イツマデモ君トコノ星ヲ

縹トヲル

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第三章

北極星(ポラリス)・33

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 まだ宮城家で生活を共にしていたとき、あいつにも一緒に風呂をと誘われたことがあった。もちろん、光と違い純粋な気持ちでだろうが。だとしても誰かと入浴するのはどうにも苦手なので断ったが。その時、上着を脱ぎかけていた和の半裸を見た。着衣している状態でも思っていたけれど、直に目にすると尚繊細で、しなやかな体つき。なめらかで抜けるような白い肌。骨格は男のそれと確認できるものの、一瞬どきっとして目を背けたほどだった。
 同性でもあんな身体なら、性欲を掻き立てられてもなんら不思議はない。ルックスだって女顔負けの愛くるしさなのだし、それこそ性別を問わず誰が恋慕したって。
 ……光も。和にキスしたときは光も、和を抱きたいと思っていたのだろうか。
 過ぎたことだと、今の光の気持ちは違うと承知していても、それを考えるとずきりと胸が痛む。光だって、本当なら俺みたいなのではなく、ああいう綺麗な身体を……。

「鞍?」
 ふわりと髪を撫でられ、我に返る。
「あのな?そりゃあ、見た目で盛る場合がまったく無いとは、俺も言わない。男はそーゆうとこ即物的だとも言うしな。けどな、『好きな奴とだからこそ』ヤりてぇ、ってなるのもまた事実だと俺は思う。それに、な」
 俺の髪を梳くようにして、掌は流れ続ける。釈七さんの視線は、少し外れていて。
「この前、お前がここに来た時、錯乱して素っ裸のまま浴室から出て来ただろ?びしょ濡れで。あん時、な。お前の身体を拭きながら自棄に色っぽいな、と思ったんだぞ、俺は」
「………………え」
 確かに、そんなことがあった。光とキルトさんのキスを目撃して、自分がどこへ行ったら良いのか分からなくなって、聞こえてきた釈七さんの声に縋って。
「お前が辛そうなのに不謹慎に思えて振り払ったが。タオルで拭き取ったらまるで水滴と一緒に消えてしまいそうなほど儚くて、綺麗だった。そんなお前に『好きでいてくれるか』なんて訊かれた俺の身にもなってみろ」
「……え、え……?!」
 ゆっくり髪を撫で擦っていた手が、突然くしゃっと軽く握られる。引っ張られてはいないから痛くはないが、急だったので驚いて背筋が伸び上がった。
「だから、な、お前が思ってるより、お前の見た目にも俺はドキドキしてたんだよ」
 手を離した釈七さんは、そのまま俺に背を向けた。
 予測もつかなかったいくつもの台詞に、俺はまたしてもしどろもどろになってしまった。
「えっ、ぁ……いや、その……あのとき、は、すみません、でした」
 どう返していいのか思いも寄らないので、とりあえず詫びた。
 頭の中が滅茶苦茶に混乱していた俺をただ鎮めるために声を掛けてくれただけなのかと思っていたのに、その裏でこんなことを思っていたとは。

 光に何度「可愛い」と言われても違和感でしかなかったが、綺麗だの色っぽいだの、そんな単語はより違和感だらけだ。釈七さんが本気だろうとそうではなかろうと、自分にはあまりにも不釣り合いに思える形容に、ひたすら動転する。
「まぁ俺も、その時は気の迷いだろうとは思った。けどな、鞍。さっきも言った通り、お前の髪に触れていると俺は癒される。お前が隣にいてくれるだけで、心地良いと感じる」
 背を見せた状態で、釈七さんが続けた。
 それは、俺も同じだ。呵責の念と足下の覚束ない不安で胸が張り裂けそうだったあのとき、彼が横にいたことでどれだけ救われただろう。抱き締められた温度……他の人間ならば異質に感じて拒んでしまう。しかし彼には、安息を覚えた。温かいのに同時にすう、と沈静させる。
「もっとお前に触れてみたい、とは思ってる。抱き締めるだけじゃなく、キスするだけじゃなく、な。とはいえ、好きなのとヤッていい、のとは違う」
 困惑した表情で、彼は振り返り俺に向き直る。近づいた指が、頬を撫でた。
「今よりお前を近く感じたら、俺は、お前を光一郎のところに帰したくない、って思うかもしれない。それでもいいのか?俺がそう言ったら、どうせお前は苦しむだろう?」
 鼓動が跳ねる。否定できない。
「な?だから、いいんだ。もっとも、お前が本当に光一郎のことを忘れられる、ってんなら話は別だけどな」
 これが冗談交じりなのは、さすがに俺にもわかった。
 このひとは、俺を俺自身よりも良く知っている。俺が傷つくこと、苦痛に思うことを何より先に考慮しているのだ。
 しかし苦く笑った瞳の奥に、俺は見た。光と同じ、暗い影を。いや、あるいは光のものよりもずっと深く、色濃い闇。
 境遇も立場も違う。釈七さんは、孤児ではないはずだ。どちらかといえば、慈玄にも似ている。むしろあいつより空虚さの強い……。
 光を一人にはしたくない。だけど、このひとは。このひとの深淵には手を伸ばしてみたい、どうしても。
「釈七さん」
「うん?」
「俺、光が好きです。絶対忘れたりしない」
「あぁ、わかってる。もういいから」
「でも、この三日間だけは別です。俺、三日間だけは、釈七さんのことだけ考えます」
 向き合った双眸が、ゆっくりと見開かれる。自分でも何を言っているのかとは思う。俺のような虚無な人間が、誰かの闇を埋めたいなんて分不相応にも程がある。そんなこと、端から分かり切っている。だとしても。
 何かが、近い。溶け込むような体温だけでは無い。同じ孤児である光よりも……というより、光とは違った何かが。
「もしそれで、本当に光を忘れられたら。忘れられそうなら、俺は、釈七さんとずっと一緒にいます」
 薄情なのは百も承知だ。光の涙をまた見るのは……苦しめるのは、辛い。
 だがこれは、重大な賭けに俺には思えた。誰かに手を引いてもらうのではない、自分の意志で、自分の足で一歩前へと踏み出すための。たとえ罵られようと貶されようと、ここで自分の本意を見極めなければ、きっと俺は光と一緒にいても、今まで通り甘え頼るだけだと。
「忘れられたら、って。お前、そんなゲームみたいな」
「ゲームでもいいです。試されるみたいで嫌だ、というなら今すぐ俺を追い出して下さい。俺は、誰かに好かれたことがあまりなくて。そう言ってもらえるのが嬉しくても、受け止めたくても、自分自身はどうしていいのか、全く判らなくて」
 唇を噛んだ。こんな酷い、どちらの心も踏みにじるような手段しか思い浮かばないことに嫌気がさす。口惜しくて、泣きそうになった。
「自分で考えて、ちゃんと答えを出したいんです。だからっ」
 頬に水滴が落ちる感触。こんなことで涙が溢れてしまうのが、情けない。
 頬に添えた手を止め、釈七さんは黙って俺を見ていたが、こくり、と喉を鳴らして頷いた。
「分かった。俺も三日間、何事にも遠慮せず、お前のことだけを想う」
 噛みしめた唇を解すように、指先がなぞる。つられて開いた口を、相手の唇が塞いだ。
 舌を絡め取り、深く、長く。互いの吐息を呑み込んで。馴染みの良い体温は、静かに静かに、上昇を続けていた。
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