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第60話「2022/10/12 ⑱」
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ロビーでそんな小さな騒ぎを起こしてしまったため、ぼくたちのまわりには徐々に人が集まり始めていた。
何を見ても何が起きても騒ぎを起こすな。
ユワからはそう言われていたが、結果的に彼女の言葉がきっかけになってしまった。
きっと彼女は、ぼくたちが騒ぎを起こすように、あんな言葉を残していったのだろう。
ユワの目的は、ぼくをこの世界でもオルフィレウスの匣そのものにすることだろうか。
だとしたら匣そのものになるということは、匣になった者が世界を書き換えることができる鍵になるということなのかもしれない。
鍵になるだけで、それを使うのはまた別の誰かなのだろう。
それとも、彼女の目的はぼくの父親や比良坂の私設武装組織に、ぼくを射殺させることだろうか。
ただただ自分以外のレデクスの所有者を排除することが目的という可能性もあった。
「何かあったの?」
そんな声がどこからか聞こえた。
はじめて聞く声のはずなのに、聞き覚えがあるような、なんだかとても懐かしい気がする不思議な声だった。
白衣を着てメガネをかけた、小柄だが知的で綺麗な女性が、人ごみをかきわけてロリコに膝枕をされていたぼくのそばにやってきた。
その人はロリコを見て少し驚いた顔をすると、膝を曲げて屈みぼくの顔を覗き込んだ。
首から下げたネームプレートには、「小久保ハルミ」という、ユワから聞いたばかりの、ぼくを棄てた母親の名前が書かれていた。
「この子を医務室に運ぶわ。担架を持ってきてもらえる?
それから、イクサの一条隊長にすぐに連絡を。
部隊を動かす必要も、武装の必要もないと伝えて。一条くんがひとりで医務室に来てくれればいいわ」
小久保ハルミという人は、まわりにいた所員やアンドロイドたちにテキパキと指示を出していた。
ぼくはアンドロイドたちに担架で医務室に運ばれ、ベッドに寝かされた。
ロリコはぼくと小久保博士の顔を心配そうに交互に見ていた。
同じ機械の身体でも、ロリコとぼくを担架で運ぶアンドロイドたちでは、見た目や声や話し方までまるで異なっていた。
アンドロイドの方は、機械音声であることがはっきりわかり、言葉には感情がまるで込もっていなかった。顔も不気味の谷すら越えられていなかった。
球体状の関節以外は人間と何ら変わらない、人間そのものと言ってもいいロリコと比べるのは、彼女に失礼だと思うくらいの出来だった。
シヨタによれば、前の世界に存在したユワの双子の弟、雨野ナユタの元に嫁いだという「新しいコヨミ」は、ここにいるアンドロイドとロリコのちょうど真ん中くらいの出来のものだったらしい。
前の世界のナユタは、その新しいコヨミに騙され続けたという話だったが、彼は騙されていることに気づきながらも、比良坂家や自分の家の意向に逆らえず、堪え忍んで生涯を終えただけなのかもしれない。
あるいは、ぼくがロリコをひとりの女の子として好きになったように、ナユタもまた新しいコヨミをひとりの女性として愛していたのかもしれない。
前の世界のナユタがその生涯を終えたのは、おそらく21世紀の半ばか後半だろう。
世界が書き換えられたことにより、未来に起きた出来事が過去のものになっているのは不思議な感覚だった。
もしも、世界が書き換えられたのが一度だけではなく、これまでに何度も書き換えられているのだとしたら。
ぼくたちは、20世紀末期か21世紀初頭からの100年ほどの時間を、何度もやり直し、やり直した時間だけで1000年、2000年、下手をすれば1万年以上の時が流れているかもしれなかった。
人類の歴史は、一度も22世紀を迎えたことがないのかもしれなかった。
