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第三章
北極星(ポラリス)・23
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「……お前。それ本気で思ってんのか?」
釈七さんの声は、微かに怒気を含んでいた。意外な反応にどきりとして、顔を上げる。
「俺だって、お前に関わってんだぞ?お前の目の前にいて、こうして話を聞いてる。なのに、『関わらなきゃよかった』なんて言われて、今俺が傷つくとかは考えねーのか?」
「……あ」
それもそうだ。さっきの発言を突き詰めれば、これまでの釈七さんの厚意をも無碍にしてしまう。怒るのは当然だ。
「……すみません。釈七さんに言うことじゃないですよね」
「いや。むしろ思ってること、包み隠さず全部言え。でなきゃ俺は、光一郎の代わりにはなれないぜ?」
「っ、釈七さんを光の代わりだなんて、俺思ってません!」
即刻強い調子で否定した自分に、自分でも狼狽えた。
「……そうか。ならいいよ、それで」
釈七さんはふ、と表情を緩め、俺の口にクッキーを押し込む。メープルシュガーの香りが鼻をくすぐった。
「美味いだろ?結構自信作なんだぞ?」
口に広がる甘さが、先走った感情を穏やかに宥める。
「そういやお前、手紙がどうとか言ってたよな?勝手に見たとか」
口の中のものを、ごくりと呑み込む。とたんに、苦い味に変わった気がした。
「何が書いてあったんだよ、それ。言いたくないなら、別に言わなくても良いが」
思えばそれが発端なのだ。薄々気付いていたとはいえ、事実をはっきりと、光の言葉で綴られた文章。その内容も説明しないのに、俺の妄言を釈七さんは聞いてくれていたのだ。
「まぁ、他人の手紙の中身を更に部外者に洩らす、ってのも気乗りしないだろうしな?
悪い、聞かなかったことに……」
「いえ」
先刻諫められたことを考えれば、きちんと伝えるのがこのひとへの礼儀のように思えた。自分が犯してしまった間違いを自分で確認するためにも、俺は口を開いた。
例の手紙は、光が帰国の目処を立てた頃和に送ったものらしい。最初の半分ほどは、近況報告で埋められていた。モデルとして人前に出ても怖じなくなったこと、教員免許を取得するために勉学に勤しんでいることなどが順を追って書き連ねてあった。
おそらく、それが前置きだったのだろう。続けて、渡航以前の思い出に話は移る。
自分が宮城家に養子として入り、家族との接し方に戸惑い葛藤していたこと。和が懐いて慕ってくれたお陰で、徐々に馴染んで溶け込めるようになったこと。このままの自分ではいけない、変わりたいと考え、もっと堂々と胸を張れる男になろうと思ったこと。そのために和から離れ、ひとり異国の地で頑張ってみようと決心したこと、旅立つ勇気も和が与えてくれたこと。
「帰国したら、きっと和も見違えたって褒めてくれると思う。だから、和もそんな俺を真っ直ぐ見て欲しい。あの日のキスは、いい加減な気持ちでしたんじゃない。帰ったらもう一度やりなおしたいから」
そんな一文で、手紙は締めくくられていた。
かいつまんで概要をぽつぽつと洩らすと、俺が口を閉ざすまで黙って聞いていた釈七さんは、
「ふん、なるほど、な」
と呟き、難しい顔で考え込んだ。
どう考えても、光が和に「弟」として以上の感情を懐いていたことは明らかだ。確たる根拠があるわけではないが、光は特に、同性のみが恋愛対象という性癖の持ち主では無いと思う。俺のように、女性を敬遠しているわけでもない。にも関わらず、男である俺に躊躇いなく「好きだ」と告白できたのは……そしてそれ以前に、キルトさんとも浅からぬ関係を持っていたと思われるのは、ひとえに「和」という土壌が光の裡に存在していたからではないか。
