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第三章
北極星(ポラリス)・30
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◆◇◆
「あまり美味そうじゃないな」
目の前には、釈七さんの苦笑。声を掛けられはっとしたが、口に運んだハンバーグを別に不味いと思っていたわけではない。
何が食べたいか聞かれはしたが特にこれといって思い浮かばず、遅い時間だったこともあり結局ファミレスに落ち着いた。所詮ファミレスなので素晴らしく美味くはないが、自分では来慣れないのもあって、思っていたよりはずっと味が良いことに驚いたほどだ。
「どうせなら、居酒屋とかの方が良かったか。お互い成人はしてるんだし、肴の類の方が美味い店があったかもな」
「いえ、全然そんなことないです!これも結構いけますよ!!」
「おいおい、店員が睨んでるぞ?」
くっくっと釈七さんが小さく笑う。思いがけず声を張ってしまったようで、周囲を見渡すといくつかの視線がちらちらこちらを窺っていた。
「……すみません」
肩をすぼめる。わざわざ連れてきてもらったのに、考え事でぼんやりしているなんて失礼だ。
「いや。こっちこそごめんな、急に」
「そんな。い、一緒に飯食えて、うれしいです、よ?」
取り繕うように言う。とはいえ、これも本心。
「無理すんなって。気にしてるんだろ、光一郎のこと」
「…………」
違う、とは言えない。けれど、職場の仲間と食事を共にする、そのものが後ろめたくなどあろうはずがない。そう感じるのは、俺自身の心持ちにやましいところがあるからだ。
「食い終わったらちゃんと送ってやるから、心配すんな」
「え?いえ!あの、その……」
拒絶したいのではない。なのに、釈七さんに気遣わせている今が苦しい。とはいえ、どう返答すればよいのか自分自身でも見当が付かないでいる。
為す術もなく黙々とハンバーグを平らげると、食器を下げるのと同時に店員がデザートを運んできた。プリンを中心にして、フルーツが盛られたサンデー。正直言えば、こちらの方が食事のメニューより先に目に付いた。紙ナプキンの挟まれたプレートに、写真付きで紹介されていたのだ。
いい歳をして恥ずかしいので誰にも言わずにいたが、プリンは俺の好物だ。いつから好きだったのかまるで覚えていないのだが、一人暮らしをしていた頃は、給料日になるとケーキ屋などを巡ってはひとつ、買ってきて食べた。一ヶ月頑張った自分への褒美、なんておこがましいものではない。だが「一ヶ月が過ぎた証」にその甘く少し懐かしい食感を味わうのが、いつしか儀式のように恒例となっていた。
慈玄の寺へ居候を始めてから後はすっかりやめてしまったので、カフェで売れ残ったものをまれに引き取らせてもらうまで、プリン自体口にする機会がなくなっていた。
物珍しさもあって、久しぶりにバイト先以外の店のものが食べたくなった。眼下に置かれたそれを見て、僅かに喉が鳴る。
「お前、プリン好きだろ?」
「……っ、ぇ、え?!」
ところが、釈七さんに図星を突かれた。
そういうわけだったから和や光はおろか、慈玄にさえ教えたことはない。それなのにどうして。目で訴えると、釈七さんはまた笑った。
「そんくれぇ分かるよ。お前、バイトで余ったの持って帰るとき、ケーキはその時によって種類が違うけど、プリンがあるときは必ずプリンも持ってくだろ?ケーキは光一郎と食うために、プリンは自分専用。違うか?」
正確な指摘に、ぐうの音も出ない。その通り、プリンが好きなのを光に悟られるのも照れ臭いので、それだけは一人のときにこっそり食べていた。
しかし残ったケーキ類は店員が各々箱に詰めて適当に持って帰るので、見られていたのかと思うと物凄く恥ずかしい。
「それにお前、ここに入って座ってからもそのプレートガン見してたもんな」
目線で指し示す。可笑しそうに、釈七さんは立て続けに言い当てる。このひとの観察眼には、脱帽せざるを得ない。
「はぁ、すみません」
「なんで謝るんだよ。いいじゃねぇか、プリン」
「だ、ってその、なんかみっともないじゃねーですか、ガキ臭くて」
「そうか?そんなこと全然思わねーけど」
くすくすと笑ってはいるが、どうやら馬鹿にしている様子ではなさそうだった。
「それに、好きな奴の好きなものが分かったの、嬉しいしな」
「……はぇ?」
さらりと投げられた言葉に、間抜けな返事をしてしまう。
好きな奴?
