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第五部 消夏(ショウカ)

第1話

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 高校の制服が夏服に変わる頃、わたしのクラスにふたりの女の子が転校してきた。
 山汐芽衣(やましお めい)と雨野みかな(あめの みかな)という名前の、ふたりともかわいい女の子だった。

 田舎町の高校に、ある日突然都会から転校生が来るだなんて、一昔前のラブコメじゃないんだから、とわたしは思ったけれど、同じ日に同じ横浜から転校生が来るなんてラブコメでも珍しいなと思ったのをよく覚えている。


 雨野みかなは、一言で言えば「あざとい」女の子だった。
 男子ウケはいいけれど、女子からは嫌われる、同性の友達はいなさそうなイメージだった。

 担任から自己紹介をするように促されると、まるでテレビに出始めたばかりのアイドルがするみたいに、自分のかわいさをアピールした。

 あらかじめ考えてきた台本がきっとあったのだろう。
 それなりに緊張はしていたらしく、少し声が震え上ずってはいたけれど、それすらも演技じゃないかと思えるほど、あざとかった。
 おまけに、一人称が「わたし」等ではなく、自分の下の名前の「みかな」だった。

 だから、わたしの彼女に対する第一印象は、こんな田舎の男子相手に無理してキャラ作りなんかしなくても充分にかわいいのに、という冷ややかなものだった。


 その一方で、 もうひとりの転校生である山汐芽衣は、人見知りをする子なのか、担任に自己紹介を促されても、自分の名前と、よろしくおねがいします、しか言えなかった。

 おまけに、自分の名前で一回噛んだ後に、よろしくおねがいしますでもまた噛んだ。

 そんな彼女を、優しい目で雨野みかなは見守っていた。
 かわいい妹を見守るような、むしろ母親のような優しい目だった。

 だからわたしには、ふたりが横浜にいるころからの知り合いなのだと、なんとなくわかった。
 雨野みかなのわざとらしいくらいにあざとい自己紹介は、皆の目をなるべく自分に向けるためのものだったのかもしれないと思った。

 だから、わたしの第一印象はすぐに「友達思いの、面倒見のいい女の子」、そんな風に上書きされた。


 わたしは男子に友達を紹介したことはなかったけれど、世間では「女子が言うかわいいは信じられない、大体自分よりかわいくない子を連れてくる」と言われているらしい。
 けれど、山汐芽衣も雨野みかなも本当にお世辞でも嘘でもなく、クラス中の男子が一目惚れとまではいかないまでも全員が興味を抱くくらい、そしてわたしを含むクラスメイトの女子たちとは比べ物にならないほどかわいい女の子だった。


 転校初日の朝のショートホームルームが終わると、彼女たちは漫画やドラマみたいにクラスメイトたちから質問責めにあうはめになった。

 わたしは、高校のある□□市の隣の■■■村に住んでいた。
 新しい住人を迎えたことが戦後一度もないような田舎で育ったため、本当にこういうことがあるんだな、と思った。

 □□市は、国が進めていた市町村合併により、■■■村ほど閉鎖的ではないにしても、さして変わらないような田舎のいくつかの町や村が合併し、数年前に市になったばかりだった。
 ■■■村は合併を頑なに拒否した。

 だから、いくら同じ市とはいえ、彼女たちが住んでいた横浜市と□□市の間には、10年経とうが100年経とうが、絶対に越えることができないような大きな壁があった。

 興味本位で他人のプライバシーにずけずけと土足で踏み込んで、本当に田舎のこどもはデリカシーがなくてしょうがないなと思った。


 しかし、今思えば、クラスの中でひとりだけ、ちゃんと年相応の精神年齢に成長していたわたしにとって、それは好都合だったのだと思う。


 雨野みかなは、クラスメイトたちから質問責めに対して、答えられる範囲のものは答え、踏み込まれたくないことはうまくごまかしてかわしてはいたけれど、山汐芽衣はそうじゃなかった。

 何も答えることができず、泣きそうな顔で、みかなの方ばかりを見ていた。

 みかなもそんな芽衣のことを気にしていたけれど、四方八方をむさ苦しい男子たちに囲まれて、身動きがとれないでいた。

 そんなときに、わたしと雨野みかなの目があった。


――お願いできる?


