしている場合ではないことくらい承知している。
「あぁ。いい加減、隠し通してても仕方ねぇしな?」
頭を掻きながら、彼は諾した。
「とはいえ、君にとってもこれは少々覚悟を促す話だ。それでもいいかね?」
人間の常識や理解の及ばない内容だ。慈海は重ねて忠言する。
「はい、それでも俺、聞きたいです。それでどうなるかわかんないし、俺がどうしたらいいかも、何ができるかもわかりませんけど。聞かずになにもできないよりいいと思うから」
慈玄の横に並び座った和宏は、彼の袖を掴み引いた。
「慈玄。一緒にいるために、俺も聞きたい」
「和」
慈海はその様子を見て、表情を和らげた。
「ん、やはり君は生真面目でしっかりした子だ」
満足げに目線で頷く。そして、やおら口を開き話し始めた。
「君と慈玄が迦葉を訪れた際、目覚めてはならぬものが動き出してしまった、とあのとき言ったことは覚えているか?」
神妙に和宏が頷く。
「けど、慈玄は俺達が山寺へ行ったときに片付いたって」
「……慈玄、貴様」
ちらり、と横目で伺う和宏と呆れたような慈海の視線に挟まれ、慈玄はますます肩を狭めた。気まずそうに耳を掻く。
「そーでも言わなきゃ、和が不安がると思ったんだよ。あんな事態になったとはいえ、せっかくの旅行だ。ちったぁ楽しまなきゃ行った意味ねぇだろうが」
「あの、じゃあ……やっぱりこの間のも」
やはり、とは思ったが、和宏は敢えて慈海に確認する。
「無論。君が慈斎に送られ宿に戻ってから、慈玄が顔を見せるまで数時間といったところだったはずだ。あの場では応急処置を施したに過ぎん。深夜、重ねて術をかけたが、それさえ破られる始末でな」
「え?!じ、慈玄、もしかしてあの後行った……の?」
顔を赤らめながら、和宏が目を剥いた。情事に及んだところまでは覚えていたからだ。翌朝慈玄が爆睡していたのは、うっすら勘づいていたようにその疲れによるものではなかったのだ。
「面目ねぇ。せめて、翌日帰るまではゆっくりしてぇと思ったし。ま、何とか登山する間は大人しくしていてくれるようにはしといたんだけどな」
『馬隠れの杉』で慈海と顔を合わせるまで、彼に怨霊を抑える術を慈玄は任せていた。
「それを恩に着せるつもりもないが」と前置きして、慈海は続ける。
「元はといえば、貴様の不徳のなすところだろう?『アレ』が動き出すことくらい、貴様には予想が付いていたはずだ」
「に、したってよぉ!俺等は温泉街と、精々弥勒寺の敷地ぐれぇにしか足を踏み入れねーつもりだったんだぜ?結界近くまで行かなきゃ、封印さえきちんとしてれば適当に蹴散らす程度で済んだんじゃねーのかよ?!」
「浅はかな。貴様、どこまで下界ボケしておるのだ」
「慈海までんなこと言う?!」
紳士のような天狗は深い溜息を吐く。
おろおろと二人の顔を見比べていた和宏だが、この状態はどう考えても慈海の言い分に理があるように思えた。
「あの日も言ったが、貴様は鞍吉君の件、なんの反省材料にもしていないと見える」
「ぅぐっ!」
「鞍?」
「兄」の名が出て、和宏は動揺する。とくとくと心臓が早鐘を打ち始めた。
「暴れて謹慎にされちまったからな。詳しい経過は俺ぁ、よく知らねぇよ。それに、妖の鞍にならいざ知らず、まさか人間の和相手に……」
「そこが甘いというのだ。鞍吉君の時も、なにも中峰様は自ら最終的に手にかけたわけではないのだぞ?彼の場合は様々な要因が重なって、不幸な結果に」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌てて和宏が口を挟んだ。
「あの、鞍がどうかしたんですか?」
「ん?君は鞍吉君と面識があるのか?」
慈玄は額に手を当て、天を仰ぐ。
「あー、そーいやそれも言ってなかったな。俺が和と知り合ったのぁ、鞍を介してなんだよ。つっても、烏天狗の鞍吉とは別物の、転生後のあいつ、だけどな?」
「ほぅ?」
合点がいった、とばかりに慈海は目を見開いた。しかし和宏の方は、まだ頭におおいに疑問符を浮かべている。
「和、鞍が迦葉で一度命を落とした、ってのは話しただろ?」
「う、うん」
何を言われるのかと、和宏は不安げな目を慈玄に向ける。
「それにも、今回の件が少し関わっている。鞍の前世……妖だった頃のあいつはな、謂わば、お前を襲ったのと同じ奴に殺された」
「え……?!」
和宏の白い顔が、途端に青ざめていく。それを見て口が重くなった慈玄に代わり、慈海が補足を加えた。
「といっても、直接殺傷されたわけではないのだが。当時の鞍吉君、烏天狗である彼だが、自らの属していた山を追われ、存在目的を見失っていた。もともと精神が衰弱していた矢先、『アレ』が彼に取り憑き、更に煽り追い詰めた。結果、鞍吉君は責め苦に耐えきれなくなり、自ら消滅したのだ」
「そん……な……」
二の句の継げない和宏。苦しそうに、慈玄も続ける。
「物理的に攻撃されてるんじゃねぇから、俺も気付いてやるのが遅すぎた。そのこと自体も口惜しいんだが、そうやって追い込まれた状態で消えた鞍は、生まれ変わっても『自分は存在してはいけない、存在していても意味がない』という意識を強く懐き続けていたんだ。俺が鞍に対して、『気に掛けている』というのぁそういう意味でな」
「鞍……」
膝の上で和宏は拳をぎゅっと握り、肩を震わせていた。現在を生きる鞍吉とは厳密には無縁とはいえ、「兄」とまで言い慕った相手の憐れな過去は、彼に相当のショックを与えた。
「いや、鞍のこたぁ別にいいんだ。あいつはお前や光一郎と出逢って、少しずつだが今世では変わりつつある。そのうち、因縁なんざ断ち切る日が来るだろうぜ?男を不幸にするっつう因果を見事断ち切った碧みてぇに、な?」
いまや夫を愛し尽くして、旅館を切り盛りする元飛縁魔の女将の名を挙げ、慈玄は和宏の背を叩いた。
が、他者の事情に心を痛める和宏を目の当たりにして、慈海はいささか憂慮する。鞍吉の事例は、そうは言ってもすでに過去の話。現段階では、この少年こそが当事者なのだ。
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