そうだった、俺がここにいるのは、このひとの、釈七さんの本意が知りたかったから。しかし、どこからどう探れば良いのか。せっかくのプリンも、ハンバーグ同様味がよくわからなくなってしまっていた。
「どうした、思ってたのと違ったか?」
食事に引き続いてデザートまで惰力で口を動かしているような俺を見て、釈七さんは怪訝に思ったらしい。
「いえ、そうじゃなくて」
コーヒーを一口飲んで喉を湿らすと、思ったままのことを俺は訊いてみた。
「釈七さんて、俺のことよく知ってくれてるなぁ、と思って。宮城家に一人じゃいづらいだろうとか、プリンのこととか。なんでなんすか?俺やっぱ、なんかこう行動が変なんすかね?だから目に付くとか」
釈七さんは一瞬目を丸くし、そのあと「はぁ」と大きく溜息を吐いて、頭を抱えた。
「え……え?あ、変なこと言いましたか?!すみません!!」
「いや」
否定しながらも、彼は視線を逸らす。訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか、と不安になった。
「お前さ。俺が冗談とか面白半分でキスしたと思ってるのか?」
「え。い、いやっ!そ、そーゆうわけじゃない、ですけどっ!」
おろおろと首と手を振る。悪ふざけだけではないと思えども、だからといって本気だったともまだ捉えられないのだ。光の想いだって、あんなふうに泣かれまでしてようやく少し実感出来るようになったばかりなのに。
「その、釈七さんが俺を気に掛けて心配してくれてんのは分かるし、有難いです。でも、俺ほんと今まで、あまり他人から好かれたこととかなくて。そりゃ、優しい人、はいて、無愛想な俺にも親しくしてくれたことはあります。けどそれは、あくまでも学校とか職場とか、同じ場所にいるよしみ、みたいなもんで。それで……」
自分でもいまひとつ、どう伝えてよいのかわからない。必死で、言葉を紡いだ。羞恥心が急速に襲いかかり、顔が熱くなる。
「どこからを、『本気』とか『好意』とか、そう取って良いのか……」
「俺がお前を好きだ、というのが信じられないと?」
「そ、そりゃそうですよ!釈七さん、何でもできるし、皆に慕われてるし!俺みたいなの、好きになる理由がないじゃないですか!」
「誰かを好きになるのに、理由なんて必要ないんじゃないか?俺はそう思うが」
淡々とした調子で、釈七さんは告げる。嘘やただの気遣いだとは見えない。が、どうしても鵜呑みにはできない。
「だけど、店の女の子たちだって釈七さんのこと頼りにしてるし、お客さんの中にだって明らかに釈七さん目当てに来てる人いるじゃないっすか!それに、和、もっ!」
そうだ。和もこのひとには心頭している。「先輩」と呼び慕い、なにかといっては話し掛け、相談しているのを何度も見てきた。前に言っていた「試食」のことだってそうだろう。
兄貴である光には確かに信頼している素振りを見せるが、釈七さんに対しても和は、光や俺に向けるのとはまた違う、憧憬とでも言うべき態度で接していた。
仮に釈七さんが、異性ではなく同性が恋愛対象であるとしても、俺ではなく和に好意を寄せる方が無難だろう。和ならばきっと好意を素直に受け入れ、己も全力で応えようとするはずだ。俺に限らず、皆のことをよく見ている釈七さんが、和のそういう性質に気付かないわけがない。
彼の家で過ごした晩にも考えていた可能性が、再び甦った。わずかでも、釈七さんは和を好きだと……「弟分」としてではなく、俺に言うような想いを懐いたことは一度たりとも無かったのだろうか?かつての、光のように。
「はぁ……」
