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第四部 春霞(はるがすみ)
第6話
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山汐芽衣は、携帯電話を持っていなかった。
家に忘れてきてしまったのだという。
家の固定電話の番号も覚えておらず、住所もわからないと言った。
背中の、大きなくまのぬいぐるみの形をしたリュックの中を見させてもらったけれど、電話番号や住所がわかるものはどこにもなかった。
彼女の姉である山汐凛や、兄である山汐紡の携帯番号も覚えていないと芽衣は言った。
そもそも彼女が忘れてきた携帯電話というのは、山汐凛のものなのではないのだろうか?
けれど、4ヶ月前「あの人」から兄に渡すように託された携帯電話は四台あった。
一台は壊れてしまっていたけれど、山汐凛、山汐紡、夏目メイ、内藤美嘉とそれぞれに名前が書かれたシールが貼られていた。
その四台の携帯電話を、兄は「あの人」に宅配便で送り返していた。
「あの人」がその後、四台の携帯電話をどうしたのかまではわたしは知らない。
4ヶ月前に会ったきり、彼が兄を訪ねてくることはなく、わたしは彼に会っていなかったし、おにーちゃんからも彼の話を聞いたことはなかった。
その四台の中に、山汐芽衣の名前の携帯電話はなかったけれど、山汐凛たちはもしかしたら、それぞれの人格が別の携帯電話を持っていたということだろうか。
だけど、何のために?
その答えはきっと、おにーちゃんや「あの人」が知っているに違いなかった。
山汐芽衣のことは、交番にでも連れていき、警察に任せてしまうべきだといことはわかっていた。
けれど、わたしはそうしなかった。
彼女を連れて家に帰ろうと思った。
わたしはもう、おにーちゃんや「あの人」がしようとしていることと、無関係ではいられなくなってしまったことを伝えなければいけないと思った。
山汐凛や加藤麻衣にまつわる、わたしの高校で去年の夏休みに起きたことの真相を、おにーちゃんたちが一体何をしようとしているのかを、知る権利がわたしにはあると思った。
だから、わたしは、
「わたしのおにーちゃんなら、芽衣ちゃんのお姉さんやお兄さんを見つけてあげることができるかもしれないんだけど、うちに遊びにくる?」
と、山汐芽衣に言った。
彼女を見たときに、誘拐されたり、いたずらされたりしないか心配だと思ったわたしが、まるで彼女を誘拐しようとしているみたいで、少しおかしかった。
「うん! 芽衣、みかなお姉ちゃんについてく!」
子どもを誘拐するのって、すごく簡単なんだろうな、とわたしは思った。
人を騙すことも。
相手が困ったり弱ったりしているときに、そこにうまくつけいることさえできれば、人は他人を簡単に支配できてしまうんだろうな、とわたしは思った。
そんなことを考えてしまった自分に嫌悪感を抱きながら、わたしは山汐芽衣を連れて家に帰った。
わたしは、山汐芽衣を自分の部屋に案内すると、
「ちょっとだけ、このお部屋で待っててね。テレビを観ててくれてもいいし、本棚にある本、どれでも読んでくれていいからね」
そう言って、おにーちゃんの部屋のドアをノックした。
おにーちゃんの部屋に入るには、いくら家族の中で唯一心を開いてもらえているわたしが相手があっても、セキュリティを突破する必要があった。
わたしは、それを芽衣に見られたくなかった。
ドアにはカギがかかっていて、第一関門はそのノックの仕方だ。
モールス信号の符号で、わたしが「み」「か」「な」であることを伝えなければいけない。
おとーさんもおかーさんもモールス信号なんて知らないから、この時点でドアを開けてくれてもわたしは一向に構わないのだけれど。
第二関門は、合言葉だ。
部屋の中から、おにーちゃんがまず、
「古の呪(いにしえのじゅ)」
と言う。
わたしはそれに対し、
「憎しみの幻影(にくしみのヴィジョン)」
と答える。
「未知の名の弔花(きょうか)」には、「大いなる力」と答え、「天地を繋ぐ憎悪の鎖」には、「我はその魂に手を伸ばさん」と答える。
そうして、ようやく、ムスヒの扉が開く。
わたしは、毎日、そんな風にしておにーちゃんの部屋のドア「ムスヒの扉」を開ける。
芽衣くらいの年の頃は、それが当たり前だと思っていたし、わたしもそれを楽しんでいた。
中学二年になる頃に、幼馴染みの佳代から、
「みかなのお兄ちゃんって、中二病だよね」
そう言われるまで、わたしはそれが異常なことであることに気づかなかった。
しかし、その後もわたしは、異常なことであると知りながらも、
「どうした? 今日はいつものようにノリノリでやってくれないんだな。具合でも悪いのか?」
ムスヒの扉の向こうにいるおにーちゃんにそう言われてしまうくらいには、この年になっても、ノリノリでそれをやっていた。
具体的にはハリー・ポッターの映画の戦闘シーンで呪文を唱えるハリーくらいの勢いでやっていた。
……えっと、実はハリー・ポッター、1作目しか観たことないんだけど、バトルシーンもあるよね?
「ちょっと、ワケアリでね」
と、わたしは答え、
「ほう、ならば、その訳をじっくり聞かせてもらおうか」
おにーちゃんがムスヒの扉を開き、わたしを部屋に招き入れようとしたとき、
「芽衣も今のやりたい!」
わたしはそのとき、はじめて芽衣に一部始終を見られていたことに気づき、絶句した。
「なるほど。今宵は招かれざる客がいたか……」
おにーちゃんも芝居がかった口調は変えずに、冷や汗をだらだらとかいていた。
「まだ夕方の5時半くらいだけどね」
他人に見られたら恥ずかしいことをしているという自覚が、おにーちゃんにちゃんとあって良かった、とわたしは思った。
家に忘れてきてしまったのだという。
家の固定電話の番号も覚えておらず、住所もわからないと言った。
背中の、大きなくまのぬいぐるみの形をしたリュックの中を見させてもらったけれど、電話番号や住所がわかるものはどこにもなかった。
彼女の姉である山汐凛や、兄である山汐紡の携帯番号も覚えていないと芽衣は言った。
そもそも彼女が忘れてきた携帯電話というのは、山汐凛のものなのではないのだろうか?