医務室は、研究所内でオーバーテクノロジーを研究していたり、医療部門があるためか、街の小さなクリニックよりはるかに設備が整っていた。
かつて核融合反応の実験中に優秀な科学者たちが何人も命を落としたように、匣に遺されたオーバーテクノロジーの中には危険なものもあるのだろう。
小久保ハルミという人は、医師免許を持っているのか、医者の真似事をしているだけなのか、ぼくの眼球にライトを当てたり、口を開くように言って舌を見たり、脈を見たり、アンドロイドに血圧を測らせたりした。
白衣を着てメガネをかけた、小柄だが知的で綺麗な女性だったが、綺麗というよりは童顔でかわいらしく、アラフォーにはとても見えなかった。ぼくより少し年上、大学生か大学院生くらいに見えた。
何故か白衣の下に、ロリコと同じ赤ずきんちゃんのような服を着ていた。
割烹着を着ている科学者をテレビで見たことはあったが、白衣の下から赤いパーカーのフードが飛び出していたり、白衣の下にかわいらしいキャミワンピを着て、かわいらしい厚底ブーツを履いているアラフォーの科学者をぼくははじめて見た。
今日のログインボーナスで配布されたものだが、アラフォーの女性にも同じものが配布されているとは思わなかった。
年齢ではなく、似合うか似合わないかで配布するものが決められているのかもしれなかった。
ぼくの身体には特に問題はないようだった。
たまに激しいめまいに襲われることがあることを伝えると、過度なストレスから自律神経が乱れている可能性があるかもしれないと言われた。
薬をその場で処方され、ぼくがその薬を飲むと、今は少し眠った方が良いと言われた。薬が安全なものであることは、シヨタがすぐに調べて保証してくれていた。
そばに母親かもしれない人がいるのに眠れるわけがなく、ぼくはベッドでしばらく眠ったふりをすることにした。
小久保博士とロリコは向かい合って座り、彼女に見えているのかどうかはわからないがロリコの隣にはシヨタも座っていた。
「あなたはロリコちゃんよね? あなたのことはよく覚えているわ。
あなたやシヨタくん、それにあともうひとり、フィリアという人工知能の元になったレデクスのプログラムを組んだのはわたしだし、名前をつけたのもわたしだから」
ロリコやシヨタという残念な検体名は、彼女がつけていたのだ。
フィリアというのは、おそらくヨモツのレデクスにいるメイドの名前なのだろうが、ペドフィリアから取ったのだろうか。
本当に残念なネーミングセンスだった。
何を見ても何が起きても騒ぎを起こすな。
ユワからはそう言われていたが、結果的に彼女の言葉がきっかけになってしまった。
きっと彼女は、ぼくたちが騒ぎを起こすように、あんな言葉を残していったのだろう。
ユワの目的は、ぼくをこの世界でもオルフィレウスの匣そのものにすることだろうか。
だとしたら匣そのものになるということは、匣になった者が世界を書き換えることができる鍵になるということなのかもしれない。
鍵になるだけで、それを使うのはまた別の誰かなのだろう。
それとも、彼女の目的はぼくの父親や比良坂の私設武装組織に、ぼくを射殺させることだろうか。
ただただ自分以外のレデクスの所有者を排除することが目的という可能性もあった。
「何かあったの?」
そんな声がどこからか聞こえた。
はじめて聞く声のはずなのに、聞き覚えがあるような、なんだかとても懐かしい気がする不思議な声だった。
白衣を着てメガネをかけた、小柄だが知的で綺麗な女性が、人ごみをかきわけてロリコに膝枕をされていたぼくのそばにやってきた。
その人はロリコを見て少し驚いた顔をすると、膝を曲げて屈みぼくの顔を覗き込んだ。
首から下げたネームプレートには、「小久保ハルミ」という、ユワから聞いたばかりの、ぼくを棄てた母親の名前が書かれていた。
「この子を医務室に運ぶわ。担架を持ってきてもらえる?
