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第103話(最終話)「数か月後」
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数ヶ月後、ぼくはユワやナユタと共に比良坂47の握手会にやってきていた。
ぼくは今、比良坂家を出て、一条ソウジとして、母と共に暮らしている。
母はあの日、ユワとナユタが訪ねていき、ぼくが匣そのものになりつつあった父の介錯をした日には、まだ前の世界の記憶を取り戻してはいなかったという。
だが、ナユタが暗唱したプログラムを聞くと記憶を取り戻したそうだった。
母にはレデクスや超拡張現実機能をこの世界で再現することができ、今の世界のぼくの記憶や知識、経験を、前の世界のぼくに引き継ぐ方法もすぐに見いだした。
だが、それを実際に行うことはなかった。
ぼくがこの世界で生きていくことを選んだからだった。
ぼくはこの、もう二度と世界が書き換えられることのない世界で、葦原リコを見守ることを選んだ。
それが正しい生き方だと思ったのだ。
本当は、ライブを観には行っても、握手会には来るつもりはなかった。
リコがロリコの記憶を取り戻していてもいなくても、ぼくは遠くからずっと見守るべきだと考えていたからだ。
そんなぼくの背中を押してくれたのは母だった。
ロリコがもし記憶を取り戻していたら、遠くから見守っているだけじゃ寂しい思いをさせるだけだと。
それは、ぼくが一番わかっているはずじゃないのか、と。
後輩がまだいない、まだまだ新メンバーと呼ばれる身でありながら、新曲のセンターに大抜擢されたリコの人気はすさまじく、彼女の前には長蛇の列ができていた。
ロリコやコヨミ、ユワが好きだった上村コノカちゃんや、シヨタが好きだった加藤キョウコちゃんに勝るとも劣らない勢いだった。
少しはなれたところにいるリコの双子の姉のリアの前には、あまり人はいなかった。
握手会でこんなにはっきりと人気の差を思い知らされるなんて、なんだか公開処刑みたいで残酷だった。
右隣の上村コノカちゃんの列に並んでいたユワが、リコちゃんすごい人気だね、と嬉しそうに言った。
左隣の加藤キョウコちゃんの列にいたナユタは、このままではキョウコ様のお立場が……と、いらない心配をしていた。
葦原リコは、ファンひとりひとりの手を両手で優しく包み込むようにして、ファンからの言葉に満面の笑みで対応していた。
ぼくの番がようやくまわってきたとき、そんな彼女の表情が急に変わった。
「来てくれるの遅いし」
頬を膨らませ、唇をとがらせて、
「新メンバーの発表から何ヵ月経ってると思ってるの?」
彼女はすねたように、怒ったようにぼくに言った。
「ライブには2、3回ユワたちと行ってたんだけど……」
「知ってる。リコ、超目いいから。
まさかとは思うけど、ユワさんとかナユタさんと付き合ってたりしないよね?」
「安心しろ。ナユタはああ見えて男だ」
「じゃあ、ユワさんか? あの女狐と付き合ってんのか?」
そんな、アイドルとそのファンらしくないやりとりは、まわりにいた人たちにも聞こえてしまったようで、その場にいたファンたちがぼくたちに注目していた。
「リコちゃん? どうしたの?」
「知り合いなの? 知り合いでも今みたいなのはだめだよ?」
両隣の大先輩ふたりに思いっきり心配をかけてしまっていた。
「ま、いっか。こうしてちゃんと会いにきてくれたわけだし」
握手の時間はすでに過ぎていたが、リコはぼくの手を離そうとしなかった。
「ただいま、ご主人様」
「うん、おかえり、ロリコ」
リコは、ぼくに前の世界での名前を呼ばれると、にへらにへらと笑った。
その顔はもう、アイドルの顔ではなかった。
ぼくのかわいいメイドで彼女の顔だった。
「コノカ様、キョウコ様、すみません。
リコは、前代未聞の握手会で熱愛発覚です。
頭丸めるのとか、地方に飛ばされたりするの嫌なんで、たった今卒業ってことで、冬本先生によろしく言っといてください」
リコは、ふたりにペコリと頭を下げ、
「冬本先生にわたしたちが説明するの……?」
「今のを……? 嘘でしょ……? キャプテンに、ミクに頼んでよ……」
頭を下げられたふたりは唖然としていた。
「あっ、あと、リアー。リアー、聞こえるー?