光にとって和は、それほど強く大きく、かけがえのない存在だったのだ。
「そう、だな。光一郎は、確かに和宏が好きだったのかもしれない。ただ、和宏の方は光一郎ほどその内容を重く受け止めてはいないような気はするな。多分、だが、手紙を今も大事に持っていたのは、単純に兄貴が頑張ってて、立派になって帰ってくるのが嬉しかっただけだろ」
「でも、キスがどうこうって」
「あいつ、そういうのもかなり鈍いからな。多少過剰な愛情表現くらいにしか思ってないんじゃないか?」
自分も試したことがあるような釈七さんの口振りに、少しだけもやりとした想いが胸を過ぎる。
僅かながらでも、釈七さんが和に思慕を寄せていたとしても何ら不思議ではない。非の打ち所がない性格で、見た目も十分以上に可愛らしい和だ。誰があいつを好きになってもおかしくない。けれど。
仮に釈七さんが「和と同様に」スキンシップの延長で接し、この推測を得たとするなら、俺へのキスもやはり深い意味などなかったのではないか、とも思う。だとすると、一人動揺したり好意を考えたりした俺は、愚かな道化みたいなものだ。
頭を軽く振る。それは今、関係ない。
「和宏がもっと単純な喜びで手紙の中身を捉えていたのを、光一郎も帰国して知ったんじゃないのか?あるいは、久しぶりに和宏と直接顔を合わせて、そして以後こっちで生活して、少し考えを改めたのかもな。恋愛のように感じていた和宏への感情は、ちょっと違ったんじゃないか、って。だから、お前に目を向けた。俺が見てる分には、だが、光一郎のお前への想いは、本気に思えるけどな?」
「俺だって、別に嘘だとは思ってません。けど」
言葉が詰まる。光が本当に俺を「好き」でいてくれているのは、あの日、初めて俺を抱いた日の眼を見ていたら分かる。だからといって、果たしてその「想い」をぶつける相手が、俺である必要があったのだろうか。偶然出逢った俺が、光が和に向け損ねた感情を移行するのに、思いがけず適していただけではないのか。
「俺は、光にとって和の代わりだったんじゃないか、って。和が、光をそういう目で見ないならよけいに。ほんとなら和にして欲しかったことを、俺に求めただけなんじゃないか、そう、思えて」
やっと絞り出すように言うと、釈七さんも押し黙った。これ以上推論を重ねても仕方ないと思ったのだろう。
釈七さんの声は、微かに怒気を含んでいた。意外な反応にどきりとして、顔を上げる。
「俺だって、お前に関わってんだぞ?お前の目の前にいて、こうして話を聞いてる。なのに、『関わらなきゃよかった』なんて言われて、今俺が傷つくとかは考えねーのか?」
「……あ」
それもそうだ。さっきの発言を突き詰めれば、これまでの釈七さんの厚意をも無碍にしてしまう。怒るのは当然だ。
「……すみません。釈七さんに言うことじゃないですよね」
「いや。むしろ思ってること、包み隠さず全部言え。でなきゃ俺は、光一郎の代わりにはなれないぜ?」
「っ、釈七さんを光の代わりだなんて、俺思ってません!」
即刻強い調子で否定した自分に、自分でも狼狽えた。
「……そうか。ならいいよ、それで」
釈七さんはふ、と表情を緩め、俺の口にクッキーを押し込む。メープルシュガーの香りが鼻をくすぐった。
「美味いだろ?結構自信作なんだぞ?」
口に広がる甘さが、先走った感情を穏やかに宥める。
「そういやお前、手紙がどうとか言ってたよな?勝手に見たとか」
口の中のものを、ごくりと呑み込む。とたんに、苦い味に変わった気がした。
「何が書いてあったんだよ、それ。言いたくないなら、別に言わなくても良いが」
思えばそれが発端なのだ。薄々気付いていたとはいえ、事実をはっきりと、光の言葉で綴られた文章。その内容も説明しないのに、俺の妄言を釈七さんは聞いてくれていたのだ。
「まぁ、他人の手紙の中身を更に部外者に洩らす、ってのも気乗りしないだろうしな?
