イツマデモ君トコノ星ヲ

縹トヲル

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第四章

宵の明星・16

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◇◆◇

 期は、数日後にやってきた。慈玄の思惑とは少しばかり外れて。
 やっと睡眠時間が減り、疲労も回復しつつあった慈玄だが、今度は引き替えに落ち着かない素振りをするようになった。縁側をうろうろ歩き回ったり、庭に出ては東の空を見据えていたり。
「お腹を空かせた熊みたいだよ、慈玄」
 その様子を眺めていた和宏が指摘する。
 言われればハッと我に返り、
「あっ、あぁいや、すまん」
 謝ってはいつものように、触れたり抱きついたりしてくるのだが。それさえもごまかしているように見え、和宏は不審がる。

 その日の食事時もそわそわと膝を揺らしていた慈玄に、彼は嘆息した。
「いい加減にしろよな」
 箸を置くと、大きな瞳が真っ正面から慈玄を睨んだ。
「言えないこと、無理に言ってほしいとは俺は思ってない。お前を困らせたくないし、不安にもさせたくないし。だけど、下手に隠し通そうとするくらいなら言ってくれよ。俺、どんなことでもちゃんと受け止めるから」
 真剣な眼差しで訴えられては、慈玄はぐうの音も出ない。
「悪い。実は、な……」
 しかし、口を開きかけては尚も言い淀む慈玄。和宏はもう一度溜息を吐く。
「俺、そんなに信用ない?」
「ちげぇよ!そうじゃねぇ、んだが」
「もう、わかった」
 和宏は空いた食器を手におもむろに立ち上がると、慈玄に近寄った。そして不意に顔を近付け、すかさず軽く口づけた。
「ほっ、ほら!また隙だらけだ。片付けたら宿題するから!」
 紅く染まった顔を隠すように背を丸め、小走りで台所へ駆け込む。
── まったく、敵わねぇな。
 さすがに慈玄も、苦笑を浮かべるしかなかった。

 一時の甘い感傷さえ握り潰すかの如く、強風が外の木枝をざわめかせる。音が止むと同時に、障子に長身の影が忽然と現れた。
「まーだちゃんと説明してないんだ。あの子もほんっと災難だよねぇ、あんたみたいな男に引っ掛かったなんて、さ」
 皮肉な笑いを含んで、影が声を発する。
「てめぇ、なにしに来た?」
 台所の和宏には聞こえないよう低く潜めて、慈玄が唸る。
「なにしに来た、とはご挨拶だね慈玄。もう気付いてたでしょ?慈海だけじゃ、すでに持たない」
 影が障子を開ける。茶色の短髪頭がするりと居間に滑り込んだ。
「だからってなんでてめぇが。中峰の画策に手を貸したのぁてめぇだろうが、慈斎!」
 一段と凄む慈玄を、慈斎は平然と受け流す。
「そんなにぎゃんぎゃん言わないでよ。今回ばかりは俺も、中峰はちょっとやりすぎかも、って思ってるんだからさ」
 言って、台所の方へ視線を向けた。
「とにかく、早く行った方がいいよ。事は急を要する。まだ結界は破られてないけど、外、見てみなよ」
「!」
 言われて慈玄は、素足のまま縁側から表に飛び降りた。
 寺の背後の山地が、黒い靄に覆われている。人間の目で見れば、春の湿った空気で視界が遮られているだけだと思うだろう。だが、天狗達にははっきりと映っている。靄が時折黒い塊となり、今にも慈光院の上空へ入り込もうと、身を捩りうねっている様が。
「畜生……」
 見上げて、ぎり、と慈玄は切歯した。
「ここで対処するなら別にそれでもいいけど、標的はあくまでも慈玄とあの子の二人、だからね。下界で騒ぎを起こすのもなんだし、離れて迦葉に押し留めた方がやりやすいんじゃないの?あの子なら、俺が見てるから」
「てめぇのことなんざ信用できっか!」
「信用しなくても構わないけどさ。暴走状態がこんなに大きくなったのには、俺もそれなりに責任感じてるし。今こうして慈玄たちに状況を伝えてるのだって、俺にとっては結構拙いっての、分かってる?」
 確かに。慈玄を下界に留めているもの……和宏を、彼と引き裂きたいのであれば、慈斎の立場とすればこの場は静観して襲いかかる悪霊の恐ろしさを彼等に体感させる方が効率的だ。むしろ和宏をも完膚なきまでに打ちのめしたいというのが中峰の意志ならば、その命に従う慈斎が、わざわざ忠告する必要はない。
「これが罪滅ぼし、とでも言いてぇのか?」
「どうとでも。貸しにするっていうのでもいいよ?慈玄が俺に借りを作るっていうだけでも面白いし」
「わかってると思うが、和になにか手出ししたら、今度こそタダじゃ済ませねぇからな?」
「はいはい、ようっく分かってますって。……やばいよ、もう限界が近い」
 ぴしり、とどこかの梁が軋む音が響く。先刻までへらへら笑いを顔に貼り付けていた慈斎も、それをすっと引き、険しい目線を天井へ向けた。
「慈玄ー?なんか話し声がするけど、誰か来てる、の?」
 会話が隣室にも漏れ聞こえてしまったらしい。襖を開いて居間に顔を覗かせた和宏に、一瞬走らせた鋭い眼光を消し、来訪者は普段通りの笑顔を向けた。
「こんばんは、和宏クン」
「え、じさい、さん?」
 思わぬ珍客に、和宏は目を丸くして相手の顔を見た。どういうことかと伺うように慈玄に視線を移すと、彼は苦虫を噛みつぶしたような表情で、小さく舌打ちをした。そして和宏に向き直ると
「すまねぇ和。急用ができて、ちょっと出掛けなきゃならなくなった。遅くなると思うから、先に寝てて構わねぇ。それまで……その、こいつと一緒にいてくれるか?」
 目線で慈斎を指しながら言う。指名された慈斎は、慈玄の肩越しに和宏に向かってひらひらと手を振った。
「今から?なんか、仕事?」
「あ、あぁ。まぁ、そんなもんだ」
「ん、分かった。気をつけてな?いってらっしゃい、慈玄」
 含意もなく、和宏は慈玄に笑顔で応えた。
「悪ぃ。じゃ、行ってくる」
 あえて、玄関を経由する。
 この時になって慈玄は、和宏に事の次第を話せていなかったのを後悔した。だが、今更遅い。敷地の裏手に回ると、そこから翼を広げて飛び立った。
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