ずっと記憶がないふりしててごめんねー。
それからさー、人気もないのに塩対応とかしてるとまじでファンの人、ひとりもいなくなるから気をつけてよー」
恐ろしいダメ出しを大声ですると、リコはぼくの手を引き、握手会の会場を後にしようとし、
「みんな、ごめんねー。この人、リコのご主人様なのー」
ぼくの後ろに並んでいたファンたちに、大きく手を振った。
「いいのか? コノカ様ともう会えなくなるぞ」
「うん、コノカ様のご尊顔はもう十分そばで見たからいい。
リコはエゴサめっちゃするし、叩かれてるの見るとめっちゃ凹むから、アイドル向いてなかったみたいだし」
それにね、とリコは言った。
「やっぱりロリコはご主人様のそばにずっといたい。
ご主人様も、ロリコがいないと寂しいでしょ?」
ロリコの言う通りだったから、ぼくは彼女の手をぎゅっと握った。
ぼくの人生には、ログインボーナスはもういらない。
ぼくは今、比良坂家を出て、一条ソウジとして、母と共に暮らしている。
母はあの日、ユワとナユタが訪ねていき、ぼくが匣そのものになりつつあった父の介錯をした日には、まだ前の世界の記憶を取り戻してはいなかったという。
だが、ナユタが暗唱したプログラムを聞くと記憶を取り戻したそうだった。
母にはレデクスや超拡張現実機能をこの世界で再現することができ、今の世界のぼくの記憶や知識、経験を、前の世界のぼくに引き継ぐ方法もすぐに見いだした。
だが、それを実際に行うことはなかった。
ぼくがこの世界で生きていくことを選んだからだった。
ぼくはこの、もう二度と世界が書き換えられることのない世界で、葦原リコを見守ることを選んだ。
それが正しい生き方だと思ったのだ。
本当は、ライブを観には行っても、握手会には来るつもりはなかった。
リコがロリコの記憶を取り戻していてもいなくても、ぼくは遠くからずっと見守るべきだと考えていたからだ。
そんなぼくの背中を押してくれたのは母だった。
ロリコがもし記憶を取り戻していたら、遠くから見守っているだけじゃ寂しい思いをさせるだけだと。
それは、ぼくが一番わかっているはずじゃないのか、と。
後輩がまだいない、まだまだ新メンバーと呼ばれる身でありながら、新曲のセンターに大抜擢されたリコの人気はすさまじく、彼女の前には長蛇の列ができていた。
ロリコやコヨミ、ユワが好きだった上村コノカちゃんや、シヨタが好きだった加藤キョウコちゃんに勝るとも劣らない勢いだった。
少しはなれたところにいるリコの双子の姉のリアの前には、あまり人はいなかった。
握手会でこんなにはっきりと人気の差を思い知らされるなんて、なんだか公開処刑みたいで残酷だった。
右隣の上村コノカちゃんの列に並んでいたユワが、リコちゃんすごい人気だね、と嬉しそうに言った。
左隣の加藤キョウコちゃんの列にいたナユタは、このままではキョウコ様のお立場が……と、いらない心配をしていた。
葦原リコは、ファンひとりひとりの手を両手で優しく包み込むようにして、ファンからの言葉に満面の笑みで対応していた。
ぼくの番がようやくまわってきたとき、そんな彼女の表情が急に変わった。
「来てくれるの遅いし」
頬を膨らませ、唇をとがらせて、
「新メンバーの発表から何ヵ月経ってると思ってるの?」
彼女はすねたように、怒ったようにぼくに言った。
「ライブには2、3回ユワたちと行ってたんだけど……」
「知ってる。リコ、超目いいから。
まさかとは思うけど、ユワさんとかナユタさんと付き合ってたりしないよね?」
「安心しろ。ナユタはああ見えて男だ」
「じゃあ、ユワさんか? あの女狐と付き合ってんのか?」
そんな、アイドルとそのファンらしくないやりとりは、まわりにいた人たちにも聞こえてしまったようで、その場にいたファンたちがぼくたちに注目していた。
「リコちゃん? どうしたの?」
「知り合いなの? 知り合いでも今みたいなのはだめだよ?」
両隣の大先輩ふたりに思いっきり心配をかけてしまっていた。
「ま、いっか。こうしてちゃんと会いにきてくれたわけだし」
握手の時間はすでに過ぎていたが、リコはぼくの手を離そうとしなかった。
「ただいま、ご主人様」
「うん、おかえり、ロリコ」
リコは、ぼくに前の世界での名前を呼ばれると、にへらにへらと笑った。
その顔はもう、アイドルの顔ではなかった。
ぼくのかわいいメイドで彼女の顔だった。
「コノカ様、キョウコ様、すみません。
リコは、前代未聞の握手会で熱愛発覚です。
頭丸めるのとか、地方に飛ばされたりするの嫌なんで、たった今卒業ってことで、冬本先生によろしく言っといてください」
リコは、ふたりにペコリと頭を下げ、
「冬本先生にわたしたちが説明するの……?」
「今のを……? 嘘でしょ……? キャプテンに、ミクに頼んでよ……」
頭を下げられたふたりは唖然としていた。
「あっ、あと、リアー。リアー、聞こえるー?
ずっと記憶がないふりしててごめんねー。
それからさー、人気もないのに塩対応とかしてるとまじでファンの人、ひとりもいなくなるから気をつけてよー」
恐ろしいダメ出しを大声ですると、リコはぼくの手を引き、握手会の会場を後にしようとし、
「みんな、ごめんねー。この人、リコのご主人様なのー」
ぼくの後ろに並んでいたファンたちに、大きく手を振った。
「いいのか? コノカ様ともう会えなくなるぞ」
「うん、コノカ様のご尊顔はもう十分そばで見たからいい。
リコはエゴサめっちゃするし、叩かれてるの見るとめっちゃ凹むから、アイドル向いてなかったみたいだし」
それにね、とリコは言った。
「やっぱりロリコはご主人様のそばにずっといたい。
ご主人様も、ロリコがいないと寂しいでしょ?」
ロリコの言う通りだったから、ぼくは彼女の手をぎゅっと握った。
ぼくの人生には、ログインボーナスはもういらない。
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