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第59話「2022/10/12 ⑰」

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 今、同じ建物の中に、ぼくを産み、ぼくを棄てた両親がいる。

――イズモ君のお父さんは、比良坂家の私設武装組織イクサの部隊長、一条ソウマ。
  元・警視庁公安部所属、警察のエリートだった人だよ。

――お母さんの名前は、小久保ハルミ博士。
  イズモくんは、本当は『小久保ソウジ』っていう名前だよ。

 そんなことを唐突に告げられても、あまりに急すぎる展開に、ぼくの頭は理解が追い付かなかった。

 両親に会いたいと思ったことは、これまで一度もなかった。
 なかったと思う。
 棄てた子どもに会いに来られても困るだけだろうと思っていたし、きっとふたりともろくでもない人間だと思っていた。

 そう思うことで、ぼくは棄てられても仕方がなかったのだと思いたかったのかもしれない。
 何故棄てられなければいけなかったか、そんなことを考えるのは時間の無駄だと、考えることを放棄することができたからだ。

 市内にある興信所などを使えば、見つけることができたかもしれなかった。
 だけど、いくら県内通貨とはいえ、高い金を払い、なんとか探し出してもらったとしても、ぼくの前に現れた親を見て、やっぱりこういう人間だったか、とは思いたくなかった。
 ぼくは傷つきたくなかったのだ。

 両親にぼくを棄てなければいけなかった、ぼくが納得できるような理由がちゃんとあり、会いに行っても迷惑がられることもなく、ぼくが失望することもないのだとしたら、ぼくは両親に会いたいのだろうか。

 会いたいに決まっていた。

「小久保ソウジか……葦原イズモよりいい名前だよな……
 父さんと母さんの苗字が違うのは、離婚したからなのかな……
 できれば、ぼくは一条ソウジがいいな……」

 そして、その人たちは今、この研究所のどこかにいるのだ。

 唐突にめまいに襲われ、ぼくはすぐそばにあったソファーに腰を下ろした。
 ロリコとシヨタはぼくの隣に座った。
 立っていることができないだけでなく、座っていることさえもままならなかった。
 だから、ロリコに膝枕をしてもらった。

「ぼくの顔、今どうなってる?」

「真っ青です。唇は紫色になってます」

『目の焦点があってないようだが、五感は大丈夫か?』

「ロリコの声もシヨタの声もちゃんと聞こえる。
 ロリコ、ちゃんと言ってなかったけど、その服やっぱり似合うな。出かけるときに着てた服もよく似合っててかわいかったよ。何を着ててもロリコはいつもかわいいんだけど。
 それから、ロリコはいつもバニラのアイスみたいないい匂いがするよな。
 手を握ってくれない? 触覚がちゃんとあるか確かめたいんだ」

 なんだか、もうすぐ死ぬ奴の台詞みたいだったが、ぼくが五感を失いはじめるということはオルフィレウスの匣そのものになり、前の世界のように狂ってしまうことを意味していた。
 それはぼくがぼくじゃなくなるということであり、死ぬことと同義だった。

 ロリコはぼくの手を両手で握ってくれた。
 小さなその手は、細いのに柔らかくて温かった。

「ちゃんと触覚も生きてる。味覚以外は大丈夫そうだよ、シヨタ」

『そうか。ひとまずは安心だな。今日はもう帰ろう』

「悪いね、シヨタ。さすがにこんなことになるとは想像もしてなかったよ」

『想像できる人間などいないだろう。君たちより高度な人工知能を持つ私たちですら、まさかこんなことが起きるとは思っていなかったんだ』

「あの……味覚以外は、ってどういうことですか?」

『彼は一年半前から味覚を失ってるんだよ。知らなかったのか?』

「知らなかった……ご主人様、何にも教えてくれないから……
 だからいつも栄養補助食品ばかりだったんですね……」

「内緒にしててごめん……」

『彼は君に心配をかけたくなかったんだろう。
 レデクスの所有者は必ず、最初に脳をスキャンして、メイドや執事を作り出すことになるが、そのときに必ず五感のひとつを失ってしまうんだ』

「じゃあ、ご主人様はロリコのせいで……」

「ロリコのせいじゃないよ」

「でも……」

「ロリコは何にも悪くない。ロリコに出会えたことの方が、ぼくの人生にとって、味覚なんかよりずっと意味があることだと思ってる」

 ロリコの瞳からぼくの顔にぽたぽたと大粒の涙が落ちた。

「シヨタ、確かコヨミもそうだったんだよな?」

「お嬢様は嗅覚を失っていた。あまり気にしていなかったようだったけれど」

「じゃあ、あのユワって人も?」

「ずっと観察していたが、彼女は右耳の聴覚と、左目の視覚をたぶん失ってる。聴覚すべてや視覚すべてではなく、半分ずつ失って、足してひとつ分を失う場合もあるんだろう」

「ご主人様は、ロリコと一緒に作ったオムライス、美味しいって言ってくれてたけど、美味しいかどうかもわからなかったんだ……」

「美味しかったよ。味覚がなくても、美味しいと感じたよ」

 それは嘘ではなかった。本当にそう感じたのだ。
 ロリコと毎日一緒に料理を作り、一緒に食べているうちに、いつか味覚を取り戻せる。
 そんな気さえ、ぼくはしていたのだ。
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