釈七さんはもう一度、盛大に嘆息した。軽く頭を掻いてから、ぼそりと言う。
「お前、やっぱ家に来い。そんないい加減に思われてたのかと思うと、ちょっとショックだ」
「へ?いいいいや、あの、俺は釈七さんがいい加減だなんて」
「ん、あぁもちろん、俺自身のせいでもあるんだ。煮え切らない態度だったしな?」
困った様子で笑う。また俺は、自分の至らない考えで相手を当惑させてしまったのか。
「お前がどうしても嫌だ、ってんなら諦めるが。あと三日、俺に付き合ってくれねぇか?俺もこの間だけは、光一郎に遠慮せずお前に気持ちを伝えるから」
忘れさせる。厨房でキスされたとき囁かれた言葉が思い浮かんでどきりとする。あのとき、異様に速まった鼓動。蕩けるような体温に、溺れそうになった感覚。
軽薄だとは自覚している。身の程をわきまえず、大それた企みであることも。
光にとって自分の存在が大きいのなら、逆に自分にとっての光はどうなのか。釈七さんと過ごして忘れてしまう程度なのか、そうじゃないのか。それに、釈七さんの「本気」とは一体どういうことなのか。
ずきずきと胸が痛む。俺はなんて、ひどい勝負に出ようとしているのかと。けれど、抗えない。手紙を盗み見る行為を抑えきれなかった時と同じで。
本当に自分は、狡くて姑息で、最低だ。
耳鳴りのように裡から責め立てる声が聞こえても、遂には釈七さんの誘いに頷くしかなかった。
「あまり美味そうじゃないな」
目の前には、釈七さんの苦笑。声を掛けられはっとしたが、口に運んだハンバーグを別に不味いと思っていたわけではない。
何が食べたいか聞かれはしたが特にこれといって思い浮かばず、遅い時間だったこともあり結局ファミレスに落ち着いた。所詮ファミレスなので素晴らしく美味くはないが、自分では来慣れないのもあって、思っていたよりはずっと味が良いことに驚いたほどだ。
「どうせなら、居酒屋とかの方が良かったか。お互い成人はしてるんだし、肴の類の方が美味い店があったかもな」
「いえ、全然そんなことないです!これも結構いけますよ!!」
「おいおい、店員が睨んでるぞ?」
くっくっと釈七さんが小さく笑う。思いがけず声を張ってしまったようで、周囲を見渡すといくつかの視線がちらちらこちらを窺っていた。
「……すみません」
肩をすぼめる。わざわざ連れてきてもらったのに、考え事でぼんやりしているなんて失礼だ。
「いや。こっちこそごめんな、急に」
「そんな。い、一緒に飯食えて、うれしいです、よ?」
取り繕うように言う。とはいえ、これも本心。
「無理すんなって。気にしてるんだろ、光一郎のこと」
「…………」
違う、とは言えない。けれど、職場の仲間と食事を共にする、そのものが後ろめたくなどあろうはずがない。そう感じるのは、俺自身の心持ちにやましいところがあるからだ。
「食い終わったらちゃんと送ってやるから、心配すんな」
「え?いえ!あの、その……」
拒絶したいのではない。なのに、釈七さんに気遣わせている今が苦しい。とはいえ、どう返答すればよいのか自分自身でも見当が付かないでいる。
為す術もなく黙々とハンバーグを平らげると、食器を下げるのと同時に店員がデザートを運んできた。プリンを中心にして、フルーツが盛られたサンデー。正直言えば、こちらの方が食事のメニューより先に目に付いた。紙ナプキンの挟まれたプレートに、写真付きで紹介されていたのだ。