それから、イクサの一条隊長にすぐに連絡を。
部隊を動かす必要も、武装の必要もないと伝えて。一条くんがひとりで医務室に来てくれればいいわ」
小久保ハルミという人は、まわりにいた所員やアンドロイドたちにテキパキと指示を出していた。
ぼくはアンドロイドたちに担架で医務室に運ばれ、ベッドに寝かされた。
ロリコはぼくと小久保博士の顔を心配そうに交互に見ていた。
同じ機械の身体でも、ロリコとぼくを担架で運ぶアンドロイドたちでは、見た目や声や話し方までまるで異なっていた。
アンドロイドの方は、機械音声であることがはっきりわかり、言葉には感情がまるで込もっていなかった。顔も不気味の谷すら越えられていなかった。
球体状の関節以外は人間と何ら変わらない、人間そのものと言ってもいいロリコと比べるのは、彼女に失礼だと思うくらいの出来だった。
シヨタによれば、前の世界に存在したユワの双子の弟、雨野ナユタの元に嫁いだという「新しいコヨミ」は、ここにいるアンドロイドとロリコのちょうど真ん中くらいの出来のものだったらしい。
前の世界のナユタは、その新しいコヨミに騙され続けたという話だったが、彼は騙されていることに気づきながらも、比良坂家や自分の家の意向に逆らえず、堪え忍んで生涯を終えただけなのかもしれない。
あるいは、ぼくがロリコをひとりの女の子として好きになったように、ナユタもまた新しいコヨミをひとりの女性として愛していたのかもしれない。
前の世界のナユタがその生涯を終えたのは、おそらく21世紀の半ばか後半だろう。
世界が書き換えられたことにより、未来に起きた出来事が過去のものになっているのは不思議な感覚だった。
もしも、世界が書き換えられたのが一度だけではなく、これまでに何度も書き換えられているのだとしたら。
ぼくたちは、20世紀末期か21世紀初頭からの100年ほどの時間を、何度もやり直し、やり直した時間だけで1000年、2000年、下手をすれば1万年以上の時が流れているかもしれなかった。
人類の歴史は、一度も22世紀を迎えたことがないのかもしれなかった。
医務室は、研究所内でオーバーテクノロジーを研究していたり、医療部門があるためか、街の小さなクリニックよりはるかに設備が整っていた。
かつて核融合反応の実験中に優秀な科学者たちが何人も命を落としたように、匣に遺されたオーバーテクノロジーの中には危険なものもあるのだろう。
小久保ハルミという人は、医師免許を持っているのか、医者の真似事をしているだけなのか、ぼくの眼球にライトを当てたり、口を開くように言って舌を見たり、脈を見たり、アンドロイドに血圧を測らせたりした。
白衣を着てメガネをかけた、小柄だが知的で綺麗な女性だったが、綺麗というよりは童顔でかわいらしく、アラフォーにはとても見えなかった。ぼくより少し年上、大学生か大学院生くらいに見えた。
何故か白衣の下に、ロリコと同じ赤ずきんちゃんのような服を着ていた。
割烹着を着ている科学者をテレビで見たことはあったが、白衣の下から赤いパーカーのフードが飛び出していたり、白衣の下にかわいらしいキャミワンピを着て、かわいらしい厚底ブーツを履いているアラフォーの科学者をぼくははじめて見た。
今日のログインボーナスで配布されたものだが、アラフォーの女性にも同じものが配布されているとは思わなかった。
年齢ではなく、似合うか似合わないかで配布するものが決められているのかもしれなかった。
ぼくの身体には特に問題はないようだった。
たまに激しいめまいに襲われることがあることを伝えると、過度なストレスから自律神経が乱れている可能性があるかもしれないと言われた。
薬をその場で処方され、ぼくがその薬を飲むと、今は少し眠った方が良いと言われた。薬が安全なものであることは、シヨタがすぐに調べて保証してくれていた。
そばに母親かもしれない人がいるのに眠れるわけがなく、ぼくはベッドでしばらく眠ったふりをすることにした。
小久保博士とロリコは向かい合って座り、彼女に見えているのかどうかはわからないがロリコの隣にはシヨタも座っていた。
「あなたはロリコちゃんよね? あなたのことはよく覚えているわ。
あなたやシヨタくん、それにあともうひとり、フィリアという人工知能の元になったレデクスのプログラムを組んだのはわたしだし、名前をつけたのもわたしだから」
ロリコやシヨタという残念な検体名は、彼女がつけていたのだ。
フィリアというのは、おそらくヨモツのレデクスにいるメイドの名前なのだろうが、ペドフィリアから取ったのだろうか。
本当に残念なネーミングセンスだった。
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