けれど、4ヶ月前「あの人」から兄に渡すように託された携帯電話は四台あった。
一台は壊れてしまっていたけれど、山汐凛、山汐紡、夏目メイ、内藤美嘉とそれぞれに名前が書かれたシールが貼られていた。
その四台の携帯電話を、兄は「あの人」に宅配便で送り返していた。
「あの人」がその後、四台の携帯電話をどうしたのかまではわたしは知らない。
4ヶ月前に会ったきり、彼が兄を訪ねてくることはなく、わたしは彼に会っていなかったし、おにーちゃんからも彼の話を聞いたことはなかった。
その四台の中に、山汐芽衣の名前の携帯電話はなかったけれど、山汐凛たちはもしかしたら、それぞれの人格が別の携帯電話を持っていたということだろうか。
だけど、何のために?
その答えはきっと、おにーちゃんや「あの人」が知っているに違いなかった。
山汐芽衣のことは、交番にでも連れていき、警察に任せてしまうべきだといことはわかっていた。
けれど、わたしはそうしなかった。
彼女を連れて家に帰ろうと思った。
わたしはもう、おにーちゃんや「あの人」がしようとしていることと、無関係ではいられなくなってしまったことを伝えなければいけないと思った。
山汐凛や加藤麻衣にまつわる、わたしの高校で去年の夏休みに起きたことの真相を、おにーちゃんたちが一体何をしようとしているのかを、知る権利がわたしにはあると思った。
だから、わたしは、
「わたしのおにーちゃんなら、芽衣ちゃんのお姉さんやお兄さんを見つけてあげることができるかもしれないんだけど、うちに遊びにくる?」
と、山汐芽衣に言った。
彼女を見たときに、誘拐されたり、いたずらされたりしないか心配だと思ったわたしが、まるで彼女を誘拐しようとしているみたいで、少しおかしかった。
「うん! 芽衣、みかなお姉ちゃんについてく!」
子どもを誘拐するのって、すごく簡単なんだろうな、とわたしは思った。
人を騙すことも。
相手が困ったり弱ったりしているときに、そこにうまくつけいることさえできれば、人は他人を簡単に支配できてしまうんだろうな、とわたしは思った。
そんなことを考えてしまった自分に嫌悪感を抱きながら、わたしは山汐芽衣を連れて家に帰った。
わたしは、山汐芽衣を自分の部屋に案内すると、
「ちょっとだけ、このお部屋で待っててね。テレビを観ててくれてもいいし、本棚にある本、どれでも読んでくれていいからね」
そう言って、おにーちゃんの部屋のドアをノックした。
おにーちゃんの部屋に入るには、いくら家族の中で唯一心を開いてもらえているわたしが相手があっても、セキュリティを突破する必要があった。
わたしは、それを芽衣に見られたくなかった。
ドアにはカギがかかっていて、第一関門はそのノックの仕方だ。
モールス信号の符号で、わたしが「み」「か」「な」であることを伝えなければいけない。
おとーさんもおかーさんもモールス信号なんて知らないから、この時点でドアを開けてくれてもわたしは一向に構わないのだけれど。
第二関門は、合言葉だ。
部屋の中から、おにーちゃんがまず、
「古の呪(いにしえのじゅ)」
と言う。
わたしはそれに対し、
「憎しみの幻影(にくしみのヴィジョン)」
と答える。
「未知の名の弔花(きょうか)」には、「大いなる力」と答え、「天地を繋ぐ憎悪の鎖」には、「我はその魂に手を伸ばさん」と答える。
そうして、ようやく、ムスヒの扉が開く。
わたしは、毎日、そんな風にしておにーちゃんの部屋のドア「ムスヒの扉」を開ける。
芽衣くらいの年の頃は、それが当たり前だと思っていたし、わたしもそれを楽しんでいた。
中学二年になる頃に、幼馴染みの佳代から、
「みかなのお兄ちゃんって、中二病だよね」
そう言われるまで、わたしはそれが異常なことであることに気づかなかった。
しかし、その後もわたしは、異常なことであると知りながらも、
「どうした? 今日はいつものようにノリノリでやってくれないんだな。具合でも悪いのか?」
ムスヒの扉の向こうにいるおにーちゃんにそう言われてしまうくらいには、この年になっても、ノリノリでそれをやっていた。
具体的にはハリー・ポッターの映画の戦闘シーンで呪文を唱えるハリーくらいの勢いでやっていた。
……えっと、実はハリー・ポッター、1作目しか観たことないんだけど、バトルシーンもあるよね?
「ちょっと、ワケアリでね」
と、わたしは答え、
「ほう、ならば、その訳をじっくり聞かせてもらおうか」
おにーちゃんがムスヒの扉を開き、わたしを部屋に招き入れようとしたとき、
「芽衣も今のやりたい!」
わたしはそのとき、はじめて芽衣に一部始終を見られていたことに気づき、絶句した。
「なるほど。今宵は招かれざる客がいたか……」
おにーちゃんも芝居がかった口調は変えずに、冷や汗をだらだらとかいていた。
「まだ夕方の5時半くらいだけどね」
他人に見られたら恥ずかしいことをしているという自覚が、おにーちゃんにちゃんとあって良かった、とわたしは思った。
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