 みかなの顔は、わたしにそう言っているように見えた。

 だからわたしは、まかせて、という顔をした。


 そして、わたしは、

「山汐さん!!」

 大きな声で彼女を呼んだ。

「わたしのこと覚えてない!?」


 覚えているわけがない。
 今日はじめて会ったのだから。

 彼女はわたしのことをまだ認識すらしていないに違いないのだから。

 だから、皆の気を引くことさえできたなら、台詞はなんでもよかった。


 突然のことに驚いている皆をかきわけて、わたしは彼女の手を取るった。彼女だけに聞こえるように耳元で「すぐ助けてあげる」とだけ言って、彼女を教室から連れ出した。


 教室を出るときに、もう一度、雨野みかなと目があった。

 その顔は、確かに、

――ありがとう。

 と、言っているように、わたしには見えた。




 山汐芽衣を連れて教室を飛び出したわたしは、廊下を走り階段を駆け登った。

 校舎は木造の3階建てで、わたしたち2年は2階に教室をあてがわれていた。

 階段は屋上まで続いているけれど、屋上への扉は鍵がかかっている。
 鍵は職員室にあり、よほどのことがない限り鍵を生徒に貸し出すことはない。

 けれど、3階から屋上へと続く階段の踊り場まで行ければ充分だった。

 わたしが想像している通りに、もしふたりが横浜にいる頃からの知り合いなら、携帯電話の番号やメールアドレスを知っているはずだった。
 だとすれば、すぐに落ち合うことができるだろう。

 校舎の中に階段はふたつあったけれど、わたしたちの2年E組の教室から一番近い階段を、3階と屋上の間の踊り場まで登ってきてもらうだけでよかった。
 芽衣だけではなく、みかなも転校生なのだ。
 下手に美術室や音楽室などに逃げ込むよりは、はるかにわかりやすいだろうと思った。


「ごめんね。びっくりしたよね」

 わたしはぜいぜいと荒い息をする芽衣に向かって言った。
 あんまり体力がない子なんだな、と思った。
 もしかしたら何か病気を患っていて、空気のきれいな田舎に引っ越してきたのかもしれないと思った。
 走ったりしてはいけない身体なのかもしれなかった。
 だとしたら、申し訳ないことをしてしまった。

 呼吸が落ち着くまでは、もう少し時間がかかりそうだ。それまではまともに話ができないだろう。

「なんだか、見てられなくて。デリカシーのない奴ばっかりでごめんね」

 と、わたしは言った。

「息が落ち着くまでは、無理して返事とかしなくていいからね」

 と続けた。わたし、勝手に喋ってるから、と。

「さっきの、わたしのこと覚えてる? っていうのは、みんなの気を引くための口からのでまかせ。
 覚えてなくて当たり前だから。わたしと山汐さんとは今日が『初対面』だからね」


 きっとわたしは今、彼女が自己紹介をするのを見守っていた雨野みかなみたいな顔をしているのだろうなと思った。

 彼女を見ていると不思議となんだか守ってあげたくなる。助けてあげたくなる。

 わたしには弟も妹もいないし、甥や姪もいない。
 ペットを飼ったこともなかったから、はじめて抱く感情だった。
 それが、溢れてとまらなくなっていた。

 これが母性本能や庇護欲(ひごよく)というものだろうか、とわたしは思った。

「わたしは、返璧 真依(たまがえし まより)。変な名前でしょ」

 名前を名乗ってしまうと、あとは何を話せばいいのかわからなくなった。

「よろしくね」

 という言葉しか、見つからなかった。

 趣味や好きな芸能人とかの話をしたらいいのだろうか。趣味と呼べるものも、好きな芸能人もわたしにはいなかった。

 高校2年になって、新しいクラスメイトたちに自己紹介をしたのは、まだほんの2ヶ月前だった。
 そのとき、わたしはみんなに何て自己紹介したのだろう。
 もう覚えてもいなかった。

 ああ、そうだ。
 クラスメイトにどう思われてもよかったから、名前と「よろしく」と言うだけの自己紹介しかしていなかった。
 高校に入学したばかりのときもそうだった。

 転校生は大変だなって思った。
 あの雨野みかなっていう子はすごいな、と思った。


 山汐芽衣の呼吸が整ったら、携帯電話で雨野みかなに居場所を伝えてもらおうと思っていたけれど、

「あ、いたいた」

 みかながわたしたちを見つける方が早かった。

「みかなお姉ちゃん!」

 芽衣はみかなの顔を見ると、その胸に飛び込んだ。

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