いい歳をして恥ずかしいので誰にも言わずにいたが、プリンは俺の好物だ。いつから好きだったのかまるで覚えていないのだが、一人暮らしをしていた頃は、給料日になるとケーキ屋などを巡ってはひとつ、買ってきて食べた。一ヶ月頑張った自分への褒美、なんておこがましいものではない。だが「一ヶ月が過ぎた証」にその甘く少し懐かしい食感を味わうのが、いつしか儀式のように恒例となっていた。
慈玄の寺へ居候を始めてから後はすっかりやめてしまったので、カフェで売れ残ったものをまれに引き取らせてもらうまで、プリン自体口にする機会がなくなっていた。
物珍しさもあって、久しぶりにバイト先以外の店のものが食べたくなった。眼下に置かれたそれを見て、僅かに喉が鳴る。
「お前、プリン好きだろ?」
「……っ、ぇ、え?!」
ところが、釈七さんに図星を突かれた。
そういうわけだったから和や光はおろか、慈玄にさえ教えたことはない。それなのにどうして。目で訴えると、釈七さんはまた笑った。
「そんくれぇ分かるよ。お前、バイトで余ったの持って帰るとき、ケーキはその時によって種類が違うけど、プリンがあるときは必ずプリンも持ってくだろ?ケーキは光一郎と食うために、プリンは自分専用。違うか?」
正確な指摘に、ぐうの音も出ない。その通り、プリンが好きなのを光に悟られるのも照れ臭いので、それだけは一人のときにこっそり食べていた。
しかし残ったケーキ類は店員が各々箱に詰めて適当に持って帰るので、見られていたのかと思うと物凄く恥ずかしい。
「それにお前、ここに入って座ってからもそのプレートガン見してたもんな」
目線で指し示す。可笑しそうに、釈七さんは立て続けに言い当てる。このひとの観察眼には、脱帽せざるを得ない。
「はぁ、すみません」
「なんで謝るんだよ。いいじゃねぇか、プリン」
「だ、ってその、なんかみっともないじゃねーですか、ガキ臭くて」
「そうか?そんなこと全然思わねーけど」
くすくすと笑ってはいるが、どうやら馬鹿にしている様子ではなさそうだった。
「それに、好きな奴の好きなものが分かったの、嬉しいしな」
「……はぇ?」
さらりと投げられた言葉に、間抜けな返事をしてしまう。
好きな奴?
そうだった、俺がここにいるのは、このひとの、釈七さんの本意が知りたかったから。しかし、どこからどう探れば良いのか。せっかくのプリンも、ハンバーグ同様味がよくわからなくなってしまっていた。
「どうした、思ってたのと違ったか?」
食事に引き続いてデザートまで惰力で口を動かしているような俺を見て、釈七さんは怪訝に思ったらしい。
「いえ、そうじゃなくて」
コーヒーを一口飲んで喉を湿らすと、思ったままのことを俺は訊いてみた。
「釈七さんて、俺のことよく知ってくれてるなぁ、と思って。宮城家に一人じゃいづらいだろうとか、プリンのこととか。なんでなんすか?俺やっぱ、なんかこう行動が変なんすかね?だから目に付くとか」
釈七さんは一瞬目を丸くし、そのあと「はぁ」と大きく溜息を吐いて、頭を抱えた。
「え……え?あ、変なこと言いましたか?!すみません!!」
「いや」
否定しながらも、彼は視線を逸らす。訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか、と不安になった。
「お前さ。俺が冗談とか面白半分でキスしたと思ってるのか?」
「え。い、いやっ!そ、そーゆうわけじゃない、ですけどっ!」
おろおろと首と手を振る。悪ふざけだけではないと思えども、だからといって本気だったともまだ捉えられないのだ。光の想いだって、あんなふうに泣かれまでしてようやく少し実感出来るようになったばかりなのに。