悪い、聞かなかったことに……」
「いえ」
先刻諫められたことを考えれば、きちんと伝えるのがこのひとへの礼儀のように思えた。自分が犯してしまった間違いを自分で確認するためにも、俺は口を開いた。
例の手紙は、光が帰国の目処を立てた頃和に送ったものらしい。最初の半分ほどは、近況報告で埋められていた。モデルとして人前に出ても怖じなくなったこと、教員免許を取得するために勉学に勤しんでいることなどが順を追って書き連ねてあった。
おそらく、それが前置きだったのだろう。続けて、渡航以前の思い出に話は移る。
自分が宮城家に養子として入り、家族との接し方に戸惑い葛藤していたこと。和が懐いて慕ってくれたお陰で、徐々に馴染んで溶け込めるようになったこと。このままの自分ではいけない、変わりたいと考え、もっと堂々と胸を張れる男になろうと思ったこと。そのために和から離れ、ひとり異国の地で頑張ってみようと決心したこと、旅立つ勇気も和が与えてくれたこと。
「帰国したら、きっと和も見違えたって褒めてくれると思う。だから、和もそんな俺を真っ直ぐ見て欲しい。あの日のキスは、いい加減な気持ちでしたんじゃない。帰ったらもう一度やりなおしたいから」
そんな一文で、手紙は締めくくられていた。
かいつまんで概要をぽつぽつと洩らすと、俺が口を閉ざすまで黙って聞いていた釈七さんは、
「ふん、なるほど、な」
と呟き、難しい顔で考え込んだ。
どう考えても、光が和に「弟」として以上の感情を懐いていたことは明らかだ。確たる根拠があるわけではないが、光は特に、同性のみが恋愛対象という性癖の持ち主では無いと思う。俺のように、女性を敬遠しているわけでもない。にも関わらず、男である俺に躊躇いなく「好きだ」と告白できたのは……そしてそれ以前に、キルトさんとも浅からぬ関係を持っていたと思われるのは、ひとえに「和」という土壌が光の裡に存在していたからではないか。
光にとって和は、それほど強く大きく、かけがえのない存在だったのだ。
「そう、だな。光一郎は、確かに和宏が好きだったのかもしれない。ただ、和宏の方は光一郎ほどその内容を重く受け止めてはいないような気はするな。多分、だが、手紙を今も大事に持っていたのは、単純に兄貴が頑張ってて、立派になって帰ってくるのが嬉しかっただけだろ」
「でも、キスがどうこうって」
「あいつ、そういうのもかなり鈍いからな。多少過剰な愛情表現くらいにしか思ってないんじゃないか?」
自分も試したことがあるような釈七さんの口振りに、少しだけもやりとした想いが胸を過ぎる。
僅かながらでも、釈七さんが和に思慕を寄せていたとしても何ら不思議ではない。非の打ち所がない性格で、見た目も十分以上に可愛らしい和だ。誰があいつを好きになってもおかしくない。けれど。
仮に釈七さんが「和と同様に」スキンシップの延長で接し、この推測を得たとするなら、俺へのキスもやはり深い意味などなかったのではないか、とも思う。だとすると、一人動揺したり好意を考えたりした俺は、愚かな道化みたいなものだ。
頭を軽く振る。それは今、関係ない。
「和宏がもっと単純な喜びで手紙の中身を捉えていたのを、光一郎も帰国して知ったんじゃないのか?あるいは、久しぶりに和宏と直接顔を合わせて、そして以後こっちで生活して、少し考えを改めたのかもな。恋愛のように感じていた和宏への感情は、ちょっと違ったんじゃないか、って。だから、お前に目を向けた。俺が見てる分には、だが、光一郎のお前への想いは、本気に思えるけどな?」
「俺だって、別に嘘だとは思ってません。けど」
言葉が詰まる。光が本当に俺を「好き」でいてくれているのは、あの日、初めて俺を抱いた日の眼を見ていたら分かる。だからといって、果たしてその「想い」をぶつける相手が、俺である必要があったのだろうか。偶然出逢った俺が、光が和に向け損ねた感情を移行するのに、思いがけず適していただけではないのか。
「俺は、光にとって和の代わりだったんじゃないか、って。和が、光をそういう目で見ないならよけいに。ほんとなら和にして欲しかったことを、俺に求めただけなんじゃないか、そう、思えて」
やっと絞り出すように言うと、釈七さんも押し黙った。これ以上推論を重ねても仕方ないと思ったのだろう。
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