「その、釈七さんが俺を気に掛けて心配してくれてんのは分かるし、有難いです。でも、俺ほんと今まで、あまり他人から好かれたこととかなくて。そりゃ、優しい人、はいて、無愛想な俺にも親しくしてくれたことはあります。けどそれは、あくまでも学校とか職場とか、同じ場所にいるよしみ、みたいなもんで。それで……」
自分でもいまひとつ、どう伝えてよいのかわからない。必死で、言葉を紡いだ。羞恥心が急速に襲いかかり、顔が熱くなる。
「どこからを、『本気』とか『好意』とか、そう取って良いのか……」
「俺がお前を好きだ、というのが信じられないと?」
「そ、そりゃそうですよ!釈七さん、何でもできるし、皆に慕われてるし!俺みたいなの、好きになる理由がないじゃないですか!」
「誰かを好きになるのに、理由なんて必要ないんじゃないか?俺はそう思うが」
淡々とした調子で、釈七さんは告げる。嘘やただの気遣いだとは見えない。が、どうしても鵜呑みにはできない。
「だけど、店の女の子たちだって釈七さんのこと頼りにしてるし、お客さんの中にだって明らかに釈七さん目当てに来てる人いるじゃないっすか!それに、和、もっ!」
そうだ。和もこのひとには心頭している。「先輩」と呼び慕い、なにかといっては話し掛け、相談しているのを何度も見てきた。前に言っていた「試食」のことだってそうだろう。
兄貴である光には確かに信頼している素振りを見せるが、釈七さんに対しても和は、光や俺に向けるのとはまた違う、憧憬とでも言うべき態度で接していた。
仮に釈七さんが、異性ではなく同性が恋愛対象であるとしても、俺ではなく和に好意を寄せる方が無難だろう。和ならばきっと好意を素直に受け入れ、己も全力で応えようとするはずだ。俺に限らず、皆のことをよく見ている釈七さんが、和のそういう性質に気付かないわけがない。
彼の家で過ごした晩にも考えていた可能性が、再び甦った。わずかでも、釈七さんは和を好きだと……「弟分」としてではなく、俺に言うような想いを懐いたことは一度たりとも無かったのだろうか?かつての、光のように。
「はぁ……」
釈七さんはもう一度、盛大に嘆息した。軽く頭を掻いてから、ぼそりと言う。
「お前、やっぱ家に来い。そんないい加減に思われてたのかと思うと、ちょっとショックだ」
「へ?いいいいや、あの、俺は釈七さんがいい加減だなんて」
「ん、あぁもちろん、俺自身のせいでもあるんだ。煮え切らない態度だったしな?」
困った様子で笑う。また俺は、自分の至らない考えで相手を当惑させてしまったのか。
「お前がどうしても嫌だ、ってんなら諦めるが。あと三日、俺に付き合ってくれねぇか?俺もこの間だけは、光一郎に遠慮せずお前に気持ちを伝えるから」
忘れさせる。厨房でキスされたとき囁かれた言葉が思い浮かんでどきりとする。あのとき、異様に速まった鼓動。蕩けるような体温に、溺れそうになった感覚。
軽薄だとは自覚している。身の程をわきまえず、大それた企みであることも。
光にとって自分の存在が大きいのなら、逆に自分にとっての光はどうなのか。釈七さんと過ごして忘れてしまう程度なのか、そうじゃないのか。それに、釈七さんの「本気」とは一体どういうことなのか。
ずきずきと胸が痛む。俺はなんて、ひどい勝負に出ようとしているのかと。けれど、抗えない。手紙を盗み見る行為を抑えきれなかった時と同じで。
本当に自分は、狡くて姑息で、最低だ。
耳鳴りのように裡から責め立てる声が聞こえても、遂には釈七さんの誘いに頷くしかなかった。
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